第21話 原点/Origin

 それがいつの頃からだったのか、私自身にも判然としない。


 メルが作り上げた精霊が、私の操るサラマンドラを飲み込んだ時だっただろうか?

 それともアラが使役する影法師の、そのまた影を実体化する術を作り出した時か。

 或いは……かつて私があれ程までに焦がれ追い求めた不老長寿の術を、イニスが会得していたと聞いた時だったかもしれない。


 私は、全ての魔術を理解する努力を、半ば放棄していた。


 魔術というのは誰にでも扱うことが出来て、誰が使ってもまったく同じ効果を発揮し、他人に譲り渡すことが出来る。その画期的な技術はそれぞれの分野が専門化し、高度化していった。


 この世界の魔法は、名前で出来ている。

 優れた魔法使いとはすなわち、より多くの名前を知るもののことであった。


 けれど魔術師は違う。彼らは自ら新しい名前を生み出し、作り上げることが出来る。

 優れた魔術師とは固定観念に囚われず新しい概念を作り出せるもの――

 すなわち、より多くの未知を持つもののことだ。


 未知とはただ知らないもののことではない。

 今持つ知識のその先。未だ辿り着かぬ知識のことだ。


 そして私の知識は基本的に、前世で覚えたことの範疇でしかない。

 ――その知識は、この世界の「これから」に繋がっていないのだ。

 前世の知識という優位性がなくなった今、私はただの原始時代の魔法使いに過ぎない。


「つまらなさそうな顔してるわね」


 そんな事を鬱々と考えていると、不意に声をかけられて私は顔を上げた。


「ニーナ……仕事は?」

「今日はお休み。昨日死ぬほど働いたから」


 生あくびを漏らしながらそう答え、彼女はごろんとベッドに寝そべる。昨日起きた火災で運び込まれた被害者の処置で、ニーナが帰ってきたのは日付がかわった後のことだった。


「あんたこそ、学校行かなくていいの?」

「まあ、ね」


 正直言って、大学に行ってももう私に教えられることは殆どないのだ。生徒たちは皆優秀で、その魔術の腕は私よりも遙か先を進んでいる。


「村の発展が気に入らないの?」

「まさか。それは大いに喜ばしいことだよ」


 それは掛け値なしの本音だ。ヒイロ村の人たちが私の手を離れることは一抹の寂しさは覚えるものの、それ以上の喜びがある。


「ただ私がもう役に立てないと思うと、それは悲しいかな」

「あんたが役に立ったことなんてそんなにあったっけ?」


 つい弱音を吐くと、手厳しい言葉が帰ってきた。


「それなりに……あった、と、思うんだけど……」


 ニーナからそう言われると自信がなくなってくるな。


「まあ医者として何人も救ってきた君に比べれば、そう言われても仕方ないかもしれないな」


 私の言葉に、ニーナは変な顔をした。何か言いたい事はあるのだが、うまい言葉が見つからない。そんな感じの表情だ。


「別に私は……役に立ちたいとか思ってやってるわけじゃない。どうせ人間はいつか死ぬんだから……そんなにすぐ死ぬことはないって、思うだけよ」


 辿々しく、ニーナは語る。私と違って何でも器用にこなしてしまう彼女だけど、思ったことを上手く伝えることだけは苦手だ。そんな彼女が、一生懸命に私に何かを伝えようとしているようだった。


「だからあんたの言う……役に立ちたいとか、そういうのはないわ。私の仕事がなくなるなら、その方がいい」


 ニーナの仕事がなくなるというのは、怪我も病もなくなるということだ。確かにそれは一つの理想だろう。私は……どうだろうか。ヒイロ村の人たちが私の手を必要としなくなることを、その方がいいと言い切れるだろうか。


「……いや。やはり私は、君みたいに割り切る事はできそうにないよ」


 少し考え、私はそう答えた。ヒイロ村が発展することは嬉しい。それは間違いない。

 けれど私に出来ることが無くなってしまうことの方が嬉しいかと言われれば、それもまた間違いなく否だった。


「今は私の話なんてしてないでしょ!」


 すると、ニーナは怒ったようにそんな事を言った。

 え、ええー。どういうことだ? 今まさに自分の話をしてなかったっけ?


「もう……何年の付き合いだと思ってんのよ。私の言いたいことくらいわかりなさいよ」

「ごめん、ざっと九百五十五年の付き合いだけど、流石にわからないよ」


 年数を計算して言いながら、もうそんなになるのか、と改めて思う。前世の人生を十回以上繰り返せるような、長い長い時間だ。そんなに長い間、ニーナは私に付き合って魔法学校を運営し、ヒイロ村をもりたててくれたのか……


 ん?


 何か今、私の脳裏を違和感が掠めた。なんだ?


「およそ、千年。エルフにとっても短い時間じゃないと思うけど、よく私に付き合ってくれたね」

「ま、あの森にずっといるよりはマシよ。あんたといると、少なくとも退屈はしないから」


 ニーナは笑みを浮かべてそんな事を言う。


「で、次は何をするわけ?」


 その言葉を聞いた瞬間、私は稲妻に打たれたような衝撃を受けた。


「そう、か……そういうことか!」


 喉の奥から思わず笑いが漏れる。


「ニーナ、ありがとう! 思い出したよ!」

「ちょ、ちょっと!?」


 私は堪らずニーナをぎゅっと抱きしめて、それでは足りずに彼女の軽い身体をひょいと抱き上げた。


「忘れていた……なんで、こんな簡単なことを忘れていたんだろう!」

「な、何、何なのー!?」


 そのまま、ニーナの身体ごとくるくると回りながら叫ぶ。

 先程まで、心の中に暗雲のように立ち込めていた奇妙な不快感はすっかり消え去って、晴れ晴れとした気持ちが私を包み込んでいた。


「もう、とまれーっ!」


 ニーナの手刀が私の眉間に突き刺さり、バランスを崩してそのままもろともにベッドの上に倒れ込む。


「……で。何を忘れてたってのよ」

「私が、この世界に生まれた理由だよ」


 目の前にあるニーナの瞳を見つめながら、私は答えた。


 そう。全ては逆だったんだ。


「私はヒイロ村を発展させるために魔法を研究し、学校を作ったわけじゃない。魔法を研究するために、学校を作ったんだ」


 神秘を。


 不思議な事を。


 解き明かせぬ謎を。


 ありえない出来事を、胸躍る体験を、見果てぬ世界の綻びを探して、私は異なる世界にまでやってきてしまったのだ!


 魔術は便利だ。誰にでも扱うことが出来て、誰が使ってもまったく同じ効果を発揮し、他人に譲り渡すことが出来る。その画期的な技術は文明を飛躍的に発展させ、この世界をより豊かに、より快適なものにするだろう。それは言うまでもなく素晴らしいものだ。ロマンにだってきっと溢れている。


 


 面白く、ないのだ。だってそんなもの――科学と同じじゃないか。


 それに興味を持つことができていたなら、私は今こんなところに存在していない。


「それよ」


 コツン、とニーナが鼻先とおでこ同士をくっつけて、笑みを深める。


「その顔。ろくでもないことを言い出す時の、いつものあんたの顔。……すっごい、楽しそうな顔」


 彼女の青い瞳が輝いて、私の顔を映し出していた。


「その顔をさ……ずっと、してなさいよ、あんたは。私も、手伝えることは手伝ってあげるから」

「ニー、ナ……」


 私は感極まって、彼女の肩に回した腕に力を込める。


「ただいまー!」

「うわっ」


 その時クリュセの声がして、私たちは同時にベッドから跳ね起きた。


「お父さーん、ニーナさーん、ただいまですよー」

「あ、ああ、おかえり、クリュセ」

「今日は……随分早かったのね」


 ひょこりと寝室に顔を出すクリュセに、平静を装いながら答える。


「はい、お父さんがいないといまいち研究も捗らなくってですねー。というかお父さんがいないのにわたしだけ学校にいってるのもなんか馬鹿馬鹿しい気がしまして、帰ってきちゃいました」


 見た目は子供そのものでも、クリュセはもう六十歳だ。小学校はとっくの昔に卒業していて、今は大学で働いている。立場としては、アラたちの同僚になるのは不思議なことだ。


「ところで」


 クリュセは腰を横に折るようにして視点を下げると、ベッドに座るニーナの顔を覗き込む。


「ニーナさん、顔赤いですけど、大丈夫ですか?」

「大丈夫。ちょっと暑かっただけ」

「ええ……今、冬ですけど……?」


 クリュセは怪訝そうな表情で、伺うように私の方を見た。


「なんでもないよ。寒いから温度を上げてくれって言われて上げたら、上げすぎただけ」

「なるほどー。お父さん、加減が苦手なんだから気をつけてくださいね」


 そう、なんでもない。

 ただニーナは目的を見失っていた私を助けてくれて、その友情を確かめあっていただけ。

 ただそれだけだ。


 私と彼女の間に今更、色恋めいたものが芽生えるわけもない。


 だって。


 私はとっくの昔に、彼女にはフラれているのだから。

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