第4話 村の仲間/Family
『あの火竜がやってきたのは、二、三十年前のことだ……あいつは俺の住む山の隣にある火山にやってきた』
雷竜は遠くを見るような目つきで、訥訥とそう語り始めた。
火竜と雷竜というのは、住む場所が近い。沼に住む黒竜、森に住む緑竜に対して、雷竜は高い山の上に住み、火竜は火山の中に住む。それらが同じ山脈に連なっていることはよくあることだ。
……とはいえ。
『そしてそのまま、住み始めたんだ』
それは、ありえないことだった。
竜は、自分の縄張りの中に別の竜がいることを嫌う。私でさえ、雷竜が自分の縄張りに入ってきたことはすぐに感じ、その存在は言いようのない違和感となって不快を感じている。気性の荒い火竜が自分以外の竜を放置しておくはずがなく、またその理由もない。
……だが。私は知っている。血の繋がりがあるとはいえ、自分以外の竜を堂々と己の縄張りに住まわせて、全く気にしなかった火竜を。
母上が去り、こうして雷竜に侵入されて初めて私はそれを肌で理解した。おそらくそれは本能的なもので、息子だから感じないというような種類のものではない。
私が今までそれを意識せずに済んでいたのは、生まれてからずっと母がそばにいない状態がなかったが故。そして竜の体に人の意識が馴染んでいなかったが故だ。
『俺は思った。戦いに来ないのは、火竜の中でも弱いからだと。相手が火竜だろうと、山にかかる黒雲の中なら俺が有利だ。だから襲ってこないんだろうと思って……二十年が経った』
火竜に縄張りに入られて、そのまま暮らしていたこの雷竜の方もなかなかいい度胸だ。
『だがあの日……その火竜は、普通に俺の山の横を通っていやがったんだ! 雲を炎で吹きちらして!』
あー。私もやったことあるな、そういえば。雲に火竜のブレスを全力でぶつけると、熱が一気に伝わって綺麗に雲が消失するのだ。母上なら全力を出すまでもないかもしれない。
『まるで俺の存在なんて気にした様子がなかった……奴は俺を恐れてたんじゃない、歯牙にもかけていなかったんだ……』
なんだか我が親ながら、申し訳ない気持ちになってきた。母上の性格的に、単に襲ってこないなら気にしないってだけだったと思うんだけど……まあ、それを歯牙にもかけないって言うのか。
『それで竜の気配が少ない山を探して飛び回って……やっと気配のほとんどしない場所を見つけたと思ったら、妙な竜が三頭もいたってわけだ』
『三頭?』
深いため息とともに雷鳴を漏らす竜に、私は思わず問い返す。
『見たこともない長細く青い竜に、人間の格好をした火竜が二頭。お前たちは一体何なんだ?』
ぐるりと私達を見回す雷竜。
『ユウカは……彼女は、人間だよ。正確にはエルフ……森に住む耳長と人間のハーフだけど』
私がそう言うと、雷竜の顎がガクンと落ちた。
『人……間……?』
私達の視線がユウカに集中する。彼女は何を思ったのか、ピースサインを顔の横に持っていくとパチンとウィンクしてそれに応えた。なんのリアクション、それ?
『で、言いにくいんだけどこっちの子も、竜じゃない。龍に変身できる魔法を使う、人魚だ』
私の言葉に応え、リンがトンボを切るようにくるんと回る。すると青い東洋龍は瞬く間に魚の尾を持つ可愛らしい女の子の姿に変じて、雷竜ににこりと微笑みかけた。久々に見る人魚姿である。二百年ぶりくらいじゃなかろうか?
『冗談……だ、ろォ……? じゃあ、あんたも……?』
雷竜が私を見る。
『あ、いや、私は正真正銘、火竜だよ。人の姿に変じてはいるけれど』
『なんで一番弱そうなのが本物の火竜なんだよッ!』
雷竜の叫び声が響き渡った。
* * *
「……それで連れてきたっていうの?」
「まあ、なんか、哀れになってきちゃって……」
話を終えた雷竜は、殺せと言い張った。帰る場所もなく、竜でもない生き物に一方的に叩きのめされて、ドラゴンとしてのプライドがポッキリと折れてしまったらしい。
とはいえ今まで人を襲ったこともなく(彼いわく、小さすぎて食い出がなさそうとのこと)、敵対の意思も失った彼をどうにも殺す気になれず、とりあえず私はヒイロ村に連れて帰ってニーナにも意見を聞くことにした。
「兎の子を拾ってくるのとはわけが違うのよ、全く」
自分の何倍もの大きさの雷竜を見上げ、腕を組んでニーナはため息をつく。前世であれば猫の子と言うところの言い回しだけれど、残念ながらこの世界には愛玩動物になってくれるような生易しい猫は存在しなかった。
『なぁ、気のせいかも知れないんだが』
雷竜がぼそりと、私に向かって言う。
『この……エルフ、だったか? あんたより迫力がある気がするんだが』
『全く正しい印象だよ、それは』
竜語で答えると、私の頬はニーナに思い切り引っ張られた。
「ふぁにふるんふぁよ、にーふぁ」
「なんとなくロクでもないこと言ってるのはわかるのよ、何年の付き合いだと思ってんの!」
ニーナはひとしきり私の頬をぐにぐにと弄び、やがて気が済んだのかもう一度ため息を吐く。
「……あんたのお母さんの山。あそこ空いてるんだし、そこに住ませればいいんじゃないの」
そして、そんな事を言った。
「いいのかい?」
ニーナには、雷竜が追い出された経緯を話してはいない。なのにそんなことを言い出すのが意外で、私は思わずそう尋ねる。まさかそんな込み入った事情まで私の顔色一つで察する事ができるようになったわけではないだろうに。
「別に今更竜が一匹二匹増えたところで大差ないでしょ。それに、あの山を管理する竜がいなくなって不便だったし」
「それは、まあ……そうだけど」
母上がいなくなって、ヒイロ火山の活動はだいぶ不安定になった。というか今まで一度たりとて噴火などしなかったのが、彼女がいなくなって以来小規模とはいえ何度か噴火するようになっている。
私も十年に一度くらいの頻度で様子を見に行って噴火しそうならマグマを抜いたりはしているのだけれど、もっとこまめに様子を見ていてくれる物がいるならありがたい。
……って、なんだか使ってない別荘があれるから人に貸すみたいな話だな……別荘なんて持ったことないけれど。
『俺を……住まわせるってのか? 正気か……?』
隣でリンが同時通訳していてくれたので、話の流れはわかったのだろう。雷竜は信じられないと言いたげに、私を見つめる。
『君さえ良ければ、だけどね』
「あっ、いた! 本当に先生以外の竜だ!」
そんな話をしているうちに、すっかりあたりは騒がしくなっていた。なにせ雷竜の巨体は目立つ。私の家がヒイロ村の郊外にあるとは言っても、飛んできたのはすぐさま村中に広まったらしい。見物人が壁を成しているようだった。
「先生! ぜひ、一度お手合わせさせて頂きたいとお伝え頂けませんか?」
「何馬鹿なこと言ってんの、この自警団長が」
目をキラキラさせてそんなことを言い出すアラの狼耳を、イニスがぐいと引っ張る。
「わあー、おっきいねえ。せんせぇ、撫でても大丈夫かな?」
「あんたの方が大きいじゃないの……」
そんな事を言いながら雷竜を見下ろしているのは、巨人族のルフルのその肩に乗った小妖精のティアだ。だいぶ緩やかになったとはいえいまだ成長を続けるルフルの背丈は十メートル近い。
体長で言うなら雷竜の方が大きいが、二本の足で立つ彼女の目線は四足で立つ雷竜よりも倍は高かった。
『な……な……なんだってんだ……!?』
その他の誰も彼もが、雷竜を怖がる素振りも見せずに近づいてきては物珍しげに眺めていた。おかしいなー、私、一応避難指示とか出したはずなのにな……
『ま、こんな村なんだ。ちょっとばかり騒がしくなるとは思うけれど……それでも良ければ君も住んでみないか?』
私はそう言って、雷竜に向かって手を差し出す。
『……あんたは、いいのか?』
その手をじっと見つめた後、雷竜はポツリとそう問うた。
『うん? そりゃあ、まあいいけど』
『それこそ、正気を疑う。自分の縄張りに他の竜がいて、平気でいられるってのか?』
『それは君も同じことだろ?』
『同じじゃねえよ。俺は……あんたが、格上だってことを認めてる。つまりはこの辺りは俺の縄張りじゃなくて、あんたの縄張りなんだ。自分の縄張りに他の竜がいることの不快感は……あんただけが感じる』
確かに、強烈な異物感……はっきり言ってしまえば不快感は、彼を受け入れると決めた今もなお感じ続けている。これは竜の本能であって、理屈や理性でどうにかなるものではないのだろう。
『まあ、それは何とかなるさ』
『なるかよ! そういつまでも堪えられるもんじゃねえ。無理をすれば、それこそ本当に気が触れるぞ』
『大丈夫だよ』
感覚的には、かゆいのをかけずに我慢し続けるようなものだろうか。
『ご覧の通り私は普通の竜じゃない。人とともに生きる竜だ。人はとても弱く儚い存在だけれど……それ故に、竜が持たない力も持っている。本能に刻まれた問題だって、きっとなんとかできるはずだよ』
竜は問題を解決しない。する必要がない。生きていくのに何の工夫もいらないからだ。
けれど人類は、この千年間、彼らに並ぶべくずっと叡智を磨いてきた。
人だけが持つ、文明の力だ。
『……ギルタルガダウィルセムスキナスキィユナムだ』
すると、雷竜は突然ぽつりと、そう呟いた。
『え?』
『君、なんて背筋が痒くなるような呼び方をするな。俺の名は、ギルタルガダウィルセムスキナスキィユナムだ』
『じゃ、ギルタだね』
名乗る雷竜に、リンが言う。
『ああ!? 何だそりゃあ』
『そんな長い名前、いちいち呼んでられないし、そもそも覚えられないもん。ギルタル……ほら、もう忘れちゃった。だからギルタでいいでしょ』
パリリ、と雷竜の折れた角、その根本が放電して音を立てる。
それは呆れなのか苛立ちなのか、それとも別の感情なのか。それすらまだ私達は知らないけれど。
『……好きに、しろよ』
雷竜……ギルタは、吐き捨てるようにそう言ったのだった。
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