第26話 魔弾/Freikugel
ひょう、と矢が放たれる。
その所作は見惚れてしまうほどに美しく完成されていて、しかし恐るべき威力を秘めていた。
竜さえ殺す一射。
それを肩口に受け、赤竜は吠えた。
怒りによる叫びではなく、恐れによる悲鳴でもない。
それは、警告の一声だ。
「お逃げなさい!」
そう叫びながら、彼女は炎の吐息を放つ。万物を焼き尽くし、滅ぼす力。
それを、小さな影は大きく後ろに飛んでかわした。
そんなことで、火竜の炎をしのげるわけがない。
本気で吹かれた火竜の炎は周りの空気をも熱し、触れずとも鉄さえ溶かす。
生きとし生けるものが浴びて無事な温度ではない。
「あらあら」
――だが。
小さなその人影は、気にした様子もなく矢を放った。
赤竜は翼を大きく広げ、その一撃を身に受ける。翼の膜が破れ、彼女はその巨体を支えきれずに大地に落ちた。
火竜の炎を浴びて、それに耐えうる例外が、この大地の上には二種類いる。
一種は他でもない火竜自身。その鱗は一切の熱を遮断し、マグマの中で泳ぎ、己が吐息に焼かれることもない。
そしてもう一種は、白竜。竜の中で最も弱きその竜は、しかし一切の冷気を遮断する鱗を持つ。
それはつまり、極めて熱を通しにくいということだ。
直撃を浴びれば持たないだろうが、余波の熱程度であれば防ぎうる。
そして。
その小さな人影は、まさにその二種の鱗を用いた武具を身にしていた。
すなわち、白竜鱗の鎧と、赤竜鱗の弓とを。
「……困りましたね」
赤竜はそんな呑気な事を言いながら、爪を振るう。まるで山のような巨体によって振るわれるそれは、酷くゆったりとした動作に見えながら風よりも疾い。それでいて、ほんの毛先ほどでも相手を捉えれば即座にバラバラにするほどの重さを備えていた。
けれど、当たらない。射手はまるで重力を感じていないかのようにとんとんと跳ね、爪をかわしながらも矢を放つ。それは狙った心臓を外れて、腹の辺りに突き刺さった。
「あら、あら……」
赤竜は刺さった矢にちらりと視線を向け、苦笑する。
先程までの射撃と違って、それは背後を庇うために避けなかったのではない。
避けようとして、避けられなかったのだ。
「どうした……ことでしょう……」
ごぼりと、口元から血を吐きながら赤竜は呟く。
爪を当てられないのも、射手が素早いというだけではない。彼女の動きそのものが、ずいぶんと鈍っていた。
「なるほど、これが、原因ですか」
赤竜は腹に突き刺さった矢を抜いた。ぬらりと血に濡れたその矢の切っ先は、鋼の光沢を持った銀ではなく、くすんだ緑。毒竜とも呼ばれる、森に住まう竜の鱗で出来ていた。
赤竜の鱗が熱を帯びるように、白竜の鱗が冷気を帯びるように、緑竜の鱗は抜かれてもなお毒を帯びている。それは、竜にも通ずる毒だ。
考えてみれば当たり前のこと。五色の竜の中で三番目……つまりこの世で三番目に強い生物が、何のために毒を持つか? それはもちろん、己より強い生き物に抗するため。雷竜と火竜を殺すためだ。
そしてそれは、緑竜に限ったことではない。
翼の膜は黒竜の矢を受け腐食し、彼女はもはや飛ぶ術を失った。
肩に刺さった青竜の矢は、彼女の身体に微弱な雷気を流してその動きを鈍らせる。
白と赤だけではない。射手は、この世全ての竜種をその武器として挑んでいた。
「逃げなさい!」
もう一度、赤竜は叫ぶ。逃げながらも、心配そうに彼女を伺う白竜へと。
だがそれは、射手から白竜を守るための言葉ではなかった。
自分の攻撃から守るための、言葉だ。
「お見事です、小さきものよ。あなたは見事、私を討ち果たしました」
赤竜は微笑みさえ浮かべ、そう告げる。
「けれど――あの子の元へは行かせませんよ」
その全身が、炎に包まれた。
血だ。火竜の血液は、酷く燃えやすい。ニトログリセリンとガソリンを足しっぱなしにしたかのような代物だ。何本もの矢を浴び、そこから流れた血液に己の吐息を浴びせて燃やしたのだ。
その状態で敵に向かって突っ込めば、もはや避けるも防ぐもない。近づけば燃え尽きるそれは、純粋な滅びの塊だ。そして、この世に火竜よりも速く長く走ることの出来る生き物はいない。
射手は全力で逃げ出したが、すぐに炎に捉えられた。
「さあ――」
けれど。そんなマネをすれば、いくら火竜とて無事ですむわけがない。そうでなくとも、致死の毒をすでにその身にいくつも受けているのだ。
「後は、頼みましたよ」
穏やかにそう呟いて。
誇り高き赤竜は、炎の中、崩れ落ちる。
――それが。
私が最後に見た、母上の姿だった。
* * *
私は、愚かだった。
狙うのであれば、自分の領域を離れたところを狙う。ユウキにそう助言してもらっていたというのに、移動中に狙われる可能性をほとんど考慮していなかった。
そのうち三頭がまだ若く幼いとはいえ、四頭の竜を狙うものがいるとは。
ましてや、それが歳経た火竜すら殺す力を備えているとは、思いもしなかった。
「……ごめんなさい、せんせい……」
「いや、君のせいじゃない」
私が竜鱗弓を通して見た夢が事実であることは、程なくしてヒイロ村に辿り着いたアイによってすぐに証明された。
彼女を狙った竜殺しと戦い、母は刺し違え命を落とした。
母上が一体どうやってこちらの事情を知ったのかはわからないけれど、ずっと見守っていてくれたのだろう事は想像に難くない。彼女がいなければ、アイたちはあの射手に何の抵抗もできずに撃ち殺されていただろう。
母上は全てを連れてってくれた。あの竜鱗弓も、全てが赤竜の鱗で出来ているわけじゃない。仮に鱗が焼け残ったとしても、もはや弓としての形は保てないだろう。後は同じものを作らなければ、あんな悲劇は起こらないはずだ。
……いや。
悲劇、というのは間違いだ。これは単に、然るべき事が起こったに過ぎない。
私は人に竜に対抗しうる力を与え、人はそれを持って竜に対抗した。
つまりはこれは、私の自業自得だ。
その力が自分に……自分の大切な人に向けられるなんて、思いもしなかった。
たとえ向けられても大丈夫だと、驕っていたのだ。
「別に、あんたのせいでもないでしょ」
見かねたのか、ニーナが私に慰めの言葉をくれる。
「弓を作ったのはフィーだし、その腕を磨いたのは人間じゃないの。あんたは鱗を剥いだだけで、なんにもしてないでしょ」
手柄を奪うな、とでも言わんばかりの彼女の言葉に、私は苦笑した。
「それに、あんたのせいだろうとそうじゃなかろうと、するべきことは落ち込むことじゃないでしょう」
バシンと背中を強く叩かれて、ようやく少しだけ気持ちがシャンとする。
「……ん。そうだね」
問題があるのなら、それを解決しなければいけない。
今までずっとそうしてきたはずだ。
「ありがとう。助かったよ、ニーナ」
「ん」
そっけなく、しかし優しさに満ちた表情で、ニーナは頷く。
――けれど。
けれど、その機会は、私には与えられなかった。
その日。
マシロの国が、消滅したからだ。
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