第10話 不可解な成長/Inexplicable Growth
「確かに……うちの子はちょっと育つのが遅いなとは……思ってたんだけど……」
「えっ、まさか全員気づいてなかったの!?」
リンの言葉に周りを見回すと、ニーナもユウカも沈痛な面持ちだった。
どうやら、そのまさからしい。
「ユウカ先生は? せんせーとニーナ先生は仕方ないにしても……」
仕方ない扱いされたことに、ニーナはショックを受けたように頭を抱えた。
もしかしたら私と一緒にされたことにかも知れないが。
「いや、その、ぼく、自分が小さい頃のことってよく覚えてないし……」
「それはあたしだって覚えてないけどさ」
流石に呆れたように、リンはため息をつく。
「いや、そうだね……言われてみれば、人間の赤ちゃんって、一年も経てば歩き出すんだっけ」
「その辺りは個人差もあるけど、だいたい、二年も経ったらこんなに赤ちゃんって感じではなくなるんじゃないかな」
ぷにぷにと頬をつつくリンに、クリュセはきゃっきゃと喜んで愛嬌を振りまいた。
私もかつては人間だったはずなのに、最近はその辺りの時間感覚がだいぶ失われてしまっていた。十年、二十年があまりにあっという間だ。ましてや一年、二年なんて、それこそ一月と大差ない感覚になってしまっている。
「というか、人間に限らないよ。
言われてみれば、何万年も生きるらしい竜である私だって、生まれて一年と経たずに歩けていた。成長速度と寿命はあまり関係ないのだ。
「……じゃあこの子は何だって言うの」
ぎゅっとクリュセを抱きしめ、ニーナはリンを睨みつける。
「わかんない。見た目は、人間に見えるんだけどねー」
私達は揃ってクリュセの顔を覗き込んだ。耳は尖ってないし、エラもついてない。尻尾が生えているわけでもなければ、毛や鱗に覆われてるわけでもない。
「……ん?」
最初に気づいたのは、ニーナだった。
「ねえ。ここ……尖ってない?」
それはクリュセの額の端。こめかみの上の、ちょうど髪の生え際の辺りだった。
「本当だ。言われてみれば……尖ってる、気がする」
皮膚の一部が盛り上がっていて、触ると中に骨のような硬い感触がある。
「普通はこんなところ尖ってない、よね……」
私は思わず自分の頭を触った。見れば、リンとユウカも同じような仕草をしている。よく考えたら我々の中には人間は一人もいないのだから、あまり意味のない確認だった。
「ないわ。人間にも、エルフにも人魚にも巨人にも小妖精にも、こんなところに突起はない」
医者らしく、ニーナが断言した。突起は左右に一対。何かの病気や腫れ物にしては、バランスよく出来ている。もっと大きかったら、ちょうど鬼の角のようだ。
「……あの時、小屋の周りにいた人たちに、角が生えてる人なんていたっけ?」
「いなかったと、思うけど……」
ニーナは眉間にしわを寄せる。私も彼女も記憶力は非常に良いけれど、だからといって何でもかんでも覚えているというわけではない。その時気づかなかったこと、意識にものぼらなかったことまで思い出せるわけではないのだ。
亡くなっていた人たちの顔かたちは覚えているけれど、こんな微かな膨らみのような角があったかどうかとなると、自信はなかった。
「……どうでもいいわ。この子はこの子。人間だろうがそうじゃなかろうがどうだっていい」
ひとしきり悩んだ後、ニーナはそう結論づけた。
「早死にするならともかく、歳を取らないならそっちの方が良いじゃない」
「確かに、それもそうだ」
学術的には気になるけれど、育てる上では何の問題もない。
何せ私達には、時間だけは無限に近いほどあるのだ。
「それじゃあ、ご飯にしようか。今日はシチューを作ったんだ」
「やったぁっ! もうお腹ペコペコだったんだ」
いい匂いを漂わせる鍋を魔動機から下ろすと、ユウカが歓声を上げた。
クリュセのご飯のために、山羊のミルクは大量に備蓄している。とは言え一日に飲む量はまちまちなので、余った分を煮込んで作れるクリームシチューは私の強い味方だった。今日みたいに急に人数が増えても、材料を炒めてから加えれば簡単に量を増やすことができる。
「パンでもご飯でも、お好きな方と一緒にどうぞ」
「じゃあ私はパンで」
「ぼくはお米ー!」
「あたしもご飯がいいかな」
ニーナがパンを手に取り、ユウカとリンは白米を所望する。じゃあ私はパンにしておこうかな……と考えていると、クリュセが私の脚をぺしぺしと叩いた。
「はいはい、それじゃあクリュセもご飯にしようか。ユウカ、悪いけど配膳をお願いできる?」
「はーい」
「あ、あたしも手伝うよ」
「じゃあそこの引き出しにスプーン入ってるから取ってくれる? ぼくはお皿を用意するから」
ユウカは頻繁に遊びに来ているだけあって、勝手知ったる他人の家である。彼女たちが準備をしてくれている間に私はミルクを温め、今日アラがやってくれた動作を真似てクリュセに飲ませる。
「あっ、何それ。どこで覚えてきたのそんなやり方」
「アラが教えてくれたんだよ」
そんなやり取りをしていると、クリュセが私の膝からテーブルの上のシチューに手を伸ばそうとした。
「ああ、駄目だよ。これは君にはまだ食べられない」
「うーっ」
皿を遠ざけると、クリュセは不満げに唸る。私がすかさずその口にミルクを持っていくと、ひとまず彼女はそれで引き下がってくれたようだった。
「シチューならちょっとくらい良いんじゃない?」
「駄目よ。赤ん坊には塩分が多すぎる。内臓に負担がかかるわ」
シチューをスプーンで掬い上げてみせるユウカに、ニーナがぴしゃりと言ってのける。
「せんせー、代わろっか?」
「いいのかい? 助かるよ、じゃあお願いしようかな」
コップのミルクを半分ほど飲ませた所で、早々にシチューを食べきったリンが代わってくれたので、ようやく私は食事にありつけることになった。
うん。我ながら良い出来だ。少し冷めてしまってはいるが、野菜の旨味がしっかりと染み込んでいて、ホワイトソースのもったりとした濃厚な風味が実に旨い。二羽鳥の肉もよく馴染んでいて、その存在感をしっかりと主張している。
肉もニンジンもジャガイモもタマネギも、それどころか小麦やミルクさえも地球上のそれとは別物の味や見た目が似た代用品なのだけど、案外うまくいくものだ。
「あー、美味しかった。ご飯までご馳走になっちゃってごめんね」
ユウカは申し訳なさそうにそう言うが、彼女がご飯を食べていくのはいつものことだ。
「折角だし二人共、このまま泊まっていけば?」
するとニーナがそんなことを言った。彼女も二年ぶりにリンに出会って嬉しかったのかも知れない。――もしくは、クリュセの面倒を見てくれるので楽であることに気づいたか。
「そうしてくれたらクリュセも喜ぶだろうし、私も嬉しいかな」
二人の視線を感じて私が答えると、それなら、とユウカたちは頷いたのだった。
* * *
「お風呂、準備できたよー」
浴槽に張ったお湯の温度を確かめて、私はニーナに声をかけた。
風呂のある家、というのは未だに多くない。
まず、水を用意するのが大変だ。魔法で作り出した水は、効果が切れると忽然と消えてしまう。せいぜい十数分が限界だ。まあ私は一秒たりとて無理なんだけど。だから本物の水を運ぶしかない。
ルフルを始めとした技術者たちの手によって水道はだんだんと配備されつつあるが、村の主要な部分に通っているだけで、全ての家に引くというところまではまだ達していなかった。
そして水を用意しても、それを温めるのがまた一苦労だ。魔動機で熱すればいいのだけど、人ひとりが入るのに必要な量はおよそ二百リットル。それほどの量をお湯にするにはかなりの時間がかかってしまう。そこまでして頑張って用意しても、一旦入ってしまえば湯を替えなければいけない。多少の不衛生に目をつぶって汚れをすくい水は使い回すにしても、温める手間は翌日になってしまえば同じだ。
そんなわけで、現在のヒイロ村では入浴したければ公衆浴場に赴くのが一般的である。
だが我が家は違う。浴槽を丸ごと掴んでひょいと水を汲み、ボイラーに注いで火を吹けばすぐに湯が沸く。火竜とはまったく、風呂を作るために存在しているとしか思えない生き物だ。そのお蔭で、毎日家でゆっくりと風呂に入るという贅沢が、実に簡単に味わえるのだった。
「今いく」
「え、ちょっと待って、お姉ちゃん!」
「ニーナ先生、そっちせんせーがいるよ!」
何やら騒がしいな。ひょいと浴室から居間の方を除くと、ちょうどニーナが裸になってクリュセを抱えこちらに向かってきているところだった。
「どうしたの?」
「え、いや……」
私が尋ねると、ユウカとリンは互いに顔を見合わせて、困惑したような表情を浮かべる。
「ああ。ユウカとリンとはいえ客を後にするのは申し訳ないんだけどさ。まずクリュセをお風呂入れてあげないといけないから、先に失礼するよ」
「いや、それは別にいいんだけど……」
「え、お兄ちゃん、お姉ちゃんと一緒にお風呂入るの!?」
ユウカから改めてそう言われて、私はハッとした。
「今更何言ってんのよ。九百年前からずっとそうしてるってのに」
私が何と答えるべきか迷っている間に、ニーナはあっさりとそう答える。
そう。今更だ。
最初の百年、二百年くらいは、私も恥ずかしがっていた気がする……
それがいつの間にかニーナの裸を何とも思わなくなって、今では一緒に入浴することに何の疑問も抱かなくなっていた。
「大体君たちだって昔は一緒に……」
言いかけ口をつぐむ私に、二人は首を傾げる。
違う。昔一緒にお風呂に入ったことがあるのは今から四百年前。
ユウキと、記憶を失う前のリンとの話だ。
「もしかして今って、男女で一緒にお風呂入るっていうのは……」
「普通はあんまりしないかなあ」
ユウカの言葉に、私はショックを受けた。
何という事だ。確か三百年前は、まだ公衆浴場に男湯女湯の概念なんかなかったはずだが。ずっと自宅風呂を楽しんでいるうちに、世の中はそんなことになってたなんて……
「男って言っても、こいつよ?」
ニーナは身体を隠す様子もなく言った。彼女は彼女で、私の裸なんて見慣れてしまっている。というかそもそも診療で目にするから、人の身体そのものを見慣れているんだろうけど。
「……まあ、言われてみればそれもそうか」
「よく考えたら、せんせー中身は千歳近いおじいちゃんなんだもんね」
ユウカとリンはしばらく視線を交し合った後、納得したのかそんなことを言った。
若干不本意な気もするが、軽蔑されるよりはマシか。どっちみちクリュセは抱っこしててあげないと溺れてしまうし、赤子を抱いたまま自分の身体を洗うのは難しい。ニーナと一緒に入らないわけにもいかなかった。
「だったら別にぼくらも一緒に入っちゃっていっか」
「そうだね。さっさと済ませちゃお」
そんなことを言って二人まで服を脱ぎだすのは、想定外だったけど。
* * *
「わーひろーい!」
ユウカが歓声をあげる。
あまり小さいサイズだと竜の姿での持ち運びが難しいし、大きい方が湯加減も調節しやすいので、我が家の風呂はいつも二人で入っているにしては相当大きい。ちょっとした公衆浴場くらいのサイズがあった。
だから大人四人と赤子一人がまとめて入るのも全く問題はないのだけれど……
「おいでークリュセ。ぼくが洗ってあげる」
「あっ、じゃあユウカ先生の背中はあたしが流してあげるよー」
本当に気にしていないらしく、きゃっきゃとはしゃぐ少女二人の肢体は実に目に毒であった。
自然私は顔をそらし、親の顔より見慣れた平原に視線を向ける。
「……何よ」
私の視線に気づいたニーナが心持ち身体を隠すようにしながら、私に蹴りを入れた。単にお湯で温まってるだけだろうけど、頬を赤くしながらそんな仕草をされると流石に少しドキリとするので出来ればやめて欲しい。
「……このまま大きくならないってことはないわよね」
ぽつりと、ニーナはそんな言葉を漏らした。
正直なところ、千年経っても変わらないなら諦めた方が良いと思う。水色は百歳くらいで、今のニーナよりよほど豊満だったわけだし。私は心を鬼にして、真実を告げた。
「あまり期待はしない方がいい。けど、大きさだけが全てじゃない。私は、ニーナらしくていいと思うよ」
「クリュセの話よ!」
先ほどよりも強く蹴られた。結構真剣に痛い。
「本当はね……薄々は気づいてたの。クリュセの発達が遅いって。けど気づかないふりをしてた。あの子の身体にはどこにも異常はない。元気だし、食欲もある。健康そのものだから、何の問題もないって。でも……あんな単純なことを、見落としてた」
目を伏せ、ニーナは自分の脚をぎゅっと抱きしめる。
こんなに不安そうな彼女は久々に目にするな。
「大丈夫だよ」
私は、いっそのんきと怒られそうな口調で言った。
「ゆっくりとだけど、クリュセはちゃんと成長してる。それは私達が一番よく知ってるだろう? 今日ハイハイだってできるようになったじゃないか」
「……そう、ね」
少しだけ安心したように、ニーナは笑みを見せる。
次の瞬間、盛大に水柱が立って私とニーナは頭からずぶ濡れになった。
「何いちゃいちゃしてるのー?」
ユウカが浴槽の中に飛び込んできたのだ。
「別に、いちゃいちゃなんかしてないわよ。そんなことよりあんた、子供みたいな真似はやめなさい」
ニーナはすっかりいつもの様子に戻って、顔を手のひらで拭いながらユウカを叱りつけた。
「えへへ、ごめんなさい。ねえ、リンちゃんもおいでよー、暖かくて気持ちいいよー」
ユウカは大して気にした様子もなく笑って誤魔化し、リンを手招く。
「うん。じゃあ、はい、せんせー」
リンはクリュセを私に渡すと、浴槽の縁を跨いで湯船に脚を差し入れる。かと思えば、彼女はつるりと脚を滑らせて湯の中に没した。
「ああもう、あんたまで何やってんの」
降りかかる飛沫から顔を庇いながら、ニーナが文句を言う。
だがリンは、湯の中から出てこない。
「……リン?」
はっと気づいて、私は慌ててリンを抱き上げた。
リンは、お風呂の中で溺れていた。
* * *
べちべち、と額を叩かれる感覚に、私はぼんやりと意識を覚醒させる。
何やら身体がやけに重い。どうしたんだっけ……
ああ、そうだ。風呂で溺れたリンを介抱して、ベッドに寝かせたんだった。
脚の代償に泳ぎを失うとは聞いていたけど、まさか下手をするとお風呂で溺れるほどとは思っていなかった。幸いちょっと水を飲んでしまったくらいで大事には至らず、リンも元気だったので良かったけれど。
竜の姿で休むことを前提にした我が家のベッドは、やたらと大きい。私が人の姿のままなら全員で転がったって広々と使うことができる。そのはずなんだが……
何故か私の左腕はユウカにがっちりとホールドされていて、右腕にはリンの頭が乗っている。そして胸の上では、ニーナがすうすうと寝息を立てていた。一箇所に固まり過ぎである。
火竜である私の身体は人の姿でも温かいとかで、肌寒い季節にはニーナがこうやって乗っかってくるのはよくあることだ。リンとユウカも似たような理由だろう。だが、そうとなると、私を叩いて起こしたのは一体……
ぺちぺち、と再び額を叩かれて、私は視線を上に向ける。
「おなか、ぺこぺこ」
そこにいたのは、金の髪の幼い少女。ぺたんと枕元に座ったその姿はぬいぐるみのように小さく……しかし、赤ん坊と言うには、明らかに大きく。
「ごはん、たべたいな」
「しゃ……喋ったー!?」
辿々しく声を上げるクリュセに、私は叫んだ。
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