第11話 直感/Intuition

「三歳から五歳……といったところかしら」


 クリュセの身長と体重を測って、ニーナはそう判断を下した。

 当のクリュセは椅子に座って、ニコニコしながらパンを頬張っている。昨日までミルク以外のものを口にするどころか、歯すらまともに生え揃っていなかったのに。


「成長が年齢に追いついたって言うこと?」

「追いつくどころか追い抜いた感すらあるわね」


 リンの言葉に、ニーナは頭を抱えた。ちっとも成長しないと思ったら、一晩での急成長だ。そうしたくなる気持ちもわかる。


「そっくりなお姉ちゃんがいて、すり替わったとか……?」

「この子はクリュセよ。それは、間違いない」


 ユウカの言葉に断言するニーナ。私もそれは、同感だった。


 赤ん坊から幼児に変われば、その顔立ちも随分と変化する。ぷっくりと膨らんでいた頬はすっきりとして、短かった髪は肩にかかるほどに伸びている。短くハムのように肉のついた愛らしい手足はすらりとして、すっかり女の子らしさを身に着けていた。


 別人ではないかとユウカが疑うのも無理はない。けれど、私とニーナから見れば一目瞭然だ。


 成長しても、椅子に座ってぷらぷらと揺らす足の先が。もぐもぐとパンを咀嚼して目を細めるその笑顔が。きゃっきゃとあげるその声色が。全て、愛しい我らの赤子が成長した姿なのだと教えてくれる。見間違いようなどあるはずもなかった。


「とりあえず人間じゃないことは確定したけれど……」


 ニーナがちらりと、クリュセの額に視線を向ける。そこには明らかに、角と呼ぶべき突起が出来ていた。赤ん坊の頃は肌の一部が盛り上がっていただけだったが、今は見てすぐわかるほどに尖り、触った感触も爪のような硬さがある。


「この成長が種族としての性質なのか、何らかの魔法の効果なのかは、わからないね」


 あるいは、その二つに差なんてないのかも知れないけれど。


「若返る魔法があるんだから、年を取る魔法もある……のかなあ」


 ちらりとリンを一瞥し、ユウカ。


「そんな魔法あるの?」


 リンはきょとんとしながらそう尋ねた。

 やはり、『前』のことは全く覚えてないらしい。


「……まあ、魔法というのは願いから生ずるものだからなあ」


 昨日のシチューの残りを美味しそうに食べるクリュセの笑顔を見れば、その願いが何であったかなんとなくわかるような気はした。


「クリュセ」

「ん?」


 名前を呼ぶと、クリュセは反応して私を見る。つまり彼女は、自分の名前を認識しているということだ。


「どうして、君は大きくなったの?」

「……わかんない」


 とはいえやはり、自分の境遇を説明するには幼すぎるようだった。


「いくら考えても仕方なさそうね」


 深く溜め息をついて、ニーナが両手を上げた。


「そうだね、このままどんどん成長して老いていっちゃうなら問題だけど……」


 なんとなく、そうはならない気がする。出来ることが増えることを願うとしても、老い衰えることをわざわざ願うことはないだろう。わからないことがあまりに多すぎて、憶測に憶測を重ねた考えだったけれど、それこそ憶測で不安がっても仕方ない。


「なるべく目を離さないようにするよ」

「ん。お願い」


 とりあえず落ち着いたところで四つ鐘が鳴る。名残惜しそうにするニーナからクリュセを引き剥がすようにして、診療所へと送り出す。研究室に行く準備をしているとリンとユウカもついてくると言うので、四人で歩いていくことにした。


 恐るべきことに、クリュセはもう歩けるようになっていた。これでもし日中に更に成長して、夜には大人になっていたりしたらニーナは酷いショックを受けるだろうな……



 * * *



「クリュセちゃーん」


 研究室についた途端、高らかに蹄の音が鳴り、白くふわふわとした髪の毛がなびく。


「今日もかわゆいねー」


 メルは風のようにクリュセに駆け寄ると、何の躊躇いもなくぎゅっと抱き上げた。


「ねえ、アラ。君たち四足種にとっては、クリュセの姿は昨日と大して変わりないように見えるのかな」


 私は思わず、聞きようによっては極めて失礼な質問を漏らしてしまう。


「いえ、まさか……というか、あの子は、クリュセなんですか?」

「メルがああやって言ってるってことはそうなんだろうけど、一体何がどうしてああなったの」


 困惑に満ちた声色でアラが首を振り、イニスが相変わらずだらけた様子で呟くように言う。


「それが、わからないんだ。朝起きたら大きくなってた」

「……まあ、年相応になったと言えばなったけど」


 その言葉に思わずイニスの顔を見ると、彼女は露骨にしまったと言わんばかりに表情を歪めた。


「もしかしてイニス、クリュセの成長速度が遅いの気づいてた?」

「まあ……ついでに言えばそれに先生たちが気づいてないことにまでね」


 詰め寄るように聞くと、彼女はあっさりと白状する。


「教えてくれれば良かったのに」

「面倒くさいもの」


 実に彼女らしい回答であった。


「それに、言ったところでどうにかなるわけでもないでしょ」


 まあそれは確かにそうなんだけど……


「ねえねえ、せんせ」


 そしてメルの方はと言えば、高々とクリュセを掲げるようにして言った。


「なんだかクリュセちゃん、ちょっと重くなった気がする!」

「うん、体重で言うと倍くらいになってたね」


 私達も大概だと思うけど、メルはそれに輪をかけて鈍感だ。……いや、ひと目でクリュセであると見抜いたんだから敏感なのだろうか? 正直、彼女の感覚は理解が追いつかない事が多い。


「クリュセ、おっきくなったでしょ!」

「おっきくなったー!」


 誇らしげにするクリュセを空高く掲げ、メルはその場でくるくると回る。

 楽しそうだからまあいいか。


「アラ、久々に手合わせしてあげよっか」

「はい、よろしくお願いします!」


 ユウカがアラにそう持ちかけて、二人は外に出ていく。


「面白そう、あたしも見に行くー」

「あっ! メルも見る!」


 リンがそれについていくと、メルが背中にクリュセを乗せてそれに続き、当たり前のようにふわふわと空を飛ぶソファが追いかける。結局、全員で観戦することになった。


「我は汝、汝は我、写し身なりし影法師、我が両の手に来たりて爪となれ!」


 アラの呪文と共に彼の影が蠢き、一対二振りの剣となってその手に収まる。それを、ユウカは石剣を腰に吊り下げたまま構える素振りも見せずに迎えた。


「我が影よ、伸びて貫け!」


 言葉とともに、漆黒の剣がぐにゃりとその形を変え、槍となってユウカへ伸びる。しかしそれが彼女を捉えることはなく、ほんの僅か肩の上を通り過ぎた。


「我が影よ、重く、膨れ、潰せ!」


 続くアラの呪文に、槍は更に形を変化させる。先端が大きく膨らんだそれは、まるでハンマーのようだ。それを振り下ろしながら、同時に左の剣が挟み込むように振るわれた。


 だが、やはり彼の攻撃がユウカを傷つけることはなく、破壊の嵐は空を切る。


「ねえせんせー、あれ何やってるの?」


 その光景を見て、リンは不思議そうに私に尋ねた。素人目に見ると、ほとんど微動だにしないユウカの周りでアラがただ武器を振り回しているようにしか見えないのだ。


「なんでもあれは、アラが武器を振らされてるんだってさ」


 私も全然理解できないのだが、単にアラが見当違いな方向に攻撃を放っているようにしか見えないそれは、ユウカが誘導しているんだそうだ。重心移動や視線の動き、ほんの僅かな挙動は無数のフェイントになっていて、その実ユウカ自身はほとんど動いてない。


「ふうん?」


 リンの瞳がきらりと光った。これは、なにか悪戯を思いついた時の表情だ。


「炎よ」


 リンが小さく囁くと、後ろ手にピンと伸ばしたその指先に炎が灯り、アラの動きに合わせて不意をつくようにユウカに向かって投げ放たれる。


 ――その寸前、急にユウカはリンの方を見て、ぐっと脚に力を込めた。


「あっ」


 跳んで避ける。反射的にそう判断したリンの炎は、しかし微動だにしなかったユウカから二メートルほど横を飛んでいく。なるほど、こういうことか……


「弾けて!」


 だがその炎はユウカの側を通り過ぎる瞬間、リンの呪文を受けて爆発した。といっても、そこまで大きな爆炎ではない。ユウカはそれもしっかり見切っていて、ほんの半歩下がっただけで爆発の影響を完全に免れる。


 だが、リンの狙いはそこにはなかった。真の目的は、炎でも爆発の衝撃でもなく。


「アラの影よ、大きく広がり伸びよ!」


 リンが呪文を叫ぶ。炎の光に照らし出されたアラの影が、濃く長く伸びる。それはそのまま長大な大剣となって、ユウカに振り下ろされた。


 そして次の瞬間。


「あーびっくりした」


 アラの振り下ろした大剣は、ユウカの人差し指と中指の間に挟まれて、ピタリと止められていた。真剣白刃取りどころか、指先で……


「リンちゃんって本当予想もしない事してくるね!」


 ということは彼女は直前までリンの意図に気づかなかったということで、反射神経だけで成し遂げたということである。どっちかというとその方が凄い気がするけど……


「それでも剣を抜かせられなかったかあ」


 リンもリンで不満げだった。ユウカがいつも持ち歩いている石剣は、結局腰に吊るされたままだ。


「もうちょっと呪文を短く出来れば良いのですが……」


 アラが悔しげにぼやいた。確かに、影の形を変える呪文は戦いながら使うには少し長い。彼は身体の動きを連動させてその隙を極力小さくしてはいたが、やはり理想を言えば一語で変形して欲しいところだろう。


「そういえばさ、お兄ちゃんやリンちゃんは魔法を使う時に呪文を使わないよね」


 ユウカの言葉に、私とリンは顔を見合わせた。


「これ?」


 私の手のひらの上に炎が灯り、リンの広げた両手が白い翼に変化する。

 言われてみれば、そうだな。最初のうちはリンも、ちゃんと呪文を唱えて身体を変化させていたはずだ。それがいつの間にか、呼吸するかのように瞬時に変身するようになっている。私も、最近何とかこの程度の火なら自在に出せるようになってきていた。威力関係なしに火を出すだけなら、もっと簡単なんだけど。


「そうそれ。ニーナお姉ちゃんの木を生やすやつもそうだけど、どうやってるの?」


 どう、って言われてもなあ。


「そもそも魔法を使うのに、呪文は必須ってわけでもないんだよ」

「えっ、そうなの!?」


 私がいうと、周りにいた全員が、驚きの表情を見せた。


「勿論呪文を使った方が楽に大きな効果を出せるけど……例えば」


 私はメルに向き直ると、彼女に抱きかかえられたままのクリュセの口元をトントンとつつく。


「ごはん?」


 すると彼女は目を輝かせてそう聞いた。うちの子は実に賢い。昨日アラに教えてもらった仕草の意味を、姿が変わってもきちんと覚えていた。


「と、このように言葉がなくとも伝わることはあるように、呪文がなくとも魔法は使える。呪文というのは……自分の想いを、重ね、伝える手段に過ぎない」


 それを悟ったのはずっとずっと昔のこと。けれど忘れられない……魔法の大原則。


「誰に?」

「えっ」


 氷に包まれた少女の姿を思い返していた私は、突然メルにそう尋ねられてびくりとした。


「アラくんの場合は、誰に想いを伝えてるの? イニスちゃん?」

「な、なんでそこでわたしが出てくんのよ!? 普通に考えて、影じゃないの。影の精霊」


 何故かイニスまで動揺した様子で、アラの影を指し示す。


「ええー、影は精霊じゃないでしょー」

「なんでそう思うの?」


 くすくすと笑うメルに、リンが尋ねる。


「え? なんでって、なんで?」


 するとメルは首を傾げた。この二人はマイペースで似ている部分もあるけれど、その本質は真逆だ。リンは誰もが当たり前だと思うことに疑問を持つけれど、メルは理屈も何もすっ飛ばして結論に辿り着く。


 ――そしてそれは、何故かたいてい当たっているのだ。

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