第15話 運命/Carry a Life
どうしたら良いと思いますか?
水色にそう問われて、私はなんと答えたのだろうか。
あまりの衝撃には、六百年前のことでも鮮明に思い出せる竜の記憶力さえ役に立たないものらしい。
私は気がつくと、ベッドの上で朝を迎えていた。
もしかしたら夢だったのではないか、なんて現実逃避をしてみるけれど、耳に残る水色の声がそうではないと私に悟らせる。
「んん……おはよ」
私が寝ている間に戻ってきたのか、それとも私が寝ている彼女の隣に戻ってきたのか。とにかくいつの間にか横で寝ていたニーナは、私の動きを感知したのか目を覚まして大きくあくびした。
「おはよう……ニーナ」
「ん? なに」
ニーナは、水色のことをどこまで知っているのだろうか。
ユタカとの関係は知っているだろうけど、流石に妊娠してるかも知れないなんてことまでは知らないのではないか。ニーナに相談しているなら、わざわざ私にまで相談しないだろうし。
そもそも、人間とエルフの間に子供ってできるのか? いや、その前に……
「エルフって、どうやって子供を作るんだ?」
素朴な疑問を口にした瞬間、拳が飛んできて、私の意識は再び途切れた。
* * *
「ニーナ……人間の姿を取ってる時は、殆ど人間と同じくらいの耐久度しかないんだから、手加減してくれよ……」
「あんたが変なことを聞くからでしょ!」
流石にその辺の話は、ニーナといえども恥ずかしいらしい。ほんのりと頬を染めて、彼女は怒鳴った。
「いや、別に変な意図はないよ。純粋に、学術的な話なんだ」
確か前世……地球の分類で言うと、種の境というものは交配できるかどうか。つまり、子供を作れるかどうかで決まっていた。
イヌと狼の間には、子供が生まれる。それはつまりイヌと狼はもともと同じ種だからだ。
しかし、人と猿との間には生まれない。人類が猿から進化した生き物であっても、猿とは違う種であるということだ。
逆に同じ人間であれば、国や肌の色に関係なく子供は作れる。白人や黒人のような人種の分類は文化的なものに過ぎず、生物学的には人類は万国共通でホモ・サピエンスただ一種であった。
エルフと人間は、確かに見た目はよく似ている。身体能力や魔法のことを除けば、耳の長さくらいにしか差はない。けれども、寿命に差がありすぎる。同じ種なのかどうか、難しいところだった。
とは言えそういった考えも、そもそもエルフが人間と同じように増えればの話だ。種を植えれば木が育ち、その実の中から出てくる、みたいな増え方をしても不思議ではない。そもそも私は、子供のエルフというのを見たことがなかった。
「……同じよ。人間と。人間との間にちゃんとした子供が生まれるかまでは、わからないけど……」
視線をそらし、怒ったような口調でニーナ。
人間との間にわざわざ言及するってことは……
「君も知ってたのか」
「そんなの、見ればわかるわよ」
いや普通はわからないと思う。
「私が何人の子供を取り上げてきたと思ってんの」
反射的にそう思うと、ニーナは胸を張ってそう言った。
言われてみれば、それもそうか。
悪い部分を切り取り、傷口を縫い合わせる外科技術。
種々様々な薬草を調合し、処方する内科技術。
そして痛みを和らげ、体調を整える魔法医術。
そのどれを取ってもニーナは間違いなくこの村で一番の名医だ。
ダルガの息子ダルゴを始めとして、彼女が取り上げた子供の数は百や千ではきかないだろう。この時代の水準にしては死産率が異様に低いのも、彼女のおかげだ。
「じゃあ……本当に、子供ができたんだ」
「ちゃんと生まれるかどうか、生まれたところで育つかどうかはわかんないけどね」
……そうか……それに、仮に生まれても、馬とロバの交雑種であるラバのように、生殖能力を持たないという可能性もある。
けれど。
「けれど、それでも。子供が出来るというのは、喜ばしいことだよ。全ての生き物はそうして、ずっと命を繋いできたんだから」
ああ。そうだ。
「……そうね」
珍しく素直な笑みを浮かべて、ニーナは頷く。
そうだ。私は水色に、そう答えたんだった。
* * *
ニーナの見立てに間違いはなく、秋になる頃には水色のお腹はふっくらと膨らみ始めた。見ものだったのがユタカで、彼は水色が妊娠していることを全く知らなかったらしい。
それを知るやいなや、食事中、他の学生たちの前だったと言うのにユタカはその場で水色にプロポーズし、周りから盛大に笑われたものだった。ユタカらしいと言えば、ユタカらしい。
お腹が大きくなりすぎないうちに、と二人の挙式は急ピッチで進められて、その三日後にはニーナを神父役にして結婚式が執り行われた。
月の光を糸にして編んだ(ニーナが言っていた満月云々というのは、このことだったらしい)真っ白なマタニティ用のウェディングドレスを着た水色は本当に美しく幸せそうで、あまり関係のない私まで貰い泣きしてしまってニーナにからかわれたのもいい思い出だ。
……そして、それから更に半年。
運命の日は、やってきた。
「ううぅぅぅぅ……っ! く……うぅぅぅぅっ!」
端正な顔を苦痛に歪め、身体を丸くして水色が呻く。
「頑張れ、水色……! ニーナ姉さん、まだ駄目なんですか!?」
「駄目よ」
必死の形相で水色を励まし、水色以上に苦しそうな表情で問うユタカに、しかしニーナはにべもなく答えた。
「産むのはもっと陣痛の感覚が短くなってから」
「でも……! こんなに、苦しそうなのに」
陣痛が始まってから分娩まで、初産だとたいてい半日くらいはかかる。
その間、妊婦は男には想像もできないような痛みをずっと耐えなければいけないのだから、かえって気が気じゃないのだろう。先程からユタカは何度もニーナに尋ねては、鬱陶しがられていた。
「人ひとり産もうってんだから、そりゃ苦しいわよ。リン、邪魔だからつまみ出して」
「はーい」
水の縄がするりと伸びたかと思えば、ユタカの両手両足を縛って外に放り出す。
ちょっと可哀想だけど……まあ、男がいても何が出来るわけでもないしな。
「ユタカくん、大丈夫だよ、ニーナ先生がついてるのよ」
「親になるんだから、もっとしっかりしてなさいよ! ほら!」
体格の関係上病室には入れないルフルと、それに付き合って外で待っているティアがユタカを慰め励ます声が聞こえてくる。申し訳ないが、彼はあの二人に任せておこう。万一ユタカが強行突破を試みても、ルフルなら止められるし。
「ゆー……ちゃん……」
「分娩が始まったらまた呼ぶから大丈夫よ。あんたは何も考えずにおとなしくしてなさい。大変なのはもっと後なんだから、覚悟してなさいよ」
びっしょりと全身に汗をかきながら、水色はこくりと頷く。
「ニーナ先生……アタシ、頑張ります。絶対に……産んで、あげたいから。だから……もし何かあったらアタシより、この子を」
真剣な表情で、水色はニーナに訴える。
「馬鹿言ってんじゃないわよ」
そんな彼女の悲壮なまでの覚悟を、ニーナはあっさりと笑い飛ばした。
「私が言ったのはそんな覚悟じゃないわ。いい? 一番大変なのはその後。子供が生まれた後よ」
「……え?」
これから臨む、水色にとっての大一番。文字通り生死をかけた勝負の前に、いきなりその後の話をされて、彼女は目を丸くした。
「エルフの子供と違ってね、人間の子供ってのはすっごく手がかかるの。その辺で木の根っこかじらせときゃいいってもんじゃないのよ。一日何度もお乳をあげて、おしめを替えて、寝かしつけたと思ったらすぐ起きて、自分は寝ることも出来なくて……本当に、本当に、大変なんだから。そんな事を、あんた、あの馬鹿一人に任せるつもり?」
ニーナの言葉には重みがあった。勿論、彼女自身は子供を産んだことなどない。
けれど子供を育てたことなら何度もある。
ロクな薬もないこの時代、産後の肥立ちが悪くて亡くなる母親なんて珍しくもないからだ。
「だから、あんたはその時のことを今から覚悟してなさい。――この私が、あんたもその子も死なせやしないから」
自信満々にそう言い放ち、ニーナはにっこりと笑みを浮かべる。
「……はい!」
そして、苦しみに苦しみ、一日半。
三十六時間にも及ぶ大難産の末、水色の子供は生まれてきた。
赤い髪に、尖った長い耳。親の性質をそっくり半分に分けた女の子。
ユウカと名付けられた彼女こそが。
世界最初の、ハーフエルフだった。
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