竜歴965年

第20話 巣立ち/Becoming Independent

「みなさーん、朝ですよー! 起きてくださーい!」


 カンカンカン、と打ち鳴らされるのは、真っ赤な金属。もう数百年使い込んでいる、ヒヒイロカネ製のフライパンだった。


「お父さん、ニーナさん、今日もいいお天気ですよ!」

「ん……おはよう、クリュセ……」


 シャッと音を立ててカーテンが引かれ、差し込む光の眩しさに目を細める。


「おはようございます、お父さん」


 溢れるような朝日に包まれて、クリュセは朗らかに笑った。


「ん……あれ? クリュセ」


 私の隣でのっそりと起き上がりながらあくびを噛み殺し、ニーナは怪訝な声をあげる。


「成長してない?」

「えっ、ほんとですかぁ!?」


 クリュセはぴょんと跳ね上がると、急いで居間へと向かい巻き尺を手にして取って返す。


「お父さん、お父さん、測ってください!」

「はいはい。背伸びやめてね、正確に測れないから」


 興奮する彼女をなだめつつ、私はクリュセの背丈に合わせて柱に傷をつける。


「おや、本当だ。前測ったときより二センチばかり伸びてるよ。ええと……百三十三センチだね」

「やったぁ! 十年ぶりに伸びましたよ、お父さん!」


 クリュセはぴょんぴょんと飛び跳ね、喜びを表現した。


「最近だと、だいたい十歳くらいの平均身長がそのくらいかしらね」


 ぐっと身体を伸ばしながら、ニーナ。クリュセの実年齢は今年でちょうど六十歳。相変わらず成長は不安定だけど、傾向としては年々ゆっくりになっているようだった。


「もう伸びないんじゃないかと思いましたよー」

「次は百年後かもね」


 くすりと笑うニーナに、クリュセは頭を抑えてむむむと唸る。


「髪もだいぶピンクになってきたなあ」


 長く伸びたその髪を手に取り、私はしみじみと呟いた。生まれた頃は真っ直ぐな金色だったクリュセの髪の毛は、成長するたびにピンク色が強くなってきて、ふわふわとウェーブした癖っ毛になってきた。


 以前は日に透かすとピンクっぽいかなと思うくらいだったのが、今では暗い場所で見てもわかるくらいにすっかりピンクブロンドだ。


「じゃあ、朝ごはんにしましょう! 今日はニーナさんの好きな焼き魚にしたんですよ!」

「はいはい」


 クリュセはぴょんと跳ねてニーナの手を引く。ニーナは気だるそうにしながらも、それに従った。


「じゃあ私は寝坊助たちでも起こしてこようかな」


 その微笑ましい光景に思わず顔を緩めながら、私はいつまで経っても起きてこない残りの住人の部屋へと向かう。


「あ、お父さん」


 その背に、クリュセの声が投げかけられた。


「なんだい?」

「もう多分、二人とも起きて――」


 その忠告は、ほんの数秒遅かった。私がそれを耳にしたときには既にドアノブを捻っていて、最近新しく増設した部屋の中身を露わにしていた。

 ユウカとリン、そして私はまるで時が止まったかのように動きを止めて。


「……ちょうど、着替えてるところだと思いますよ」


 クリュセの言葉とともに、破砕音が鳴り響いた。



 * * *



「ごめんね、せんせー……まだ痛い?」

「いや、大丈夫。ノックしなかった私が悪いんだよ」


 心配そうに見つめるリンに、私は努めて笑みを浮かべながらそう答えた。

 無詠唱、無動作で放たれる水弾は避けようがない。直撃を受けた腹は正直まだじんじんと鈍く痛んでいたが、私は何でもないかのように振る舞った。


「お父さんには、ちょっとデリカシーが足らないと思うんですよ」

「うん、まったくもって、面目次第もない」


 呆れたように言いながら、クリュセはぽんぽんと米を茶碗によそって手渡してくれる。


「まあまあ、クリュちゃん。ぼくは全然気にしてないし」

「ユウ姉はもうちょっと気にした方がいい気がしますけど……」


 悲鳴を上げて反射的に水弾を放つリンとは裏腹に、ユウカは身体を隠す様子もなくそのまま着替え続けていた。


「裸なんていつもお風呂でお互い見てるじゃない」

「お父さんと一緒に入ってたのは三十年も前の話ですよ!」


 どうでも良さそうにポリポリと漬物を齧るニーナに、クリュセは叫んだ。


 その時、カンカンカン、と鐘が鳴り響く。


「あれ? もうそんな時間?」

「……いや、違う」


 首を傾げるリンに言って、私はがたりと席を立つ。


「これは、災害を知らせる鐘の音だ」


 隣をみれば、ユウカは既に剣を腰にさして準備万端だ。それどころか食事さえ片付いている。一体、いつの間に。


「行こう」


 私の方はまだ途中だけど、そんな事を言っている場合でもない。愛娘の作ってくれた食事は後で食べることにして、私たちは部屋を飛び出した。


「……火事だ!」


 外に出るなり、立ち上る黒煙に私とユウカはどちらからともなく叫んだ。


「待って、あたしも行く!」


 後ろからリンが姿を現して、バサリと両手を翼に変えた。


飛行fly!」


 その肩に掴まるようにして、私とユウカは魔術を行使する。そうすることで推進力は足されて、一人で飛ぶよりも早く空中を駆けることが出来た。


 火災は街中で起こる災害の中で、最も恐ろしいものだ。ヒイロ村の建築物は基本的にレンガでできていて火に強いが、家具もあるしまったく木材を使っていないというわけでもない。炎はあっという間に燃え広がって、多数の死傷者を出してしまう。


 ましてやそれが精霊災害となると、危険度は格段に跳ね上がる。意思を持った炎は破壊と混乱を好み、レンガだろうと石だろうと燃やしてしまうからだ。


「――まずいな」


 そして事態は、その最悪であるようだった。建物を舐めるように踊る炎が、楽しげに跳ねてはとんで遊んでいる。それは、明らかに意思を持った精霊の姿だった。


「ユウカ、リン。あの精霊は私がなんとかする。避難とフォローをお願いできる?」


 炎の精霊を確実に止める方法は、一つ。私が竜の姿になって飲み込むことだ。けれど数十メートルに及ぶ巨体を、焼けて脆くなった建物が支えられるわけもない。建物は派手に壊れて散らばり大規模な二次災害が起こるだろうが、炎の精霊を野放しにするよりはよほどマシだ。


「待って、せんせー!」


 返事を待たずに竜に変じようとする私を、リンが止めた。


「あれ!」


 その視線の先を駆けるのは、無数の黒い影だ。


「あれは……!?」


 影は炎に臆することなく建物の中に突っ込んでいくと、その脇に子どもたちを抱えて飛び出していく。それに気づいた炎の精霊が屋根から飛び降り、口から火を吹きかけた。


 だが、その炎を大きな金属塊が立ちはだかって防いだ。炎に照らされ鈍く光る金属塊から両手が伸び、両足で立ち上がって人のような姿を取ると、炎の精霊を巨大な手のひらでむんずと捕まえる。


 そしてそこに、煌めく光の風が降り注いだ。白く輝くその風が吹き抜けると、まるで落ち葉を箒で掃き清めたかのように炎があっという間に消えていく。


「ジャック・フロストちゃんー」


 そしてその輝きは寄り集まって一体の巨大な雪だるまになると、その三日月型の口を大きく開き――


「食べてー」


 鉄の人形が放り投げた炎の精霊を、ばくりと飲み込んだ。


 私たちが辿り着く頃には辺りはすっかり静まり返り、火の粉一つ見当たらない。建物も多少煤けてはいるが、崩壊するほどではなさそうだった。


「お早いお着きで」


 ふわりとソファが飛来して、イニスがからかうような口調で言う。


「せんせ、ジャックちゃん凄いでしょぉー」


 ぬいぐるみのような大きさに縮んだジャック・フロストを抱きかかえ、メルがにこにこ笑い、


「救助完了しました! 俺が見た限りでは、重傷者はいないかと思いますが、念の為病院に運んでいます」


 無数の影を従えて、折り目正しくアラがそう報告してくれる。


「……うん。ご苦労さま。急いで来たけど、私たちの出る幕はなかったね」

「いえ! これも全て、先生のご指導の賜物です!」


 では、見落としがないか確認してきますので、と言い置いてアラたちは作業に戻った。


「……びっくりしたな」


 分身を生み出す、影の魔法。

 付与魔術で動く鉄の人形。

 そして氷の精霊ジャック・フロスト。


 その一つ一つは私もよく知る技術だし、彼らが災害に備えて訓練しているのも知っていた。

 けれど――ここまで手際よく、彼らの力だけで片付けてみせるなんて。


「クリュセが大きくなるわけだ」


 ぽつりと、ユウカがそんな事を呟く。


 その顔には、複雑な表情が張り付いていた。


「多分ぼくたちじゃ、こんなに綺麗に片付けることは出来なかった」

「そうだね……」


 嬉しいような、悲しいような、寂しいような、そんな――


「そろそろこの村……いや。この国は、私の手を離れるときが来たのかも知れない」


 きっと、私が今浮かべているのと同じ、表情を。

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