竜歴698年

第23話 到達/Reaching

 季節は移り変わり、時は瞬く間に過ぎ去って、その奔流は全てを運び去っていく。


「それじゃあ、いっくよぉー!」


 村の外れ、南へと伸びる街道の傍ら。

 皆に見守られながら、ルフルは大きな鉄の鎚を振り上げて宣言した。


「ええーいっ!」


 柄までが金属でできたその鎚が、轟音とともに地面を叩き、大地を揺らす。

 それは実際には鎚ではなく、いうなれば巨大な判子だ。

 振り下ろされた判子は表面に掘られた文様を地面に刻みつけ、即席の魔法陣を地面に描く。


 するとすぐさまその陣に、小さな影がひらりと飛来した。

 ティアだ。


起動Awakeっ!」


 彼女が陣に小さな手のひらを押し付け、起動句を口にする。

 途端、まるで折り紙を展開するかのように大地は割り開かれて溝を作ると、硬く押し固められて石畳のように舗装されていった。


 その美しさに、私は思わず息を呑む。ここまで見事に魔法を展開できるのは、ティアを置いては他にいなかった。


 開いた溝は溜池と水路とを繋いで、水路へと水が流れ込んでいく。それは遥か彼方、竜の目でさえ見通すことが出来ないほど遠く、人魚たちの棲む湾まで繋がっているはずだった。


「やったぁー!」

「おめでとう!」

「ほんっと、長かったですねぇ」


 途端に、わっと歓声が上がる。

 ヒイロ村と人魚たちの湾とを水路で結ぶ、一大事業。

 数十年にも及ぶその大偉業が、今ここに完了したのだ。


「やったわね、ルフル」

「ティアっ」


 幼さを残した大きな少女に向かって、小さな女性が手のひらを掲げる。

 ルフルは遠慮なく、その手のひらに己の手を打ち付けた。


「だからちょっとは手加減しなさいって言ってるでしょ、私を潰す気!?」


 壁のように迫るそれをひらりとかわして指先に手のひらを打ち付けながら、ティアはいつものように文句を叫びながらも、笑みを浮かべた。


 笑い合う二人の顔は、どちらも泥だらけだ。


 文字を彫り、魔法を起動する付与魔法。その最大の特徴は、魔法に必要な意図と意味と意志をそれぞれ別に分割できるということにある。

 意図は彫った人に。意味は彫った文字に。そして意志は、起動した者に委ねられる。


 料理に例えるならば、意図はレシピで、意味は食材。意志は料理人のようなものだ。

 同じレシピ、同じ食材でも、作るものの腕で料理の美味しさは大きく異なる。

 そしてティアは紛れもなく、一流の料理人だった。身体が小さいからだろうか、その魔法の精度や細やかさは他の追随を許さない。


 ルフルがその巨体を活かして鎚を振るい、巨大な付与魔法のルーンを彫る。

 ティアがそれを起動し、微細極まる水路を展開する。


 互いの長所を組み合わせた工法によって、この大事業は成されたのだった。


「何とか、間に合いましたねぇ……」

「やめてくれよ、縁起でもない」


 ほっとした様子で言う水色に、私は思わず顔をしかめた。


 車椅子に座って水路を眺める彼女の顔に刻まれた皺は、もはや誰の目にも明らかだ。

 黄金の糸を紡いだようだった髪は真っ白に色を失って、見る影もない。

 一昨年ユタカを亡くしてから、彼女は更に老け込んだ気がする。


「そうだよー。お母さんはまだまだ元気でいてよね」


 ぷっくりと頬を膨らませ、文句を言うユウカは水色とは対照的に未だ若々しい。


「そうねえ……るーちゃんたちの水路作りも終わったことだし、後の心残りは孫の顔を見ることくらいかしらねぇ」

「じゃあ、少なくともあと百年くらいは生きてないと無理だね」


 勝ち誇るかのようにユウカは言い放った。


 子供の頃はユウキにそっくりだった彼女だけど、今はそれほど似ていない。どっちかというと、赤い髪を腰まで伸ばしたその面影は、どこか水色の若い頃に似ていた。


 つまりは相当な美少女ということで、村でも相当モテてはいるのだけれど、その割に浮いた話の一つもない。


 なんでも本人曰く、年上の頼れる男性が好みなんだそうだ。年齢が見た目通りだった三十年前ならともかく、今の彼女より年上で未婚の男なんてそうそういないんだけどな……あともう二十年もしたら完全に絶滅するだろう。


 ちなみに私は別に聞いてもいないのに、「先生は確かに年上だけど……」と振られ済みだ。極めて遺憾である。


「……ほら、終わったんだから家に戻るわよ。身体に障るわ」

「ん。そうだね」


 ニーナにくいと腕を引かれ、私は頷く。

 一段と冷え込み始めた冬の寒さは、今の水色にはさぞ堪えることだろう。

 彼女の車椅子を引こうとしたその時、突然、水路が大きく波打った。


「何だ!?」


 早速人魚がやってきた……などというわけがない。先程水を流し始めたばかりなのに、早すぎる。そもそもまだ湾まで水が届いてすらいないだろう。


 だが明らかに、何か大型の生き物が水中を進んできている。緩やかとは言え流れる水の中を、呼吸もせずに進むことの出来る獣なんて全く心当たりがなかった。


 それはニーナも同じようで、私たちは水面を凝視しながら神経を張り詰める。ユウカが水色を庇うように前に立って、腰の石剣に手をかけた。


 ふと、私は何か既視感を覚えた。何だか前にも、こんなことがあったような……

 あっ。


「ただいまー!」

「危ないっ!」


 ざばりと水中から飛び出した影に向かって、ニーナの放った木の弾丸が、ティアの炎が、ユウカの剣閃が飛ぶ。それとほとんど同時に私は駆け出し、現れた影に向かって突進した。


「えっ!?」


 驚きの声は誰のものだったか。それすらわからないままに私は彼女――リンへと飛びついた。人の姿をしている間、私の肉体は人と同じ程度の頑強さしか備えていない。けれど、着込んでいるコートは別だ。


 竜の鱗が変化して出来たそのコートは、ニーナ達が放った攻撃のことごとくを弾く。その衝撃を背中に感じながら、柔らかな身体を両腕に抱きしめて――


 そして、勢い余ってリンもろともに水路の中に落っこちた。



 * * *



「はー、びっくりしたー」

「それはこっちの台詞よ!」


 呑気に言うリンに、ニーナは柳眉を逆立てながら私の背中に軟膏を塗る。

 あの後しきりに謝るユウカを何とか宥めて家に戻り、ずぶ濡れになった服を脱いでみれば、私の背中は真一文字に腫れ上がっていた。


「ニーナ、もうちょっと優しく……」

「あんたもあんたで無茶しすぎよ! はい、おしまい!」


 容赦なく薬を塗り込んでくるその手つきに思わず文句を漏らせば、ピシャリと叩かれて私は小さく悲鳴を上げる。


 竜鱗のコートは非常に頑丈で熱を通すこともないが、衝撃を全て吸収してくれるわけではない。柔らかなその生地の上から金属の棒で殴られれば、それなりにダメージは通る。


 背後に水色を庇っていたのが不運だった。ニーナやティアの攻撃は幾分加減したものだったが、ユウカのそれは完全に一撃で仕留める気できていて、私が間に入らなかったらリンの胴は真っ二つになっていたかもしれない。


 ルフルが攻撃に加わってなくて本当に良かった。慎重な彼女は状況を見守る方に回ってくれたが、あの大鎚で殴られたら竜鱗のコートがあろうが多分死ぬ。


「ユウカ、あんなに小さかったのに、強くなったねー」


 危うく真っ二つにされるところだったというのに、リンはのんきにそんなことを言った。


「あの子がユウカだって、よくわかったわね」


 ニーナが指摘する。言われてみればそれもそうだ。リンが旅に出たのは確か、ユウカがまだ五歳くらいの頃だったか。


「え? そのくらいわかるよー。水色も随分変わっちゃったけど、まだ元気そうで良かった。ユタカの事は……残念だったけど」

「あんたがちゃんと連絡しないのが悪いのよ」


 ユタカの葬式に出れなかったことと、今回の件、両方に腹を立てているのだろう。ニーナは不満げに言った。リンからの連絡は最初の十年くらいは毎日のように飛んできていたが、案の定ある日を境にぷっつりと途絶えてしまっていた。


 私の鱗を使った通信魔法は便利だけど、一つ欠点がある。私の方から、特定の鱗へと狙って連絡できないのだ。鱗を渡してる相手は何十人もいるが、その全てに繋がってしまう。鱗の方から通信してくれれば、ちゃんと一対一で話せるんだけど。


「それがね、せんせーの鱗、壊れちゃったみたいなの」


 リンはそう言ってゴソゴソと鞄から鱗を取り出す。


「壊れた?」

「なんか急に、通じなくなって」


 取り出された鱗には、ヒビ一つはいっていない。七百年近く前にニーナに渡した鱗が未だに使えるくらいだし、そう簡単に壊れるとは思えないんだけどなあ。


「貸して。……聞こえる?」


 ニーナがリンの手から鱗を取って、唇を寄せるように囁やけば、空気を震わせる音とは別に私の頭蓋に彼女の声が響く。


「ちゃんと聞こえる。こっちの声も……通じてるみたいだね」


 それを意識して声を出せば、鱗は震えて私の発する通りの音を立てた。


「あれえ?」

「経年劣化じゃないとするなら……距離で制限があるのかもしれないな。リン、一体どこまで旅にいったんだ?」


 今まで試した中で一番遠いのは、リザードマンの集落と人魚の湾との間だろうか。きちんと測量したわけではないが、数百キロ程度なら通じるはずだ。


「んーっと……ここがこの村で、ここの辺りがシグの村。ここに山があって、川があって、ずーっと辿っていって、この辺に巨人の集落……」


 言いながら、リンは紙の上に大雑把な地図を描いていく。その線に迷いはなく、私の知る範囲ではだいたい正しい位置関係だ。やがてそれは私の知らない場所をも描き出していって、今まで私が見て回った範囲の何倍もの広さを記した地図が出来上がった。


「連絡が取れなくなったのは、この辺りかな」


 その地図の中ほどを指し示し、リンは言う。ヒイロ村からシグの集落への延長線上、千キロくらいの距離だろうか。


「随分遠くまで行ったのね」

「うん。人間以外は敵だ、なんて村もあってびっくりしちゃった」

「大丈夫だったの?」

「うん。こうしたからね」


 リンが一撫ですると、彼女の尾は人の脚へと変わり、顔についている耳ヒレも人のそれへと変化した。


「人に化けていったわけ?」


 ニーナの問いに、リンはこくこくと頷く。見事な変身魔法だけど、喋れなくなるのは相変わらずらしい。


「エルフもそうだから人の事は言えないけど、閉鎖的な村もいるものね」

「まあうちが特別という気はするけどね」


 なにせ始まりからして、ドラゴンと共存してる村だ。それに比べたらエルフも巨人も、見た目は人に近い分馴染みやすいくらいだろう。


「でも、近づくだけで『化け物め、出て行け!』なんて言われて、石とか槍とか投げられるなんて思わなかったよ」

「誰かさんも通った道ね」


 脚をもとに戻して唇を尖らせるリンに、ニーナはニヤニヤと笑みを浮かべた。また懐かしい話を……ん?


「あれ? それ、おかしくないか?」


 ふと私はあることに気づいて、首を傾げた。

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