竜歴726年

第27話 停滞/Stagnation

「……よし、出来た!」

「やったー!」


 汗を拭いながら宣言する私に、ルフルが座ったままの体勢で諸手を挙げて喜んだ。


「これで本当に完成なの?」


 その肩にちょこんと腰掛けたティアが、怪訝な声色で問う。


「ああ。今度こそ、大丈夫なはずだ。ね、ルフル」

「うん、ちゃんとお水漏れないように設計したよ!」


 私とルフルの共同で作り上げたのは、木製の船だ。

 幾つもの板を貼り合わせて軽量化し、水が漏れ入らないようにぴったりと精密に作り、本体に染み込まないよう水に強い木材を使い、塗料を塗って強度を増した。

 私だけでは不安なので、土木工事や建築で木材の扱いに長けたルフルにも協力してもらい、問題ないと太鼓判を押してもらった自信作だった。


「ふぅーん……まあ、試してみたら?」

「勿論だ。ルフル、頼めるかい?」

「はぁーい」


 訝しげに言うティアに頷きルフルに頼むと、彼女は二人乗りの小舟をひょいと持ち上げた。人間では数人がかりでなければ持ち上げられないようなそれも、巨人の彼女の手にかかればおもちゃのようなものだ。


「いくよー!」


 その船が、水路の上にそっと浮かべられ。


 そして、物凄い勢いで沈んだ。


「やっぱり駄目じゃないの」

「そう来たかー!」


 私は叫びながらもがっくりと項垂れ、地に膝をつきながら水路の底へと沈んでいく船の姿を見つめた。


 最初に作った船は、底のほんの僅かな隙間から浸水して沈んだ。

 その次は浮かべた途端、川なのに波が立って沈められた。

 沈められる度に船を改良し、乗り越えてはまた沈められてきたが、とうとうここまでの力技に出られるとは……


 まず浮かびさえしないんじゃ、そもそも船という概念が成り立たないじゃないか。

 私が投げ入れたんじゃなければ、ただの木の板だって浮かぶっていうのに。


「幾らなんでも水に嫌われすぎじゃない?」

「本当にね。火竜だからかなあ……」


 船そのものは、それこそアイのいた時代から池に浮かべて釣りをしたり、川を渡るのに使われてはいた。私の場合は直接池の中に入ったり空を飛んだりした方が手っ取り早いから使ったことがなかったので、ここまで水に嫌われているとは思っても見なかった。


「それで結局、何がしたいの?」


 沈んでしまった船を眺めていると、水路を木の葉がさらさらと流れていく。

 やっぱり、何度見ても不思議だ。


「あの葉っぱみたいにさ」


 私は流れ行く木の葉を指差して、ティアに答える。


「船を水に浮かべて、流したいんだ」


 この世界では、船は自然に前へは進まない。オールで漕げば前には進むが、流れる川に浮かべたり帆を張って風を受けたりしても進むことはない。多分、水車が回らないのと現象としては同じことだ。


 ルフルたちが作った水路のお陰で人魚たちとも気軽に交流できるようになったのはありがたいのだけど、船を用いた運河としての利用が出来ていないのは非常に勿体無い。


 人魚たちは小舟を引いて魚を運んできたりしているが、それも言ってしまえば人力だ。陸上の道を四足種ケンタウロスたちが荷車を引いてくるのと効率としては大差なかった。


 馬のように素直に使役されてくれる獣もいないから、この世界での運送技術は地球の古代くらいの文明に比べても大分劣っているはずだ。


 その一方で、ある程度優れた魔法使いなら空を飛べるし、徒歩でも個人が一日に移動できる距離や積載量も地球人類の比じゃないから、そういうところでは勝ってるのだけれども……


「なんで船は木の葉みたいに流れていかないんだろうね」

「なんでって……そういうものじゃない?」


 おかしなことを言う、とでも言いたげに、ティアはルフルと顔を見合わせた。

 いや、事実私はおかしなことを言ってるんだろう。この世界での常識はティアたちの感覚の方が正しい。


 地球での常識だって、わからないことなんて幾らだってあった。

 いや、むしろわからないことだらけといえるだろう。


 何故時間は過去から未来にだけ進むのか。

 何故重力というものがあり、ものは地面に向かって落ちるのか。

 何故生き物は生き、そして死んでいくのか……


 どこまで科学が進み、理屈をつけたとしても「何故?」はどこまでもつきまとう。結局どこかの地点で「そういうものである」と折り合いをつけるしかない。


 ……だがそれは、諦めとは違う。


 例え絶対的な真実に辿り着けないとしても、そこへ向かって歩き続けることは出来る。そしてそれは、けして無駄ではないはずだ。


 と、その時。不意に聞こえてきた羽ばたきの音に私は振り向き空を見上げた。

 大きな白い翼をはためかせるそれは、しかし鳥ではない。

 二対四枚の羽根を器用に操り、長い尾をしならせて空を泳ぐ姿は、あるいは龍に似ていなくもなかった。龍といっても私のような西洋竜ではなく、蛇に近い姿の東洋龍。


 しかし、龍とは決定的に異なるところもある。

 その生き物は、可愛らしい女の子の顔をしていた。

 そのまま、まるで弾丸のような勢いで突っ込んでくる彼女を、私は反射的に受け止める。


「ぐっ……! おかえり、リン」

「ただいま! ごめんねせんせー、ちょっと着地失敗しちゃった」


 予想以上の衝撃に思わず苦悶の声を漏らしつつも、私は何とかその身体を支えることに成功する。リンは羽毛を持つ翼を両腕と腰ヒレに戻しながら、可愛らしく謝った。


 彼女の変身魔法も、随分上達してきたもんだ。

 まだ竜になることは出来ないらしいが、翼くらいは朝飯前だ。ただ、空をとぶのはコウモリの翼よりも鳥の翼の方が向いているとのことで、彼女はもっぱらそちらを使っていた。翼がなくても空は飛べるが、速度が段違いなのだそうだ。


「いや絶対わざとでしょ今の……」


 その様子を眺めていたティアが呟く。


「なになに? ティアもおんなじようにして欲しかった? じゃあいくよ、ただいまー!」

「そんなこと言ってないでしょ!? やめなさいよ、潰れる!」


 両腕を大きく広げ迫るリンからティアは逃げ回るが、すぐに掴まってまるでぬいぐるみのように抱きしめられていた。ティアが本気を出せばリンから逃げ出すのも難しいことじゃないだろうから、なんだかんだ言って嫌というわけではないのだろう。


「ルフルも、ただいまーっ」

「うん、おかえり、リンちゃん」


 続いてルフルにもぎゅっと抱きつく。こちらは逆に、リンの身体が人形のように見えてしまう体格差だ。


「何か収穫はあったかい?」

「うん。昔の人が描いた……なんだろ。壁画? っていうの? を見つけたよ。いつ描かれたものなのか、何が描いてあるのかもよくわからなかったんだけど」


 リンはあれからも、ちょくちょく例の村へと行っているようだった。私の代わりにアイの痕跡を探してくれているらしい。本来なら私が率先して調べるべきことなのかも知れないが……


 仮にそれが見つかったとして、私はどうしたら良いのだろうか。


「ねールフル、あたしちょっと疲れちゃった。家まで運んでくれないー?」


 私が思い悩んでいると、リンはそんな事をルフルに頼んでいた。

 海を超えて飛んでいくのはなかなか大変だ。何せ途中で疲れても休む場所がない。

 まさか海の中で休むわけにもいかないし……


 と思ったが、よく考えたらリンは人魚なんだから、いくらだって海中で休めるじゃないか。


「うん、いいよー」

「何いってんの、あんた住んでる方角全然別じゃない」


 以前はルフルもリンと同じく、校舎に作った学生用の部屋で暮らしていた。

 が、あれから更に成長して大きくなった彼女にとっては手狭になってしまったことと、土木工事でどんどん村を拡張していく関係上、郊外に家があった方が便利だということで、今ルフルは自分用の一軒家を建てて住んでいる。


「じゃーせんせー、おねがーい」

「まあ、いいけど……」


 パチリと両手を合わせるリン。甘えたい年頃なんだろうか? 最近、この手のおねだりが増えてきたように思える。


 背を向けると、遠慮なく彼女の身体がのしかかってきた。魚の尾の分、人魚というのは人間よりも大きく重い。私は声に出さず、こっそりと自己強化の魔法で力を倍加させた。


「やあ、お疲れ様、ニーナ」


 学校の校舎が見えてきたところでちょうどニーナに出くわして、私は片手を上げた。最近彼女は診療所を設けて、そっちで医者として働いている事の方が多い。


 私が片手を離してバランスが崩れ、リンがぎゅっと強く私に抱きつく。


「何やってんの」


 そんな姿を見て、案の定ニーナは呆れ声をあげた。


「いや、長旅で疲れたって言うからさ」


 やはりちょっと甘やかし過ぎだろうか? 不意に、ニーナの表情が険しくなった。


「……おろしなさい」

「いや、確かにこの年になっておんぶってのもどうかとは思うけど、リンは」

「いいから」


 私の言葉を遮って、有無を言わさぬ声色でニーナはそう命じる。仕方なくリンを下ろそうとすると、彼女はその前にぴょんと私から離れた。


「……あんた、いつから?」

「何のこと?」


 詰め寄るニーナに、リンはとぼけるかのように首を傾げる。


「自覚がない、なんて言わせないわよ! いつからそうだったの!?」


 突然ニーナは叫ぶと、ぐいとリンの長い髪を掴んだ。


「待ってくれ、ニーナ! 何の話だ!?」


 いつも冷静なニーナがそんな剣幕で怒るような理由がわからず、私は慌て……そして、気づいた。


「……リン。これは」

「えっ……あっ」


 リンは慌てて、それを手のひらで隠す。

 けれど、見えてしまったものはもはや誤魔化しようもない。

 ニーナが掴み引っ張り上げた、豊かな彼女の髪。


 その下に刻まれていたのは幾重もの……深い、深い皺だった。

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