第6話 旅路/Journey
「こんなことなら……イニスの、あの椅子を……借りてくれば、良かった……」
荒く息を吐きながら、ニーナは珍しく弱音を吐いた。
「あの椅子はああ見えてかなり高度な制御で動いてるから……イニス以外には動かせないよ」
彼女の歩みに歩調を合わせながら、私はそう答える。
それが椅子に直接力を加えて動かすような魔法であれば感覚で使えるのだけれど、イニスのあれは違う。部品ごとに異なる魔動機の集合体だ。
発動自体には殆ど魔力を消費しないから楽だとイニスは言ってたけれど、あんなのはコンピュータの補助無しで宇宙船を運転するようなものだ。ニーナといえどもできる所業ではない。
「やっぱり、荷物持とうか?」
「いい」
ニーナだって魔法によって補助はしてるんだろうが、それでも彼女自身の身体より大きなリュックを背負って何日も歩くのは辛いのだろう。
目に見えて疲弊しているというのに、彼女は頑なだった。
「じゃあせめて、荷運び用の精霊でも……」
「なるべく竜を刺激しないように移動するって言ったのは、あんたでしょ」
二つ目の提案も、素気なく断られてしまった。ヒイロ村を出て、三日目くらいのことだっただろうか。私は自分の縄張りから出ると同時に、別の竜の存在を感じ取った。縄張り同士がピッタリと隣接しているというよりは、縄張りの一部は重なり合っているのだろう。私の方が強いから、私の縄張りの中では他の竜の気配を感じなかっただけだ。
今いる場所を縄張りにしている竜は、あまり強くはなさそうだ。火竜では絶対にないし、ギルタよりも大分弱いから雷竜でもないだろう。正面切って戦えば間違いなく勝てるとは思う。けれど出来れば戦いたくはなかった。別に縄張り争いの為に来たわけじゃないし。
私は人間の姿を取り、更にイニス特製の絶竜布で鱗を包むことにより竜気を極限まで抑えている。この状態でなら他の竜の縄張りに入っても気づかれることはない。だけど、竜は魔力にも敏感だ。魔力の塊である精霊を出すと、竜がたまたま傍にいたとき気取られる可能性があった。
そんな理由で、私達は二本の足で地道に旅を続けているのだった。ニーナが最初にへばるのは少し意外だったけれど、その荷物の多さに加えてよくよく考えてみれば彼女は今までヒイロ村を離れることなんて殆どなかったのだ。無理も無いように思えた。
「んー……ニーナさん、ちょっと待っててくださいね。すみませーん」
クリュセがそういって、突然虚空に話しかけだした。
「はい、そんなわけで、お願いできませんか? はい。……ありがとうございます、お願いしますっ!」
ニコニコと愛想よく一人芝居していたかと思えば突然ニーナに向き直り、手を差し出す。
「え、わ、ひゃっ、何よっ!?」
すると突然、ニーナの身体が宙に浮いた。……いや、その背負った巨大なリュックがどすんと地面に落ちて、彼女を持ち上げたのだ。
「えっ、ちょっ、何、何なのこれぇっ!」
「ちょっとそこにいた人に、ニーナさんを運んでもらうように頼んだんです」
リュックの上にぽんと持ち上げられて悲鳴をあげるニーナに、クリュセが小さな胸を張って得意げに言った。リュックは肩紐をまるで四肢のように歪ませると、その背にニーナを乗せたままのっしのっしと歩き始める。
「そこにいた人って何!?」
「何って言われても……」
動き方から見るに、人ではなく何らかの獣なのだろう、とは思う。
「えーと……やや大きめで、こげ茶色で、どっしりとした感じの魂の人です」
「そんな事言われてもわかんないわよ!」
けれど何の動物なのかまでは、クリュセにもわからないようだった。生前の姿がわかればまだしも、見た目がリュックでは動き方からなんなのか類推するのも不可能だ。
ノシノシ歩いてるから、牙猪か鋼亀か、三角牛辺りだろうけど……
「魔法使うと竜に見つかっちゃうんでしょ? 大丈夫なの?」
「魂に入ってもらってるだけだから殆ど魔力は使ってませんし、これで見つかるんだったらどっちみちわたしも見つかっちゃいますから、大丈夫ですよ」
リンの問いにクリュセは答える。確かに、リュックを依り代に使っているだけで原理的には彼女自身と同じことなのだろう。
「……確かに、そうみたいね。これなら見つかる心配はないと思うわ」
ニーナは懐から眼鏡を取り出し、自分を運ぶリュックを眺める。それはやはりイニスが作ったもので、肉眼では見えない魔力の流れや強さを見ることができるものだ。傷を治すときには魔力が見えると便利なのだそうで、ニーナが作ってもらったものだった。
余談だが、ニーナが眼鏡をかけると厳しくも優しい女教師と言った風情でやたらと似合う。
「まあ見つかったら見つかったで、ぼくが追い返すからいいけどね」
ユウカがあっさりと言う。たしかに彼女の腕を持ってすれば、ギルタよりも弱い竜なら殺さずに無力化することもできるだろう。頼もしくも恐ろしい話である。
「というわけで、ニーナさんはゆっくり休んでてください」
「……ん。そうさせてもらうわ」
そう言うやいなや、ニーナはくたりと力を抜いてリュックの上に横たわる。そしてすぐに、かすかな寝息が聞こえてきた。思った以上に限界だったらしい。
「それにしても、一体何をそんなに入れてるんだろうね」
しげしげとリュックを見つめながら言うリンは、着の身着のままだ。と言っても様々な動物に変身できる彼女はそれで全く困らない。野を駈け森に分け入り水も食べ物も手に入れてきて、薪を割るのも火をつけるのも身一つでこなしてしまう。毛皮を持つ獣に変化して眠れば寝袋もいらない。肉体そのものが万能の道具みたいなものだった。
「今まで取り出してたのは着替えとか、身の回りの細々したものとかだったけど、それだけじゃあの量にはならないよねえ……」
ニーナよりはかなり小さいとはいえ、それでも一行の中では二番目に大きい荷物を背負いながらも、全く苦にした様子もなくユウカは首を傾げる。
「あの、言おうかどうかちょっと悩んでたんですけど……」
クリュセが困ったように眉根を寄せて、じっとニーナのリュックを見つめながら言った。
「お母さんのカバンの中……いくつか、魂が見えるんですよね」
本当に何を入れてるんだよ。
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