第14話 爆発的衝撃/Explosive Impact

 空の彼方、リンが指し示したもの。


 それは、山の中腹に今なおぽっかりとあいた風穴だった。


「いや、流石に無謀じゃないかな!?」

「大丈夫だよー。せんせーならできるって」


 つまり彼女は、私のブレスで大地に一直線に穴をうがち、水路を作れと言っているのだ。


「山に風穴を開けられるくらいなんだから、地面に溝を作るのなんて簡単でしょ?」

「いや、ちっとも簡単じゃないよ」


 確かに、手で掘るよりは大分楽ではあるだろう。けれどあまりに危険だった。

 ああもぽっかり穴が開いているということは、恐らく炎の直撃を受けた石や土は殆ど蒸発してしまったに違いない。


 もし万が一そんなものを人が喰らえばまず間違いなく助からない。

 それに、射角の問題もあった。高い山の中腹を穿つならともかく、地面に溝を掘るとなると私はどうしても下方向にブレスを吹かざるを得ない。この世界の地底がどうなってるかはわからないけど、掘りすぎてマグマが吹き出してしまったりはしないだろうか?


 勿論、私のブレスがそこまで掘り進めるとは限らないのだが、こと火竜の能力についてはあまり過小評価しない方がいい。私はそれを経験からよく知っていた。


「じゃあ、下から撃てばいいじゃないの」


 私の説明を一通り聞いた後、ティアがあっさりとそう言った。


「下から?」

「わたしが、せんせぇが入るおーっきい穴を掘るよ!」


 思わず瞠目すると、ルフルが拳を振り上げる。


 ……なるほど、地中から、地表すれすれに炎を吹けば良いのか。

 たしかにそれなら地底まで穴を開けてしまう恐れはない。


「けれど危険なことには変わりない。もし経路に誰かが足を踏み入れたら……」

「当日は私が皆に周知します。草原の民はけして誰も立ち寄らせません」


 きっぱりとした口調で、ルカがそう断言する。

 慎重で責任感の強い彼女がここまではっきり言うのであれば、相当の自信があるのだろう。


「いや、でも、ちゃんとルカが避難させた経路にブレスを吹けるかどうか」

「それは私がちゃんと空から確認するから大丈夫だよ」


 言いつつ、リンはゴソゴソと鞄から赤い表紙の本を取り出す。


「ここからこっちに向かって吹いたら、大丈夫だと思うんだ」


 そこに描かれていたのは、今広げられているのとは比べ物にならないほど精巧な地図だった。


「こんなのどこで手に入れたの?」

「え? 私が描いたんだよ」


 恐らく、空から見下ろした光景をそのまま書き写したのだろう。

 それは地図というよりもむしろ美しい絵画だった。もこもこと膨らんだ森の葉や、広大な草原にたなびく草、そこを流れる川に、点在する木々までが、写実的に描かれている。

 それでいて、それは私の記憶の中にある光景に完全に一致する。

 いわば人力の航空写真みたいな地図だ。確かにこれがあれば、かなりの精度で方向を絞りこめるだろう。


「けど……方向を間違えなかったとしても、同じ威力を出せるかどうか、自信がない」

「あの時の呪文、一言一句違えることなく言いましょうか?」


 私がそう言うと、ニーナがそう答える。表情に変化はないが、その目の輝きは私をからかう時のものだ。


『ごめんよ、ニナ』


 彼女の口から紡がれたのは、エルフ語だった。そうか。あの時、私が相対していたダルガはまだ日本語を使うことができず、エルフ語で話しかけたんだった。


『じゃあ、こっちの女とお前は、今から俺のものだ。いいな?』

『勿論、良いわけ無いだろ』


 って言うか、そこからやるの!? ニーナは声色まで変えて、一人二役で私とダルガの会話を再現してみせる。


『ハッ。じゃあ勝負するか?』

『ああ、そうさせて……』

「わかった、わかった、わかったよ!」


 私はとうとう観念して叫んだ。正直、あの時の事は半ば黒歴史である。

 ニーナもそれを分かってわざわざ会話から再現してみせたんだろう。


「やればいいんだろ、やれば!」


 言って私は、竜の姿に変化する。


「まだ穴は掘ってないわよ」

「今すぐやるわけじゃないよ。けど、練習は必要だろ」


 私が全力でブレスを吹いたのはあのダルガとの戦いのとき、一回きりだ。

 同じことが出来るかどうかの自信すらなかった。


「……また大きくなってる」


 私の身体を見つめ、ニーナはどこか恨めしげにそう呟く。


「仕方ないだろ、勝手に大きくなるんだから」


 私がずっと人間の姿で暮らしていても、竜の身体の方はちゃんと成長しているらしい。お陰で、久々に変身すると自分の身体の大きさに戸惑ったりするハメになる。

 ……まあ、ニーナは殆ど成長してないもんなあ。どことは言わないけど……

 彼女より若い水色を見れば、それはエルフという種族ではなく、彼女個人の特徴だと言うことがわかる。


 そんな事を考えていると刺すような鋭い視線が飛んできたので、私は慌てて視線を空に向けた。


 本気のブレスは収束性が高い。まるで筒でくり抜いたような穴がその証拠だ。真上に向かって撃てば、周りに影響はないだろう。


 空にはぷかぷかといくつも雲が浮かんでいて、柔らかな風が頬を撫でていく。

 ……そういえば、あの日もこんな天気だったな。


「我が鱗より赤きもの、我が牙よりも剛つよきもの、我が血潮より熱きもの、我が眼より輝くものよ」


 憮然とした表情でこちらを見つめるニーナと、縄で縛られたまま心配そうに私を見るアイ。

 完全にこちらを見下した様子で笑みを浮かべるダルガ。

 そんな光景が、私の脳裏をよぎる。


 あの時は彼のことが恐ろしくて仕方なかったが……数々の剣部を見てきた今ならわかる。

 正直、あの時のダルガは隙だらけも良いところだ。もしユタカがあの場にいたら、簡単にダルガを打ち倒してアイたちを助けられただろう。


 まあ、ダルガが剣部たちの祖先なんだから、そんなことはありえないのだけど。


「汝は全てを焦がす槍、汝は全てを滅ぼす剣、汝は全てを貫く矢、汝は全てを砕く鎚」


 記憶は更に鮮明になり、あの時は気づかなかった周りの気温や風の音、村の中で燻る焚き火の匂いと言ったものまでもが思い出されていく。

 そして、私の胸の中を燃やす、怒りさえもが。


 思い返せば、あれほど怒ったのは後にも先にもあれっきりかも知れない。


「束ね束ねて全てを穿つ、一条の閃光となれ」


 不思議な感覚があった。私は今、別に全く怒っていないし、怒る理由もない。

 けれど、記憶を掘り返すうちに胸に渦巻く何かがあった。


 チリチリと、何かが焼き付くような感覚。もう一歩で届きそうで、


「汝が名は」


 爪の先がそれを捉え――


竜の吐息Fire Breathing


 そして、逃した。


 そんな感覚とともに、私の喉奥から炎が迸り、真っ直ぐに天を衝く。


 真っ赤な閃光の柱が雲に触れた瞬間、まるで波紋のように衝撃の波がぶわりと空に広がる。それを追うようにして白い雲が真っ赤に染まり、バリバリと轟音を立てながら火花を幾重にも散らした。


 それは迸る稲妻となって、大気を、地表を揺るがしそこら中の雲に伝わりながら駆け巡る。無数の光の亀裂が雲のことごとく、空の果てから果てをなめ尽くすそのさまは、世界の終わりが到来したと言われても誰もが信じたことだろう。


 村のそこかしこから悲鳴が上がり、私たちは為す術もなく呆然とその光景を見つめる。

 幸いにして、それらの被害が地表にまで及ぶことはなかった。大量の稲妻は雲を喰らい尽くすと同時に収まり、あとに残ったのはただ彼方まで真っ青に染まり上がった空ばかり。


「……落ちて……来ない、わよね? 空……」


 恐る恐る、と言った様子で、ティアが問う。

 彼女の言葉を杞憂だと笑えるものは、誰もいなかった。



 * * *



 その夜のこと。

 ふと私が目を覚ますと、隣で寝ていたはずのニーナの姿がなかった。


 夫婦でもない男女が同衾するのもどうかという気はするのだが、ニーナとは互いに今更という認識があった。原始時代生活をしている頃はベッドどころか布団さえ、家すらなく、お互いに寄り添い合いながら眠っていた。その頃の習慣が、今に至るまで続いてしまっているのだ。


 まあ、流石にアイやユウキと夫婦でいた間は、ニーナも気を使って別の家で寝泊まりしていたけれど。


「おぉ……」


 何となくニーナの姿を探して外に出てみると、満天の星空に私は思わず声をあげた。

 この世界の夜は早い。街灯なんかないから日が落ちればすぐに寝てしまって、意外と夜空を見上げる機会というのはなかった。雲一つない夜の空となれば殊更に珍しいものだ。


 ……と言うかこの空は、完全に私のせいだろうな。全力で放ったブレスは雲をかき消し、未だに戻ってきていないのだ。一体どこまで消してしまったのやら。


 あの後、とりあえず私のブレスで水路を掘る計画は満場一致で白紙に戻った。あんなものを地上で撃てばどうなることか、想像もつかない。地道に、少しずつ整備していく他ないだろう。


「あ……センセ」


 微かな物音を聞きつけて向かった先。

 そこで月を見上げていたのは、ニーナではなく水色だった。


 そう言えばニーナが満月がどうとか言ってたな。何か関係あるんだろうか。


「やあ、水色。どうしたの? こんな夜に」


 森で暮らすエルフたちは恐ろしく夜目が効く。こんなに星と月が明るい夜なら昼間も同然だろうけれど、だからといって出歩くのも不自然なように思えた。


「うん……ちょっと、月を見てて……」


 水色は何かを思いつめるように、視線を地に投げる。ただ月を綺麗だと眺めていたわけではないのだろう。


「何か悩みがあるなら、聞くよ。私は君の先生だからね」


 そう言って草べりに座り込めば、やはり何かあるのだろう。少し間を空けて、水色が隣にちょこんと座る。


「あの……ですね」

「うん」

「あたし……その、馬鹿猿……ユタカ、と」

「うん」

「えっと、あの……何ていうか。その……す……好き、あってて」

「うん……」


 何だって!?


 私はそう叫ぶところを、何とか押さえた。


「や、やっぱり、気づいてましたよね……」

「……まあ、薄々はね」


 ごめん全然気づいてなかったよ!

 そう思うも、私はつい虚勢を張ってしまった。

 けれど言われてみれば、思い当たる節がありすぎた。

 そりゃニーナにも馬鹿って言われて蹴られるわけだ!


「なるほど。毎回馬鹿猿とか呼んでるから、嫌われてるかも知れないってこと?」

「あ、そこはだいじょぶです。ゆーちゃん、別にそう呼ばれるのはヤじゃないって」

「ああそうなん……だ?」


 なんて? 今ゆーちゃんって言った?


 いつも眉を釣り上げてユタカを怒鳴りつけている少女が、恋する乙女の表情で独白するのを、私は間の抜けた顔でただただ見つめた。


「それで、その……悩んでるのは、もっと、ずっと別のことで」


 そう言えば彼女はさっき、「好きあってて」といった。

 とっくに互いの気持ちは確認してるのだ。

 ……と言うか、ユタカも水色のこと好きなのか。全然そんな感じなかったのに。


「あの、もしかしたら、なんですけど」


 じゃあ一体彼女は何を悩んでいるんだろう?


「アタシ、その。彼の……赤ちゃん、いるかも、知れないんです」


 マジでか。

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