第5話 火蜥蜴/Salamandra
「はいはい、どいてー。邪魔するよ、アラくん」
一対の無骨な篭手が宙を舞って学生たちをかきわけ、出来た道をソファがふわふわと浮きながら飛んでいく。それはどちらも、イニスの作り上げた魔動機だった。
篭手の方の名前を『透明執事』、ソファの方を『イニスちゃんの素敵な長椅子』という。命名はどちらもイニス自身である。
「何の……用だ、イニス」
ところどころ白く凍りついたアラが、牙を剥かんばかりの形相でイニスを睨む。二戦目を挑む彼は、何度か冷気の塊を被弾しながらも何とかジャックフロストの攻撃を耐え凌いでいるところだった。
「その状態からじゃもう勝ち目ないでしょ。いいから下がっといて」
イニスの『透明執事』がアラの首根っこを引っ掴み、彼の巨体を軽々と持ち上げて投げ飛ばす。
「きゃっ、もぉっ、イニスちゃん危ないよぉ!」
アラが飛んだ先にはメルがいて、彼女は小さく悲鳴を上げた。人間がそんな目に合えば大怪我しかねないところだが、同じ四足種で体格もよく、ふわふわした毛並みに包まれたメルは大したダメージはないようだった。
ジャックフロストの方もイニスを新たな勝負相手と認めたらしく、彼女に向き直る。イニスは珍しくソファの上で上半身を起こすと、何やら小さな板のようなものをぽいと投げ捨てた。
「
短い呪文に反応して、板は巨大な壁に変化し、イニスとジャックフロストの間を隔てる。
「執事ちゃん、お願い」
イニスの声に従うように、『透明執事』が左右別々に動いてジャックフロストを挟み込む。ジャックフロストはそれを迎撃しようと吹雪を放つが、小さな篭手は素早く宙を舞ってそれをかわした。
『透明執事』はその名前とは裏腹に、別に透明な何かが篭手を動かしているわけではない。それそのものに魔法が込められていてイニスの意思に従い動いているだけだが、その動きはあまりに滑らかで人間臭く、目に見えない執事の姿を誰もが幻視してしまう。ジャックフロストですらそれは同様だったようで、狙いは僅かに篭手からずれて、存在しないはずの透明な執事を狙っていた。
「
そうするうちに篭手の手のひらから小さな板が放たれて、コの字にジャックフロストの周囲三面を取り囲む。
「ほい、終わりっと。
同時に『イニスちゃんの素敵な長椅子』は彼女を乗せたまま宙返りをするようにジャックフロストの頭上を取っていて、その背後と上に蓋をするように壁が出来上がった。
「んでもって
更に唱えられた呪文の一節で壁同士は繋がり、継ぎ目なくぴったりと結合する。
その見事な手際に、辺りがしんと静まり返った。
「封印完了だよ」
「……素晴らしい」
椅子に再び寝転がり、ふあぁ、とあくびをしながら言うイニスに、私は思わず拍手した。
「ただ一語で魔法を十全に発動できる付与魔法の特性を見事に利用したやり方だ。相手の能力もよく洞察出来ている。氷雪の精霊であるジャックフロストは強烈な吹雪を作り出すが、その反面物理的な攻撃力は高くない。こうして石壁で囲まれてしまったらどうしようもない」
「ま、ざっとこんなもんよ」
相変わらずやる気も覇気もないが、それでもどこかイニスは得意そうに答える。それと同時に、ピシリと音が鳴った。
「まあ、相手が並の精霊だったら、の話だけどね」
私の言葉に答えるように、イニスの作った石壁の封印が爆発した。細かく吹き飛ぶ石の破片を、ユウカとリンが叩き落とす。
あのジャックフロストは無限に氷雪を生み出せる。壁の中を氷で埋め尽くして、吹き飛ばしたのだ。
「な、なにぃ!?」
イニスはがばりと椅子の上に起き上がって叫ぶ。こんなに機敏に動く彼女は初めて見た。
「ねえねえ、せんせ、メルも試してみていーい?」
メルが手を上げ、ぴょんぴょんと跳ねる。彼女はそういう仕草をよくするが、その度にものすごい揺れる胸元と、視線を逸らしたり逆に思いきり見つめたりする周囲を理解しているのだろうか……ちなみに私が前者でリンが後者である。
「いいよ。挑戦は大歓迎だ」
「わーい」
メルは喜び勇んで、しかしジャックフロストではなく私の方へと駆け寄ってきた。
「ええと、メル……?」
ぴったりと私にくっつく彼女は、ちゃんと趣旨を理解しているんだろうか、と不安になる。
「火よ。赤きもの、燃え盛るもの、熱きものよ、汝に名と形を与えよー」
だが、彼女はちゃんと理解していた。しかも恐らく、この場の誰よりも。
「炎のトカゲ、サラマンダーよ。我が前に姿を現して……」
「ちょ、待っ……」
ぐい、と何かを引き出される感覚。私が止めるよりも早くメルはそれを引っ張り出して――
「食べちゃえ!」
出てきたのは、中庭を埋め尽くすほどに巨大な火蜥蜴だ。それは大きなあぎとを開くと、小さな雪だるまを一口で丸呑みにしてしまった。
……なるほど。精霊には人は勝てない。ならば精霊をぶつければいい。
それも、一つの答えではある。
精霊の暴走を解決するために呼び出した精霊が、更に暴走して収集がつかなくなる可能性に目をつぶれば、だけど。
火の精霊サラマンダーを呼んでみようと考えることは、私の長い人生……いや、竜生の中で何度かあったが、その度に思いとどまってきた。絶対ロクな事にならない事はわかりきっていたからだ。
そしてその思いは今日、更に強いものとなった。メルが私の中から引き出したほんの一端でこの大きさなのだ。私自身が本気で呼び出したりしたらどうなるか、考えるだに恐ろしい。
「……とりあえずメル、この子消してくれる?」
「うん。ありがとうねサラマンダー、もう……」
「待ってくれ!」
精霊に呼びかけるメルを、止める声があった。アラだ。
「先生……俺に、もう一度だけ、チャンスを下さい!」
私は思わず、ユウカと顔を見合わせた。
「この、火蜥蜴を倒すことができれば……! 俺も、先生の研究室に入れて頂けませんか!」
えっ、それは流石に無茶じゃない?
改めて、私は火蜥蜴に目をやった。子供くらいのサイズだったジャックフロストに比べて、目の前の火蜥蜴はあまりにも大きい。しかも齢経たジャックフロストはちゃんと手加減してくれてたけど、この火蜥蜴は生まれたばかりだ。とてもそんな小器用なことできるとは思えなかった。
ユウカも困ったような表情で、必死に何かを訴えかけるように私を見ている。
多分このアイコンタクトは、そういうことなんだろう……
子供の頃から二百余年、付き合ってきた勘を信じる事にした。
「……わかった。君の決意がそこまで固いのなら、仕方ない」
私は溜め息をつき、言った。
「戦えば、無事では済まないかもしれない。それでも君は挑むのか?」
「はい!」
一切の迷いなくアラは返事をする。同時にユウカの表情が驚きに歪むのが見えた。
「アラの他に、この火蜥蜴に挑むものはいるか?」
周りを見回して問うが、誰も手を挙げるものはいなかった。
「よろしい。……火蜥蜴よ、我が吐息、腹からいでし眷属、サラマンドラよ!」
私の再命名に反応して、火蜥蜴の背中が割れた。そこから広がるのは一対の翼だ。
その後ろ足は大きく太く膨れ上がって、首は長く伸び、後頭部からはメキメキと音を立てながら角が伸びる。曖昧だった輪郭ははっきりとした境界を持ち……
それは、まるきり竜としての私の似姿だった。
やばい。引き出したのはメルだから制御を奪うだけなら大丈夫かと思ったのに、ここまでパワーアップするのか。
「我は汝、汝は我、写し身なりし影法師、我が身につどいて力となれ!」
生徒たちが悲鳴を上げて逃げ惑う中、アラは片腕を掲げながら叫んだ。サラマンドラに照らし出された影が膨れ上がり、アラの身体を包み込んで一揃いの武具となる。
「我が影よ、伸びよ!」
アラの振るう漆黒の槍はぐんと伸びて、サラマンドラの口蓋に突き刺さった。しかし、形を持たない炎に刺突は何の意味も持たない。そのままずるりと身体をずらすと、前足をアラに向かって思い切り振り下ろした。
アラは素早くそれをかわすが、衝撃で炎が四方八方に飛び散って辺りを焦がす。無茶苦茶な攻撃だ。
「
だがその炎を展開した石壁が防ぎ、アラの身体を『透明執事』が担ぎ上げる。
「無茶しすぎでしょ!」
空飛ぶソファに乗りながら、イニスが文句を言った。
「ジャックフロストさん、おねがーい」
精霊は消されても死ぬわけじゃない。メルが再びジャックフロストを呼び出して、サラマンドラを牽制する。これはちょっと想定外の展開だ。
「やめろ! これは俺の勝負だ!」
「死んだらなんにもならないでしょ」
イニスは呆れ顔で、アラをソファの背もたれの辺りにひょいと乗せる。
「とは言え、あーやだやだ面倒くさいなあもう。メルー、なんとかなりそうー?」
「無理かもぉ……」
メルの操るジャックフロストは必死に吹雪を吐いていたが、燃え盛るサラマンドラには文字通り焼け石に水といったところだった。
それどころか放出される熱気で雪だるまの精霊はどろりと溶け、次いでイニスが張った石壁もまたサラマンドラの前足で融解しながら潰された。
「あ、死んだわ、これ」
「逃げろっ!」
サラマンドラがその舌を伸ばし、宙を舞うソファに向かって振るう。イニスがいやに冷静に呟いて、アラは彼女を庇うように両腕を広げソファの上に四肢を踏ん張った。
……頃合いかな。
「ユウカ」
「はーいっ!」
私が名前を口にするかどうかと言った所で、傍らのユウカが飛び出して剣を振るった。物理攻撃が一切通じないはずの炎の竜はその一撃に真っ二つに切り裂かれ、消滅する。
……あれができるってことは、本物の火とか、川の流れとかも斬れるってことだよなあ。一体何をどうやったらそんな事ができるのか、さっぱりわからない。ともあれ、もう一仕事だ。
「アラ」
突然の横槍で消えた精霊に呆然とするアラに、私はゆっくりと話しかけた。
「君は、勝つことが出来なかった」
「……はい」
彼は熱で焼け焦げ縮れた毛並みで膝を突き、項垂れる。
「イニス、メルもだ。ここにいるものでさっきの精霊に勝てるのは、ユウカくらいのものだろう」
リンはどうだろうな。なんか私には思いもつかない方法でなんとかしそうな気もするが、まあ置いておくとしよう。
「だが勝てないと悟っても君たちは最後まで逃げることなく戦い続けた。小手先の技なんかよりその勇気こそ、精霊と対峙する際に必要になる、得難い資質だ」
ハッとした表情で、アラは私を見上げる。
「アラ。イニス。メル。君たちはそれを持っている。実際に精霊と戦う方法と……後は、引き際の見極め。それを、私の下で学びなさい」
「────はいっ!」
感極まった様子で、アラは深く頭を垂れた。
……これで、何とかそれっぽくまとまっただろうか。
正直そんなにやる気があるんならあんまり断る理由もないのだけど、かといって簡単に許可しても他の学生たちにも示しがつかないし。そろそろユウカに始末を頼もうかと思ったタイミングでイニスとメルが助けに入った時はどうしようかと思ったけど、何とかなったようだ。
「……あれっ、わたしも入れられてる!? あんな大変な事に!?」
今更気づいたイニスが騒ぎ出したが、私は聞こえないふりをした。
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