第16話 異邦人/Stranger
「あなたが、センセイサマですか?」
「えっと、はい……そう呼ばれてますが」
褐色の女性は床に膝を突くと、呆然と立ち尽くす私に深々と頭を下げる。
「ワタシはノキア、といいます。お会いできて光栄です。よろしくお願いします」
「あ。はい、こちらこそ」
慌てて私も膝を突いて、同じように礼を返す。所謂土下座に近い体勢だが、額は床につけていない。
少し変わったイントネーション。見覚えのない礼の仕草。
「……もしかしてあなたは、他の村から来たんですか?」
「はい。ご明察です」
私が尋ねると、ノキアと名乗った女性は顔を上げてにこりと微笑んだ。
「ずーっと東の方にある、マシロって国から来たんだって」
「それって、海の向こうにある?」
ユウカの言葉に私が思い浮かべたのは、かつてリンが処刑されそうになった村。転生したアイがいたかもしれない、あの村だった。
「いえ。マシロからここまでは、陸続きです。ワタシはずっと、歩いてきました」
「今、ノキアさんから他の国の話を色々聞いてたんだよー」
「へえ、それは興味深いな」
私の知る限り、他の国からやってきた人間というのはこれが初めてだ。勿論人魚とか四足種とか蜥蜴人たちの集落からは毎日のように人が行き来しているけれど、人間となると非常に珍しい。
この辺りの人間たちは、だいたいヒイロ村に集まりきっちゃっているからだ。
「ワタシも、こんなところにこんな大きな国があるなんて知りませんでした。それも……エルフと人間が一緒に住んでるなんて」
ニーナとユウカにちらりと視線を向けて、ノキアさんは言う。人間以外を迫害していたあの村を思い出したが、その表情には特に敵意や悪意というようなものは見えなかった。
「他の国では……その。エルフは、嫌われているの?」
「えっ?」
思わず尋ねると、ノキアさんは意外そうに目を見開く。
「いえいえいえ……まさか。逆です。エルフは強く、長命で、深い叡智を持った種族です。エルフの方が、弱くてすぐ死ぬ人間と、関わり合いになりたがらないのです」
なるほど、言われてみればそれもそうかも知れない。現にヒイロ村だって、ずっと定住するエルフなんてほとんどいない。それこそ、今目の前にいる二人はその数少ない例外だ。
「あの……センセイサマ。お願いがあるのです」
ノキアさんは改まって、もう一度膝を床に突く。
「あ、あの、センセイサマは、そのままで」
「あっはい」
うちは土足厳禁だし他の国の文化にケチをつけるつもりはないので真似をすると、恐縮した様子で止められた。しかしソファに座ったまま土下座まがいの礼をされるというのも、なかなか居心地が悪い。
「その……この国を、見学する許可を、頂けませんでしょうか……?」
「あ、はい。いいですよ。好きに見ていってください」
私がそう答えると、ノキアさんは驚いた様子で目を見開いた。
「い、いいのですか……?」
「というか良いかどうか私が決めることじゃ無い気もしますね。ミセラに聞かないと……」
「剣部の方には、もうお会いしました。センセイサマが良いと仰っしゃれば、構わないと」
「ああ、それでうちに来たわけか」
ノキアさんの言葉に、相変わらず律儀だなあと苦笑する。もうとっくにこの村を動かしているのは剣部の一族なんだから、私にいちいち伺いなんて立てなくていいのに。
「何なら案内しましょうか。一応、この村では一番の古株ですし」
「よろしいのですか?」
私が申し出ると、ノキアさんは目を瞬かせる。
「ええ、勿論」
他の国との文明とどのくらいの差があるのかも気になるし。
「はいはーい! わたしも、案内お手伝いしたいです!」
するとにわかにクリュセが手を振り上げてそう主張した。
「あと、おかあさんも!」
「ニーナさんって呼べって言ってるでしょ」
ぐい、とニーナがクリュセの頭を押しやる。
そう呼ばれるのが気恥ずかしいのか、それとも未婚の母になるのが嫌なのか、ニーナは私と違って頑なにクリュセにお母さんと呼ばせないようにしていた。初めて呼ばれたときは私と同じように衝撃を受けていたから、嬉しくないわけじゃないと思うんだけど。
「明日はお仕事お休みの日ですよね。駄目ですか?」
潤んだ瞳で見つめるクリュセに、ニーナは深く溜め息をつく。
「……仕方ないわね」
「国王夫妻に案内して頂けるなんて、光栄の極みです」
ノキアさんは三度床に伏して、深く礼をする。
「国王じゃないよ」
「夫妻じゃない!」
抗議の声は、同時に響いた。
* * *
翌日。私はニーナ、クリュセ、と共にノキアを連れてヒイロ村の中を歩いていた。
普段は割りと研究にかかりっきりでこうしてゆっくり村の中を歩くこともないから、なんだか新鮮な気分だ。
「それじゃあ、ノキアが知ってる国っていうのは全部王政なのか」
「はい。センセイが一番偉い方だと伺っていたので、てっきり」
先生様などと呼ばれるのは流石にむず痒いので、ただ先生とだけ呼んでくれればいい。そう私が言うと、お互い敬称をつけるのはやめよう、という話になった。
「いや、全然そんな事無いよ。別に何かの権限を持ってるわけでもないし」
ヒイロ村も、王政と言えば王政なんだろうか?
リーダーは明らかに剣部一族だし、おおむね世襲制でもある。正直いまいちピンと来ないけど、少なくとも民主主義がまだ早いっていうのはどの国でも同じなのだろう。
「この国はどこか、のどかな感じがしていいですね」
「ああ、それは保証するよ。皆いい人ばかりだし。なあ、ニーナ」
「……まあ、そうね」
私が話を振ると、ニーナは不機嫌そうに相槌を打つ。あれ、なんでこの子、こんなに不機嫌なんだ?
「それにしても……」
ノキアは道行く馬車に視線を向けて、首を傾げる。
「この辺りにはずいぶん、変わった姿の獣が多いのですね。それに、あの首にかかった札は何でしょうか?」
馬車を引く馬たちは角のあるもの、鱗を持つもの、長い毛に覆われたものなど種々様々で、皆一様に首に数字の刻まれた札をぶら下げている。確かに見慣れないものに取っては不思議な光景だろう。
「あれは獣の姿をしているけど、本物の動物じゃなくてね。精霊……えーと、生きてる魔法なんだ」
「えっ?」
私の説明に、ノキアはパチパチと目を瞬かせた。
「後あの札はナンバープレート……っていってもわからないよね。えーと……持ち主が誰かっていうのと、精霊を扱う許可を示してるものなんだ」
精霊に贈ったブラウニー・フードは精霊の一部となってしまい、取り外すことができない。そしてブラウニー・フードをつけた精霊を呼び出せるのは、元々の召喚者だけになる。別の魔術師が同じ精霊を呼び出しても、ブラウニー・フードはついていない。
つまりいくらでも複製可能な精霊が、贈り物をされることによって個を得るのだ。
これを利用して、しっかり六つの使令が織り込まれた精霊だけを許可し、その証としてプレートをつけてもらっているのだ。まあ魔術が普及している今では、自分で勝手に精霊を作ってしまう人なんて滅多にいない。しっかり販売許可を得た魔術屋から、精霊馬の召喚魔術を買う方が簡単で安全だからだ。
「あの、いえ、精霊は……わかります、けど……えっ、これ、全部精霊なんですか?」
混乱した様子で、ノキアは周りを見回す。馬車も精霊もまだまだ高価なものだから、そうたくさん行き交っているというわけでもない。休日の交通量の多い時間帯ではあるけど、道端に停まっているのも含めてせいぜい十台というところだ。
「うん。一応鹿に引かせたりすることもあるけど……」
「あ、ですよね。普通はそうしますよね?」
どうやら、外国では鹿車の方が一般的らしい。
「いや、大角鹿はちょっと気性が荒いからあんまり向かなくて……」
昔散々試したけれど上手くいかなかったので、遅れているようでちょっと気恥ずかしい。
「エルフ薬なしで引かせるんですか!? っていうか大角鹿って、クルエルのことですか!? 体長十フィートくらいある怪物ですよね!?」
おや、ノキアたちはフィートを使ってるのか。確か一フィート三十センチくらいだったはずだから、十フィートなら三メートル。大角鹿は確かにそのくらいだから、うん、あってる。
「多分それだと思うけど、エルフ薬って?」
「あれじゃない。あんたが、ゾンビパウダーとか呼んでたあれ」
首を傾げる私にニーナが助け舟を出してくれる。
あー、そんなのもあったなあ、そういえば。エルフが使っていた、生き物の意思を奪う薬だ。
「あれは嫌いだから、使ってないんだ」
「ええ……? エルフ薬なしでどうやって獣を従わせているんですか……?」
信じられない、といいたげな様子でノキアは顔を引きつらせる。
「牧場、見に行ってみるかい?」
「はい。是非お願いします」
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