第3話 悪意/Malice

 ヒイロ村にも、一応法律はある。

 それは地球上の歴史に照らしてみれば、随分遅く、未発達なものだと言わざるを得ないだろうが。


 確か地球で最も古い法律は、メソポタミア文明のものだったか。紀元前二十世紀とかその辺りに成立したものだったはずだ。


 それに対してヒイロ村で明確に法律と呼んでいいものが出来たのは、確か今から二百年ほど前のこと。竜歴でいうと七百年くらいの話だ。


 ルフルがヒイロ大街道を作り上げ、他種族たちとの交流が活発になった頃。互いの慣習や文化の差から、いろいろと問題が起こった。それで、互いになるべく快適に過ごせるようにと取り決めたのが始まりだった。


 といっても、ただのオカルトオタクである私には、法律なんてわかるはずもなく。


「免許、ですか……」


 私からの提案を受け、三十三代剣部筆頭、ミセラは思案するように己の顎を撫でた。


 法を考え形にしたのも、その運用を行ってきたのも、そして法を犯した人間を裁いてきたのも、全て剣部の人間だ。三権分立などという考え方は程遠い、独裁と呼ぶしかない政治形態だったが、それで上手く行っているうちは問題ないだろう、たぶん。


「そう。精霊をきちんと扱える人に証を発行して、その証を持たずに精霊を勝手に作ることを禁じるんだ」

「それは構いませんが……」


 ミセラは少し困ったような表情を浮かべた。


「免許を与えてよいかどうか、誰が判断するのでしょうか?」

「その方法と機構は、これから作ろうと思う。急に、今から今まで普通に使ってた精霊を使うと罰します、って言っても皆困っちゃうだろう? 事前に十分に周知する必要があるし、だからミセラに最初に話に来たんだ」

「なるほど……」


 ミセラは納得したように頷きながらも、何やら難しい顔をする。


「先生。法というのは罰と対になっているものです。ただ、してはならないと決まっているだけの法にあまり効力はありません」

「うん。その辺りの細かい量刑なんかは、君たちに任せた方が良いかなと思ってるんだけど……」

「はい、いえ。そこはお任せいただいて良いとは思いますが……」


 そしてそこで言葉を切って、彼女は押し黙った。


「ミセラ?」

「つかぬ事をお尋ねしますが、その法の施行はいつ頃からになりますでしょうか」


 何か変なことでも言っただろうか、と名前を呼ぶと、ミセラは真剣な顔つきで私に問う。


「ええと、皆に告知するのも含めて十年以内くらいかなあとは思ってるけど……」


 正直あまり時期については考えていなかったので適当に答えると、彼女は少しホッとしたような表情を見せた。


「承知しました。我が身命に賭しまして、対応させて頂きます」


 かと思えばキリリと顔を引き締め居住まいを正して、そう宣言した。


「いや、普通にやってくれれば良いんだけどね」

「先生はいつも難しいことを仰いますね」


 そんなに重く受け止めることはないんだけど、と思って言えば苦笑されてしまった。まあ村の運営に関わることだからいい加減にされても困るのだけど、肩の力を抜けというのはそんなに難しいことだろうか……?



 * * *



「お疲れ様、お兄ちゃん」


 剣部本家の邸宅を後にすると、頭上から聞き慣れた声が聞こえてくる。

 思わず見上げると、木の上からひらりと女の子が降ってきた。


「あれ、ユウカ、珍しいねこんなところで」


 ユウカは剣部にとって、特殊な存在だ。基本的に彼らは直系というか、筆頭以外は剣部の姓を名乗りたがらない。ファミリーネームと言うよりは襲名制度に近い扱いだ。まあヒイロ村の人々は基本的に苗字を持ってないので、そんな感じになってるのかも知れない。


 その中で剣部を名乗り、数世代に渡って生き続けるハーフエルフのユウカは、しかし筆頭になることも出来ずに、なんとなく浮いているようなところがある。別に無視されたり排斥されたりしてるわけじゃないんだけど、ユウカ自身も気を使ってかあまり本邸の方に近づかないようにしているみたいだった。


「うん。お兄ちゃんがミセラに相談しに行くって言うから、一応言っとこうと思って」

「何を?」


 首をかしげる私に、ユウカはずいと顔を近づける。触れ合いそうなその距離に、私は思わずドキリとした。


「……あの子達では、精霊には勝てない」


 けれど小さく囁かれたその声に、私は息を呑んで彼女の目を見つめた。


「え、どうして?」


 他ならぬユウカが言うのだ、それは間違いのないことなのだろう。けれど理解できずに、私は思わず聞き返した。


「やっぱり……」


 すると彼女は額を押さえて深く溜め息をつく。


「あのね、お兄ちゃん。人間って基本的に、精霊には勝てないんだよ」


 そして物分りの悪い子供に言い聞かせるような口調で私に言った。


「精霊には実体がないから、切っても突いても潰してもすぐに元に戻るし、燃やしたり凍らせたりしたって無駄なの」

「それは知ってるけど……名前を付け直すか、食べてしまえば消すことは出来るよ」

「そんなこと出来るのお兄ちゃんだけだよ!」


 挙句の果てには、怒られてしまった。


「でも、ユウカなら切れるんだろ?」


 あの時ユウカは、精霊馬を切ろうとしていた。馬車の中に子供がいたから止めたけれど、そうしなければ切り捨てていたはずだ。


「……まあ、切れるけど……」


 案の定、彼女は少し気まずそうにそう答えた。ほら、やっぱり。


「あのねお兄ちゃん、ぼくはもう二百年以上も剣を振ってて、剣聖とか呼ばれたりしてるの。そんなのと比べちゃいくらなんでもミセラたちだって可哀想でしょ」


 ユウカは再び声を潜める。そんな風に呼ばれてたのか、ユウカ。


「お兄ちゃんは基準がおかしいんだよ。今この村で、精霊を力づくでなんとか出来るような人はぼくとお兄ちゃん……後はせいぜい、ニーナお姉ちゃんくらいだと思う」

「ティアやルフルは無理なの?」


 私は驚いて目を見開いた。

 ティアは、魔法での戦いがこの村で一番上手い魔法使いだろう。姿を消して高速移動しながら放たれる魔法の矢は防ぐこともかわすことも困難で、こちらから攻撃を当てることに至ってはほとんど不可能に近い。


 ルフルは逆に、その肉体の頑強さが他の追随を許さない。生半可な攻撃は彼女にかすり傷すらつけることが出来ず、逆にあの巨体で振るわれる大槌は全ての生き物にとって致死の一撃だ。


「無理。精霊は意思を持った魔法そのものだから、魔法で姿を消しても無意味なの。そして精霊の攻撃はティアちゃんが放つ魔法よりも早くて強いし、殴っても潰しても死なない。あの二人じゃ、どうやったって勝てないんだよ」

「そう聞くと、まるで無敵だな、精霊は」


 そういえば私が初めて目にした精霊……ジャックフロストには、散々手こずったものだった。言い換えれば、精霊というのは幼体といえど火竜ですら手を焼くほどの力を秘めているのだ。そう考えると、人間には勝てないと言うのも無理はないのかも知れない。


「まるで、じゃなくて実際ほとんど無敵なんだよ。お兄ちゃんは普通に精霊に名前をつけ直すけど、あんなの普通出来ないんだからね」

「……そんなものなの? 私もネーミングセンスなんて無いけどな……」


 なんとなく前世の知識にある妖精や怪物の名前でイメージの近いものをつけているだけだ。私なんかよりよほど巧みに名前をつける人なんて幾らでもいそうなものだけど。


「センスの問題じゃないよ……お兄ちゃんが、明日からダルガって名乗れって言われたらそれに素直に従う?」

「また随分懐かしい名前が出てきたな……なるほど、ダルガの事は好きだし名前も悪くないと思うけど、そう名乗れって言われるとちょっと受け入れられないね」

「でしょ。それを無理やり受け入れさせるような事ができるのは、お兄ちゃんとお姉ちゃんくらいだよ」


 苦笑する私に、ようやくわかったかとばかりにユウカは頷く。


「それだって、暴走してる……言い換えれば、不安定な精霊を相手にしての事。悪意を持って作られたわけじゃない」

「……悪意?」


 私には一瞬、ユウカが何を言っているのかよくわからなかった。


「勝手に精霊を作ることを違法とするなら、それを咎められた人はその精霊をけしかけてくるかも知れないでしょ。だからそれを取り締まる側は、精霊を倒せなければいけないの」


 そこまで説明されてようやく、私はそれを理解した。


 私はどうも、この村にも悪人はいる、という事をすぐに忘れてしまう。村人皆を我が子のように思っているからなのだろう。けれど事実として、法を守らず、他人に迷惑をかける事を厭わない者はいる。


 もしそんな人間が、本気で他人を害しようと思って精霊を作り出したら。確かにそれは、恐ろしい驚異になりうるだろう。そんなこと、考えても見なかった。


 それをたった十年で何とかすると約束したのだから、ミセラの悲壮な決意に私はやっと納得がいったのだった。


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