竜歴1301年
第25話 終わりの始まり/The Beginning of the Demise
「頼もうっ!」
響き渡る野太い声に、私達は目を覚ました。
「もう……こんな朝っぱらから何……?」
目をこすりながらむくりと起き上がって、ニーナが玄関の方に歩いていく。
「ややっ! これは、美しい姫君。ご安心下さい、某が必ずやお助けいたします!」
「はあ?」
するとそんなやり取りが聞こえてきて、私は何事なのか察した。
これは、あれか……いつものやつだ。
私は生あくびを漏らしつつも、ベッドに立てかけてあった杖を手にして表に出る。
「む。何だ、貴様は」
家から顔を出したところでニーナに迫ろうとしていたのは、きらびやかな鎧兜に身を包んだ剣士だった。
「どうも、邪悪なる竜です」
「竜が人の姿を取り人心を惑わすとは本当であったか! なるほど美丈夫、優男よ。その外面で姫を誑かしたか」
軽く頭を下げて挨拶すると、剣士は私を見て唸りながらそんなことを言った。
えっと、お褒めの言葉、ありがとう……?
「我が名は
名乗りとともにすらりと抜かれた剣の色は、赤。おや、と私は目を見張った。
「ゆくぞ!」
真っ向から振り下ろされる剣を、私は反射的に左手で受け止める。
痛った!!
「なっ、何だとぉ!? 我が聖剣、グラムサンドルが受け止められただと……!?」
「混ぜもの如きが、真の火竜の鱗に通じると思うてか……」
痛みを必死に堪えて返した言葉は、いい具合にしゃがれていた。
私はちょっとお高めの肉みたいな名前をつけられた剣を掴んだまま、右手の杖を振りかぶる。
「ぬあーっ!」
魔力の力場で殴り飛ばすと、フリードリヒとかいう男は景気良く吹っ飛んでいった。
「ふははははははは! 愚か者め! これに懲りたら二度と朝方には来るでないぞ!」
眠いからね。
気絶して聞こえてなさそうだけど一応私はそんな風に言っておくと、ニーナと顔を見合わせた。
「……目も覚めちゃったし、朝ごはんにでもしようか」
「そうね」
* * *
私達がヒイロ村で平和に暮らしている間に、世界はずいぶんと様変わりしてきているようだった。人間は段々と竜に対抗しうる力を手に入れ、各地で竜が討たれるという話もたまに聞こえてくるようになってきた。華々しい、竜退治の英雄譚である。
まあ竜は竜で人の街を襲っては滅ぼしたりもしているのでお互い様だろう。
いずれにせよ、人々が竜という名の天災に怯え暮らす時代は終わりつつあると言ってよいのだと思う。
問題は、竜が治めると言われるヒイロ村にも竜殺し志望の人間が押し寄せてきたことだ。
どうも私は与しやすいと思われているらしく……まあ、それはある意味では間違いではないのだけれど。しょっちゅう戦いを挑まれている。
まあ、倒しやすそうな竜を倒して竜殺しの称号を得よう、なんて志の低い人間が強いわけもない。私でも簡単にあしらえるくらいの相手しか来ないから、いいんだけど。
「今日の人は強かったんですか?」
「強いっていうか、いい武器を持ってたね」
朝食を食べ終わり、痛む左手をニーナに治療をしてもらいながら、私はクリュセに答えた。
切れてはいなかったが、ちょっとばかり痣くらいにはなっていた。ちゃんと防御魔法はかけたんだけど、突破されてしまった。
「あれは赤鱗鋼の剣だね。動き自体はそんなに大したものでもなかったから、自分で倒したわけじゃなくて、昔うちで作ったものをお金で買ったんだろうな」
赤竜の鱗で作られているからと言っても、振るうものが凡庸なら怖くもない。武器と防具が同レベルなら、あとは中身の勝負になるからだ。そして、竜の魔力を凌駕する技量を持った剣士なんてそうそういない。
あれはあくまで、魔獣退治用の武器なのだ。
「頼もーう!」
「またか……」
外から聞こえてくる野太い声に、私はため息をついた。
まあ、正々堂々と訪ねてくるだけ今日の相手はマシな方だ。
何を思ったのか、家に火をかけようとした人もいたからなあ。私が焼け死ぬことはないけれど、一緒に暮らしてるニーナやクリュセ、そして家財はどうにもならない。
「先程は妙な術で惑わされたが、今度はそうはいかぬぞ」
一日に二人も来るなんて珍しいと思ったら、また先程のフリードリヒとかいう男だった。
思ったより頑丈な相手らしい。
「悪いけどこっちも得物を使わせて貰うよ」
また手を怪我するのも嫌だったので、私は杖以外の道具を使わせてもらうことにした。
「馬鹿にしておるのか!?」
「してない……いや、してることになるのかな」
なにせ私が構えているのは、フライパンだ。そう思うのも仕方ない。
「喰らえ……絶牙崩天撃!」
繰り出された何の工夫もない突きを、私はフライパンで受け止めた。
「ば、馬鹿な……!?」
そして驚愕する彼を、先ほどと同様……いや、やや強めに杖で跳ね飛ばす。
イニスの理論によると、魔力の籠もった物品というのは本来の強度とは無関係に丈夫で長持ちする。魔力でガッチリコーティングされているので、劣化がないのだという。
パピルスで作った紙は百年と持たずに朽ち果ててしまうのに、象皮紙で作った本が数百年経っても健在なのはそういう理由だ。あれは紙にする過程で何度も魔法を重ねがけして柔らかくするので、内部までしっかり魔力が浸透しているのだそうだ。
翻って、私愛用のフライパンである。
丈夫で、軽く、焦げ付かない。総ヒヒイロカネ製の赤いフライパン。
ヒヒイロカネという金属は、イニスに言わせれば魔力の塊がそのまま形をとったような代物で、私の鱗にも匹敵する魔力を秘めているらしい。今も赤鱗剣の一撃を受けて傷一つない。
これで武器を作ればさぞかし強力なものになるだろうが、なにせ産出量が少ない。流石にそんな贅沢なものはうちのキッチンと剣部本家にしかなかった。鉄と混ぜた緋金製の剣なら割とあるけど、これはかなり魔力が落ちるらしい。
「誤解はとかなくていいんですか?」
「いいよ、面倒くさい」
伸びた男を眺めて問うクリュセに、私はパタパタと手を振った。
最初のうちは、私が邪悪な竜などではないこと、村の人達とは仲良くやってること、私を倒しても竜退治の栄誉なんて得られないことなどを、ちゃんと説明をして、わかってもらっていた。
……が。
本当に、人の話を聞かないのだ。竜を倒して英雄になろうなどという人種は。
必死に説得して、村の人達に私が人間を害することなど無いと証明してもらっても、人を騙しているのだろう、邪智に長けた悪竜め、などといい出す。
それだけならまだしも、竜に与する邪悪な村などといい出されては、流石の私も我慢がならない。ましてや村の人達を害そうとする自称英雄たちに対し、怪我しないように穏当に相手する気になんてなれなかった。
村の人たちを傷つけられるくらいだったら、もういっそのこと私が悪竜ということにしてしまって、さっさとやっつけて心を折ってしまった方が手っ取り早い。そんなわけで最近私は悪竜として彼らを叩きのめすことにしていた。
ま、ヒイロ村の人たちは大体竜殺しより強いから、彼らが害そうとしても返り討ちにされるだけなんだけど……
「アイ、君の方はどうだい?」
朝の軽い運動を終えて、私はふと気になってアイのところに通信を繋ぐ。
「ええ、今のところは平穏そのものです、おかげさまで」
彼女のところは魔獣が多数住み着いた深い森の中に拠点を構えているおかげか、それとも無数の竜が群れをなして暮らしているためか、今の所そんな勘違いした自称英雄が押しかけるようなことはないようだった。
「あ、赤センセーだ!」
私の通信を聞きつけて、すっかり日本語を覚えた子竜たちがわらわらと集まってくる。
「ピンクセンセーと金色センセーも、こんにちは!」
竜でも子供というのは無邪気なものだ。
最近ではすっかりクリュセたちにも懐いて、気軽に挨拶してくるようになっていた。
「……最近、そっちに行くのも悪くないかも知れないと思うようになってきました」
しばらく他愛のない雑談に興じた後、不意に、アイがそんなことをぽつりと漏らす。
「待っていたものが来たのかい?」
驚いて尋ねれば、アイはふるふると首を横に振った。
「でもよく考えたら、ここで待たなければならないという道理はなかったんです。どうせ来ないものであれば、どこで待っていても同じなのかなって」
半ば諦めたかのような、アイの声色。
「それに、ここも手狭になってきましたし」
困ったような表情の彼女にじゃれつく三頭の子竜たちは、既に彼女よりも大きくなっていた。
「ニーナ」
「別に、好きにすればいいんじゃない」
振り向いて確認すると、ニーナは特に興味もなさそうにそう答える。
けれど、私にはわかる。彼女がそうしてさも興味ないと言わんばかりのポーズを取るときは、だいたい賛成と見ていい。
今のアイたちの生活を支えているのは巨大な森とそこで取れる様々な資源だ。
実際にそれを作り出したのはアイたちだけれど、指示やアドバイスを出したのは私達。
だけど、森のことなんて私にはほとんどわからない。だから一番詳しい人……森の守護者であり、恵みの化身であるニーナに助言を求めるのは自然なことだ。
私がいちいち聞きに来るのをニーナがだんだん面倒くさく思って、直接アイに指示し始めるのも。
もともとニーナはクールに見えて情の深い女性である。困っている人はなんだかんだ言って放っておけないのだ。そこに幼い子供たちが関わっているとなれば尚更である。
そんなわけで、最近のニーナは結局十分アイたちとコンタクトを取っていた。
「それじゃあ、今度引っ越してくるといいよ」
幸いにして、いざという時は支援物資でも送ろうかと思ってこちらにも竜が住めるような環境は整えている。少し手を加えればすぐにでも引っ越して来られるはずだ。
全ては、いい方に向かっている。
愛する人と共に暮らし。迫る寿命に怯えることもなく。永遠の別れに嘆くこともない。
幸せに、穏やかに、満たされて暮らす生活を、ようやく送ることができるのだ。
私はそう思った。
そう、思っていた。
――それがどれほど儚いものか、すぐに思い出す事になるなんて、思いもせずに。
* * *
がばりと、私は跳ね起きる。
「どうしたの?」
隣で半身を起こすニーナの問いに答えることも出来ない。
全身が汗ばみ、心臓は早鐘のように打ち、私は暗闇の中、ただ目を見開く。
それは、かつてみたおぼろげな夢とはまるで違った。
確信というにも足りない、ただの事実。
「母上が……死んだ」
私はそれを、口にした。
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