第28話 偽装/Camouflage
「いやー、最近、身体が動きづらいなーとは思ってたんだけどね」
ベッドに横たわりながら、リンは明るい声色でそう言った。
「嘘おっしゃい。気づかないわけがないでしょうが」
それに対して、ニーナの声色はひどく重い。
「……ニーナ、どういうことなんだ?」
「どうもこうもないわ」
深くため息をついて、ニーナは沈痛な面持ちで首を振る。
「……この子の寿命は、尽きようとしている」
「そんな馬鹿な」
その言葉を、私は一笑に付した。
「だってリンは、まだ二百歳くらいだろ? 幾らなんだって、早すぎる。人魚の寿命は、五百年くらいはあるはずだ」
ウタイはそのくらいまで生きた。勿論、彼女は人魚の中でも相当の長寿であったことは間違いない。けれど流石にその半分なんて事はないだろう。
「そうね……ウタイが飛び抜けて長生きだったのは確かだけど、それでも普通人魚は四百歳くらいまでは生きる」
水路が整備されてからと言うもの、多くの人魚がヒイロ村を訪れるようになった。その中には、ニーナの診療所で世話になる人魚たちも少なくない。そう言った経路で仕入れた情報なんだろう。
「けどそれは、水の中で……海で暮らしている人魚の話よ」
衝撃に、息が詰まった。そんな単純なことを、見落としていた。
彼女はいつだって、誰よりも元気だった。陸で暮らすことが、彼女にとって有害だなんて、思いもしないほどに。
「そんな、だって……リンは、こんなに……」
確かに首元に皺は出来ているが、それ以外は若々しい姿のままだ。
けれど私の脳裏には、ウタイの姿が浮かんでいた。
彼女もまた、亡くなる直前まで美しい姿を保っていた。人魚とはそういう種族なのだ。
「いや! 彼女の腰ヒレを見てくれ。こんなに綺麗じゃないか」
はっと気づいて、私はリンの腰ヒレを指差す。ウタイの腰ヒレは、ボロボロになっていた。人魚の老いは、腰ヒレにも出てくるはずだ。そうなってないなら、まだ彼女には猶予があるはず。
「……私が気づいた理由は、それよ。よく見なさい」
だが、ニーナは表情を更に暗くした。
私は一つの傷をも漏らさぬよう、リンの腰ヒレを見つめる。
「……あっ」
そして、気づいてしまった。
――数が、合わないのだ。
人魚の腰ヒレは、まるで年輪のように歳を重ねる度、一枚ずつ厚く大きくなっていく。それが、足りなかった。二百歳を超えるはずの彼女のヒレが、何度数えなおしても百数枚しかない。
「あんた……腰ヒレだけ変身させてたのね」
「……うん」
観念したように、リンは頷いた。
「もー、ニーナ先生ってば、デリカシーないなぁ。若作りしてるのを、男の人の前で暴くなんて。これだから寿命のないエルフは」
「茶化すんじゃないの」
かと思えば笑顔を浮かべ、軽い口調で言うリンに、ニーナは諦めのため息をついた。
「今から海に戻れば多少は長生きできるかもしれないけど……そんなつもりはないんでしょうね」
「とーぜん! 今更海なんか戻ったってつまんないし……それに、ユウキや水色よりは、よっぽど長生きしてるしね」
……ああ。確かに、彼女たちの人生は短く……しかし、それが不幸だったと言うことは、許しがたい。そんな風に言われたら、どうしようもなかった。
「でも……だったら、もっと好きなことをして生きたらいいじゃないか。楽しいこと、面白いことだって沢山あるだろう? なんだって、村の調査なんかしてるんだ」
「んー。恩返し? 先生には、すっごく楽しい思いさせて貰ったからね。それに、先生の奥さんだったっていうアイさんとも会えるんなら会ってみたいし」
思わず口出しすると、リンはそんな事を言った。
私は……こんな子に全てを任せて、くだらないことで二の足を踏んでいたのか。
「……わかった。私も、本腰をいれて調べよう。手伝って、くれるかい?」
「勿論だよ!」
屈託なく、リンは笑った。
* * *
「これだよ」
リンに案内されたのは、村から少し離れたところにある小さな洞窟だった。
「光よ」
お椀のように組んだリンの手のひらから光の玉が生まれ、壁に描かれた絵を映し出す。
「なるほど……これは……」
さっぱりわからないな。
それが絵であることは、わかる。明らかに何らかの形を描いたものだろう。
が……
「下手だよね」
そうなのだ。ものすごく下手だった。
アイも絵はあまり上手ではなかったけれど……これはそれ以上だ。
両手を広げる悪魔の絵か……それとも、墜落したロケットか。
生き物なのかそうでないのかすら判然としない。
「わからない……けど、これは、人なんじゃないかな」
つい、とリンが、絵の下の方に描かれている部分を指差す。
「人……か、なぁ……?」
言われてみれば、棒人間に見えなくもない……よう、な……気の所為のような。
「他に何かが残ってれば良いんだけど、なにもないね」
洞窟自体は、狭く小さなものだった。私とリンが二人、屈んで入ればいっぱいになってしまう程度の大きさしかなく、探すまでもなく何も残っていない事はわかる。
せめて絵じゃなく、何か文字でも残ってれば助かるんだけど……
「そうだね……石しかないね」
困ったように眉根を寄せて、リン。
しかしその呟きは、私に素晴らしい閃きを授けてくれた。
「それだ!」
壁画が残っているということは、当然その壁だって当時から残っているということだ。それに連なる天井も、床も、全て当時から残っているということだ。ならば。
「土よ。固きもの、揺るがぬもの、動かぬものよ。汝に名を与えよう。土の小人、ノームよ。我が前に姿を現せ!」
私の呪文に応じて地面が歪み飛び出して、粘土のように人の形を取っていく。
やがてそれは、身長五十センチくらいの小人の姿へと変化した。
「ノーム。教えてくれ。君はずっとここにいたかい?」
祈るような気持ちで問うと、ノームはこくりと頷いてくれた。
「これを描いた人の事を覚えてる?」
壁画を指して尋ねれば、もう一度ノームは頷く。私とリンは思わず顔を見合わせた。
「一体、どんな人!?」
その問いに、ノームは困ったように眉を寄せる。ややあって、首をぶんぶんと横に振った。
「……わからない?」
これにも、首は横に振られる。
「喋れないんじゃない?」
リンがそういうと、ノームはこくこくと何度も頷いて見せた。
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