竜歴1150年

第5話 旅立ち/Setting Off

「ギルタさーん、これおねがーい」

「おうよ」


 大きな丸太を振り回すルフルの声に、青い巨体がばさりと音を立てて宙を舞う。


「あいつも随分馴染んだわね……」


 そんな光景を見ながら、ニーナがぽつりと呟いた。


「もうギルタがうちに来て、七十年にもなるもんなあ」


 全く、時がすぎるのはあっという間だ。今ヒイロ村に住んでいるほとんどの人にとっては、ギルタは生まれたときから村にいる存在だと思うと、なんだか不思議な感じがする。


 ギルタは普段かつて母上が住んでいた山で暮らしているが、週に一、二回村へと降りてきては村の人達の仕事を手伝っている。重いものを運んだり、邪魔なものを壊したりと言った力仕事が主なものだ。なにせ竜、それも破壊の化身と言われる青竜だから、その手の仕事は得意中の得意だ。


 そうやって賃金を貰っては、牧場で家畜を丸ごと買ったりして食料にしているらしい。自分で狩りをするより楽だし美味しいと本人も満足そうだった。私が五百年以上かけて作り上げてきた家畜なのだから、当然だ。まだ三百年しか生きていないギルタ自身よりも歴史が長いのである。


「うおっ……火竜の旦那。そんなところにいたのか!?」


 すっかり日本語も堪能になったギルタが私に気が付き、高い塔の上から羽ばたき降りてくる。


「おっと。脅かすつもりはなかったんだけど……」

「……マジかよ」


 ギルタは私を上から下まで眺めて、ほとほと感心したと言わんばかりに息をついた。


「ここまで近づいてもまだわからねェ。あんた、本当に火竜の旦那だよな? 前みたいに、リンの嬢ちゃんが化けてるわけじゃねェよな?」

「正真正銘本物よ。この情けない顔を見ればわかるでしょ」


 後ろからニーナが私の顔をぐにゃりと歪ませる。いや、そんな方法ではリンの変化は見破れないけれどね。


「ほら、これでわかるだろ?」


 私はいつもの赤いコートを取り出して、羽織ってみせる。


「なるほど、疑いようなく本物だな」


 ギルタはびくりと怯むような仕草を見せて、苦しげな表情でそういった。

 コートをパタパタと折り畳んでいくと、それは小さな赤い鱗の一欠片になる。それをポケットから取り出した布で包むと、ギルタは緊張をといて息をついた。


「それがあんたの言ってた文明の力って奴か……大したもんだな」

「まあ、作ったのは私じゃないけどね」


 竜の気配……略して竜気。竜だけが感じ取り、同族の存在を察知するその気配を見つけるのに三十年。抑え込む方法を見つけるのに二十年。こうやって携帯できるレベルの物品に込めるまでに更に二十年。

 七十年かけて作ってくれた、イニス先生の大傑作である。


「……ねえ、ギルタ。この村の事をどう思う?」

「変な村だな」


 私の突然の問いに、しかしギルタは迷うことなくそう断言した。


「他の人間と関わったことなんざ一度もねェ。だがそれでもわかる。この村は変だ。変なやつばっかりだ。竜の俺に物怖じしねェし、それどころか対等に取引までしやがる。で、実際対等以上に戦える化け物がゴロゴロいる。しかも、俺にすらわかるくらい異常なのに、誰もそれをわかってねェ」


 うっ、耳が痛い。実際のところ、私もこの村がどのくらい変なのかはわかっていない。たまにやってくる旅人や移民に他の街の話は伝え聞いてはいるのだけど、いまいちピンと来ないのだ。


「だがまァ……居心地は悪くねェ。初めは鬱陶しいと思ってたけどよ。互いを利用する……『協力』、てェんだったか?」


 竜は群れず、互いに力を合わせるということもない。生まれながらにして高い知性と強靭な肉体を持ち、一体で生きていくのに何の問題もないからだ。

 故に竜は孤独を嘆くこともなく、集団の中に入って安堵することもない。


「人間の作る飯はうめェし、道具も何かと便利だ。馬鹿にしてたが、案外捨てたもんでもねェ」


 けれどそれは、共存できないという意味ではなかった。


「それにあの、カレーとかいう食い物。ありゃァ、他じゃ絶対に食えねェだろうしな」

「そうだろう、そうだろう」


 ポツリと漏らした彼の言葉に、私は満足げに頷いた。


 石器の時代から脈々と受け継がれてきた陶芸技術、その最先端を使って作られた陶製の皿。煮込まれているのはリンやルカたちが培った農耕、牧畜によって作られたヒイロ芋にヒイロ玉ねぎ、そして三角牛の肉。それをシグが見つけ、イニスが発展させた製鉄技術による大鍋でコトコトと煮込む。味付けする各種スパイスは、ルフルたちが整備してくれた大街道を通って遠方からやってきたものだ。


 まさに、カレーは私たちの千年以上に渡る努力の集大成といっていい。


 出来れば日本にあったような固形のカレールーを作りたいのだけど、それにはもう二、三百年かかるかもしれない。


「……どう思う、ニーナ?」

「ま、いいんじゃない」


 傍らの少女に尋ねると、彼女は軽い調子で頷いた。けれどその裏に秘められた思いは、けして軽いものではないはずだ。


「何の話だ?」

「ギルタ」


 首をひねるギルタの目を見据え、私は言った。


「君に、私の代わりにこの村の事を任せたい」



 * * *



「クリュセ、ちゃんと準備できてるの? ぐずぐずしてると置いていくわよ」


 気遣わし気に、ニーナがクリュセの背中をぽんと叩く。


「大丈夫ですよー、もう子供じゃないんですから」


 それに対してクリュセは膨れ面を作りながら、鞄の紐を肩にかけてブーツを履く。その鞄は普段彼女が愛用しているお出かけ用のもので、可愛らしいけれど容量はあまり多くない。


「何いってんの。どう見たって全然子供じゃないの」


 言いながらニーナが背負うリュックは、まるで山のような大きさだった。一体何が入ってるんだろう、あれ。


「どっちも似たようなものだと思うけどなあ」


 そういうリンの姿は、今日は十歳くらいでどう見ても一番幼い。


「リンちゃん、そんな軽装でいいの?」


 小首を傾げるユウカが手にしているのは、リュックというより背嚢と呼ぶのがしっくり来るような、しっかりとした作りの背負い袋。しっかり者の彼女のことだから、過不足なくしっかり準備してきたんだろう。


「うん。あたしいつもこんな感じだよ」


 対するリンはほぼ手ぶらだ。いつもぶら下げている、赤表紙の本を入れた小さな鞄一つしか持っていない。一番旅慣れているのが彼女だから心配はしてないけど。


「あんたも、それだけでいいの?」

「ああ、問題ないよ」


 私の荷物は、ユウカとクリュセの中間くらいだろうか。自慢じゃないが、私は結構旅慣れている。……と言っても前世のことだからもう千年以上前の記憶だけれど、それほど勘は鈍ってないはずだ。


 というか、どう考えてもニーナが持ちすぎである。


「先生!」

「おや。見送りに来てくれたのかい?」


 聞き慣れたアラの声に振り向くと、そこにいたのは彼だけではなかった。

 アラにイニス、メル、ルフルにティア、シークにリティ、橙と薄紅、ライザにベル、フィン、クレス……他にも私の元生徒たちがほとんど勢揃いしていた。


「本当に……行ってしまわれるのですか」


 どこか泣きそうな声色で、アラが尋ねる。


「ああ。留守は頼んだよ、自警団長殿」

「せんせぇ……」


 ルフルに至ってはもはや半分泣きべそをかいていた。


「そんな顔をしないで、ルフル。別にもう二度と会えないってわけじゃないんだし」


 ルフルはぐっと口元を引き締めて、しかしこくりと頷く。


「せんせーーー!」


 しかしそこで感情が決壊したのか、メルが私に突撃してきた。

 四足種のタックルをまともに食らって立っていられるほど強靭でない私は、そのまま彼女に押し倒されてしまう。


「やっぱり、行かないでー! ずっとメルたちのせんせでいて下さいー!」

「イ、イニス……ちゃんと説明した……?」


 わんわんと泣きわめく彼女に視界を潰されながら、私は手綱役に手を伸ばす。


「したよ。三回したけど、した上でこれだよ」


 だがイニスはそう答え、肩をすくめるだけだった。三回もか……


「メル、よく聞いてくれ」


 私はなんとか彼女を引き剥がすと、噛んで含めるように言った。


「私たちは、ちょっと旅行に、出かけるだけだ。一年も経たずに帰ってくる」


 涙に濡れた黒い瞳がパチパチと二度、瞬き。


「なぁーんだ! よかったですー!」


 次の瞬間には、泣き顔は雨上がりの虹のような笑顔に変わっていた。


「……ま、気をつけなさいよね。この村の外は危険なんだから。先生はただでさえ鈍いんだし」

「ありがとう、ティア。ユウカやリンもついてきてくれるし、大丈夫だよ」


 憎まれ口を聞きつつも心配してくれる小妖精の少女に、私は微笑みかける。


「……やっぱり心配だわ。私がいなくてこの村の医療は大丈夫なんだろうか……」

「大丈夫ですよ、もう二百年以上ニーナ先生にしごかれ続けてるんですから」


 かと思いきや、逆に心配しているニーナが弟子の医者たちに励まされていた。


「さあ。そろそろ、行こうか」


 ひとしきり互いに別れを惜しみ、私たちは荷物を背負って歩き始める。


「クリュセ。方向は変わらないかい?」

「はい。光はずっと同じ方向……遙か東を指し示してます」


 杖を掲げて尋ねると、クリュセはそれを見つめて答えた。

 私には――クリュセ以外には誰にも見えない、その光。


 墓標の木から削り出したこの杖。そこに宿った、魂の欠片。


 何百という愛しき生徒たちに見送られ――


 最初の生徒を探す旅は、始まった。

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