第24話 差異/Gap

「あ、見えてきた。あれかな?」

「うー。あたしにはまだ見えないよ。せんせー、目良すぎ」


 地平の彼方に薄っすらと見える、建築物の小さな影。それに声をあげれば、頭の上からリンの不満げな言葉が降ってきた。


「でも多分、合ってると思う。周りの景色もこんな感じ……だった気がするし」


 彼女の言葉はいまいち自信なさげだ。とはいえまだこの時代、大地の大半は自然そのままで、人の住む集落なんてそれほど多くはない。この距離から見える規模の村などそうそう滅多にあるものではないだろう。


 村。そう、それは、村と呼んで良い規模の集落だった。

 私がヒイロ村の人達に言葉を教えて、七百年。

 それは長い月日であるけれど、その間に原始時代から古代レベルにまで文明が進んだと考えれば短いにも程がある。地球上の歴史で言えば数万年かかった話だ。

 他の地域にこれほどの文明が発展しているというのは、不思議な事だ。


 仮にヒイロ村の地域が遅れていたのだとしても、不可解な点が一つある。

 最初リンは化け物と呼ばれ、石を投げられたという。


 ――それは、紛れもなく日本語。この世界では今、ヒイロ語と呼ばれている言語だ。


 ヒイロ村の人間がたまたま流れ着いたという可能性は、ほぼゼロと言っていいだろう。何故ならこの村は、ヒイロ村から海を隔てたところにあるからだ。

 航海技術は未だ存在しないから、リンや私のように空でも飛べない限りは辿り着けない。

 この村の人間がヒイロ語を使うのはあまりに不自然だった。


「じゃあ、そろそろ降りるよ」

「うん」


 村に近づくにつれて高度を下げ、森に隠れるようにして私は着陸する。人間以外が迫害されると言うなら、人間の姿で近づかなければならない。竜の姿はあまりに目立ちすぎるから、それなりの距離から歩いていく必要があった。


「それじゃあ、行こうか」


 旅人を装うために大きなリュックを背負う私に、同じく人間の姿を取ったリンがこくりと頷く。彼女の変身魔法は非常に高度なもので、ニーナにも真似出来なかった。フードか髪で耳を隠せばいけるはずと主張する彼女を宥めるのは中々大変だったなあ。



 * * *



 私たちがその村に辿り着いたのは、それから半日後。日が暮れかけて空が赤く染まり始めた頃のことだった。


「あら、旅人さん、また来たの」


 村に足を踏み入れたところで出会った村人に、リンはにこやかに手を振った。


「そちらは?」

「はじめまして。私はリンの夫のリョウと申します。以前妻がこの村でお世話になったとのことで、お礼とご挨拶に伺いました」


 不安に高鳴る心臓を抑えるようにしながら、私は丁寧に頭を下げる。


「あらまあ、旅人さんの! 前来たときは全然そんなこと言ってなかったじゃないの! 旅人さんも端に置けないわねえ、こんな美人捕まえて」


 その友好的な態度に、私は思わず拍子抜けした。気さくな態度で虚空を叩くように手をひらひらさせるその仕草は、まるっきりただのおばちゃんだ。人外を迫害している村と聞いて、私はもっと殺伐とした場所を想像していた。


「もう暗くなるし、アタシの家にいらっしゃいな。また楽しい話を聞かせてちょうだい」


 人の姿でなら歓迎された、とは聞いていた。聞いてはいたが、これは思った以上の歓迎ぶりだ。


 否も応もなくグイグイと勧められるままに私たちはそのおばちゃんの家に泊まることになり、手料理を振る舞われ、旦那さんやお子さんからは旅の話なんかを求められ。


 最初は、もしかしたら料理に何か薬でも仕込まれているのではないかと警戒していた私も、明け透けで屈託のない彼らの素朴な人柄と、僅かなアルコールにすっかり気を緩め、今まで見聞きした不思議な動物や植物なんかの話をしているうちに大いに盛り上がってしまった。


「こんな部屋しかなくて悪いわねえ。なにせ、外からお客さんが来ることなんて滅多にないもんだから」

「いえ、こちらこそ、突然押しかけてしまって部屋を占領してしまい、申し訳ありません」


 日がとっぷりと暮れた後、私たちにあてがわれたのは明らかに夫婦の部屋であった。

 彼らの家は大して大きくもなく、夫婦の部屋の他には台所を兼ねた居間と子供たち用の部屋があるだけだ。


 野宿しないですむのはありがたいけれど……思わず、私はリンの顔を見つめた。彼女は「どうしたの?」とでも言いたげに小首を傾げる。


 問題は、ベッドが一つしかないことだなあ。

 夫婦と名乗ったから、彼らはそうすることを疑問にも思わなかったのだろう。

 私がリンの夫と言うことにしたのは、単に説明のしやすさと不審に思われないためにだ。


 兄妹と言うには顔立ちも髪の色も違いすぎるし、師弟というには見た目の年齢が近すぎる。若い男女がただの旅仲間と名乗るよりは、夫婦と言った方が通りはいいし、村を再度訪れる言い分も立ちやすいだろうという、単純な理由だ。


 ……まあ、いいか。リンとは、彼女が幼い子供の頃からの付き合いだ。今更同じベッドで眠るくらいなんということもないだろう。


「なんでもないよ。今日のところはとりあえず寝ようか」


 久しぶりに長い距離を歩き詰めて、大分疲れも溜まっている。

 私がベッドに横たわると、リンは驚いたように目を大きく見開いた。


「どうしたの?」


 尋ねると、彼女はブンブンと首を振る。私は身を起こして、ゆっくりとした動作で彼女の手を取り、引き寄せた。


「もしかして、一緒は恥ずかしい?」


 部屋と部屋を隔てる戸はあるとは言え、雑な作りのそれに防音性能なんて期待するべくもない。耳元に口を寄せて小声で聞くと、リンはこくこくと頷いた。


「そうは言っても他にベッドはないし、我慢してくれ」


 ベッドの大きさ自体はダブルサイズというか、二人で並んで寝ても窮屈な大きさじゃない。木製の骨組みに毛皮が敷いてあるくらいの粗末なものだが、床で寝るよりは大分マシなはずだ。


 私が再びベッドに横たわると、リンは渋々と言った様子で隣にやってくる。かと思えば、私に背中を向けるかのように横向きになってくるんと丸まった。


 うーん……昔は一緒にお風呂に入ってたくらいなのになあ。闇の中、丸められたリンの背中を見つめて、私は親離れした娘を見るような気分になる。


「おやすみ、リン」

「ん……」


 小さく呻くような返事を耳にして、私は疲れからか、すぐに意識を手放した。



 * * *



「本日はお時間をいただきまして、ありがとうございます」

「いえいえ、こちらとしても村の外の話を聞くのは楽しい限りですからな」


 リンと共に一泊した、その翌日のこと。

 私は村の人に頼んで、村長と話をさせてもらうことにした。


 ほうぼうで聞いて回った話を語り、その代わりにいくばくかの食料と、その村での話を聞かせてもらう。それが、私たちが旅している理由であると説明した。言うなれば放浪の新聞記者のようなものだ。


 正直面白おかしく話をするようなことは苦手なのだけど、そこはそれ、私には曲がりなりにも数百年教師をやってきた経験と実績がある。笑い話のネタには事欠かなかったし、なんなら過去に生徒たちから聞いた話をそのまま話したって良かった。台本なんか用意せずとも正確に思い出せる竜の記憶力が、実にありがたい。


「いや、実に面白い話でした。こんなに愉快な気分になったのは久しぶりです」


 村長は中でもニーナのエピソードをいたく気に入ったらしい。彼女がエルフであることは伏せて、色々と彼女の話を切り売りしてしまった。中には恥ずかしい話もあったが……まあこれも情報収集のためだ。きっと彼女も快く許してくれるだろう。


 ――そもそもそんなことをしたなんて伝える気は毛頭ないけど。


「しかし困りましたな。こっちにはお返しできるような面白い話はありませんよ」

「いえいえ、別にどんなお話でもいいんですよ。例えば……そうですね、この村がどうやって出来たか、とか」

「そんな話で良いのですか?」


 村長は不思議そうに首を傾げる。まあ確かに、よそで話してウケそうな話ではない。


「ええ……と言うより、実は本命はそちらでして。私たちの使っている言葉は同じものでしょう? 実はこれはとても珍しい事なのです。普通は、住んでいる場所が違えば使う言葉も違う」

「ああ。確かに……化け物どもは、我々には理解できない言葉らしきものを口にしますな」


 村長は顔をしかめ、忌々しげに呟く。

 化け物とは多分、エルフの事だろう。私の知る限りでは、自力で言語を獲得していた種族はエルフと竜だけだ。ケンタウロスも、人魚も、リザードマン……巨人や小妖精、それに人間も、私が教えるまで言葉と呼べるほどの文化は持っていなかった。


「私たちは故郷を……自分たちの祖を探して旅をしているのです。この村ではないようなのですが、かと言って無関係とも思えない」

「我々の言葉には少し違いがありますからな」


 村長の言葉に、私は頷く。そう、この村の人達の言葉は確かに日本語なのだけど、私が使うそれとは微妙に差異があった。


 イントネーションや使い方、そもそもの慣用句など、端々で違和感があるのだ。

 昨日家に泊めてくれた女性は、リンのことを「端に置けない」と言った。だがそれは正確には「隅に置けない」だ。「美人」も普通は男である私に使うような単語ではない。

 意味は通るが、かと言って全く同じ言葉とは言い難い。そんな微妙な差異だった。


「これは代々伝わっている話で、俺も親父から伝え聞いたものなんですがな」


 村長はそう前置きし、語り始めた。


「何でも我々の祖先はもともと、言葉なんて持っていなかった。それどころか家もなく、道具もろくに使えず、火も持たぬ猿だったといいます。ですがある時一人の魔法使いがやってきて、そんな私たちに言葉と魔法を教えたのだそうです」


 身振り手振りを交えつつ、村長は熱のこもった口調で語る。


「その魔法使いを……我々は、『始まりの魔法使い』と呼んでおります」


 それはなんだか、やけに聞き覚えのある話だった。

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