第22話 不老/Anti-Ageing

「イニス!」


 翌日。

 私はクリュセと一緒に大学へと向かうと、ふわふわと揺蕩うソファに向かって呼びかける。


「あれ先生、今日はちゃんと来たんだ。えらいえらーい」


 イニスは相変わらずの様子でソファにゴロゴロ転がりながら、皮肉っぽい口調で答えた。


「ちょっと一日休んだだけじゃないか」

「でもさー、このわたしが、怠惰の魔女なんて呼ばれるこのわたしがだよ? ちゃーんとサボりもせずに学校に来てるのに、先生がズル休みってどうなのかなーって」


 そう。あまりにも、相変わらずだった。

 イニスが何歳なのか正確な数字は知らないが、それでも彼女が大学に入ってから七十年近くが経っている。つまり八十歳以上なのは間違いないということだ。


 その時点で人間としてはかなりの長寿だが、イニスの姿は当時と同じ。十代にしか見えない、幼いとすら言えてしまいそうな外見のままだ。


 童顔のエルフといって通じそうなくらいの変化の無さだが、彼女は正真正銘人間だ。耳だって尖ってないし、親だって三十代遡って名前を挙げられるくらい知っている。


「悪かったよ。イニスに聞きたいことがあるんだ」

「聞きたいこと?」


 首をかしげる彼女に頷き、私は言った。


「君が使っている、不老長寿の魔術について」


 かつて、あまりに外見が変化しない彼女を訝しみ問い詰めたら、彼女はあっさりとそれを打ち明けた。その時その原理にも説明してもらったのだが、難解な上にあまり興味も持てなかったのでスルーしたのだったが……


「いいよ。じゃあ説明するね。まず人間の身体っていうのは他の種族に比べて極めて可塑性が高いのね。これは形質可塑性と言って、甲人いる各個体の身長を乙とした時にその平均値丙との分布の差が乙の一から甲引く丙の計割ることの……」

「待って待って待ってくれ」


 ソファからノートを取り出しスラスラと数式を書き出すイニスを、私は慌てて止めた。


「聞きたいことは、もっと単純な話なんだ」


 数字を出され理論から説明されても、私にはさっぱり理解できない。そもそも彼女が書いている数式をどう読んでいいかさえわからなかった。


「それは、付与魔術だね?」

「そりゃあそうでしょ。わたしの専門は付与魔術なんだから」


 イニスはどこか不満そうにしながらも、私の問を首肯した。怠惰の魔女などと呼ばれる彼女だけど、研究分野の説明をするときだけは急に活き活きしだす。けれどそれについていけるものは、彼女の弟子を含めて殆どいなかった。


「じゃあ、私やエルフが長生きなのは?」

「……多分、違うと思う」


 イニスは少し考えたあと、そう答えた。


「わたしが最初に不老の魔術を作ろうと思ったとき、最初に考えたのは、年取った肉体を若い肉体に変化させることなのね」


 私は頷く。それは誰もが真っ先に考えつく方法なのだろう。


「でもご存知の通り、魔術っていうのは効果が切れれば元に戻る。効果が切れれば元の老人に戻っちゃうし、大きな変化を起こすにはその分大きな力がいる。老いた肉体を若い肉体に変えるっていうのは、まー人間じゃ無理だね。エルフとか小妖精……あとは、人魚か。そのくらい魔力に優れた種族なら出来るかも。エルフにはもともと必要ない魔術だけど」


 魔法の強さというのには、種族で差がある。便宜上魔力と呼んでいるそれは、魔術が出来て以来かなり明白に測ることが出来るようになっていた。


「人魚にも無理だよ。大きな代償を支払えば別だけど」

「代償……代償か。なるほどねえ、そういう方法もあったか」


 イニスは私の言葉にハッとして、ソファに身を埋め何やら考え込む。


「それで、イニスはどうやってるの?」

「ああ、ごめん。えーと、ものすごく乱暴に言うと、年をとる機能を身体から取っ払っちゃってるんだよ。それなら、定期的にかけ直すだけでいい」


 思考に埋没した彼女に声を掛けると、イニスはそう答える。


「……それって……」

「そう。加齢は成長と裏表だ。この魔術を使っている以上、わたしは年を取らないけど成長もしない。けど竜やエルフはそうじゃないでしょ?」


 私は頷いた。エルフはある程度の年齢になると極端に成長が緩やかになるけれど、それでも全く変化しないわけではない。千歳を数えるニーナだって、少しずつ変化はしているのだ。


 私の方はもっと顕著だ。人間の姿こそ変わらないが、本性の竜の姿の方は年々大きくなっている。竜にとっての一年が九十八年とするなら、私はようやく十歳程度。未だ成長期と言ってしまっていい。


「先生の話でいうと、竜とエルフには寿命なんてないんでしょ?」

「多分ね」

「だとしたら、なんで竜もエルフも、成長なんてするの? 永遠に死なず生き続けられるなら、子供だって産まなくていい。最初から完全な姿としてあればいい」


 イニスの問いに、私は答えに窮した。それは、そういうものとして受け入れていたからだ。生き物である以上、誕生と成長は不可欠である気がする。けれどそれで言えば、死だって不可欠だ。


「逆に、子供を生んで成長するなら、寿命はなきゃいけないんだよ。可塑性っていうのはそういうもんだ」


 イニスは、はっきりとそう言いきった。

 確かに、寿命もないのに数だけ増えていったら、やがてこの世界はその種だけで埋め尽くされてしまうだろう。ましてやエルフと違って火竜には天敵がいない。どれほど繁殖力が低くても関係なく、いつかは火竜だらけになってしまう。


 今そうなっていないのは何か謎があるのか……それとも、そうなる途中の時代なのか。


「ねえ、イニスさん。イニスさんの使ってる不老長寿の魔術って、誰にでも使えるんですか?」


 不意に、それまで黙って話を聞いていたクリュセがそんな質問をした。


「まだ無理かな。定式化出来てない。だからこれは魔術じゃなくて、魔法だよ」


 イニスは渋い顔でそれに答える。物質や肉体の性質や形状を変化させる魔法全般を付与魔法と呼び、それを文字での記述に置き換える事を定式化と呼ぶ。


 人が魔法を使うとき、それはどうやら無意識に制御されている、ということが最近わかってきている。けれど呪文を文字で記述すると、誰が起動しても同じ効果になる。言い換えれば、無意識に制御していた部分がスッポ抜けるということだ。


 無意識の制御を文字に置き換えて同じ効果を発揮させるのは、複雑な魔術であればあるほど飛躍的に難しくなる。不老長寿の魔法なんて、イニスの神がかり的なセンスがあってのものだろう。ヒイロ村の平均寿命が跳ね上がる日はまだまだ遠そうだ。


「そんなに高度な魔法を編み出してまでアラくんと一緒にいるのに、まだ告白できないんですか?」


 私の目には、無邪気なクリュセの問いかけが槍となってイニスの胸に突き刺さるのが確かに見えた。


「な、なんであんたがそんな話知ってんのさ……」

「なんでもなにも、知らないのはアラくんくらいだと思いますよ」


 呻くように言葉を絞り出すイニスに、クリュセはいっそ困惑したように眉を寄せた。

 イニスが人知れず泣いているのを目撃した四十数年前ならいざしらず、今のクリュセなら彼女の想いを十分理解できるようになったらしい。


「い、いいでしょ! 時間はまだまだたっぷりあるんだから……」


 イニスはそう言い張ったが、なんだかかえってその余裕が可能性を摘み取っている気もした。余命が少なければもっと覚悟を決めて想いを伝えられていたのではないか、という気がしてならない。


「んで、なんでまた不老の術の話なんか聞いたのさ。先生にもクリュセにも関係ない話でしょ」

「うん、まさにその、関係ないってことを知りたかったんだよ」


 誤魔化すように咳払いするイニスに、私は頷いた。


 何が神秘で、何がそうでないのか。これはなかなか難しい問題だ。

 今ある技術の延長線上にあるものなのか、それとも果てなき不思議なのか。


 それを確かめるなら、今ある技術の最先端に位置している人に聞くのが一番手っ取り早い。それは私の知る限りでは間違いなく、イニスだった。


「……よくわかんないけど、それでここ最近先生が悩んでたことが解決するの?」


 おっと。イニスにも、見抜かれていたのか。どうやら私は相当態度に出やすいらしい。


「まあ、これで全部ではないけどね。他にも話を聞かないといけない相手がいる。ちょっと住んでる場所は遠いんだけど……」


 イニスは私の知る限り、現代の技術をもっともよく知る魔術師だ。

 けれどもっとも広い知識を持っているであろう存在は、別にいる。


「ヒイロ村じゃないの?」

「ああ」


 首をかしげるクリュセに私は頷き、答えた。


「実家だよ」

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