第2話 名付け/Contract
「ごめんね、せんせー……」
いつになく殊勝な顔で、リンは私に謝罪する。
彼女の水弾を受けて倒れてしまった私は、そのまま診療所に担ぎ込まれ、ニーナの治療を受けていた。正直大した怪我も負ってはいないと思うのだが、大事を取ってということらしい。
「いや、気にしないでくれ」
「まだ動かないで」
ベッドに横たわった状態で上半身をあげようとすると、ニーナが殊更に鋭い口調で私を制した。実際にはまだ動こうとする挙動にも入っていなかったというのに、彼女は心を読む魔法でも開発したんだろうか。
「まあ、あのくらい避けないお兄ちゃん側にも問題はあるよね」
「……あんたはまだ反省が足りないみたいね」
その刺すような視線が、私から軽口を叩くユウカへと移った。ノックもなしにいきなり診療所の扉を開けた事は、先程までみっちり絞られていたのだ。
「ええっ、なんで!? お姉ちゃんだって前、お母さんには似たようなこと言ってたじゃない!」
「何のことよ」
その視線から逃げるように首をすくませるユウカに、ニーナは怪訝そうに聞いた。その話には、私も覚えがある。
「ああ、大学を開設してすぐの頃じゃないかな。ユタカが飛ばした木簡が水色に当たった時の話だ。確かに、ニーナは避けない水色が悪いって言ってた」
懐かしいな。何年前の話だろう。もう二百年以上は前だ。
「……守りの司だった水色とこいつでは話が違うでしょ。こいつは特別鈍いんだから」
酷い。が、まったく否定できなかったため、ニーナの辛辣な評価に私は口を噤んだ。
……あれ? でもあの頃はまだユウカは生まれてなかったような。
「ねえ、ニーナ先生、そろそろいいんじゃない?」
「……そうね」
退屈そうな口調のティアに、ニーナは私をちらりと一瞥する。
「まあいいわ。あんまり無茶なことはしないで」
「勿論だよ」
ただでさえ、私は危険な事は大の苦手なんだ。
自信満々に頷いてみせると、ニーナは何故か深々とため息を吐いたのだった。
* * *
「あれっ、ここにあったお菓子屋さん、なくなっちゃったの? 美味しかったのに」
「キドさんのお店なら、大通りの方に移転したよ」
「へぇ……あっ、あれなに!?」
「あれはねー……」
リンとユウカがはしゃぎながら、町中を物色する。可愛い二人の女の子に挟まれながら、しかし私はなんだか妙に居た堪れない気持ちになっていた。
「あっ! せんせー、ちょっと見て! あれなにやってるの?」
ぐいとリンに手を引っ張られては大道芸に興じて。
「ねえねえお兄ちゃん、これ、ぼくに似合うかな?」
ユウカがぎゅっと私の腕を抱きしめるようにして、露店に並んだアクセサリーを付けてみせる。
そしてそんな光景を、周囲は温かい目で見守ってくれていた。ティアとルフルまで、普段よりも更にちょっとだけ距離をとって、たまに私の耳でも聞き取れないくらいの声で囁きあってはくすくすと笑みを漏らしている。
何せ私たちは有名人である。ヒイロ村もだいぶ大きくはなったけれど、村人の殆どは私の顔を知っているし、私もまた彼らのことを知っている。家族のようなものだ。
そんな彼らから、今の私はどう見えていることだろうか。視線的には、親戚の子供達にじゃれつかれる休日のおじさん、みたいなイメージのような気はするのだけれど……
私個人の視点からすると、そんな状況じゃなかった。
「ねっ、お兄ちゃん。どうかな?」
「あ、ああ……ええと、ユウカには別の色の方が似合うんじゃないかな」
赤い髪飾りを頭の側で掲げ持つユウカに、私はどきりとする。それはかつてユウキがつけていたものにそっくりだったからだ。
「ねえせんせー、はいっ、はんぶんこ!」
「んむっ……あ、ありがとう」
くいと袖を引かれて振り向けば、リンが私の口の中に焼き菓子を押し込んでくる。微かに私の唇に触れたその指先で、彼女は自分の口の中にもそれを放り込む。
ここ最近の二人はあまりに、かつて私が惹かれ愛した相手――ユウキとリンの面影を、色濃く映し出していた。
無論、今目の前にいる二人は別人だ。以前の記憶は全て失い、生まれ変わったようなもののリンは勿論のこと、ユウカに至ってはただの遠い親戚でしかない。
グジグジと未練がましいのは情けないし、二人に対しても失礼極まりないと、わかってはいるんだけど。
心の中でこっそりと溜め息をついていると、突然後ろの方から悲鳴が上がった。
同時に、ガラガラというけたたましい音が鳴り響く。
「馬車の暴走だ」
剣の柄に手をかけて呟くユウカの声が、いやに大きく聞こえた。
彼女の言う通り、馬車を引いた精霊馬が凄まじいスピードで道をひた走っている。
ユウカはすれ違いざまにそれを切り捨てようとして……
「駄目だ、ユウカ!」
私は思わず彼女を抱きすくめるようにして、それを止めた。
「お兄ちゃん、何を――」
「子供が乗ってる!」
私たちの横を、馬車が駆け抜けていく。既に振り落とされたのか御者台には誰も乗っておらず、しかし客室の中には顔を真っ青にして怯えた子供の姿が見えた。
恐らくユウカは御者がいないと見て、精霊馬が牽くハーネスか精霊馬自身を切ろうとしたのだろう。けれどそうすれば馬車は制御を完全に失って、横転するか酷ければ壁に激突してしまう。そうなれば中の乗客はただでは済まない。
「二人共、背中に!」
いいながら、私は竜の姿に変化する。といっても、今の私のサイズは村の中には大きすぎる。完全に変化しきらない間に翼をはためかせて、二人が乗ったかどうかも確認せずに空へと飛び立った。
「せんせー、どうするの?」
耳元に、リンの声。よかった、どうやらちゃんと掴まってくれたみたいだ。
「この先の広場で仕掛ける。リン、君は鳥に変化して子供を助け出してくれ。ユウカは馬車自体を止めて欲しい」
「お兄ちゃんは何をする気?」
私が何をしようとしているか、薄々察したのかも知れない。ユウカは硬い声で尋ねた。
「精霊馬を、止める」
言うやいなや、私は翼を畳むと馬車に向かって急降下する。そして道を走る馬車と並走するように速度を落とすと、頭の上からぱさりと軽い羽ばたきの音。リンがその両腕を鳥の翼に変化させて馬車に取り付くと、その窓からするりと身を潜り込ませた。
「ユウカ!」
「もう! あんまり無茶しないでね!」
不満げに叫びながらユウカは私の背から飛び降りて、その石剣を一閃させる。
私には目で追うことも難しいその一撃で、馬車と精霊馬を繋ぐ馬具が破壊され、馬車の屋根が吹き飛ばされる。途端、子供を胸に抱いたリンがその美しい腰ヒレを広げ、魚の下半身をくねらせながら宙に躍り出た。……よし。
「さあ、来いっ!」
私は広場へ降り立つと両腕と翼を広げ、馬車から開放されて更に速度をあげる精霊馬を迎え撃った。何百キロもある馬車をたった一頭で軽々と牽く脚力が、完全に開放されて私へと突き進む。
「ぐ、うっ……!」
その突進は竜の肉体でさえずんと響いて、私は苦悶の声を漏らす。体格で言うなら鎧熊より小柄なくらいなのに、その破壊力はまるで比べ物にならない。
だが何とか、私は精霊馬を受け止め、押さえ付けた。
「落ち着け。君の、名前は、ええと……」
暴れる精霊馬を見つめ、私は急いで思考を巡らせる。赤い毛並みに、隆々とした体躯。それがざわざわと渦巻きながら蠢いて、刻一刻と変化していた。一つしかない瞳が、ギラギラと私を睨みつける。
「ナック! ナック・ラヴィだ!」
私が叫んだ瞬間、精霊馬は暴れるのをピタリと止めた。毛並みのざわめきも収まって、一つ目の馬……ナック・ラヴィは意外とひょうきんな仕草で私を見やる。
やはり、未命名の精霊だったか……
「先生、大丈夫?」
ティアが私の鼻先に姿を表して、さして心配した様子もなく尋ねる。
「ああ。ルフルに指示してくれたのはティアだろ? ありがとう、助かったよ」
見れば、ナックから切り離されて大通りの店に突っ込もうとした馬車を、ルフルがギリギリで止めてくれていた。
「ルフルも怪我がないと良いんだけど……」
「あるわけないでしょ」
見れば、馬車は原型を留めないほどに潰れている。しかしルフルはのんびりした様子でこちらに手を振っていた。
「ちなみに子供も無事だったよー。親がいたから、引き渡してきた」
ぱたぱたと羽音を響かせながら、リンが私の鼻の上に腰を下ろす。
「つまり一番大丈夫じゃないのは、お兄ちゃんね」
ユウカが呆れたようにいいながら、私のお腹の辺りをぽんと叩いた。ちょうど、ナックが突進してきた辺りだ。途端身体を貫く鋭い痛みに、うっと呻く。これは、人間の姿に戻ったら痣くらい出来てそうだな……
「無茶な事はするなってニーナ先生に言われたばっかりなのにね」
どこか愉快そうに、リン。この怪我じゃ診療所に逆戻りだ。
いかないわけにもいかないだろうし、ニーナが運営するところ以外に行ったって無駄だ。彼女はこの村の全ての医者の師匠なんだから、私がかかったとなればすぐに連絡が行く。余計に怒られるだけだろう。
「……お前も謝るの手伝ってくれないかな」
私が撫でると、ナック・ラヴィはわかっているのかいないのか、ブルルと鳴き声を上げた。
* * *
「いやー……」
診療所を後にして、ぐっと身体を伸ばしながら、ユウカはしみじみと言った。
「びっくりするほど怒られたね!」
「そうね……」
ぐったりとした様子で、ティアがそれに同意する。
「最初に事情を説明した時、ニーナ先生、『よくやったわね』って褒めてくれたじゃない?」
リンの言葉に、一同はうんうんと頷く。
「あっ、怒られずにすむのかな? って一瞬思っちゃったよね……」
「わかる」
皆同じ気分だったが、残念ながらニーナはそう甘くはなかった。
馬車に乗ってた子供の父親……御者台から振り落とされて診療所に担ぎ込まれた人まで容赦なくお小言貰ってたからな。まあ、生命に関わるような怪我じゃなかったっていうのもあるんだろうけど。
「精霊が随分増えてるなーって思ってたけど、こういうこともあるんだね」
「最近ちょっと多いんだよね……」
リンの言葉に、ユウカは眉根を寄せた。村の警備を務める彼女としては、頭の痛い問題なのだろう。
精霊の召喚。私たちが作り出したその魔法は、人々の生活を劇的に変えた。
牧畜が始まって数百年。大人しいものを選んで交配させてきた家畜たちは、人間に襲いかかることはあまりなくなってきたけれど、牛馬のように従ってくれることもなかった。
犬、猫、馬、牛、ラクダにイルカ。地球上には、人類の友人と呼んでいいだろう、その力を貸してくれる家畜が何種類もいた。この世界にはどうやら一種としてそんな動物はいないようだったが、精霊はそれに成り代わりうる存在だ。
風車を回し、馬車を牽き、小麦を運び、船を動かす。
疲れを知らず、素直に人に従い、忠実に命令をこなす彼らはとても有り難く、これからの文明の発展になくてはならない存在となるだろう。
ただし、弊害もあった。
「名付けが下手な人が多すぎるんだよねえ」
名付け。それは、精霊を扱うにあたって最も重要な行為だ。
適切な名前をつけられた精霊はその存在を安定させて、しっかりと言うことを聞いてくれる。その反面で、名前をつけられていなかったり、あまり上手い名前ではなかった場合など、その存在は不安定になって、先程のナック・ラヴィのように暴走してしまう事がある。
「せんせーの学校では、やり方を教えてないの?」
「うん。一応、教えてはいるんだけどね……」
問題は、どんな名前なら適切で、どんな名前ならそうでないかを上手く説明する方法がない、ということであった。この辺りはセンスと相性だと言う他ない。精霊自身がその名を気に入るかどうかにかかっているのだ。
ちょっと魔法の心得があり、相性さえ良ければ誰にでも精霊は呼び出せる。けれどそれが満足に扱えるかどうかは、また別の話なのだ。
「先生。今回は何とかなったけど、これ対策しないとまずいんじゃない?」
「うん……そうかもしれない」
ティアの言葉に頷く。彼女が学校で教えているような子供たちは、事故に巻き込まれる可能性が大人よりもずっと高い。他人事ではないのだろう。
「とはいえ、精霊を使うのをやめろって言うわけにもいかないしなあ」
精霊はすっかり定着して、生活に溶け込んでしまっている。今更使うなというのも無理のある話だ。それに、文明が発展すればある程度こういった事故が起こるようになるのは避けられないということを、私はよく知っていた。
被害を減らそうとする努力は無駄ではないけど、文明そのものを後退させようとするのはナンセンスな話だ。精霊のおかげで助かっている生命もまた、たくさんあるはずなのだから。
「上手な人だけ使ってくれればいいのにね」
何気ないリンの言葉に、ぱっとひらめく。
「それだ!」
私は思わず彼女の手をとって言った。
「免許を作ろう!」
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