第33話 想い残し/Mind Leave

 ……それからのことは、正直あまり覚えていない。


 魔術によって作られた氷の槍はすぐに掻き消え、代わりにクリュセの胸に残ったのは親指ほどの小さな小さな穴だった。


 必死に呼びかけてもクリュセはピクリともせず、血はとめどなく溢れ。

 私は彼女を抱えて、必死でニーナの病院に向かった。


 病院には人が溢れ、建物の外や廊下にまで怪我人が何人も座り込み、長蛇の列を成している。けれど私はそれを全て無視し、ニーナの元へと急いだ。申し訳なく思う暇さえもない。


 ニーナの姿は、すぐに見つかった。白衣を血で染め、他の医師たちに矢継ぎ早に指示を下しながら、自身も手早く処置をしている。


 私はその治療に割って入って、ニーナにクリュセの治療を懇願した。

 ニーナが治療していた患者は、酷い怪我だった。出血量で言えば多分クリュセよりもよほど多かったと思う。けれど順番を待とうなどという気には、まったくなれなかった。


 ニーナは手を止めて私の支離滅裂な説明を聞き、クリュセを見つめた後、呆けた顔で二度、瞬きをした。


 そしてもう一度私の顔を見て。

 彼女は震える手で、クリュセを右の部屋に寝かせるよう、私に伝えた。


 処置室の向かいには、二つ部屋が並んでいる。

 左の部屋は、明らかに緊急を要する重傷者が寝かせられている部屋だ。

 医師たちの準備ができ次第、そこの患者は処置室へと運ばれていく。頻繁に出入りが行われて、そこの患者を運ぶ医師たちの表情も張り詰めている。


 それに比べると、右の部屋は物静かだ。出入りは少なく、静まり返っている。

 クリュセの傷は、緊急性が低いと判断されたのだろう。私はホッとして、右の部屋に入った。


 私のその考えは、間違ってはいなかった。

 クリュセの治療に緊急性は一切ない。


 なぜなら。





 ――右の部屋に運ばれたのは、もう手遅れの者だったからだ。



 * * *



 ニーナは。


 それでも、その職務を全うした。

 嘆きもせず、不満ももらさず、救える命を救い……そしてそのうちの幾つかを取りこぼし。


 三日後に帰ってきて、丸一日、眠り続けた。



 * * *



 棺に収められたクリュセの遺体が、花に埋められていく。

 現実感がまるでなかった。


 今まで私は何人……何百人、何千人、何万人と見送ってきたはずだ。


 その中には親しい友人もいたし、可愛がっていた生徒も――愛する妻もいた。

 天寿を全うした人も、不幸にして事故で亡くなった人も、大人になることなくこの世を去った赤ん坊もいた。


 けれど。比べ物にならないほどの喪失が、ぽっかりと私の胸に空いてしまっていた。


「どう、して……」


 ニーナが、震える声で言うのが聞こえた。


「どうして……!」


 きつく握りしめた右手から、赤い血が伝い落ちる。


「どうして……! 私は……」


 彼女は、ただの一言も、私のことを責めはしなかった。


「この子にお母さんと呼ばせてあげることすら、出来なかったの……!」


 代わりに責めたのは、ただひたすらに、自分だった。


「こんな事になるのなら、好きなだけ呼ばせてあげれば良かった……! 何度でも、何度でも、呼ばせてあげれば良かった……!」


 零れ落ちる涙を拭うことすらせず、ただただ慟哭だけが彼女を支配する。


「この子の母親は、私だけだったのに!」

「……君の想いはちゃんと、伝わっていたよ」


 伝えるかどうか悩んだ末に、私はそう口にした。


「君のいないところでは……ずっと、お母さんって呼んでた」


 とうとう、ニーナは立っていることもままならず、座り込んで童女のように泣きじゃくる。

 ……けれど、ずっとそうしているわけにもいかなかった。


「見送って……あげよう。私たちの娘を」


 ニーナをそう促して、何とか立たせる。彼女はしゃくりあげながらも、小さく、頷いた。


 棺に蓋をし、深く掘った穴へとそれを納める。

 今のヒイロ村では、亡くなった方は火葬場で燃やすのが決まりだ。

 けれど私は無理を言って、クリュセを昔ながらの方法で弔ってもらうことにした。


 せめて、私の炎で送ってあげたい。

 そう思い、竜に変じようとしたまさにその時。何かがくいと、私の脚を引いた。


「……ん?」


 それは見覚えのあるぬいぐるみだった。

 そうだ、確か鎧熊の魂の入ったぬいぐるみだ。


「何……その、不細工なの……」

「確かに熊なのか犬なのかよくわかんないけど……クリュセの形見だよ」


 あの時の魔法の効果が、まだ続いてるのか。

 ぐいぐいと脚を引っ張るそれを、私は拾い上げる。

 するとぬいぐるみは、クリュセの棺に向かって手を伸ばした。


「なんだ? お前も、一緒に棺に入るっていうのか?」


 まさかと思いつつ尋ねると、こくりと頷くものだから、私は棺の蓋を入れてやった。

 ぬいぐるみはぴょんとクリュセの遺体に飛びつくと、その頬を両手で抱きしめるようにして、口づける。


 ――途端。


 クリュセの双眸が、パチリと開いた。


「不細工で……すみませんね。わたしは、ニーナさんほど……手先が、器用じゃ、ないんですよ……」


 かすれるような、声。しかしそれは確かに、クリュセの唇から聞こえてくる。


「クリュセ!? クリュセ、なのか!?」


 にわかには信じられず、私は大きく目を見開いて尋ねた。


「鎧熊が……場所を、譲ってくれたんです。何か入れ物があれば……魂は、少しの間、永らえていられる」

「その入れ物っていうのは、あんた自身の体でもいいの!?」


 食いつくように、ニーナが聞いた。


「直して、くれたんですね。ぬいぐるみよりは、だいぶ、居心地がいいです。防腐処理とかは必要でしょうけど……」


 段々と、クリュセの口調は滑らかになっていく。その肌は血の気を失って白いままで……肉体的には、死んでいるのだろう。それでも。


「お恥ずかしながら、還ってきちゃいました。こんな娘でも……もうちょっとだけ、一緒にいてもいいですか? お父さん、お母さん」


 私たちは、同時にクリュセを抱きしめた。

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