竜歴921年

第14話 魔術/Sorcery

炎の槍Flame Spear!」


 短い呪文とともに、少女の手のひらから炎が迸る。

 放たれた炎は槍となって、丸太の幹に突き刺さった。それは鋭い切っ先を深々と潜り込ませると、柄から波のように炎熱を伝えて一気に燃え広がる。


凍える風Frozen Wind!」


 かと思えば雪混じりの風が吹いて、火は瞬く間に消え去った。吐息さえ凍りつきそうな低温の吹雪は、丸太を一瞬にして白く染め上げる。


落石Falling Rock!」


 そして降り注ぐ大岩が、焦げ付き凍りついた丸太を粉々に砕いた。


「うん。見事だね」


 その結果に、私はパチパチと手を鳴らす。


「えへへ。ありがとです、おとうさん!」


 少女――クリュセは、くるりと振り向きはにかんだ。


 今の彼女の姿は、人間にして七歳くらいだろうか。ふんわりとしたショートカットにすらりと伸びた手足は、段々と女の子らしくなってきた気がする。額の角もだいぶ大きくなって、はっきりと角だとわかるようになった。

 相変わらずその成長は不安定で、突然大きくなったりするけれど、実年齢は十六歳くらいなので平均するとやはり人間よりだいぶゆっくりとしたもののようだった。


「これでとうとう、追いつかれたわね。抜かれるのも時間の問題なんじゃない?」


 相変わらず空飛ぶソファに寝転がり、ニヤニヤしながらイニス。


 成長速度と言えば、むしろクリュセよりもイニスの方が不思議だ。

 彼女は純然たる人間であり、年齢ももう三十も近いはずなのだが、彼女の容貌は相変わらずで、若いというより幼い。低身長に童顔も相まって、十代で十分通じる外見である。

 本人に聞いたら、なるべくだらけて動かないのが若さの秘密なんだそうだが……


「くっ……否定できん」


 悔しさと嬉しさがないまぜになったような複雑な声色で、アラ。


「イニスちゃんも負けてるし、大丈夫だよー」

「わ、わたしはいいんだよ。付与魔術の方が専門だから」


 しかし悪気なくいうメルに、イニスも顔を引きつらせた。


 使令を付与した小精霊の召喚。

 それは今までの魔法の歴史を覆す、画期的な発明だった。


 呪文を必要とせず、ただの一語で発動できる、というだけではない。


 その最大の特徴は――


「メルさん、次のも勧請かんじょうしてもらっていいですか?」


 自分の作り上げたものを、他人に渡すことが出来る、ということだ。

 やり方を教え、再現させていた今までの魔法とは全く異なる使い方。


 私はこれを、既存の使い方と区別するために、魔術と呼ぶことにした。


「いいですよー。じゃあ次はー……『氷の槍Ice Spear』、いってみましょっかー」


 クリュセにせがまれ、メルはチョークで床に魔法陣を描いて、その上に手をかざす。


氷の槍Ice Spearちゃん、出ておいでー」


 そして名を呼ぶと、魔法陣の中に氷で出来た槍の姿をした小精霊が現れた。本来であれば出現と同時に前方に放たれ目標を凍てつかせるはずのそれは、空中で安定して留まる。魔法陣の中に召喚された精霊は、魔法陣から出ようとしない……いや、もっと正確に言えば、出ることが出来ないようだった。


 作った精霊を他人に渡すには、その精霊を目にしている必要がある。投げ放つような使令を与えた精霊を分け与えるのはなかなか大変だった。だがこうして魔法陣内で呼び出す方法を思いついてからは、安全かつ簡単に魔術を分け与えることが出来るようになっていた。


氷の槍Ice Spearよ、我がクリュセの名において請い願う。我と汝の名を持ちて、その力、貸し与えんことを――」


 クリュセが改まった口調で唱えると、氷の槍は光り輝きながら消え去っていく。


「……契約、出来たんですかね?」

「試してご覧」


 訝しげに己の手のひらを見つめるクリュセに、私は的となる丸太を置いて促した。


「はいっ。……氷の槍Ice Spear!」


 丸太に向かって手のひらを向け、クリュセは高々と名を唱える。しかし、そこから氷の槍が放たれることはなかった。


「うーん、氷の槍さんはまだ無理みたいですね……」

「凍える風を覚えたときもすぐ使えるようになったじゃないか。氷の槍だってすぐだよ」

「おとうさんの『すぐ』はちょっと長いんですよ。全然すぐじゃないです」


 しょんぼりするクリュセを慰めると、彼女は唇を尖らせる。


 魔術には、他人に渡せる事以外にも、いくつか有用な特徴があった。

 使令を与えられ、名をつけられた精霊は誰が呼んでも同じ効果を発揮する。

 なんと、私が使ってさえも『炎の槍』はクリュセやアラが使うのと変わらない効果を発揮するのだ。


 更にもう一つの特徴が、使える、使えないがはっきりしているということだ。

 今クリュセが氷の槍を呼ぼうとして失敗したように、実力が足りない場合は呼び出すことができない。そして呼べる呼べないの基準は、その魔法を作った時に使った魔法陣の円の大きさと属性で決定されるようだった。


 『凍える風』と『氷の槍』はどちらも水属性に分類される精霊だけど、魔法陣は『氷の槍』の方が一回り大きいものが使われている。槍という形を作り、重さと強度を持たせるのに必要な精霊の大きさというものがあるからだ。


 そして『氷の槍』が使えるのなら『凍える風』は必ず使うことが出来る。多くの生徒たちで検証してきたが、これはおそらく間違いのないことだ。


 つまりそれは言い換えれば、適性や実力を正確に測ることが出来る、ということでもあった。


 かつて私は身体測定と称して生徒たちに魔法を使わせ、その大きさで魔法の実力を測ろうとした。だが魔法というのは、その時の体調や精神状況で容易に結果がかわってしまう。それに対して、魔術は一度発動に成功したら、失敗するということはない。


 クリュセは『氷の槍』は使えないけれど、『炎の槍』は使える。これはつまり、彼女は氷よりも炎の方が得意だということだ。『氷の槍』と『炎の槍』は共に直径一メートル半の魔法陣で作られている。魔法陣の大きさは五十センチごとに区切って、便宜上これらの魔術を第三階梯と呼んでいた。


 アラが追いつかれたと言って悔しそうにしているのも、彼が使える魔術は第三階梯が限界だからだ。


 煽っているイニスは第二階梯が限界なのだけど、代わりに彼女は付与魔術(精霊魔術に合わせてそう呼ぶことにした)を巧みに使う。付与魔術が得意だと、精霊魔術は不得手な場合が多いというのも最近わかりだしてきたことだった。


 それは同時に、何が精霊魔法で、何がそうでないかがわかってきたという話でもある。例えば石の重さを重くするのは、私は土の精霊魔法であると思っていた。しかしそれは、たとえ文字を彫らずに呪文を唱えて行ったのだとしても、付与魔法の範疇であった。


 今にして思えば、かつて私のもとで学んでいた蜥蜴人リザードマンの少年、シグは付与魔法に高い適性を持っていたのだろう。彼は炎さえも形を変えて剣にしてみせる力を持っていたが、その反面、自身で炎を出すことは殆どできなかった。


 実に四百年ごしで判明した真実である。シグには申し訳ないことをした。


「よし。メル、俺にも勧請を頼む」

「はぁーい。アラくんは何がいいですかー? アラくんが使えそうな第四階梯の魔術、結構増やしたんですよー」


 魔術の目録を記した紙束を抱くようにしながら、メルはぴっとりとアラに寄り添う。なんとなく、微笑ましい光景だ。


「あれ? おとうさん」


 私がほんわかした面持ちでそれを眺めていると、不意にクリュセが私の手を引いた。


「イニスさん、どこ行くんだろ」


 クリュセの視線を追うと、ちょうど空飛ぶソファが窓から出ていくところだった。


「さては、またサボる気かな」


 イニスは非常に優秀な生徒なのだけど、このサボり癖は相変わらずだ。隙をつくのが上手いのか、ソファが音もなく空中を移動することもあって、気づけばいなくなっていることが度々あった。まあ結果はしっかり出してるし、問題ないと言えばないんだけど。


「追いかけよう!」

「あっ、ちょっと、クリュセ」


 止める間もなく、クリュセは窓から身を投げる。


飛行fly!」


 その小さな身体は目に見えない風の小精霊に包まれて、ふわりと空中を飛んだ。風の精霊魔術第三階梯、飛行の呪文だ。


「クリュセ、ちょっと待って」


 私も飛行を唱え、その後を追う。何故か、嫌な予感がしていた。


「イニスさーん、おさぼりは駄目ですよー!」


 ソファは校舎の壁を伝うようにして上階の窓へと入り込み、クリュセはその後を追って躊躇いもなく突っ込む。


 私の制止は寸前で間に合わず、仕方なくクリュセに続いて、窓から中を覗き込んだ。


「えっ……」


 そこで、私が目にしたものは。


 イニスらしい、あまり飾り気のないシンプルな部屋と。

 目を大きく見開き、驚きに凍りつくクリュセと。


 そして溢れる涙で頬を濡らした、イニスの姿だった。

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