第15話 習性/Behavior

「何だよ……」


 零れ落ちる涙を手の甲で拭いながら、イニスは力なく呟く。


「イニスさん、どうして、泣いてるんですか……?」


 心配そうに眉を曇らせて、クリュセはイニスに近づく。


「クリュセ。ちょっと先にニーナのところに帰っててくれないか?」


 その頭をぽんと撫でて、私は言った。

 彼女は少し逡巡しながらも、素直に頷き窓から出て診療所へと向かう。ちょうど忙しい頃だろうからニーナにはちょっと悪いことをしたが、まあ事情を説明すれば許してくれるだろう。もうクリュセも赤ん坊じゃないんだから、そこまで仕事の邪魔になることもないだろうし。


「とりあえず、涙をお拭き」


 私がポケットからハンカチを取り出すと、イニスはそれをひったくるようにして受け取り、ゴシゴシと涙を拭った。


「ここ、座っていいかい」

「……好きにしたら」


 読書机の椅子を指さして尋ねると、イニスはハンカチで顔を覆ったままそう答える。さて、なんと切り出したものか。


「昔。君と同じような目をした子を、何人か見たことがある」

「……目?」


 イニスはハンカチを下ろすと、形を確認するように自分のまぶたにそっと指で触れた。


「苦しくて、どうしようもならなくて、けれどどうにも想いを捨てきれない、って感じの目だ」


 鋭い視線が、私を射抜く。もしそれが魔法だったら私の心臓を串刺しにしていたかもしれないと思うほどの強さで。けれど私も伊達に彼女の三十倍以上生きてはいない。それくらいで怯むほど、面の皮は薄くなかった。


「アラのことが、好きなんだろ?」


 ガシャンと音が鳴って、イニスのソファから無数の槍が飛び出した。


防護Protection


 咄嗟に放った魔術が、その切っ先を押し止める。風の魔術、第五階梯。あらゆる攻撃から身を護る、目に見えない壁の小精霊だ。まあこんなの張らなくても、イニスに本気で私を傷つけるつもりはないだろうけれど。


「……そんなに感情的になった君は初めて見たな」

「うるっさい! 何が言いたいわけ!?」


 イニスは私に枕を投げて、ベッドの上の掛け布団を引っ掴むとソファの上にうずくまるようにして隠れた。


「アラとメルは、君が考えているような仲じゃないよ」


 とりあえず、私は切り札から切った。


「……そんなわけ、ないじゃない」


 低い声を上げつつも、イニスは布団を僅かに持ち上げ、視線を向ける。


「別に今日だけじゃない。あの二人があんな風にくっついてるのは……毎日の、ことよ」


 うん、と私は頷く。私だってほとんど毎日彼らに会ってるんだから、それはよく知っている。


「あれはね。……ただの、彼らの習性だ」

「……は?」


 ぴょこん、と布団の中からイニスの顔が飛び出した。


「ヒイロ村にいる四足種ケンタウロスは少ないからね、知らないのも無理はない。半人半羊プロヴァト・ケンタウロスはくっつきたがりなんだ。元々は群れで暮らしてて、いつも互いにくっついて行動する。そして危険があると一斉に逃げ出すわけだ」


 この辺りの性質は、半人半羊は地球にいた羊にそっくりだった。


「だからメルは、すぐに人にくっつきたがる。イニスだってしょっちゅう抱きつかれてるだろ?」

「それは……まあ、そうだけど……私は女だし、先生にはくっつかないじゃない」


 半信半疑の目で、イニスは私を見る。


「それはね」


 私は遠い目をして、それに答えた。


「私の方からなるべくくっつかないでくれって頼んだんだよ。私の理性が持たないからね」

「なにそれ」


 イニスがようやく、微かに笑みを見せる。


「ちなみにこの傾向は、半人半狼リュコス・ケンタウロスも同じだ。半人半羊プロヴァト・ケンタウロス程ではないけど、密着されても気にしない程度には、彼らも群れで生活する。私の見る限り、アラもメルも、互いに恋愛感情は持ってないんじゃないかな」


 まあ、ユタカと水色が好き合ってることにまったく気づかなかった私のお墨付きなんて何の役にも立たないが、実はこの件に関してはニーナから聞いた情報だ。アラとメルならお似合いだしくっつくのかもしれないな、と零した私は、見事に彼女から「節穴」の烙印を押されてしまった。


「……そうだと、しても」


 だがイニスの表情は、再び曇る。


「わたしがアラに似合うってわけじゃないでしょ。こんなちんちくりんで……それに」

「彼は四足種で、君は人間だ。体格も寿命も何もかも違う。子供を作ることもできない」


 私がはっきりいうと、イニスは傷ついた表情を浮かべた。

 けれどそれはどうしようもない事実だ。


「そうだよ……! なんなの、トドメを刺しに来たの!?」

「まさか」


 再び涙目になるイニスに、私は首を横にふる。


「最初に言っただろ? 君と同じような目をした子を見たことがあるって」


 ハッとして、イニスは私の左手を見た。


「私は過去二度、結婚した事がある。相手はどちらも、人間だったよ」


 その薬指に嵌まった、赤く光る指輪を。


「けど……先生は、少なくとも見た目は人間じゃない」

「一人目と結婚したときは、まだ私は人間の姿を取れなかった。火竜の姿だったよ」


 私の告白に、イニスは素直な反応を漏らした。


「えっその人ヤバくない?」


 怒るぞ。


「とにかく! ……先達に言わせてもらえば、種族差、寿命差は、確かに簡単な話じゃない……けれど、けして越えられない壁でもなければ、絶対に不幸になるって話でもない。覚悟はいるけど、諦める必要はどこにもないと、私は思うよ」

「……ん……」


 戸惑うような様子で、イニスはこくりと頷く。


「性急に決める事でもない。人間同士の幸せを探すのも、それはそれで一つの道だし、男女で一緒になるばかりが幸せでもない。今度、ユウカにでも話を聞くと良いよ」


 種族違いの恋と言えば、ユタカと水色の話の方が私の例なんかよりも身近だろう。


「……わかった。ありがとう、先生」


 悩みが解決したわけではないだろうけど、それでも私が入ってきたときよりはずっといい表情で、イニスは頭を下げる。……しかし、イニスがまさかアラの事をそんな風に思っていたなんてなあ。


「あ、もう一つ、聞いていいかな」


 部屋を立ち去ろうとする私を、イニスは呼び止めた。


「なんだい? 私に答えられることなら、なんでも答えよう」


 イニスは今までで一番真剣な眼差しを私に向けて、問うた。


「アラも、やっぱりおっぱい大きい方が好きかな……?」


 知らないよそんなの。



 * * *



「ただいまぁ……」

「おかえり」

「おかえりなさい、おとうさん!」

「おかえりなさいませ」

「お兄ちゃんおかえりー」

「あ、せんせー、おかえりー」


 なんだかやたら疲れた気分で家に帰り着くと、ニーナは既に仕事を終えて帰り着いていたようだった。色とりどりの声色が、私を出迎えてくれる。


「ユウカとリンも来てるのか」


 クリュセのことが気になるのか、最近リンはあまり旅に出歩かなくなった。たまにでかけたと思っても、せいぜい数週間で帰ってくる。私としては嬉しい限りなんだけど、ユウカと一緒にうちに遊びに来る頻度があまりに高くなっているので、いっそ彼女たちの部屋を増築すべきかと検討するほどだった。


「……ん? なんか声の数が多かったような」


 靴を脱いで居間に向かう。

 そこには予想通り、ニーナとクリュセに加え、リンとユウカの姿があった。


 そして更に、もう一人。


「ええと……誰?」


 明らかに見覚えのない褐色の肌の女性に、私は首を傾げた。

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