第23話 帰郷/Homecoming
「絶対に、駄目!」
「ええーなんでですかー?」
即座に切り捨てるニーナに対し、クリュセは不満の声を上げた。
「なんでって……当たり前でしょう? 危険すぎるわ」
「お父さんの、お母さんに会いに行くだけですよ?」
事の次第は単純だ。
私の実家帰省にクリュセもついていきたいと言い、ニーナがそれに反対……というよりも、断固禁止している、という状況である。
「お父さん……」
「うーん」
クリュセは私に助けを求めるように視線を向けるが、私としても悩ましいところだった。
「私の母だし、大丈夫だとは、思うんだけどね……」
「ほら! お父さんはこう言ってますよ!」
「またあんたは無責任なことを……!」
試しに助け舟を出してみれば、ニーナは私に噛みつかんばかりに牙をむく。まあ彼女の反応も当然といえば当然だ。
「こいつの親って言うことは、つまり火竜なのよ。滅びの化身、破壊の権化、すべてを燃やし尽くすもの、形を持った死、この世界で最強の生き物!」
何とも仰々しい二つ名の数々だなあ、と私は他人事のように思う。けれど十分に成長した火竜が、その名に相応しい力を持っているのもまた事実だ。
「でも、お父さんも火竜なんですよね?」
クリュセの素朴な反撃に、ニーナはうっと呻いた。
「そう、だけど……こいつは特別! こんな変な火竜が、世界にそう何匹もいてたまるもんですか!」
「ニーナさんは、お父さんの他に火竜を見たことがあるんですか?」
返しの一撃に、ニーナの舌鋒は完全にその勢いを失う。
「それは……ない、けど……」
「とは言え、危険なのは本当のことだからね」
「もう! お父さんはどっちの味方なんですか!」
言葉を詰まらせるニーナをフォローすると、クリュセはぷくっと頬を膨らませた。
「別にどっちの味方ってことはないよ。事実を言ってるだけだ」
彼女をなだめて、私は母のことを思い出す。もう何百年も前に会ったきりだけど、それでも母は母だ。
「一般的な火竜がどんな性格なのかは知らないけど、うちの母はすごくのんびりした、穏やかな竜でね。人間やエルフを嫌ったりも、別にしてないだろう」
「どうしてわかるのよ。聞いたことあるの?」
ニーナに、私はいいやと首を振る。
「火竜にとって、人間やエルフなんて取るに足らない存在だからさ。刺すわけでも噛むわけでもない虫に、怒りや憎しみを抱いたりするかい?」
「……でも、見かけたら何の気なしに殺したりするかも知れないじゃない」
そう、その通りだ。
「実のところ、それが一番怖い。出会い頭に、『あら変なのがくっついてるわよ』なんて悪気もなく火を吹かれたら、クリュセなんて一瞬で黒焦げだからね」
自分の肩を持ってもらっていると思って得意げにしていたクリュセは、一気に顔をひきつらせた。
「そんな危険なら、あんたはなんでクリュセを止めないの?」
ふと気づいたように、ニーナは私の目を見る。
「逆に言えば、最初の邂逅さえなんとかなれば、そんなに危険はないと思うからだよ。例えば私が先に一人でいって事情を説明したりすれば、攻撃されることはないと思う。それに……」
私はいうべきかどうか少し悩んでから、言った。
「母に、家族を紹介したいっていう気持ちは、ある」
それを聞いて、ニーナは怒ったように目を吊り上げた。思いっきり口をへの字にして、奥歯を噛み締め、眉を寄せ、ぎゅっと目を瞑って震え、
「ううううー……」
と唸って、拳を握りしめる。そして最後に、急に脱力すると深々とため息をついた。
「……わかったわ。クリュセ、こいつについていってもいい」
わぁい、と両手をあげるクリュセに鋭く視線を向けて、ニーナはいった。
「ただし。……私も、ついていく。それが条件よ」
* * *
『まあ、まあ、まあ!』
結論から言えば。
『なんて可愛い子たちなんでしょう! まあ、まあ、私ったら、この歳でもうおばあちゃんになっちゃったのね!』
ニーナの心配は、全くの杞憂だった。
念の為に山の麓でニーナとクリュセを下ろして母の元へと向かえば、『なぜ途中でお友達を下ろしてきたの?』などと聞かれ、連れてきても攻撃しないでくださいと頼めば、『そんな事するわけ無いでしょう』と怒られさえした。
『それで、どっちがあなたの奥さんなの?』
『母上、どちらも違います。この小さい方が、私の娘のクリュセで……大きい方は、友人のニーナです』
『そうなの。小さな子たちは、竜と違って夫婦じゃなくても増えられるのねえ』
『いや、娘と言っても血の繋がりはありませんから』
相変わらずどこかとぼけた事を言う母に、思わず突っ込む。
「……ねえ、あんたのお母さん、なんて言ってるの?」
竜の姿を取る私の更に倍近くもある母にじっと見つめられ、流石のニーナも顔色が悪い。
「二人とも、とても可愛いって言ってるよ」
「……お褒めに預かりどうも」
不都合な部分は隠して通訳すると、ニーナは呻くように声を上げた。
『それで、今日は何を聞きに来たの?』
すると突然そんな話を振られ、私は驚きに目を瞬かせる。
『あなたがここに帰ってくるのは、何か聞きたいことがあるときだけじゃないの』
言われてみれば、そうかもしれない。私は直截に質問をすることにした。
『母上。魂というものは、実在するのでしょうか?』
『あら。不思議なことを聞くのね』
あまりにも突拍子もない質問だったためか、母は首を傾げた。
『実在するかどうかは、あなたが一番よく知っているのではないかしら?』
だが、違った。
『それは……どういう、意味ですか?』
『それを魂と呼ぶべきなのか、心と呼ぶべきなのか、記憶と呼ぶべきなのか、どうなのかは知らないわ。けれどあなたは……別のそれを持っているでしょう?』
母の指摘に、私は息を呑む。
『……私が前世の記憶を持っていることに、お気づきでしたか』
『そりゃあ、これでも親ですからね』
母はにっこりと微笑んで言った。
『だから私は、あなたに名前をつけなかったでしょう?』
『竜の習慣なのかと思っていました』
まさか、と母は笑う。
『生まれたばかりのあなたに私が名前をつければ、きっとあなたの元々の名前は押しつぶされてしまう。だから私は、あなたに名前をつけなかったのよ』
『ですが母上。私は、母上の名前も知らないのですが』
私がそう言うと、母はキョトンとした。
『……あら……? 言われてみれば、確かに教えたことはなかったわね』
やっぱりこの人はどうも天然なところがあるなあ。
『私の名前はレイクルセムスウェイフラルイェルドフジャルリヌ。長ったらしくて使いにくいでしょう? 他人に教えることもないから、すっかり忘れてたわ』
『……母上。それはもしかして、本当の名前なのでは』
『ええ、そうだけど?』
母はそれがどうかしたのかと言わんばかりに首を傾げる。
『本当の名前を知られると、支配されてしまうのでは?』
『そんなものは、噛み砕いてしまえばいいだけのことです』
当たり前のように、母は答えた。彼女が世界最強の生き物らしい振る舞いをするところを、初めて見た気がする。
「あ、あの!」
話が一区切りついた雰囲気を悟ったのか、不意にクリュセが声を張り上げた。
「お父さん、お祖母さんに、聞いてくれますか?」
「なあに、クリュセちゃん」
流暢な日本語で答える母に、私たちは驚く。
「お祖母さん、ヒイロ語、喋れるんですか!?」
「ええ。息子や孫が使う言葉ですもの」
なにせ滅びの化身とまで言われる存在なのだ。他の生き物と関わることなんて食事以外にはないだろうに、一体どこで覚えてきたんだろう。
「……だったらそいつとの会話もそっちで話してたら良かったんじゃないの」
「あらまあ、言われてみればそうねえ」
ぼそりと漏らされるニーナの呟きを拾い上げて、母はコロコロと笑った。
「それで、クリュセちゃん。聞きたいことって何かしら?」
「あの……わたしは……」
クリュセは首をいっぱいに伸ばして母を見上げ、自分の何十倍も大きな竜に、問うた。
「わたしは……いったい、何なんでしょうか」
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