第26話 水色の死/Mizuiro's Demise
「ああ……センセ……すいません、ね……わざわざ……」
クッションに埋もれるようにして横たわりながら、水色は蚊の鳴くような声で言った。
薄く開けられた瞳は焦点が合わず、ただ虚空を見つめている。
ニーナのように医療の心得がなくとも、彼女がそう長くないことはわかった。
「水色……」
なんと言っていいかわからず、私は跪いてただ彼女の手を握った。
皺に覆われ、カサカサと乾いたその手のひらは、ともすれば崩れてしまうのではないかと思ってしまうほど。
「アタシ……一つだけ、センセに謝らなきゃいけないことが、あるんです……」
「……なんだい?」
彼女の言葉、その一言一句を聞き逃すまいと、私は耳を澄ます。
そうしなければ吐息の音に紛れてしまいそうなほど、微かな声色だった。
「アタシの、研究テーマ……」
「ああ」
忘れもしない、彼女の研究テーマ。魔法そのものの探求、真理の追求だ。
確かに、無限の寿命を持つ彼女がそれに邁進してくれていれば、どれだけ文明の進歩に寄与したことだろうか。けれどそれは、謝るようなことじゃ……
「あれ……全然、本気じゃ、なかったんです」
えっ。
「何か……大きいことを、言ってやりたくって……あの時は、ゆーちゃんに張り合いたい一心で……」
そう、だったのか……いや、確かに言われてみれば、テーマの高尚さに比べて大した成果は出なかったけど、大学に入って十年も経たないうちにユウカが生まれちゃったし、仕方ないかなと思ってたが……
そうか……そもそも、本気じゃなかったのか……
「なんて……センセなら、お見通し……でした、よね」
クスリと、力なく水色は笑う。
ごめん。全然気づいてなかったよ……
「……何を言ってるんだ、水色。君は立派に研究を成し遂げたじゃないか」
内心結構ショックを受けつつも、私の口は自然と言葉を紡いでいた。
「魔法とはこの世界そのもの。意思を持って行使されるものだ」
私は水色の手を握りながら、言った。考えなくとも出てきたのは、それが本心からの言葉だからだろう。
「君は意志を残し、世界を一つまるごと作った。私もニーナも使ったことのない、この世で一番偉大で尊い魔法だ」
「……ありがとう……ございます」
彼女はそれをどう受け取ったのか。水色の目尻から、涙が一筋流れ落ちる。
水色が眠るように息を引き取ったのは、それから三日後のことだった。
* * *
「うああああああああん! うぐっ、ひぐっ……ああぁぁぁぁああああん!」
泣き声が響き渡る中、私の炎によって焼き清められた水色の遺灰が集められていく。
その半分をこの村に。もう半分をエルフの森に還すというのが、彼女の願いだった。
「うああぁぁぁぁぁん! ううっ、ぐすっ、あぁぁぁぁああああん!」
「ユウカ。気を落とさないようにね」
「うん……大丈夫。前々から、覚悟はしてたし……それに、お母さん、眠るみたいに安らかに逝ってくれたから……きっと今頃、あっちでまたお父さんとイチャイチャしてると思う」
気丈にそう答えるユウカの肩をぽんぽんと叩き、私はその隣で並ぶ二人に目を向けた。
「ルフル、ティア。君たちも、辛いだろうけど……」
「うん……」
「そりゃあ、悲しいは、悲しいんだけどさ」
巨人と小妖精の二人は、複雑な表情で顔を見合わせた。
まあ、気持ちはわかる。
「なんで、死んじゃったんだよおおおおおおおお!」
思わず向けられる周囲の視線を追って、私は彼女を見た。
遺灰の埋められた場所、墓標代わりの苗木に縋り付くようにして咽び泣く、群青の姿を。
エルフの森に篭り二度と人と交流しないはずの彼女がやってきているのは、予想していたことだからまあいい。
「……あの人って、水色と仲良かったの?」
私たちの感情は、リンの漏らしたつぶやきに集約されていた。
以前来たときにだって、特にやり取りしていたような記憶もない。そんな群青が、この場の誰よりも悲しそうに泣いているのだ。おかげでなんとなく感情のやり場に困るというか、泣くに泣けないような雰囲気が出来てしまっていた。
「いや、殆ど話したこともないが」
すると群青はしゃくりあげながらも、あっさりとそう言った。
「じゃあなんで泣いてるのよ!」
「だって、水色は同じ森で生まれた仲間だ。仲間が死んだら、悲しいに決まってるじゃないか」
ティアのツッコミに、群青は当たり前のようにそう答える。己に一片の疑いさえ感じられないその態度に、私たちは思わず言葉に詰まった。
「ああいう奴なのよ、群青は」
呆れたように……しかし、どこか少しだけ誇らしげに、ニーナは言った。
「バカで軽率で無神経で考えなしだけど……考えなしだから、いつだって本気で、本人なりに大真面目だし、誰かが決めた何かなんて、あいつには何一つ関係ないのよ」
当然のことながら、群青以外に森に篭もることにしたエルフたちは来ていない。水色は彼らから見捨てられたと言っても過言ではないだろう。そんな中で群青はただ一人、心の底から水色の死を悼んでいるのだ。
「君がどうしてずっと群青の親友をしているのか、やっとわかった気がするよ」
「は? 誰が親友よ。人聞きの悪いこと言わないで頂戴」
しみじみというと、心外そうにニーナはそう答えた。おかしいな……
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