第9話 死の化身を殺すもの/Average Tsurugibe
「もう行ってしまわれるのですか。もっといてくださって構わないんですよ」
「いえ、私たちの感覚でゆっくりしてると、あっという間に百年経ってしまうので」
翌日の朝。
引き止める村長に私は冗談交じりにそう答え、シロガネ村を後にした。
過度に引き止められることもなければ、何かを要求されることもない。それどころか村の皆総出で送り出してくれた。屈託なく手を振る村の子供達の姿に、何か裏があるんじゃないかと邪推していたのが恥ずかしくなってくる。
「さ、早く行こ。先は長いんだから」
子供たちに手を振り返していると、ユウカはそういってスタスタと進んでいってしまう。クリュセの感覚でいうと、アイの魂はまだまだ東の方にあるらしい。あまりゆっくりしていられないのは確かなことだけど……
「なんだか、ご機嫌斜めだね」
シロガネ村を出て、十数分後。
先頭を一人でずんずん進んでいくユウカをみやり、リンが小鳥の姿で私の肩に乗ってこそりと囁いた。確かになんとなく、いつものユウカとは違う気がする。思い返してみれば、昨日も少し様子はおかしかった。社交的で明るい彼女が、村の皆と殆ど交流せずに一人で飲み食いしてたのだ。
自分も剣部だと気づいてもらえなかったから……なんてくだらない理由ではないだろうし。
「ユウねえ、確かにちょっとイライラしてるみたいですね」
クリュセが横を歩きながら言う。魂の色には、感情も反映されるものらしい。考えていることまではわからないまでも、ある程度どんなことを思っているかはわかる。
「まあ、あの子なら美味しいものでも食べればもとに戻るでしょ」
「全部聞こえてるんだけどなあ!」
ニーナが言うと、とうとうユウカはくるりと振り返って叫んだ。まあクリュセから声を潜めてもいなかったし、そもそも潜めてもユウカの耳の良さは折り紙付きだ。リンの囁きの時点からしっかり聞こえてたことだろう。
「何か、あったのかい?」
「……まあ、ぼくがとやかく言うことではないんだけどね……」
なんだか難しい顔をして、ユウカ。彼女にしては妙に歯切れが悪い。
「あの村って」
いいかけて、ユウカは勢いよく後ろを振り返った。瞬間、地面に大きな影が差す。私はすぐさま空を仰いだ。
それは今まで見た中でも、もっともずんぐりとした体型をしていた。身体は丸く、手足は短い。首も太く短く、ただ背中に生えた一対の翼だけが大きく広がって、空を覆い尽くさんばかりだった。
「緑竜だ」
私はつぶやき、飛んでいく竜を見送った。ヒイロ村を出てから他の竜の存在は常に感じていたが、実際目にするのは初めてだ。
「ねえ」
私達には気づかなかったのだろう。空の彼方に消えていく緑竜をみやり、ニーナがつぶやく。
「あの竜の向かった方向、さっきの村じゃない?」
私達が顔を見合わせるよりも早く、ユウカが駆け出していた。
「ちょっ、ユウカ!」
止める間もなく、彼女の姿は一瞬にして遥か遠くに消えていく。本気を出したユウカには、誰も追いつけない。馬に変身したリンよりも早いのだから相当である。
……仕方ない。
「
背中に負った長杖を取り出して、そこに彫られた付与魔術を起動する。私の杖に仕込んであるのは打撃力の強化と、打撃範囲の拡大だ。目に見えない魔力の力場が杖の先端を覆って、まるで竹箒のような形状になる。
「
それを風の精霊に頼んで宙に浮かせてやれば、小型の飛行装置の出来上がりだ。杖にしがみつくように跨がれば、全てを弾き飛ばす魔力の力場が空気を思い切り弾いてロケットのように加速する。低空しか飛べないという制約はつくものの飛行の魔術よりも遥かに速く、竜の姿で飛ぶのにも匹敵する速度で私は宙を駆けた。
歩いてきた道は一瞬にして過ぎ去り、私はあっという間にシロガネ村へと辿り着く。そこには、悲惨な光景が広がっていた。
村をぐるりと囲んでいた壁は見る影もなく破壊され、いくつもの家屋が崩壊している。そのところどころには緑色の霧のようなものが滞留して、草木は萎れ枯れてしまっていた。緑竜の吐く毒の息だ。
「お兄ちゃん!」
ユウカが石剣を振りかざしながら私を呼ぶ。その視線の先、空の上には先程見た緑竜が旋回しながら毒を彼女に向かって吐き出しているところだった。
楕円球状の毒液がユウカに向かって飛び、彼女はそれを難なく剣で切り捨てる。しかし青竜の稲妻と違って、実体を持つ毒液は散らされてもなお地面を侵し、毒の霧を立ち上らせた。
「せ……先生! お逃げ下さい!」
私の姿に気づいたハナがこちらへと駆け寄りながら、そう叫んだ。
「逃げるって? いや、私は助けに来たんだ」
緑竜よりも強力な青竜を瞬殺したユウカのことだ。正面切っての戦いであれば緑竜に負ける要素はない。けれどそれも、相手が剣の届く範囲にいればの話であった。
剣神の名をほしいままにする彼女の唯一の弱点は、遠距離に攻撃する方法を持たず、空も飛べないことだ。ああして上空を旋回しながらブレスを吐かれては、防戦する他ない。
「無理です! いくら火竜に喩えられるほどの力を持つ先生といえど、本物の竜に敵うはずがありません!」
ハナの言葉に、私は呆気にとられた。まさか火竜というのがものの喩えだと思われていようとは。
……まあ、三百年も離れて暮らしていればそんなこともあるだろうか。
とは言え、緑竜相手に逃げるしかない村人たちが赤竜の私をどうこうできるとも思えない。変身したら驚かせてしまうかも知れないが、それはそれだ。
「お兄ちゃん。ぼくに任せてもらえない?」
私が懐から竜の鱗を取り出そうとすると、ユウカがそう叫んだ。何か考えがあるのだろう。
「どうしたらいい?」
「時間を稼いで欲しい! 二、三秒でいいから」
難しいことを言ってくれる、と反射的に私は思った。よくわからないが、自分に任せて欲しいと言うことは私はユウカより目立ってはいけないということだろう。目立たずに時間だけを稼ぐというのは私の性能的に最も苦手とするところと言っていい。
悩んだ末に、私は先程取り出していた竜の鱗を絶竜布から取り出した。竜以外には感じ取れないだろうが、強烈な火竜の気配が辺りに満ちる。途端、緑竜が呻くような声を上げて私をみやった。
「はっ!」
隙としてはそれで十分だったのだろう。ユウカが崩れた壁板を空中に放り投げ、それを追うように跳躍する。そして信じられないことに、空中でその板を蹴って緑竜のもとまで飛び上がった。今、四段ジャンプしたぞあの子。
そのまま、剣を一閃。私はずるりと首の落ちる緑竜を幻視したが、そうはならなかった。緑竜自身も同じことを思ったようで首を短い前足でさすっているが、そこには傷一つない。
だが、それは仕留め損なったというわけでない事は、容易に知れた。緑竜の背中に立ったユウカが、石剣の腹をその首に当てたまま何かをぼそりと呟いたからだ。
ひっと悲鳴を上げた緑竜は、慌てて翼をバタつかせながらよたよたと飛び去っていく。ユウカはその背から飛び降りると、何でもないかのように軽い音を立てて地面に降り立った。
「ありがと、お兄ちゃん。おかげで脅しも効きやすかったよ」
「う、うん……助けになったなら良かった」
緑竜を脅した時の鋭い視線とは打って変わって、いつも通りの朗らかな笑顔を浮かべ、ユウカ。
そして恐る恐るといった様子でこちらを伺う村人たちに向き直り、すうと大きく息を吸って。
「貴様ら、それでも剣部の末裔か!」
雷鳴の如き怒声が轟いた。
間近で聞いていたというのに、それをユウカが……あの明るく屈託のない少女が発したものであると、私はにわかには信じられなかった。
「緑竜ごときに立ち向かう気概も見せず、ただただ逃げ惑うばかり。ただの一人も剣を取ることもなく、ただ村を捨てるとは……情けない!」
「で……ですが。相手は竜です。人の身で……」
村長は言いかけて、口を噤んだ。他ならぬユウカ自身が、どう見ても人の身で竜を撃退したからだ。流石に彼女は別格にしても、ヒイロ村には緑竜程度であれば対処できる剣部は何人もいる。彼女が私の手を借りたのもこれ以上村に被害を起こさないためであって、倒すだけなら一人で余裕だったはずだ。
「……ごめん、お兄ちゃん」
深く深くため息をついて、ユウカは私に告げた。
「ちょっとここの人たち、鍛え直していっていいかな? 二、三十年ばかり」
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