第34話 不死なるもの/Undead

 赤、青、黄色。

 道を行き交う人々の胸に灯る、綺麗な光。


 一回死んだから、なのでしょうか。

 わたしの目には魂と呼ばれるものが見えるようになっていました。


 以前も魔法を使えば見ることは出来たのだけれど、今では何もしなくても見えてしまうし、色や明るさ以外にもいろいろわかってしまいます。


 大きな人。小さな人。暖かな人。柔らかな人。良い匂いをする人や、綺麗な旋律を持つ人。それに、舌が蕩ける程に甘い人や、切なくなるようなほろ苦い人。


 五感の全てで、それを感じられるようになった気がします。


 お父さんはこれのことを魂と呼んでいましたが、もしかしたらもうちょっと、違うものなのかも知れません。


 何故かと言うと……


「イニスさん、こんにちは」

「ん。おはよークリュセ。……身体の調子はどー?」


 いつも通りやる気なさげに振る舞っているイニスさんの魂は、さわさわと細かくざわめいていました。


「はい。おかげさまで、とっても元気で生き生きしてますよー! 息はしてないんですけど!」

「その冗談、あんまりおもしろくないな」


 苦笑しながらソファに寝転ぶイニスさんの魂は、そう言いながらもざわめきが落ち着いて、ゆっくりと明滅を始めます。多分さっきのは、心配してくれていたのでしょう。


 かように、魂というのはいつも一定というわけではなく、むしろその人その人の心の動きによって変化するようなのでした。


「ところで、イニスさん、なにか良いことあったんですか?」

「えっ!? いや、その……なんで?」


 じわり、とイニスさんの魂が変な動きをします。んん? なんだろう、この動きは……機嫌がいいのは、やたら魂がツヤツヤしているので一目瞭然なんですけど。


 これは魂を見ることができるようになる前からわかっていたことですけど、イニスさんはマイペースで自堕落に見えて、すごく他人を気遣ってるし、意外とわかりやすい人です。


「おはよう、二人とも。イニス、珍しく早いな」


 吹き抜ける風のような爽やかな感触に振り向くと、案の定そこにいたのはアラくんでした。彼の心はとても安定していて、実はイニスさんなんかよりずっとマイペースなんですよね。


 そのイニスさんといえば、魂は赤くなったり青くなったりしながら大きくぐらぐらしています。実際の姿は、あくびしながら「おはよー」なんて答えてるだけなのに。ポーカーフェイスぶりに驚くべきなのか、心の動きがダイナミックすぎるのに驚くべきなのか、毎回わたしは悩んでしまうほどでした。


「おっはよー!」


 そして一番不思議なのが、メルさんです。ぼふっと音がして、わたしの視界が真っ白に塗りつぶされました。


「クリュセちゃん、今日もかわゆいねー!」


 それはぎゅっと抱きしめられて、そのおっきなおっぱいにわたしの顔が押し付けられているからなのですが、離れても同じこと。メルさんの魂はその下半身と一緒でふわっふわのもっこもこで、どこまでも白くどこまでも柔らかなのです。


 一応、楽しいときにはふわんふわん動いたり、悲しいときにはへにょへにょとしてたりはするのですが、基本的にいつもふわもこであることには変わりなく。これは安定していると言って良いのか、それとも何も考えてないのか……


「あれー? イニスちゃん、どうしたの?」


 こてん、と可愛らしく首を傾げて、メルさん。


「なんでそんなにドキドキしてるのー?」


 一発でイニスさんのポーカーフェイスを暴き立ててしまいました。なんというか、さすがです。


「は、はっ? 別にドキドキなんかしてないし。全然してないし」


 隠すの下手ですか。なんで表情を取り繕うのは上手なのに誤魔化すのはそんなに下手なんですか。かわいい。


「ああ。もしかして、昨日の件のことか? 返事をする前にいなくなってしまったから答えられなかったが。悪いが、俺はニーナ先生の事がまだ好きなので、お前の気持ちには答えられない。すまん」


 アラくんはもうちょっと空気読んでください。いえ、凄い良い人なのはわかるし、ある意味男らしいのかも知れないですけど、デリカシーって言葉を知らなさすぎませんか? イニスさんの魂、号泣してるじゃないですか。


「い、いや……良いんだよ……その、言っておきたかっただけだし……」


 イニスさんの魂が、わたしの方を伺ってぐねぐね動きます。ああ、なるほど。これは後ろめたさなんですね。わたしが死んじゃったから、急に怖くなって何かある前に告白したと。気にしないでいいのに。でも、イニスさんらしいといえば、すごくイニスさんらしいです。


「えーーーーー!? イニスちゃん、アラくんのことが好きだったのー!?」


 そしてなんでメルさんは気づいてないんですか。


 本当に、面白い人達です。



 * * *



「ただいまですー!」


 そして、お家に帰り着くと。


「おかえり」

「おかえりなさい」


 わたしの知る中で一番暖かな魂と、一番優しい魂が出迎えてくれます。


「学校はどうだった?」


 大きくて、明るくて、ぽかぽかとした太陽に温かい、お父さんの魂。


「いつも通りでしたよ。あ、でもイニスさんがとうとうアラくんに告白して、玉砕したみたいです」

「ありゃ……それは気の毒に」


 でもなんだかんだ最終的にはくっつく気がしますけどね。イニスさんの魂、全然諦めてませんでしたし、そもそもそんなくらいで諦めるなら百年も生きてませんものね。繊細なのに、根っこの部分がやたらタフなんですよねあの人。


「あんたは、どこか具合悪いところはないの?」


 静かで、綺麗で、ふんわりとした月みたいに優しい、お母さんの魂。


「はい! 今日も取れたて新鮮! って感じの元気さですよー! あ、首は実際取れるんですけど」

「やめなさい」


 頭を抜いてみせようとすると、お母さんにやんわりと止められました。どうも、わたしの不死人ジョークは全般的にウケが悪い気がします。


「それ、取っちゃって大丈夫なの? 魂が漏れ出たりしない?」

「はい、平気ですよー。そんなので漏れるなら口とか鼻とか耳とかから漏れ出ますしね」


 わたしの答えに、お父さんはなるほどと興味深げに頷きました。面白がってほしいとは思いましたけど、そういう方向性でもないんですけどね。


「ニーナさんっ」


 まだ悲しげな色をしたお母さんに、わたしはぎゅっと抱きつきました。


「……何」

「温まり中です。日も暮れてだいぶ冷えてきましたのでー」


 死んでしまったわたしの身体は、魂がちゃんと入ってるせいか傷んだりすることはないみたいなのですが、なにせ心臓が脈打っていないので勝手に温まることがありません。冷えすぎると動きにくくなるので、こうしてお母さんに温めて貰うのですが。


「湯たんぽとしては、こいつの方が優秀よ」


 大体そう言って、お父さんの方に押し付けられてしまいます。まあ、確かにお父さんの方が暖かいんですけどね。やっぱり男の人だからちょっと年頃……年頃? あれ、わたしって年頃でいいんですかね……


 まあともかく、ちょっとばかりちんちくりんで死んでるとは言え、レディとしては若干の気恥ずかしさがあるわけです。暖かいので良いんですけどね。ぎゅー。


「それと……別に……その。お母さんって呼んでも、いいから」


 お母さんは口の中でモゴモゴと呟くように、そんなことを言ってくれます。


「えっ、なにか言いました?」

「……なんでもないっ」


 聞き返すと、お母さんは怒ったようにふいと顔を背けます。ごめんなさい、バッチリ聞こえてるけど、その反応が楽しくってつい聞こえないふりをしちゃうわたしは、悪い娘かも知れません。


「まあクリュセも女の子だし、私にくっつくのは嫌、かな」

「え? 全然嫌じゃないですよー。わたしお父さん大好きですし」


 むしろ中身入りとは言え死体がくっついて良いのかなあなんて思ったりもしますが、お父さんは普通に嬉しそうなので、わたしも気にしないことにしてます。


 いろんな人のを眺めるうちに、この魂だか心だかについて、なんとなくわかってきたことがあります。


 それは。魂というのは、その人自身の中身だけじゃないということ。

 人は生まれたとき、空っぽの魂を持って生まれてきます。そこに周りの人がいろいろなものを注ぎ込んで、魂というのは作られていく。


 嫌われ、蔑まれた人は暗くて寂しい魂を。

 愛され、好かれてる人は温かくて明るい魂を。


 だから、お父さんとお母さんが暖かな魂を持っているのは、色んな人に愛された結果で。


 そしてそれを一番注ぎ合っているのは、お互い同士なんです。

 これでよく好きじゃないとか言えたもんだなって、呆れるくらいですが……


「あ、そうだ。わたしもう死んじゃってるし、どうせならお父さんがお嫁に貰ってくれませんか? ニーナさんとは夫婦じゃないから、別に良いんですよね?」

「え、いや、それは……どうだろう。クリュセならちゃんといい相手が見つかると思うけどなあ」

「なんで満更でもない顔してんの、あんたは」


 まあ当分は、そのままでいいのかな、とも思います。


 私と、ゴブリンたちとの違い。

 二本の角と、ピンクの髪。そしてこの胸の中の、暖かで静かなまあるい光。


 そんな二人が注いでくれた愛でわたしは出来ているのだと、今は胸を張ることができるのだから。

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