竜歴905年

第6話 六つの使令/Six Orders

「それじゃあ、いきますねぇー」


 相変わらず間延びした緊張感のない声で、メルは短い杖を振りかざす。


「出てきて、ナック」


 彼女が名前を呼ぶと、まるで炎が立ち上るようにして赤い毛並みをした一つ目の馬が現れた。

 私がナック・ラヴィと名付けたその精霊の馬は、土と風、そして炎を混ぜ合わせて作られた精霊なのだそうだ。毛並みが赤いのは炎が混じっているせいで、なぜそんな事をしたのか製作者に尋ねた所、『炎が入っている方が早く走りそうだったから』とのことであった。


 確かにそれは事実ではあるが、その分気性が荒くて暴走しやすい。ゆっくり歩いたりじっとしているのが苦手で、そういう命令をすると走り出してしまうのだ。


取ってtake


 メルが杖で床に落ちた木片を指し示す。

 ナック・ラヴィはそこまで歩いていって木片を咥えて、メルに渡した。


ついてきてfollow me


 メルが言って歩くと、ナック・ラヴィはまるで鴨の雛のようにその後ろをついていく。メルが速度を上げれば早く、緩めれば遅く。


ここで待ってstay here


 歩きながらそう命じると、ナック・ラヴィはついていくのをやめてピタリと止まった。


おいでcome on


 少し離れてメルが言った途端、ナック・ラヴィは弾けるように彼女に向かって駆け出して……


止まってstop


 足を振り上げた姿勢のまま、空中でピタリと制止した。


立ち去れgo away


 そして最後の命令に従い、ナック・ラヴィは旋風となって空気に溶けるように消え去る。


「うん。完璧だ」

「やったぁー」


 私が頷くと、メルは両手を上げてぴょんぴょんと飛び跳ね喜びを表現する。

 精霊の研究を本格的に始めて五年。彼女のこういう仕草にもだいぶ慣れてきた。


 これでようやく、ひとまず形になったかな。


 精霊の免許制度を作るに当たって、一番の問題点が『何を基準にするか』だった。私が思い浮かべていたのは前世での自動車だ。自動運転が当たり前になっていた時代にはもう廃れていたけれど、私が子供の頃は運転者が講習を受け、自動車を運転する為の知識と技術を持っていると認定される必要があった。


 けれど精霊馬を操るための細かいルールや標識なんかを作るのは、流石に時期尚早だ。そんなものをいきなり作っても管理する側だって把握しきれないし、そもそも精霊は馬だけじゃない。色んな分野で使われている。


 なるべくシンプルな基準を、と思って作り出したのが、先の六つのオーダーだ。

 提示、追従、待機、招集、停止、そして退去。どんな精霊にも普遍的に利用できるであろう、六つの命令。これを精霊に覚え込ませることができれば免許を与える、という事にした。


 命令を英語にしたのは犬の躾と同じ理由。日常会話と混同してしまわないようにするためだ。


「よくあのナックをそこまで手懐けたね」


 ナック・ラヴィの気性は非常に荒い。私が呼び出しても、あんな風に操ることは不可能だ。

 一応、命令する度に名前を呼べば、いうことを聞かせることはできる。

 けれどそれは魔法を用いて無理矢理に従わせているだけだ。そんな命じ方をすればナック・ラヴィはますます不満をためて、暴走しやすくなってしまうのだ。


 精霊にも、感情はある。


 粉々に切り裂いても食べて消してしまっても何度でも呼び出せる彼らに命があるのかどうかはわからないし、生き物かどうかは大いに議論の余地がある。


 けれど、心を持っているのはどうやら確かなことのようだった。


「えへへぇ。ありがとうございますぅ」


 私の褒め言葉にメルはぎゅっと腕を胸に寄せるような仕草をしながらはにかむ。

 この素直な気性がいいのだろうか。彼女はどうやら、精霊に愛された存在であるらしかった。


 精霊を呼び出す魔法というのは、とにかく精霊との相性が重要になる。

 火の精霊とは仲が良すぎて困るくらいでも、水の精霊には交渉もさせてもらえない、というような事もざらにある。


 けれどメルの事を嫌う精霊というのは見たことがない。どんな精霊を呼び出しても、彼女は普通以上に慣れ親しみ、上手く協力を取り付けていた。


「……まさか、な」


 私はこの世界で初めて精霊を作り出した女性とメルとの共通点を思わず見つめてしまい、その馬鹿げた考えを振り払った。流石に、そんな基準ではないはずだ……多分。


「ナック、おいでー」


 私の視線に気づいているのかいないんだか、メルは再びナック・ラヴィを呼び出して、その鼻面を己の胸に押し当てるようにしてぎゅっと抱きしめる。


「やったねぇ、ナック。完璧だってー」


 喜びの声をあげるメルに、ナックは嬉しそうにぶるんと鼻を鳴らした。


「ご褒美に、いいものをあげますねえ」


 言ってメルは自分の胸の谷間に手を突っ込むと、その中から小さなメダルを取り出した。


「……なんてところに入れてるんだ」

「ここ、色々物が入って便利なんですよお」


 この世にはポケットという偉大な発明があることを、彼女はどうやら知らないようだった。メルはメダルの紐をナック・ラヴィの首にかけてやる。


「うんうん、よく似合いますねー」


 そして嬉しそうに頷いて。


「それじゃあ、また遊んでくださいね。立ち去れgo away


 何の気なしに、退去命令を出した。


「な……!?」


 目の前で起こった事象に、私は目を見開く。


「先生、どうしましたぁ?」


 私が何に驚いているのかわからなかったのだろう。メルは首を傾げた。


「メダルが、消えた……」


 メルがナック・ラヴィにかけてやったメダル。何で出来ているかはわからないが、多分鉄か何かだろう。雑貨屋で見た覚えがある。紐だって、多分メルが自分で通したものだ。つまりどちらもごくごく普通のありふれた物体であって、精霊ではない。


 だからナック・ラヴィが姿を消せばそのままメダルだけは地面に落ちるだろう、というのが私が無意識に想像していた事象だ。だが現実に起こったのは。


 ナック・ラヴィと共に、その首にかけたメダルが消えたという出来事だった。


「ナック!」


 私は慌てて精霊馬を呼び出し直す。そうして現れた一つ目の馬は、しかしメダルを首にかけていなかった。


「ない……さっきのメダルはどこにいったんだ?」

「それはそうですよー」


 困惑する私に、メルはのんびりと言った。


「メダルをあげたのは、メルのナックなんですからー。ほら、ね?」


 当たり前のように彼女はナック・ラヴィを呼び出す。メダルをその首にかけたナックを。


 私が呼び出したナック・ラヴィの隣に、だ。


「……どういう、ことなんだ……」


 メダルをかけたナックとかけていないナック。

 二頭の精霊馬を前に、私は頭を抱える。

 どうやら精霊について研究することは、まだまだ尽きないらしかった。


「ちょっと邪魔するよー。黙っててね」


 私が悩んでいると、不意に視線を遮るようにすいと空中をソファが横切った。イニスが乗ったそれは部屋の片隅に着地すると、ガチャガチャと音を立てて展開し、数秒後には大きな机へとその姿を変えていた。もちろんイニスの姿はその内部に取り込まれて、外からは窺い知ることが出来ない。


「……どうなってるんだろう、これ」

「ねー」


 魔動機を幾つか組み合わせ、ソファを変形させて机に偽装していることはわかる。しかし具体的にどんな手段を用いているのかまでは見当もつかなかった。


 ……こちらもずいぶん、研究が進歩してはいるようだ。


 メルが精霊に愛された子であるのなら、イニスは紛れもない天才である。

 その付与魔法の発想、技術は他者の追随を許さない。


「先生! イニスはこちらにきませんでしたか!?」


 その熱意の全てが、仕事をサボり楽をする事に対して費やされていなければ、だ。


「あー……いや、見てないけど」


 庇うか、本当の事を告げるか。少し悩んで、私はそう答える。


「う、うん。イニスちゃんなんて、来てないヨ?」


 裏返った声で、机にチラチラと視線を向けながらもメルは答えた。嘘が下手すぎる。


「そうか……今日も逃げ切られてしまった」


 アラは深く溜め息をつきながら、その場に座り込んだ。

 え、今のを信じるのか……


「なぜイニスはあれ程才に溢れていながら、真面目に修練を積まないのでしょうか……」


 呟くアラの声は、悲しさとも悔しさともつかない、複雑な色が滲んでいた。


 彼は決して劣等生ではない。むしろ生徒たちの中では優秀と言って差し支えないだろう。人並み以上に魔法は使えるし、その恵まれた体躯から放たれる槍は驚異的だ。


 しかしそれでも、精霊には未だ勝てていなかった。


 メルほどの圧倒的な魔力も、イニスほどの柔軟な発想も、ユウカほどの絶対的な武技もなく、精霊に抗するのは難しい。なまじ優秀であるからこそ、その差が身に沁みるのだろう。


 それでも二百年以上に渡って剣を鍛え続けてきたユウカや、素直で真面目なメルなら諦めもつくだろうが、怠惰の魔女などとあだ名をつけられてしまうほどに自堕落なイニスに反感を覚えるのは仕方のないことのように思えた。


「違うよお」


 だがしかし、メルはそれに異を唱える。


「イニスちゃんは、いっつも真面目だよ」

「……そう、なのか?」


 訝しげなアラに、メルは自信満々に頷いた。


「いっつも真面目に、全力で、怠けてるんだよー」


 アラははっとした表情を浮かべ、次に首を傾げ、真剣に考え込み……


「――いや、それは、余計に駄目なんじゃないか?」


 そして、その結論に至った。


「あれー?」


 言われてようやく気づいたのか、メルも首を傾げる。


「まあ、歩くペースは人それぞれだ。アラ、君の努力はけして無駄じゃない。イニスの事を気にすることはないよ」

「ああ、いえ……」


 アラは首を横に振った。


「それは承知しています。俺にはメルと同じことは二足で歩いたって出来ません。けれどイニスの戦い方は非常に参考になる。ですから、模擬戦をお願いしようと思って探していたのですが」


 その答えに、私は彼を見くびっていた事を知る。


「それにイニスもあれが限界じゃない。もっともっと強くなれるはずです。そうすれば先生の力になれるし、村の皆だって守れる」


 彼の視野は、思っていたよりもずっと広いものだった。


「イニスはそこだよ」


 感激した私は、イニスを売り渡すことにした。


「なんでバラすの!?」


 すぐさま机はソファの姿に戻り飛び出すが、アラの動きの方が早かった。


「やはりここにいたか! さあ、協力してもらうぞ!」

「メルも手伝うよー」

「いやぁー! 先生、止めてよ! こいつら五竜刻ぶっ続けで訓練とか平気でするのよ!?」


 四足種は元々人間やエルフに比べスタミナに優れている。特にアラの持久力はほとんど底なしで、長距離走ならユウカにだって勝てるくらいだ。ましてや普段から自堕落な暮らしをしているイニスとは比べるのもおこがましいくらいだろう。


 それがわかっていたから隠れるイニスを庇ったわけだが、アラの言葉を聞いて気が変わった。イニスはもう少し苦労してもバチは当たらないと思う。


『せんせぇ!』


 ぶるりとポケットにしまいこんだ鱗が震えたのは、ソファごとイニスが引きずられて部屋を出ていくその寸前のことだった。鳴り響くのは、切羽詰まったルフルの声。


『助けて……ティアが死んじゃう!』

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