第17話 帰るべき場所/Home

 コンコン、と丁寧なノックの音が響くのを聞いて、ニーナはぱっと私から離れ、素早く身嗜みを整えた。


「えっと、もう、入っても大丈夫ですか?」

「ああ。いいよ」


 その俊敏さに感心したものか、それとも呆れたものか悩みつつも、私は扉の外のクリュセに答える。


「はーい、ただいまで……」


 扉を開けて私たちを見た瞬間、クリュセは一瞬ぎょっとした表情を見せた。


「おかえり」

「あ、はい。ただいまです」


 ……一体、彼女はどんな魂の色を、私たちに見たんだろうか。



 * * *



「あっ、見えてきましたよ!」


 私の背の上で、クリュセが楽しげな声をあげる。


 遙か眼下に一望するのは、見慣れた我が家。ヒイロ村だ。

 片道に半年かけた旅の帰り道は、たった七日の空の旅となった。


 行きと違って、どの範囲にどんな竜が縄張りを張っているかはわかっている。うっかり火竜の縄張りに踏み込んでしまう事を危惧していたけれど、結局あの旅で火竜の気配を感じたのは偶発的に遭遇した一度きりだった。多分、強いぶん数は少ないのだろう。


「おかえりなさーい」


 村に降り立つよりも早く、出迎えがあった。長く青い身体をくねらせて、空を泳ぐような優雅な動きで近づいてくるリンにあわせて翼を緩める。


「ただいま、リン。火竜の姿はしてないんだね?」

「せんせーが帰ってきたからね。あれ結構疲れるもん」


 はふ、と霧の吐息を吐き漏らすリンに私ははっとした。

 リンはあまりに自然に呼吸をするかのように変身するから、すっかりその可能性を失念していた。

 実際、普通の変身は彼女にとってもはや呼吸と同様なのだろう。私の炎やニーナの木々を操る魔法と似たようなものだ。


 けれど私の鱗という触媒を使って変身するのはその域を超える。

 どうやら結構無理をさせていたらしい。


「……ありがとう」

「どういたしまして」


 龍の顔で器用にニカっと明るい笑みを浮かべ、リンは軽く尾を振った。


「ところで……アイさんには会えなかったの?」


 彼女はちらりと私の背に視線を向けて、軽い口調でそう問いかける。


「いや……会うことは、出来た。けれど彼女は私のことを覚えていなくて……やることがあると言って、連れてくることも出来なかった」

「ふぅん」


 大して興味なさそうに相槌を打つリンは、いつものように『なんで?』と問うことはしなかった。それが、ありがたかった。


「帰り際ユウカにも会ってきたけど、だいぶ厳しく仕込んでるみたいだね」

「あ、そうなんだ。あたしはまっすぐ帰ってきたから」


 だろうと思った。リンはマイペースで自由奔放に見えて、意外と生真面目だ。


「村の全員を剣部にしてやるって意気込んでたよ」


 実現すれば凄まじい村だ。


 そんな会話を交わしながら村の広場へと降り立つと、空を飛んでいるのが見えたのだろう。


「おかえりなさい、先生!」

「ご無事で何より」

「先生のことだから十年くらい平気でのんびりしてくるかと思ったけど、思ったより早かったね」


 送り出してくれたときと同様に村人たちが集まってきて、口々に出迎えの言葉をくれた。たった半年ちょっといなかっただけなのに、大層な歓迎ぶりだ。ちなみに最後の余計な一言はイニスだ。


「ただいま戻りましたよー!」


 クリュセがくるんと指を振ると、ニーナの巨大なリュックがひとりでに動き出して私の翼をスロープ代わりに滑り降りていく。


「お土産も買ってきました!」


 けれどそこにたっぷり詰まっているのは、マシロで買ってきた土産の数々だ。

 こちらでは見かけないお菓子や珍しい工芸品、香辛料や書物、流行りの服やアクセサリーなど、詰め込めるだけ詰め込んできた。


「よう、旦那。よく帰ったな」


 パリパリと音を立てながら、青い竜が翼をはためかせ、着地する。ヒイロ村の中央広場は私のサイズにあわせてかなり大きく作ってあるけど、竜が二頭も顔を突き合わせると流石に手狭だ。彼の精神安静上も良くないだろうし、私は人の姿に変じるとコートを折りたたんで懐にしまいこんだ。


「ギルタ、留守を守ってくれてありがとう。変わりはなかったかい?」

「ああ。あんたが心配するようなこたァ、何にもねェよ」


 堂々と答えるギルタには、なんだか前にはなかった威厳のようなものが備わった気がする。

 別に実権とかがあるわけじゃないんだけど、一応村を守る竜の役目を経験して一皮むけたのかも知れない。千年間そうしていたはずの私には何も身についてない気がするけど……


 ううむ。もしかして私よりもギルタの方がこの村の守護竜には相応しいんじゃないだろうか。


「だがこの役目は出来ればこれッきりにしてくれ。俺にゃあ荷が重すぎる」


 などと思っていると、彼はそんな事を言いだした。


「そう? 結構向いてるんじゃないかと思ったんだけど……」

「冗談はよしてくれ。そら、きたぞ」


 ギルタは心底嫌そうに顔を歪めると、私の背後を顎で示した。


「先生、ご相談があるんですが、いいですか?」


 その先には困ったような表情をした村人たちが何人か。


「ああ、いいよ。どうしたの?」


 要件はわからないが、なぜ私のもとへとやってきたのかはわかる。

 半年ぶりのお悩み相談だ。


「そろそろ今年の植え付けの時期なんですが、昨年はどうにも瓜の調子が悪く、今年はどうしようかと悩んでるんですが……」

「植え付けの事ならクレナイ地区のオキに聞くと良いよ。彼の言う事なら間違いない」

「クレナイ地区のオキさんですね、わかりました!」

「葡萄酒が大好きだから、手土産に持っていってあげてね」


「新しく越してきた西部の連中と土地の境界に関して揉めてまして。仲裁していただけませんか?」

「土地の境界ならシンク地区にいるエレナに相談してごらん。そういうのを解決するの大得意だから」

「エレナ……あ、あの白狼鬼どのにですか……?」

「まっしろエレナが、今はそんな仰々しい名前で呼ばれてるのかい? あのやんちゃ娘が成長したもんだなあ。ゴネるようなら私の名前を出して、三百年前の借りを返せって伝えて」


「結婚を考えているんですが、彼女の父親がどうしてもうんと言ってくれなくて。どうしたらいいでしょうか」

「カート、いよいよ結婚か、おめでとう! 相手の父親って言うとカダルがゴネてるのか。じゃあその奥さんのワユにこっそり協力をお願いするといいよ」

「控えめで、大人しそうな方でしたが……」

「まさか。自分の両親が結婚を猛反対した時、それを説き伏せた女傑だよあの子は。自分は誰のおかげで結婚できたんだってカダルに言ってやれ」


 そんな感じで村人たちの悩みを他人に丸投げしていく。

 はっきり言って私には直接彼らの悩みを解決するような力は殆どないが、誰なら解決できそうかについてくらいであればよく知っている。

 とはいえこんなものは別に仕事でも何でもない。雑談の延長のようなものだ。


「な。言ったとおりだろう?」


 なのにギルタは妙に得意げな顔で


「この村を守れる竜は、あんたしかいねェよ」


 そんなことを言ったのだった。

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