第19話 魔獣/Beast

「二十ある。これは普通の武器じゃ通らんね」


 鎧熊の毛皮に例の魔力計を押し当てて、イニスは顔をしかめた。


「二十? でも確か、前私の魔力を測ったとき、イニスが矢を刺そうとする力が二、三十くらいあっただろ」


 イニスはそろそろ三百歳も近くなるお年頃だが、相変わらず十代前半にしか見えない。身長も極めて低く、クリュセよりも小さいくらいだ。そしてその腕力は、見た目相応に強くはないはずだった。


「この数値って、あんまり腕の力とか、勢いとは関係ないんだよね。もっと魔法的な奴でさ。いくらわたしが非力でか弱い美少女だからって、その数字がそんなに低いわけじゃないよ。わたしが本気で先生を殺そうと思って力を振り絞ると、そのくらいってだけで」


 なんだかいろいろと聞き捨てならない言葉が聞こえた気がするが、イニスと話しているときにいちいち突っ込んでいると話が進まない。私はあえてスルーすることにした。


「それに、この魔力の数値以外にもね、そもそもの毛皮の強度があるわけよ。生きてる鎧熊にひっついてるときなら、その裏にある筋肉とか骨とかもね。で、こっちが刺す魔法の強さと、毛皮自体の魔法の強さがだいたい同じって事は……」


 イニスは懐から小刀を取り出すと、鎧熊の毛皮の上に刃を立てるように支える。先端が毛皮に触れているだけで、それ以上力のこもってない状態だ。


「こういうこと」

「なるほど。単に触れているだけじゃ、刺さりようがないな」


 私の杖の一撃を、鎧熊が耐えられた理由もこれでわかった。杖に込められた魔力は多分鎧熊の毛皮に籠もった魔力よりはいくらか多い。けれど毛皮分減じられた魔力では、鎧熊の重みを超える力が出せなかったということだ。


「つまり……物質そのものの物理的な防御力と、魔力による魔法防御力。その両方を足し合わせた攻撃力を出さないと、この鎧熊の毛皮は貫けないわけか」

「魔法防御力? へえ、なかなか使いやすそうでいい言葉だねえ。攻撃も防御も使い方の差でしかないから、魔法強度とでもした方が一般的だろうけど、ま、それはいいや」


 イニスは黒板に向かうと、チョークで箇条書きを始める。


「この毛皮を貫くには、方法が三つある。わかる、先生?」

「一番わかりやすいのは、魔法攻撃力をあげることだろう」


 それは私が行った方法だ。魔法の弾丸の魔力量がどの程度なのか測ったことはないけれど、竜の鱗も貫く魔術なのだ。少なくとも魔力に守られた鎧熊の毛皮を貫通し、筋肉を穿ち、頭蓋を破壊する程度の力がある。


「うん。シンプルでいいけど、それが出来るのは先生くらいだね。次は?」

「……物理攻撃力の方を上げてもいいはずだ。筋力を鍛え、より鋭く硬く重い武器を使う」


 少し考えて答えると、イニスはうんうんと頷いた。


「そうだね。剣部の人たちがやってるのも、まあそっちの範疇に入るとしていいかな。より柔らかく切りやすい部分を切りやすいタイミングで切るっていうのも。で、三つ目は?」

「相手の防御力を下げるってうのは、そこに入るわけだよね」


 となると……どうしたらいいんだ? 攻撃力は二種類しかない。……いや、違う、そうか。


「攻撃そのものの、魔力をあげる」

「ん、せいかーい」


 イニス先生は花丸をくれた。


「ま、この鎧熊がやってることと同じだよね。武器そのものに魔力を込めればいい。突き刺す力と毛皮の魔力が相殺されちゃうんなら。そもそも魔力を持ったものをぶち当てる。単純な足し算だよ」


 イニスは小刀の刃を撫でて魔力を込めると、先ほどと同じように毛皮の上に刃を置く。すると小刀は重力に従って、ストンと落ちた。


 毛皮の中、その下にある机までを貫いて、刃の根本の柄の部分で引っかかっている。


「いや……待ってくれ。でもそれはもうやってるはずなんだ」


 体長五メートルもある巨大な猛獣を、二メートルに満たない人が原始的な武器で仕留められるのは、それを魔法で強化しているからだ。前世の世界では、ヒグマなんかは銃を持っててもそう簡単に殺せる獣ではなかった。それよりも更に強大な獣を狩ることが出来るのは、私たちに魔法という強大な武器があるからだ。


 鎧熊の方も魔力を手に入れ魔法を使えるようになった今、その優位性は消えた。魔法を一切使わずに、人が熊を槍で殺すことが出来るか。つまりはそういう事だ。


「知ってるよそのくらい。でも、それは正確に言うと武器が外部に与える影響……平たく言うと、切れ味だの何だのを強化してるんだよね。武器そのものを強化してるわけじゃない」

「ん? どう違うんだ?」


 私は首を傾げた。武器を強化するのと、武器が外部に与える影響を強化するのと。同じことのような気がしたからだ。


「違うよ、全然違う。前者が微小なアレンダール力場を発生させているのに対して、後者は物質の構成要素たるアトムの結びつきを魔法素子が媒介することによってテネシス強度が飛躍的に……あー。まあ、えーと……」


 イニスは私がさっぱり理解してないのを察して頭を掻き、少し考えてから言い直した。


「簡単に言うと、もっと強い武器を作ればいいってこと。材質とか製造技法的に強い武器を作るのはすぐには無理だろうけど、魔法的に強い武器を作る方法なら心当たりがある。で、その強い武器に更に強化魔法をかけて戦えば、魔力持ちの鎧熊も倒せる」


 私は驚いた。彼女のその発想にではない。


「気づいてたのか。魔力を持った獣が、多分この鎧熊だけじゃないってことに」

「そりゃあ、そうよ。先生がそんなに血相変えてわたしに話を持ってくるってことは、村が危ない何かがあるってことでしょ」


 そう。多分、魔力を手に入れた獣はこの個体だけとは思えない。鎧熊だけにも限らないだろう。森の中には凶暴な獣は枚挙にいとまがない。その全てが魔力を持ったら、それは魔物以上の脅威だ。


「魔力を持った獣……まあ、仮に魔獣と呼ぼうか。それが発生した理由も何となく予想はできてるんだ」


 魔獣化した鎧熊には、不自然なところ……つまり、人為的な処理を行った形跡が全く無かった。例えばアルジャーノンがまだ生き延びていて、私たちに被害を与えるために鎧熊を何らかの方法で強化したのであれば、もっと凶暴で積極的に人を襲うだとか、高い知能を持って戦列を組んでくるとか、そんな変化が見られなければおかしい。


 けれど魔力を持ち、魔法を使うことの他は、あの鎧熊は普通の獣と変わらなかった。同じように森で暮らし、同じように人を襲う。私とニーナには強い魔力を持っていることが見てすぐにわかったけれど、ただそれだけだ。


 つまりそれは自然な変化であるわけで、そんなことが起こりそうな原因は一つしか思い当たらない。


「魔物でしょ」


 イニスの言葉に、私は頷いた。

 魔物たちは魔力を持ち、魔法を使うけれど、魔獣のように肌に魔力を帯びているわけではない。魔法を使わなくても攻撃は通る。群れれば私たちにとっても脅威だけれど、はぐれた個体であればそうでもない。野の獣であっても捕食することは十分可能だろう。


「魔物を食べた獣がその体内に魔力を溜め込んでいって、魔法を使えるようになった。そういう理解で構わないかな?」

「検証は必要だけど、他に可能性はないでしょ」


 イニスの言葉に私は頷く。近所の獣たちがどれくらい魔獣化しているかの調査は絶対に必要だ。剣部に頼んで調べてもらえばいいか。彼らなら魔獣が相手であっても遅れを取ることはないだろう。


「それで、もっと強い武器っていうのはどうやって作る気なんだ?」

「簡単だよ。単にもともとたくさん魔力を帯びた材料を使えばいいの」


 イニスの言葉に私が見たのは、鎧熊の毛皮だ。魔力が毛皮だけでなく、爪や牙にも浸透しているのなら、その肉体は強力な武器に加工できうる。


「違うよ。発想は悪くないけど、流石の鎧熊の身体も鉄より硬いわけじゃないからね。物理的な攻撃力で劣っちゃう。あれはあくまで鎧熊の巨体があるからこそ意味のある武器だよ」


 その視線だけで私の考えを予測して、イニス。


「いるでしょ。もっと豊富な魔力を持ってて、鉄なんかよりも遥かに硬くて、強靭な身体を持った生き物が」


 彼女はまるで天使のように愛らしい顔でにっこり笑って、私を見つめる。

 その表情で、ようやく私は彼女の言わんとすることを察した。


「あ、私か」

「そうだよ」

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