第8話 漂着/Settle

「ささ、先生、どうぞお飲み下さい!」

「はあ……」


 夜の帳が下りた中、盛大に火が焚かれ、村人たちは歌い踊る。

 村長から手渡された酒に口をつけながら、私はなんとも居心地の悪い思いをしていた。


 味はなかなか悪くない、けど……


「あんた酒癖悪いんだから、あんまり飲みすぎるんじゃないわよ」

「わかってるよ」


 隣に座ったニーナが、小声で囁く。


「先生、こちらもぜひ食べてみてください」


 彼女を押しのけるようにして、私たちが助けた銀髪の女性――ハナと言うらしい――が、料理の乗った皿を突き出してきた。


「まさか本当に先生だなんて、私、思ってもみなくって……しかも危ないところを助けていただくなんて、私、運命というものを感じてしまいました」

「いや、助けたのはユウカの方だからね」


 なぜだか密着してくるハナから身体を引きつつ、私は答える。


「いいえ。あの時の先生の勇姿……白馬を駆り、大鬼たちを容易く倒していった姿……いにしえの言葉にある『白馬の王子様』が本当に存在するんだって、初めて知ったんです」

「少なくとも王子ではないね」


 ヒイロ村に王制とかないし……

 この世界に、馬はいない。けれど馬という存在そのものは、私がよって口を滑らせたか何かしたらしく、架空の存在として伝わっているようだった。言うなれば、前世でのペガサスやユニコーンのようなものだ。


 白馬の王子様はその亜種みたいなもんで、まあ、竜の私が言うのも何だけれど空想上の存在である。


「しかもその方が、あの『先生』だなんて……これはもう、運命だとしか思えません」


 私の話を聞いているのかいないのか、うっとりした表情でハナ。


「まあ……私も驚いたよ。まさか、剣部の村がこんなところにあるなんて」


 村長たちが言うには、この村……シロガネ村は、かつてヒイロ村を出ていった剣部、ヒセリが中心となって興した村なのだという。私もニーナも、彼女のことはよく覚えている。剣部としては珍しく銀の髪で、探究心が旺盛な子だった。その影響か、この村にも銀髪の人が多い。


 ヒセリが村を出ていったのは確か三百年くらい前だったと思うけれど、そんなに長い間、私のことを忘れず伝えていたなんて、なんとも頭の下がる話だ。


 ……とは言え。


「はい。赤い髪に金の瞳。強く、賢く、美しく……そして誰よりも優しい、我らの火竜。先祖代々語り継ぎ、聞いていたとおりでした」


 ヒイロ村のみんなと違って、彼らのことを子供の頃から知っているわけではない。見知らぬ相手から一方的に知られ、賛美されるというのはなんとも居心地の悪いものだった。


 そもそも私なんかより、彼女の危機に気づいた本人であり、剣部の一員でもあるユウカの方がもっと持て囃されるべきなのではないかという気がするのだが、当人は全く気にした様子もなく飲み食いに集中しているようだった。


「……ねえ」


 ふと、ニーナが周りを見回しハナに問う。


「この村の人って、これで全員なの?」


 それは私も気になっていたことだった。どうやら村中総出で持て成してくれているようなんだけど、それにしては随分人数が少ない。数十人か、百人ちょっとか……そのくらいしかいないだろう。村をぐるりと囲む壁の規模から考えても、妥当な人数ではある。

 しかしそれは三百年続いている村にしては、あまりにも少ないように思えた。


「そうですね、ほとんど全員だと思いますけど……それがどうかされましたか?」


 ハナの答えに、ニーナの表情がほんの僅か歪む。付き合いの長い私だからこそ気づくような、小さな変化だ。


「……なんでもない」


 ふい、とニーナは口をつぐんで視線をそらす。そんな彼女の態度にハナは不思議そうにしながらも、更に私にずいと身を寄せ他の料理を勧めようとする。


「おとうさん」


 そこに、クリュセがぴょんと割って入って抱きついてきた。


「わたし、なんだか眠くなってきちゃいました」

「おや、そうかい? じゃあそろそろお開きにしようか」


 助かったよ、という意思を込めてクリュセの頭を撫でれば、彼女はパチリと目を閉じてみせた。ウインクするつもりだったのだろうけど、両目を瞑ってしまっているのが可愛らしい。


 クリュセは、本質的には眠る必要がない。一応疲れは感じるらしいし、夜私たちに合わせて眠りもするのだが、自然と眠気を感じることはないのだという。つまりは私が困っているのを察した上で助けてくれたのだ。


「おとう……さん?」


 クリュセの言葉を聞いて、ハナが顔を引きつらせた。


「おかあさんも、一緒に寝ましょー」

「そうね」


 そしてそれは続くニーナへの呼びかけで決定的なものとなる。


「あ、あの……この子は、どういう……」

「私とニーナの自慢の娘だよ。金と赤が混じった綺麗な髪をしてるだろ?」


 実際には遺伝はこの世界でもあまり変わらないらしく、そんな混ざり方はしないんだけど。まあ他に竜とエルフの子供なんていないだろうし言ったもの勝ちだ。


「ん。お兄ちゃんもうおしまい? じゃあ僕も寝るー」


 ユウカがごっそりと料理の入った皿を抱えて戻ってくる。リンはどこに言っただろうと見回していると、クリュセの足元で小さな青い猫がすうすうと寝息を立てていたので抱き上げる。なんだか、うちにはマイペースな子しかいない気がするなあ。


 私たちは空いている家を一つ借りて、そこで一泊することになった。旅での野宿にもだいぶ慣れたけれど、久々に湯を浴び、柔らかなベッドで寝られるのはありがたい。


「それで……」


 たっぷりと入浴を楽しんだあと、私はベッドに座って髪を乾かすニーナに問いかけた。


「ニーナは何が気になったの?」

「老人がいないのよ、この村」


 水を吸って重たげに肩に掛かる髪を鬱陶しそうにかきあげながら、彼女はそう答える。


「言われてみれば……」


 村長もせいぜいが三十代の後半といったところで、彼より年嵩のものは見かけなかった。ハナも『ほとんど全員』と言っていたから、お年寄りは祭りには出てなかったのかも知れないが、それにしたってもう少し年上の人間がいても良い気はする。


「つまり……この村にはニーナさんがいないので、平均寿命が物凄く短い、ってことでしょうか?」

「そこまでは自惚れていないわ。それに、医療技術がそこまで低いってわけでもなさそう」


 クリュセの言葉に、ニーナは首を横にふる。


「村の一角に、薬草の畑があった。そんなに大きくなかったけど、種類は悪くなかったし、調合が難しいのも揃ってた。少なくとも、それなりの腕の薬師がいるわ」


 彼女が『それなり』と称するということは、相当の腕だと考えていい。にしても、いつの間にそんなチェックしてたんだろう。


「技術的にはあんまり高くない気がするけどね。木造りの家なんて久々に見たよ」


 コンコン、と壁を拳で叩いて、ユウカ。確かに今のヒイロ村ではレンガ造りの家屋が殆どで、木造建築はあまり多くない。古い住宅に残っているだけだ。彼女がそう判断するのも無理はないけれど……


「そうでもないと思うよ。確かに簡素だけれど、しっかりと組まれてる。それに何より浴室だ。うちのお風呂と比べても、入り心地は遜色なかっただろ? あれを作るには、結構高度な技術がいるよ」


 風呂の歴史は技術の歴史だ。時代時代の使える技術力によって、その有り様はまるで異なる。ただの水浴びから蒸気浴、戸口風呂に公衆浴場、五右衛門風呂に鉄砲風呂などなど。


 こうやって家の中に内風呂を作ることができるというのは、その中でも最も発展したものと言ってよかった。


 つまりは、この小さな村もヒイロ村とそれほど技術力は変わらないと言うことだ。少なくとも百年、二百年も差があるわけじゃない。


「ふぅん……よくわかんないけど、まあ、いいじゃない。別にぼくたちに害意があるわけじゃないんでしょ?」

「あ、はい。皆さん、純粋にわたしたちを歓迎してくれてました。ちょっと過剰な方もいましたが……」


 ユウカがぽんとベッドの上に飛び込んで言えば、クリュセがちらりと私に視線を向ける。ハナのことだろう。なんであんなに懐かれたのかはよくわからないけど、おとぎ話に出てくる登場人物に実際遭遇したらあんな感じになるのかもしれない。


 私も敵意は感じなかったし、それに人一倍敏感なユウカと魂の色を読めるクリュセがそういうのなら、本当に何の裏もなく歓迎し泊めてくれているのだろう。


「リンちゃんはもう寝ちゃってるしね。ぼくももう寝る」


 ユウカは猫の姿で丸くなるリンをぎゅっと抱きしめるようにして、ベッドの上に転がった。


「それじゃあ、私たちも寝るとしようか」


 部屋の中を照らしていたランプの炎を吹き消して、私たちもベッドに潜り込む。

 ……旅慣れてるリンが起きてれば、私たちの違和感にも答えてくれたのかも知れないな。


 そんな事を思いながら目を閉じれば、意識はあっという間に夢の中へと入っていった。

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