第32話 断絶/Extinction
「どれだけ逃げようと、無駄だ」
竜の姿で袋小路に白鼠を閉じ込めて、私はそう宣言した。
隠れられる穴もなければ、逃げ道もない。
「あのゴブリンたちを作り出したのがお前である以上……その繋がりは、魔法で追うことが出来る」
「そちらこそ、無駄な事をしているのではないかな」
白鼠は落ち着き払った口調でそう言った。
「知っての通り、ワタシという個体を殺したところで、ワタシたちには何の意味もない。また新しく白い個体が生まれるだけだ」
「ああ、よく知っているよ」
鼠たちは全体で一つの生命を持つ、群体生物だ。喋る白鼠を一体殺したところで、人間の髪を一本抜くようなもので何の意味もないのはわかっていた。
「今回は残念ながら失敗したが、機会は何度でもある。君たちが、ワタシたちを全滅でもさせない限りは。まあ不可能だろうがね」
「それは、どうかな。クリュセ」
「うん!」
クリュセは両手ですらりと剣を引き抜く。それは剣部から借り受けてきた、総ヒヒイロカネ製の剣だ。それを、クリュセはぎこちない手付きで振りおろし、虚空を切った。
「今……何を、した……?」
白鼠は、問うた。
「切ったんですよ」
クリュセが、それに答える。
正直出来るかどうかは、私自身半信半疑というところだった。
けれどその反応を見る限り、上手くいったんだろう。
「あなたのその……網目のように広がっていた、魂の繋がりを」
「馬鹿な……!」
クリュセは魂の専門化だ。月の光を使わずとも、肉眼で魂を見ることが出来る。
ならば彼女であれば、その繋がりを断つことも可能なのではないか。
私はそう考えてクリュセを連れてきて、その目論見は、どうやら成功したようだった。
「……だから、どうした。ワタシは……ただの、会話という機能を与えられただけの個体に過ぎない。前も、言ったはずだ。ワタシは別にワタシたちの意思決定を担っているわけでも、上位に立っているわけでもない」
しかし白鼠はすぐに落ち着きを取り戻し、そう答える。
「それはどうかな?」
だがそれは、何とか平静を保ち、自分自身に言い聞かせているようにも思えた。
「この世界において、言葉はとても特別なものだ。例えば魔法は、名前で出来ている。呪文は、魔法を安定させる。魔術は、他人に手渡すことが出来る」
私がこの世界で今まで見つけた、神秘の数々。
「それは全部……言葉で、成り立っている」
声に出して話さないとしても、名をつけるには言葉がいる。だから、唸り声をあげることしかできない獣には魔法は使えない。
鼠たちはかつて、話すことの出来る個体は一体だが、言語を解する個体は他にもいると言っていた。だがそれは、本当のことだろうか?
「皆が繋がっているのなら、聞いた言葉自体はどの個体が聞いても全体に伝わる。しかしその意味を解釈する機能を持っているのは、白い鼠だけなんじゃないか?」
きっと鼠たち自身にそれを検証する能力はない。彼らは全が個であり、個が全だからだ。
「仮にそうでないとしても、ゴブリンたちへの指示は声を出して行っていた。作り出した精霊たちとは、繋がっていないんだ」
「……だとしたら、それがどうした」
唸るように、白鼠は言う。
「ワタシが死ねば、新しい白い個体が生まれる。ワタシを切り離したところで、まったくの無意味だ」
「魂の繋がりを切られた状態でも、生まれるかな?」
意地悪く言ってやると、アルジャーノンは押し黙った。
今まで試したことがないのだから、わかるはずがない。
けれど私が試そうとしているのは、もっと悪辣な手段だった。
「これを、知ってるだろ」
私が懐から取り出し渡したのは、複雑な文様の写しだ。
「これは……」
「イニスの、不老の付与魔術だ」
白鼠を追いかける前。イニスに頼んで、写させてもらった内容。
それはあまりに複雑だが、それでもゴーレムよりはマシだと彼女は言っていた。
「技術を盗むのは得意なんだろ? それを使えば、お前は寿命を遥かに超えて生きていられる」
「どういうことだ?」
まだピンと来ていないのだろう。白鼠は、戸惑いの声をあげる。
「それを使わなければ、お前は死ぬ、と言ってるんだ」
「ワタシが……死ぬ……?」
死んだものの魂がどこに行くのかは、わからない。天に昇るのか地に還るのか、それとも私のように転生するのか。あるいはただ、消滅してしまうのか。
ただわかるのは、記憶を引き継げないのなら、それは消滅するのと同じようなものということ。
――逆に言えば、記憶を引き継げるのなら、死なないのと同じということだ。
私が、まさにそうであるように。
「そう。死ぬんだ。そのままでいれば、お前は死ぬ。お前たちではなく、ここにいるお前自身が……たった一年足らずで、死ぬ」
そしてそれは、鼠たちも同じことだ。たった一年という短い寿命でありながら、彼らは本質的には一度も死んだことがない。だから死を恐れない。
「ワタシ、が……死ぬ……?」
ある程度以上の知性があるのなら、消滅の恐ろしさはきっと同じはずだ。
白鼠は、ようやくその恐怖を飲み込んだようだった。
「ありえない……そんな。馬鹿な、ことが」
「だから、その付与魔術を使えばいい。それを使う限り、お前は生きていられる」
唯一の、繋がりを持たない白鼠として。
「アルジャーノン。もう一度、お前をそう名付けよう。生きろ。死は、怖いだろ?」
アルジャーノンが生きている限り、鼠の集団は言葉を失う。
どれだけ巨大だろうと、それはただの鼠だ。
それは、あるいは……私が初めてかけた、呪いであるかも知れなかった。
ひどく悪辣で、邪悪な、他者を不幸にする、呪い。
けれどこの鼠たちを封じ込めるには、そうするしかないのだ。
世界中に散らばり、潜み生きる鼠たちを全滅させるなんて不可能だ。
「馬鹿な……馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な! そんな、馬鹿げたことが……!」
小さな鼠は、アルジャーノンは、感情も露わに叫ぶ。
その視線はあちこちを彷徨い……そして、不意に私の方へと向いた。
「貴様が……貴様が、よくも!」
その赤い瞳が怒りに燃えて、アルジャーノンは火を吹かんばかりの激しさで私を見据えると、叫んだ。
「セキグチ、リョウジ!」
なんで、その名を。
そう思うよりも先に、私の身体は燃え盛るように熱を帯びた。
鱗に覆われた腕が縮み、視点が下がり、くっきりとした五感がぼやけ薄れていく。
外部から無理やり変えられるからだろうか。自分で変身するならほんの一瞬で済む竜から人への変化は、熱と苦痛を伴いながらゆっくりと進行した。
思えば、私が初めて人の姿に変化したとき……アイに真名を呼ばれた時も、こうだった。
ああ、そうか。あのとき、聞いていたのか。
どうすることも出来ずに変化を待ちながら、私は思い出す。
アイの墓の前で真名を呼んだとき、周りには誰もいないとニーナは言った。
だが、彼女が調べられるのは森の中だけだ。例えば地中に潜む小さな鼠にまでは、気づけない……
「
そして私の変化に合わせ、精霊魔術が放たれた。水や氷の魔術は、私とあまりにも相性が悪い。
常人ならば軽い打ち身ですむ水弾程度の魔術でさえ、私は昏倒してしまう。竜の姿でならともかく、第三階梯の氷の槍を人の姿で喰らえば確実に死ぬ。
避けなければ。そう思って全力を込めるが、竜から人へと変化している最中の身体はピクリとも動かない。
駄目だ――!
そう覚悟したとき、どん、と衝撃を受けて、私は地面を転がった。
……生きてる。全身痛みはするが、大した痛みじゃない。
何とか動くようになった身体を起こし……そして、私はそれを目にした。
「クリュ……セ……?」
氷の槍に胸を貫かれた、娘の姿を。
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