第四章:魔術の時代

竜歴900年

第1話 水弾/Water Bullet

 がたごとと音を立てて、舗装された道を馬車が行き交う。それを引く馬は私の知る地球の生き物にあまりに似ていて、思わずすれ違った後に振り向いた。

 よくよく見れば、脚は六本生えている。惜しい。

 それと角が生えていることを除けば、完璧だったんだけど。

 しかし六本も脚があって、よく引っ掛けずに歩けるものだ、と私は妙な感心をした。


 通りゆく馬車はどれもこれも似たようなものだったが、それを引く馬は実に種々様々だ。小さな翼が生えているもの。身体が鱗で覆われているもの。蛇のように長い尾を持つもの。中には、頭が二つ生えているものまでいた。ああいうのも、二頭立ての馬車って言うんだろうか……


 通りをずっと進んでいくと、彼方に風車が見えた。それも少しばかり奇妙な光景だ。今となってはもう遠い昔の記憶だが、前世の地球上で作られていた風車というのは、どれも大体同じ方向を向いて並ぶものだった。


 しかし私の視界の先にある風車群は、少しずつ角度を変えながらぐるりと輪を作るように並んでいる。そしてそこを、白い衣をなびかせて少女がぐるぐると飛び回っていた。


「やあシルフ。今日もお疲れ様」


 私が声をかけると、シルフは嬉しそうに手を振りながら速度を上げて飛んだ。環状に配置された風車は、彼女が止まらずに風車を回すためのサーキットだ。シルフが風車の周りをぐるぐると回る度に、風車の羽もくるくると回転して軸に力を伝える。

 その風車小屋には、身長一メートルほどの小人たち……家の精霊、ブラウニーが小麦を運び込んでいた。


「あっ、せんせぇ!」


 風車小屋を通り過ぎて更に外へと向かうと、巨大な少女が座り込んでいるのが見えた。その肩には小さな妖精がちょこんと腰掛けている。


 相変わらず仲のいい二人。ルフルとティアだ。


「あれ、二人ともどうしたの?」


 とは言え、普段であれば二人とも別々に働いている時間だ。

 ルフルは工事や建築。ティアは小学校の先生。

 大きな体でもっと大きな家や道を作り出していくルフルと、小さな子供たちをもっと小さな身体で教え導くティアのコンビは、だいぶ人が増えて大きく広がったヒイロ村でもちょっとした名物だ。


「多分先生と同じ理由よ」


 足をぺたんと崩していわゆる女の子座りするルフル。その肩から太ももの膝の上へと降り立って、私と大体視線の高さをあわせながらティアが言った。


「そっか。それなら声をかければよかったな。もしかして結構前から待ってたの?」

「別に……そんなに長いことは待ってないわよ」


 私の問いに、彼女はふいと視線をそらす。


「うん。朝からだよー」

「ちょっと! バラさないでよ!」


 代わりににこやかに答えるルフルに、ティアは両腕を振り上げて怒鳴った。

 長い間付き合っているうちにわかったことだけど、同じ長命種でも時間の感じ方はそれぞれ異なるらしい。巨人のルフルは、その大きな身体に合わせたかのように時間感覚もおおらかだ。彼女にとっては一度日が登って落ちるくらいの時間は大したものではないのだろう。その一方で、小妖精であるティアの感覚は比較的人間に近いものがあった。


「もうすぐ着くと思うよ」

「何? どこにいるかわかるの?」


 私が言うと、ティアは怪訝そうに尋ねる。


「うん。私の鱗を持たせてるから、大体の位置はね」

「もう! それならこんなに待つことなかったんじゃないの!」


 叫んで、ティアは翼を羽ばたかせると再びルフルの肩の上へと戻った。


「じゃあ来年は、せんせぇに聞いて一緒に来ようね」


 そんな彼女に、ルフルはマイペースににっこりと笑いかける。


「ほら……来たよ」


 私の言葉に、二人は道の脇を走る水路に目を向けた。

 それはかつてルフルが作り上げた、ヒイロ大水道。ヒイロ村から四足種ケンタウロスの平原を突切り、人魚の湾までを繋いだ巨大な水の道。


「いや、あっちだよ」

「わっ!」


 私の言葉に二人が上を向くより早く、ばさりとその顔に大きな真っ白な翼が覆いかぶさった。


「わぷっ!? 何!? 何が起こったの!?」

「あーっ、リンちゃん、おかえりぃ」


 身体の殆どを羽毛に埋められてティアは慌てふためき、ルフルはのんびりと挨拶する。


「えへへ。ただいま、ティア先生、ルフル先生。驚いた?」


 青い髪を日の光に輝かせ、両の腕を鳥の翼から人のそれへと戻しながら。

 リンは、悪戯っぽい笑みを浮かべて、二人をギュッと抱きしめた。


「驚いたわよっ! いきなり何するの!?」

「油断してるからわるいのよーぅ」


 リンはくすくすと笑い声をあげる。しかし私は、水路の方を向く二人の姿を見て、リンが太陽を背に逆光に隠れながら急降下するのをしっかりと目撃していた。

 噛みつかんばかりの勢いで文句を言うティアをひとしきりいなした後、リンは不意にルフルの肩から飛び降りる。


 危ない!


 地面に座り込んでいてなお、ルフルの肩は相当な高さだ。私は慌てて駆け寄り受け止めようとするが、それよりも早くリンはとん、と軽い音を立てて着地した。


 いつの間にかしなやかに衝撃を吸収する猫のようなものに変化していた脚が、彼女の歩みに合わせてするりと人のそれへと変化する。眼の前で見ていても、いつ変わったのかわからないほどスムーズな変化だ。


「ただいま、せんせー」


 私の目前に降り立ったリンは、ふにゃんとした笑顔を浮かべて言った。


「……おかえり、リン」


 変わらないなあ。私はふと、そんな感想を抱いてしまう。


「もう! 子供じみた悪戯して! この忘れんぼ、私のことちゃんと覚えてるんでしょうね!?」

「はいはい、ちゃんと覚えてるよー、ティア先生。もちろんルフル先生もね」


 くるくると周囲を飛び回るティアに降参するように両手を上げながら、リンは笑った。

 今からちょうど、五十年前。リンは老いと死を克服した代償としてすべての記憶を失い、八歳の姿に戻った。

 だから眼の前にいる彼女は言うなればもう一人のリン。別の人生を歩むリンだ。


 記憶が一日しか持たなかったり、過去の記憶を失っていったりする現象も、八歳のその時に止まった。けれど忘れ去られたのがよほどトラウマに残ったのか、ティアはリンに会う度に自分をちゃんと覚えているか確認するようになった。


「しかし上手になったなあ、変身魔法。代償もなしで良くなったの?」


 リンが初めて下半身を人の脚に変化させられたのは、確か百五十歳くらいの頃だから、それと比べてさえ九十年ばかり早い。それに以前は、下半身を人間のものに変えている時は喋れなかったはずだ。


「代償ならちゃんとあるよー。この時のあたしは」


 リンが両手を広げると、まるで手品のようにそれは白い鳥の羽になる。


「料理が作れない」


 キリリと表情を引き締めて、リンはそう言ってみせた。


「そりゃ、その腕じゃなあ」

「うん。でもね、訓練すれば脚を使って料理を出来るようになるかも知れないし、そうでなくても他の人に頼んで段取りを整えることは出来るでしょ? そういうことも出来ないの」


 私が笑うと、リンはもう少し素の表情に戻ってそう説明する。


「なるほど、誓いゲッシュか……!」

「げっしゅ? なにそれ?」


 思わず呟く私に、リンは首を傾げた。


「ゲッシュというのは、元々は禁忌を意味する言葉で……これはしない、と誓った約束のことだよ。その料理が出来ないっていうのは、自然にそうなったわけじゃなく、リンが自分で決めたことなんだろう?」


 リンは驚いたように、こくんと頷く。

 ゲッシュとは、ケルト神話に見られる神との誓約の一種だ。守れば力を得られるが、破れば破滅が訪れる。ケルトの英雄、クー・フーリンの「犬の肉を食べない」なんてものが有名だろうか。


 実のところ、これに相当するものは様々な文化圏に見られる。例えば日本でよく行われていた、目的を達するまでは好物を断つ代わりに良い結果が訪れるように願う、「断ち物」と呼ばれる願掛けなんかもその一種だ。


「こっちは『泳ぎ』。だから人の足の時は、あたし泳げないんだよね。人魚なのに」


 すらりと伸びた脚線美をぴしゃりと叩き、あはは、とリンは明るく笑う。


「だからね、変身魔法を使うには、いろんなことが出来るようにならなきゃいけないの。それがそれぞれ、代償になるから」


 なるほど。つまり彼女の魔法は、肉体を別のものに変化させているように見えて、その実は習得した技術を身体的な能力に変えているということなのだ。


「じゃあ、リンのご飯は空を飛べるほど美味しいってことね」

「うん。この一年でだいぶ上達したよ。せんせーたちにもご馳走してあげるから、楽しみにしててね」

「わーい、楽しみ!」


 からかうようなティアの言葉をリンは受けて立ち、ルフルが無邪気に喜ぶ。

 不思議、というべきなのか、それとも当然のことなのか。

 リンはかつてと同じように変身魔法を覚え、旅に出るようになっていた。


「けどやっぱり、一年も経つと村の様子もだいぶ変わるね。ちょっと一回り見てきていい?」

「駄目よ。ニーナ先生の診察が先」

「はぁーい」


 辺りをキョロキョロと見回し、うずうずした様子で言うリンに、ティアが釘を刺す。

 以前と違うのは、一年に一度はヒイロ村に帰ってくるようになったことだ。

 といってもそれは自発的な行動ではなく、ニーナが課したことだった。


「ニーナ先生、連行してきましたよー」

「ご苦労」


 診療所に連れて行くと、白衣を着込みすっかり医者姿が板についたニーナが私達を出迎える。


「部外者は邪魔だから出てって」


 そして私とティアは即座に追い出された。仕方なく、サイズ的に入れないので外で待っててくれたルフルと合流する。


「……大丈夫かな、リンちゃん」

「ま、問題ないんじゃないの。一応って話でしょ」


 心配そうに呟くルフルに、突き放すような口調でティア。しかし不安を抱いているのは彼女も同じだろう。だからこそ、わざわざ出迎えに待っていたりしたのだ。


 陸で暮らす人魚は、海の中で暮らす人魚よりも寿命が著しく縮む。

 かつてのリンは、その曾祖母であるウタイの半分ほどで身体にガタが来てしまっていた。


 その直接的な原因は今もはっきりしていない。魚の鱗が地面に擦れて傷つくせいか、それとも陸上で乾燥してしまうせいか。その辺りだろうとニーナは推測していた。

 そしてそれらは、人の脚に変化させていれば防げる問題なのではないか、とも。


 とは言え十年、二十年ですぐに変化がわかるというものでもないので、ニーナは毎年こうして定期的にリンの身体を診察し、どんな影響が出ているかを確認するようになったのだった。たぶん、世界最古の定期健康診断だと思う。


「あれっ、三人揃ってどうしたの?」


 まんじりともせずニーナの診察が終わるのを待っていると、ふとユウカが通りがかった。ポニーテールにした赤い髪をなびかせ、石剣を携えたその姿に、私は一瞬ドキリとする。

 二十四代目の剣部筆頭、ユタカと、エルフの留学生、水色の間に生まれたハーフエルフ。


 血の繋がりは遠く、ピンと長く伸びたその耳も、すらりと長い背丈も、似ても似つかない。けれど何故か最近、彼女にユウキの気配を感じることが多くなってきた。名前が似てるから、なんて理由ではないと思うんだけど。


「……あっ、もしかして、リンちゃん帰ってきたの!?」

「うん、そうだよー」


 ぱっと表情を輝かせるユウカに、ルフルが答える。


「今日だったんだ。リンちゃん、おかえりー!」


 止める暇もなく、ユウカは診療所の扉を開け放つ。

 そこにはリンが上半身を露わにして診察を受けていて。


「……あ」


 衰えたり傷ついたりした様子のない、綺麗な肌で良かった。


 そんな事を思いつつ、私は飛んでくる水弾を甘んじて受けた。

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