番外編

竜歴1000年 還り道/On the Way

 あ、と思ったときには、もう手遅れでした。


 わたしは反射的にお父さんを庇いながら、自分の失敗を悟りました。庇うなら庇うで、防護魔術か何かをかければよかったのです。


 基本的に魔術というのは、防御側が有利です。何故なら、攻撃魔術は自分の手元から相手まで届かせる時間が必要なのに対し、防御は瞬時に自分を守れるから。なのにわたしがそう出来なかったのはひとえに実戦経験の浅さ、そしてお父さんが狙われた焦りゆえでしょう。


 胸を貫く槍の感覚に、ああ、これは死んだな、と思いました。だって、痛みが全く無いんですもん。つまり即死だったということです。

 胸の傷からふわり、わたしの魂が漏れ出すのがわかりました。


 生き物が傷を負って死ぬのは、傷口から魂が漏れ出すからだとわたしは思っています。

 傷口が大きければ大きいほど魂は素早く抜け出ていくものですが、小さくても心臓に穴が空いてしまうともう駄目です。


 そこはまさに魂が込められた場所、自身の根源が納められた部屋なのですから。


 そんなわけで、魂だけになったわたしは真っ暗な闇の中、ふわふわと浮いていました。

 魂には目も耳もありません。だから何も見えないし聞こえないのだと、わたしは思いました。


 けど。


 不意に、微かな輝きがわたしをぐいと引っ張るではありませんか。それはゆっくり瞬くと、何かをわたしに訴えているようでした。


 あなたは……もしかして、マクですか?


 わたしが問うと、その魂は肯定するようにチカチカと光りました。

 マクというのは、わたしがこの前拾ってきて、ぬいぐるみに入れた鎧熊の魂の名前です。


 マクがわたしをぐいっと引っ張ると、わたしは何かに包まれました。相変わらず何も見えませんが、自分が何かの形を持ち、それが地面に触れて歪むのがわかりました。


 わたし、今、ぬいぐるみになってるんだ。そう、すぐに気づきました。


 触感はありません。けれども、自分の形の変化として、わたしは外界を把握していました。

 わたしの魂に押し出されるように、マクの魂がぬいぐるみから抜けていきます。器を失った魂は、消えてしまうのが定め。そうでなくとも、あんな何も見えず感じられない世界に置き去りにされるのは、寂しく悲しいことです。


 いいんですか?


 わたしが尋ねると、マクの魂がまたチカチカと瞬きました。それと一緒に、彼女(あ、マクは女の子でした)の無念が伝わってきます。


 ゴブリンたちに殺されたこと。食べられもせず、死体を打ち捨てられたこと。そしてその仇をうってくれた事に対する、感謝の念。


 ああ、そうか。鎧熊の死体が無残に打ち捨てられてる時点で、わたしは警戒すべきだったんですね。ヒイロの狩人ならそんな事はしませんし、かと言って森に鎧熊より強い獣なんていないのですから。


 わかりました、ありがとうございます。お借りします。


 わたしがそう答えると、マクの魂は最後にもう一度光って、消えていきました。


 さて、あまりモタモタはしていられません。わたしの身体に、戻らないと。


 多分お父さんの事ですから、わたしが死んでるとわかっていても、お母さんの病院に運び込むでしょう。そしてお母さんなら、無駄とわかっていてもわたしの傷を表面くらいは縫合してくれるはずです。


 そうなってれば好都合。穴さえ塞がってれば、それはぬいぐるみと同じようなもの。わたしの魂が入り込んで存在を永らえることはできる……はず。そうわたしは考えました。


 とはいえ……多分わたしがいるのは、わたしが死んだ場所でしょう。倒れたときにマクのぬいぐるみが零れ落ちて、そのままお父さんは気付かずわたしの体を運んでしまったんでしょうね。


 ヒヒイロカネの剣がそこに転がっているのを感じます。この子も魂があるんですね。うまく甦れたら後で回収してあげるので、待っててください。


 となれば……わたしは精神を集中して、ぐるりとあたりを見回しました。


 あった! 遠くに、微かですがお父さんの魂を感じます。人一倍大きくて眩しいお父さんの魂は、相当遠くからでも見えるようでした。あれを目指して進めば大丈夫ですね!


 けれどそれは。言うほど簡単なことでは、ないのでした。


 まず、いくらお父さんの魂が大きいとはいえ、遠くにいるお父さんと近くにいる他の人だと、流石に他の人の魂の方がよく見えます。しかもお父さんは結構あちこち移動するので、見失うこともしばしばでした。


 更に、わたしには魂以外のものが見えません。触った感触はわかるのですが、どこを歩いているかもわからず、あっちにぶつかり、こっちに躓きながら進むほかありませんでした。


 辺りの魂の人通りが途絶え、わたしは夜が来たことを悟ります。流石にそんなにすぐ火葬にはされないでしょうが、急がないと……


 逸る気持ちとは裏腹に、わたしの道行きは暗澹たるものでした。朝が来て、昨日までいたところとは真逆の方向に、お父さんがいます。わたしは来た道を戻らなければなりませんでした。


 けれどもいくらも戻らないうちに、お父さんの魂は全然別の場所に移動しているのです。もう、愛しい娘を亡くしたんだから、もっと落ち込んでぐったりしててくださいよ!


 けれど、わたしにはお父さんが何をしているのかもわかりました。鼠の襲撃で傷を負った人を助け、被害のあった建物を直し、人々を元気づけているに違いありません。自分がそれより、つらくても。


 わたしのお父さんは、そういう人ですから。


 とはいえすごく困ります。わたしはお父さんを目指すしか目印がないのですから、うろうろされるとどこに行っていいかわかりません。


 せめて今どこに自分がいるのかわかれば……


 と、その時でした。わたしの目に、その特徴的な魂が飛び込んできたのは。


 真っ赤に輝く、ヒヒイロカネみたいな魂と。青と赤の混じり合う、透き通るような綺麗な魂。そんな全く別々の魂が、一つの身体に折り重なって収まっている。


 こんな変な魂を持っている人、ユウ姉の他にはいません。


 残念ながら彼女はぬいぐるみのわたしに気付かずすたすたと歩き去っていってしまい、目の見えない小さなぬいぐるみの体では追いかけることはとても出来ませんでしたが……


 わたしはそこに、一つのヒントを得ていました。


 ユウ姉は毎日、決まった時間に、決まったルートを巡回して、街の安全を守っています。つまり今が何時なのかわかれば、今どこにいるのかもわかるのです。


 わたしは思い切って、その場で一日待つことにしました。コロコロ変わるお父さんの位置を追うよりも、自分がいる場所をしっかり把握する方が先決であるという判断です。


 人通りの少ない場所でじっと待つことしばし。不意に、わたしは何かに抱き上げられる感触を覚えました。


「あれえ? ぬいぐるみが落ちてる」


 わたしに話しかけているから、でしょうか。耳はなく、何も聞こえないはずのわたしに、幼い女の子の声が聞こえました。


「誰のだろう……」


 困りました。ここから移動させられては、ユウ姉を見つけられないかも知れません。それどころか、拾われていって箱にでも閉じ込められたら、この小さなぬいぐるみの身体では脱出不可能です。


「わ! 動いた!?」


 その手から逃れるべくわたしは暴れましたが、彼女は反射的に手を離すのではなく、逆にわたしを押さえつけました。このもふもふのぬいぐるみボディでは、幼い女の子の手から逃れる力すら出ません。


「ねえ」


 万事休す……そう思ったとき、わたしの視界は突然、真っ白に染まりました。


「それ、わたしのなの。返してもらえないかな?」


 いえ、違います。大きく、真っ白な光……純白の魂の持ち主が、女の子に話しかけてきたのでした。


「お姉ちゃんの?」

「うん。魔法で動かしてたの」


 そんなやり取りを経て、わたしは女の子の手から別の女性の手に渡ります。


「大丈夫だったー?」


 間延びした口調でわたしに語りかけてくる、真っ白な魂。それは、メルさんでした。

 まさか、わたしが中に入っているのに、気づいたのでしょうか。


「イニスちゃんの作った子……じゃ、ないよねえ。誰の作品かなあ」


 気づいてませんでした。というか、私をゴーレムだと思ってるようです。


「まあいっか。さあどうぞ。……あれ? どこにもいかないの?」


 地面に置いてくれたので、改めてそこにじっとしていると、メルさんはそう尋ねてきたのでわたしはこくんと頷きます。


「そっかー。じゃあ、メルもここにいるね」


 すると、メルさんはわたしの隣にぺたんと座り込んで、いつもの口調で話しかけ始めました。


「……でね、イニスちゃんって子がいて、とっても仲良しなんだー。だけどイニスちゃんはいっつもアラくんに怒られてばっかりでね」


 とりとめもない話を続けるメルさんは、多分客観的に見ると道端に座り込んでぬいぐるみに延々話しかけてるようにしか見えないと思うのですが、大丈夫なのでしょうか。他人事とは言え、ちょっと不安になります。


 メルさんは日が暮れ、人が辺りからいなくなってもわたしの隣に座ったまま、喋り続け……


「あ」


 不意に、そんな声をあげて、


「朝だよ、ぬいぐるみさん」


 わたしが一番ほしかった情報を、くれました。


「いくの? またねぇ」


 わたしが立ち上がると、多分手を振ってくれているのでしょう。メルさんは特についてきたりするわけもなく、見送ってくれたようです。客観的に見ると夕暮れ時に見つけたぬいぐるみに一晩中話しかけていたことになり、彼女の普段の生活が若干心配ではありますが……


 こんな姿になっても隣で話しかけてくれる事は、涙が出そうなくらい心強く嬉しい事でした。


 わたしは昨日いた場所に戻り、数を心の中で数えます。そして七千ほどを数えた時に、ユウ姉の魂を発見しました。ということは、ここはギドさんのパン屋さんがある大通り! ユウ姉はいつもそこで毎朝パンを買うのが習慣です。じっと確認していると、丸くて暖かそうな魂に近づき、しばらくして離れていく様が見えました。多分あれがギドさんです。


 ということは、向かいに出てきたこちらの魂はハンナおばさんで……その隣にいるのが、メイシャさん。あ、こっちのちっちゃな魂はミカちゃんですね。


 よし。わたし、完璧に場所を把握しました。家まで結構距離がありますが……後は人の流れを見ながら、道を間違えないように向かうだけです。


 * * *


 そして。それは、わたしが家に辿り着く、直前のことでした。

 家の中にいたお父さんの魂が、急に動き出します。その隣には、お母さんの魂も。


 それはいつもの空を飛んでの移動ではなく、ゆっくりと歩くもの。けど、村の端から家まで丸二日かかってしまう程の速度でしか歩けないわたしの脚では、とても追いつけない速度でした。


 わたしの身体を、焼く気だ。

 そう気づいて目の前が真っ暗になる思いでした。火葬場まで、この姿ではお父さんたちに追いつけません。つまりわたしの身体は燃やされてしまうことが決まってしまったのです。


 それでも何とか追いつこうとわたしは懸命に足を動かしますが、距離は離されていくばかり。ぬいぐるみは手足が短い上に、どんなに早く動かそうとしてもゆっくりとしか動きません。その上目も見えないものですから、どうしたって早くは歩けないのです。


 もう、駄目だ……


 わたしがそう、諦めたときのことです。

 突然、わたしは何かにぐっと持ち上げられたかと思うと、凄い速度で移動を始めました。道行く人々の魂を見るに、わたしを持ち上げた何かは、多分街の屋根の上をぽんぽんと跳躍して移動しているみたいです。


 けれども、不思議なことに。わたしを持ち上げている何かそのものは、魂を持っていないのでした。だけど行こうとしている場所は、はっきりと分かります。大きく暖かな魂のいる方向……お父さんたちのいる場所へと、わたしを運んでくれているようでした。


 謎の存在はまるで風のような速度でお父さんたちに追いつくと、その少し前で止まって、わたしを地面に下ろしました。


 小さな……それでも今のわたしのものよりは大きな手が、ぽんと背を押してわたしに進むよう促します。


 誰だかわかりませんが、ありがとうございます。


 喋ることも出来ないわたしは、心の中でそうお礼を言って、お父さんのいる方へと向かいます。


 何か……微かな声が、わたしを応援するのが聞こえたような気がしました。


 お父さんの魂まで、後少し。

 けれどそこでわたしが目にしたものは、無数の光の奔流でした。何人もの人の魂がそこを埋め尽くしていたのです。多分、参列者なのでしょう。わたしの死を悼んでくれるのは嬉しいけども、光と光が重なり合って何も見えません。


 どっちが中心なのか、どこに行けばいいのか、わたしは完全に見失ってしまいました。

 お父さんも、お母さんも、すぐそこにいるはずなのに……!


「どうして……!」


 その時です。


「どうして……! 私は……」


 それは多分、声としては囁くような声色だったのでしょう。


「この子にお母さんと呼ばせてあげることすら、出来なかったの……!」


 けれどもその叫びは。


「こんな事になるのなら、好きなだけ呼ばせてあげれば良かった……! 何度でも、何度でも、呼ばせてあげれば良かった……!」


 視界を埋め尽くす光さえも霞んでしまうような、その声は。


「この子の母親は、私だけだったのに!」


 何より激しい波となって、わたしの存在そのものを震わせるかのようでした。


 あそこに、お母さんがいる。

 わたしは、声の聞こえたほうを目指して必死に駆けました。

 魂の合間をすり抜け、進んで進んで、わたしはとうとう、お父さんの魂にぎゅっと掴まります。


 お願い、気づいて下さい……!


「何……その、不細工なの……」


 お母さんの声が、聞こえてきました。

 その隣に、魂とは別の存在を感じます。多分これは、わたしの身体なのでしょう。


「なんだ? お前も、一緒に棺に入るっていうのか?」


 必死にそれを指さしていると、わたしを抱き上げたお父さんがそう聞いてくれたので、わたしは一生懸命頷きます。


 お父さんの手によってわたしは身体の上に置かれ、それをぎゅっと抱きしめました。どうやって入ればいいか、なんて考える必要はありません。まるでものが上から下に落ちるように、わたしは自然に身体の中に入り込んで。


「不細工で……すみませんね。わたしは、ニーナさんほど……手先が、器用じゃ、ないんですよ……」


 目を大きく見開くお母さんに向かって、わたしはとりあえずそう文句を言ったのでした。



 * * *



「……誰も、いないですね」


 まだうまく動かない身体をお父さんに背負われて、家へと向かう帰り道。

 わたしは墓地の入り口を見回して、眉根を寄せました。


「誰もって?」


 お母さんが心配そうな顔をして、問いかけます。


「誰かが……ぬいぐるみに入ったわたしを、ここまで連れてきてくれたんですよ。魂を、持ってない人だったんですけど……」


 わたしがいうと、お父さんが「ああ」と声をあげました。


「それなら誰かわかるよ。彼だ」


 そう言ってくるりと後ろを振り返り、木の上を指さします。


「なるほどなあ。道理でやけに冷たいと思ったんだ、あのぬいぐるみ。今度お礼をしに行かないといけないね」


 するとまるでお父さんのその言葉に答えるかのように。

 ホウ、ホウ、ホウ……と、鳴き声が響き渡ったのでした。

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