第16話 愚者の選択/The Correct

「……諦める?」


 私は一瞬、彼女が何のことを言っているのかわからなかった。


「どうして?」


 それが、アイのことを指しているのだと理解して、私は反射的に問う。

 ニーナは、私がどれだけアイのことを探し求め続けてきたのか、誰よりも知っているはずだ。それこそ、私自身よりも熟知しているのではないかと思えるほどに。


 そんな彼女が、アイの生まれ変わりを目の前にしてそんなことを言い出す理由が、全くわからなかった。


「だって……おかしいじゃない。クリュセはあのアイシャって人が、アイだって言ってたのに」

「いや、おかしくないよ。さっきクリュセに改めて確認してもらったんだけど、反応してたのは彼女の身につけてた鎧の方だったんだ。クリュセの魔法はあんまり精度が良くない。本体と、その鱗を区別できていなかったんだろうな」


 元々の繋がり自体が、か細く微かなものだ。より近くのものに強く反応してしまったのだとクリュセは言っていた。


「出会ったら、すぐにわかった。あの白竜が、アイの生まれ変わりだ。……ニーナは、感じなかった?」


 ふるふると、力なく彼女は首を振る。


「私も……そう、思う」


 あの感覚は、私だけが感じたものではなかったのだ。もともと確信を持ってはいたけれど、ニーナがそう言ってくれるのなら自分自身の感覚よりも信じられる。


「でも……竜じゃない。アイは、人間だったのよ? それに私たちのことだって覚えてない。それでも、アイだって言えるの?」

「言えるさ」


 あっさりと頷く私に、ニーナは酷く驚いたようだった。


「あれ? そういえば、ニーナには話したことないんだっけ。……私も、生まれ変わりなんだ。前は人間だった」

「え……?」


 もう千年以上前の話だ。特殊な知識として前世のことは覚えているけれど、竜として生きてきた時間の方が長すぎて、たった百年弱人であったことなんてもはや実感など殆ど無い。


「別に隠してたわけじゃないよ。大した話じゃないだろ?」


 パンは白い部分より耳の方が好きだとか、靴を履く時は右からじゃないとなんとなく気持ち悪いだとか。そんな、取るに足らない情報。付き合いの長いニーナなら薄々わかっていそうなこと。


 私にとっての前世の話なんてものは、せいぜいがそのくらいの認識だった。


 だから。


「うそ……うそ、うそよ……そんなの」


 首を横に何度も振りながら声を震わせるほどショックを受けるだなんて、思ってもみなかった。


「それじゃあ……今のあの子は、あんたと……同じだっていうの?」

「ああ、そうなるね。考えても見なかったことだけど……」


 思い返してみれば、不思議なことではないかも知れない。


「彼女は死の間際、私が元人間であることを知って、戻ってくると誓ってくれたんだ。同じ竜となることを願ってもおかしくはない。むしろそうすれば、また寿命ですぐに別れを味わうこともなく、ずっと一緒にいることができる」


 驚きはしたけれど、よく考えてみれば不都合があるどころか願ったり叶ったりではないだろうか。


「だから、彼女の記憶を取り戻すのを手伝って欲しいんだ」


 そうすれば、全てがうまくいく。この世界に生まれ落ちてすぐからずっと願っていたことが、とうとう叶えられるんだ。


 ……だと、言うのに。


 何故か、それをずっと支え続けてくれてきた相棒は、床に視線を落としたまま押し黙っていた。


「ニーナ?」

「……いや」


 彼女が用意した方法に、何か問題でもあったのだろうか。

 私が最初に思ったのは、そんなことだった。


「嫌よ。あの子の記憶を戻すなんて、嫌」


 けれど返ってきたのはそうではなく。明確な、拒絶の意思だった。


「え……どうして?」


 私には、なぜニーナがそんなことを言い出すのか全くわからなかった。


「だって……! あの子は、あんたのこと、覚えてなかったじゃない!」


 まるで悲鳴のような、悲痛な叫び。しかしそれを聞いても、私は戸惑うことしかできない。


「待ってくれ。ニーナも、その可能性は考えていたんだろ? だからこそ、それを何とかする手段を用意していたわけで」

「……あの子が……人間に生まれ変わってたなら、それでも良かった」


 訴えるニーナの顔に、私は驚いた。その頬を、光る雫が伝っていたからだ。


「あの子が……また人として生きて。またあんたのことを思い出して、また身を焦がすような恋をして、生きていくなら。私は、何度だって、その手伝いをするつもりだった」


 ニーナは気丈な女性だ。彼女の涙を見たことは、私でさえそう多くはない。

 最近であれば、クリュセが死んでしまったとき。その他にも、数度程度だ。

 その彼女が涙を流していることに、私は大いにうろたえていた。


「じゃあ、なぜ……?」

「尊敬、していたからよ」


 けれど。この涙が悲しみのそれでないことは、なんとなくわかった。

 涙を流しながらも、鋭い瞳が私を射抜くように見つめる。


「あの子は、アイは……! 誰よりも、あんたのことを愛してた! 短い命の限りをかけて……全身全霊で、あんたのことを!」


 それは。


 怒りの、涙だ。


「……私には、そんなこと、出来ないと思った。死ぬまで……ううん、死んでも、あんたのこと好きで居続けるなんて。私が……私が、どんなにあんたのこと好きでも。その気持ちは、絶対にアイには敵わない。そう、思ったから……」


 その気持ちは、私にもよくわかった。

 人の命はあまりにも儚く、だからこそ、私たちはそれを力強く尊いものだと感じてしまう。懸命に一瞬一瞬を生き、あっという間に私たちを追い抜かしていってしまう彼らのことを、どこかで羨み、憧れてしまう。


「あの子があんたのことを覚えているなら良かった。竜として生まれても、あんたのことをちゃんと覚えていて、好きでい続けて。それであんたたちが……幸せになるんなら……きっと、それを祝福してあげられた」


 ニーナはぐっと拳を握りしめて、痛みを堪えるような声色で、言った。


「でも、そうじゃなかった。あの子は人じゃなかった。あんたのことを覚えてなかった。会いに来なかった。一番大事なはずのものを、どこかに落としてしまっていた」


 けれどそれは徐々に、熱を帯び。


「だから私は……認めない。あの子をアイだと、認めない。たとえ魂が同じだったとしても。あんたのことを忘れてしまった竜が、私から教えられて安穏と記憶を取り戻して、あんたの隣に永遠に居座るなんて、認められない!」


 やがて燃え上がる炎のような激しさに取って代わった。


「あの子があんたのことを忘れてる間、私はずっと! あんたの隣にいた! あの竜なんかより、私の方が……あんたを、愛してるもの!」


 これほどの激しさが彼女の中にあったことを、私は知らなかった。

 かつて私は、ニーナと私が互いに抱く愛情は、凪いだ海原に浮かぶような、そよ風に揺れる木陰で眠るような、穏やかなものであるとクリュセに表現した。

 異性に抱く恋情よりも、家族に抱く愛情に近いものだと、そう理解していた。


 けれどそれは私の……いや。ニーナにとってさえ、思い込みだったのかも知れない。


「……それ、でも……」


 ニーナは再び視線を床に落とすと、リュックの口を開く。

 あの、彼女がここまでずっと持ってきた、山のような大きさのリュックだ。


「それでも、あの子がいいなら……」


 その中からごろりと出てきたのは、巨大な岩の塊や、木切れの束だった。


「これは……」


 岩の塊の表面に描かれた模様には、見覚えがあった。

 それは、かつてアイが洞窟の裏手に描いてくれた壁画だ。

 いつの間にか消えてしまっていたから、風雨に晒されて消えてしまったのだと思っていた。けれどニーナはそうなる前に、岩を削り取って取っておいてくれたらしい。


 木切れの束も記憶にある。微かに残る炭の跡は、長い呪文の文句が書かれている。

 それは、初めてアイに渡した世界最古の魔法書だ。あの頃は紙なんてなかったから、木の板に文字を彫り、上から炭を塗り込んで読んでいた。


 他にも、私たちの思い出が詰まった、古い古い道具の数々。どれもこれもが千年以上前のもの。

 私ですらその存在を忘れてしまっていたものを。

 ニーナは、大切に大切にしまいこんでいたのだ。


 いつの日か……アイに、再会する日のために。


 あるいは、彼女は。私よりもずっと、アイに会いたいと思っていたのかも知れない。


「これを見せれば……思い出すかもしれない。思い出さなくても、魔法をかけることは、出来るでしょ?」


 魔法書の中には、アイ自身が書いたものもいくつも入っている。それは記録であり、記憶だ。書いた当時のアイの意が籠もっている。クリュセが魂を感じるほどに。

 それを魔法で今のアイの中に入れる事ができれば、少なくとも、その時の記憶は彼女の中に戻るだろう。


 私はそれを見つめ、悩み――


 散々悩んだ末に、それを、押しつぶした。千年間、ニーナが必死に保全してきたであろう品物は、軽く魔力を込めて指先で押せば簡単に崩れていく。


「……いいの?」


 迷いに揺れる瞳で、ニーナが問うた。


「ああ」


 私はゆっくりと息を吐いて……それに答える。


「いいんだ」

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