第29話 免れ得ぬ災禍/Inevitable Disaster

 異変には、すぐに気がついた。


「お父さん、鐘が……」


 不安げな表情で、クリュセが私の服の裾を掴む。


 鐘が、複数の方向で鳴っていた。


 災害を知らせる鐘の音は、そのおおよその場所を知らせるために発生源から一番近いものが鳴らされる。一定間隔で配置された鐘塔のちょうど中間地点で災害が起きた場合に二つ、三つ同時に鳴らされる場合はないではない。


 だが、四方八方から無数の鐘の音が聞こえてくるのは、明らかに異常事態だった。


「ニーナ!」


 慌ててクリュセの部屋を飛び出ると、ニーナは既に白衣を着込んで出かける準備を万端にしていた。


「私は病院に行く。あんたは……」

「ミレルのところに行く」


 災害がどんな種類であれ、必ず怪我人は出るだろう。病院に駆けつけるのがニーナの仕事であるなら、私の仕事は状況を把握することだ。であれば、剣部筆頭のところに行くのが恐らく一番確実だ。

 ニーナもそのつもりだったのだろう、彼女はこくりと頷くと、クリュセに視線を向けた。


「わたしは、お父さんと一緒に行きます」

「出来れば家で大人しくしておいて欲しいところだけど……まあ、いいわ」


 説得する時間も惜しいと思ったのだろう。ニーナは一瞬逡巡して、外へと飛び出す。私も自分の部屋から杖を掴むと、クリュセと一緒に外へと向かった。


「クリュセ、手を。――風よ!」


 クリュセの手を握り、反対の腕で私は杖を振りかざす。私の背丈とほとんど同じ長さのすらりとしたその杖は、以前魂の輝きを見つけるために分けてもらったアイの墓標の木の枝を磨いたものだ。


 今まで全く気付かなかったのだが、杖というのは呪文と似たような効果があるようだった。つまり、魔法の出力を上げ、精度を安定させる。魔術を使うときも、何も持たずに使うときより高い位階の魔術を使えるようになる。


 しかしただ杖を持てばいいという話でもない。杖と人、そして魔法にはそれぞれ相性があるようで、材質や長さ、太さなんかでそれが変わる。相性の良い杖で相性の良い魔法を使えば効果は上がるが、相性が悪いと何の効果も出なかったり、酷いと逆効果になることすらある。


 例えば昔からメルがよく使っていた小杖は、彼女にとってとても相性のいいものだった。何の理屈もなく答えにだけ辿り着くのは本当にやめて欲しい。


 そして――アイの木から作り出したこの杖は、それにも勝る私にとって最高の相性を持っていた。


 ぶわり、と私とクリュセの身体を風が包み込んで、一瞬にして上空高くに舞い上がる。まるでジェットコースターのような急加速にも拘わらず、圧力や息苦しさのような感覚は皆無だった。人の姿のままでありながら、竜の姿で飛んでいるかのような感覚だ。


 この杖を持っていれば、炎や風の魔法は魔術よりもよほど柔軟かつ精微に扱える。


「お父さん、あそこ!」


 私の小脇に抱えられたまま、クリュセが眼下を指さす。何人かの人々が逃げまどい、その後ろを見たことのない生き物が追いかけていた。


「行くよ、クリュセ!」

「はいっ!」


 一転、急降下。謎の生き物の眼前を大きく横切るように飛ぶと、驚きにその足が止まる。


氷の槍Ice Spear!」


 そこをクリュセの魔術が狙い撃ち、胸を貫いた。


「あ、ありがとうございます、先生!」

「ここは私たちに任せて逃げて。学校の方なら建物も頑丈だし、安全なはずだ」


 謎の生き物から逃げまどっていた村人たちにそう指示を出し、私は地面に転がる生き物を見つめた。それは猿のような皺くちゃな顔をしていて、身体に毛はなくつるりとした黒い肌を持っていて、二本足で駆けていた。


 これは、まるで……


「お父さん」


 地に倒れ、ピクリとも動かないその生き物を見つめて、クリュセは表情を強張らせる。


「この生き物……魂を、持ってません」

「何だって?」


 クリュセの研究によれば、生き物というのは多かれ少なかれ魂を持っているらしい。それどころか、器物ですら微かに魂を持っている場合があるのだそうだ。例えば、五百年近く使い込んでるうちのフライパンとか。


 例外は、精霊だ。自然物にしか見えない小精霊はもとより、姿形や振る舞いは生き物にそっくりな大精霊も、魂を持っていないのだという。


 ということはこの生き物は、精霊なのだろうか? だがそうだとしたら、クリュセの魔術であっけなく死んでしまうのはおかしい。精霊には精霊魔術は殆ど効かないし、倒したなら死体が残ったりはしない。


「先生! こちらにいらっしゃったのですね!」


 私が訝しんでいると、遠くからアラの声が聞こえた。振り向けば彼は四足で大地を蹴り、全速力でこちらへと駆けてくる。


「手を、お貸し頂けませんか!?」


 そしてよほど急いできたのだろう、荒い息を吐きながらそう叫んだ。


「剣部の皆さんが戦っていますが……押されています」


 奇しくも、彼が呼んでいるのは私が目指していた場所だった。剣部邸に向かおうとしていたが、その主が前線にいるのならば話は早い。


「案内してくれ」

「はい。クリュセ、俺の背中に……」

「いえ、お父さんの方が早いので大丈夫です。アラくんはお疲れみたいですし」


 私が頼むとアラはクリュセに手を伸ばしたが、彼女はそう言って私の腰の辺りにしがみついた。


「そうか、気遣いすまん。では先生、こちらに!」


 アラは気にした様子もなく先導して走り出したので、私は再び風を操り低空を飛行しながらそれについていく。


 その道すがらにも先程の謎の存在が度々現れ、その度にクリュセの魔術がそれを討ち果たした。


「アラ。一体こいつらは何なんだ?」

「わかりません。が、メルは新しい精霊だと言っていました」


 やはり、精霊なのか。あるいはもしかしたら、メルも無意識に何らかの方法で魂の存在を感じ取っているのかも知れない。


「しかし精霊にしては、妙だな。生き物みたいだ」

「はい。精霊とは思えないほど弱く、簡単に死にます。戦い方も、精霊というより……」


 アラは言い淀んで、ちらりと己の手に視線を向けた。


「もしかして、あの時の怪我ですか?」

「あの時って?」

「ほら、お祖母さんに会った時の帰りですよ」


 クリュセの言葉に、私は思い出す。言われてみれば、母のところからの帰り際、アラは傷を負っていた。大した怪我でもなかったので気にもとめてなかったけど……


「はい。あの時は今ほどはっきりした姿をしてませんでしたが、性質は同じでした。あまりに精霊らしくない戦い方に、油断して手傷を負ってしまったのです」

「精霊らしくない戦い方?」


 ぎゅっと拳を握りしめ、アラは苦々しげに呟く。


「目の前の俺を無視して、弱者から……イニスから、狙ったんです」


 ぞくり、と、私の背筋を気味の悪い感覚が走る。確かにそんな戦い方は、精霊らしくない。火事の炎や津波の水が相手を選ばないように、精霊はいちいち害する相手を選り好んだりしない。


 ……それに。新種の精霊という存在を、私は今の今まで知らなかった。

 母を訪ねたときから現れていたんなら、三十五年も前のことだ。三十五年間、私はそんな精霊を一度も見たことがなかった。


 その間、精霊災害が起こらなかったわけでも、関わらなかったわけでもない。何度も災害は起こっていたし、その救助や精霊の鎮圧に私も参加してきた。


 なのに、アラは新種の精霊を知っていて、私は知らない。その事実は、得も言われぬ不吉な予感と――既視感を、私に覚えさせた。


「先生、あれです!」


 それに深く考えを巡らせるよりも先に、アラが前方をさして叫ぶ。


「これ、は……」


 村の外れに広がる光景に、私は絶句した。


 黒い影が、遥か彼方まで埋め尽くしている。

 例の「新種の精霊」が、何百も何千も立ち並んで、雲霞の如くヒイロ村へと押し寄せていた。

 それを赤毛の人々が、次々に切り捨てていく。


 剣部だ。剣部の人間が総出で、無数の精霊たちをそこに押し留めていた。

 死骸が幾重にも積み重なり、滲み出る血と脂が大地を汚して、それでも彼らは剣を振るう。

 その剣をすり抜けた数匹が村の中に侵入していくが、それに追いすがる余裕さえ彼らにはない。


 同じことがきっと、村の至るところで起こっているのだろう。私たちが遭遇したのは、そうした討ち漏らしだ。


 私は、この光景を知っている。これを巻き起こした原因に心当たりがある。

 確証はどこにもない。ただ似ているだけで全く別の現象なのかも知れない。

 けれど私は直感的に、それをほとんど確信していた。


 なぜなら、私は覚えていたからだ。


「アルジャーノン……!」


 いつか必ず、それは来ると。

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