第13話 萌芽/Germination

「ユタカ、いるかい?」

「え、うわ、ちょ、待って! 待っ……!」


 ユタカの家を訪ね外から声をかけると、中からは焦ったような返事がかえってきた。

 かと思えば、彼の小柄な身体が弾かれるように飛び出してきて、地面をゴロゴロと転がる。


「……大丈夫?」

「はい……」


 剣部の彼がよほどダメージを受けたのか。ユタカは緩慢な動作で立ち上がった。


「ご、ごめん馬鹿猿! ちょっと流石にやり過ぎ――あら、センセ。いらっしゃい」


 次いで水色が姿を現して、私を見るなりにこりと微笑む。

 いや、取り繕っても、バレバレだからね?


「また喧嘩をしてたのか、君たちは……」


 流石に呆れて私はため息をつく。わざわざユタカの家に来てまで喧嘩してるなんて、仲が良いんだか悪いんだか。


「えっ、あ、そう、ほんと、この馬鹿猿ったら、何度言ってもわかんないんだから、困っちゃいますよねぇ」

「程々にしておきなよ」

「……馬鹿」


 まあ流血沙汰になるような事は今まで起こってないから大丈夫だと思うけど……などと思っていると、何故か後ろからニーナに蹴られた。

 さっさと本題に入れ、ということだろうか。


「そうそう。こんなものをみたんだけど、ユタカは知ってる?」

「ああ、モンですね」


 ルカから借りたコインを見せると、ユタカはあっさりと答えた。


「えーと、最初は、なんだっけな。粉屋のサシドさんが作ったんですよ、確か」


 粉屋というのは、小麦の脱穀と製粉作業を担う職業のことだ。元々は畑ごとに自分の畑で取れた小麦を自分で小麦粉にしていたんだけど、纏めてやった方が効率的だと言うことで、他の畑から小麦を預かって粉にして返す粉屋が生まれた。そこまでは、私も把握している。


「全部纏めて粉にすると、どこからどれだけ小麦を預かったかわからなくなるって言うんで、引き換え証を出したんです。預かった分だけ、粉を返すって」


 なるほど。合理的なやり方だ。


「で、皆は粉を貰って、パン屋のイシドさんのところに持って言ってたんですけど……小麦粉って結構嵩張るじゃないですか。いちいち運ぶのが面倒くさいからって、引き換え証をイシドさんに渡して、この分の粉でパンを作ってくれって頼んだんですね」


 イシドはサシドの弟で、粉屋と殆ど同じ経緯でパン屋を始めた。火加減が絶妙なのか、それとも何か工夫があるのか、彼が焼くパンは絶品で、私も度々頼んでいる。今日食べていた醗酵パンも、彼に作ってもらったものだった。


「そうするうちに、体調が悪い時なんかに畑仕事を手伝ってもらう代わりに引き換え証を他人に渡すようになって……肉と小麦を交換するときなんかも、実際にものを交換するより引き換え証をやり取りして、保存自体は相手にしてもらっておいて、必要な時に必要な分だけ引き換えるってやり方が流行ってきてるんですよね」

「その引き換え証が、これってわけだ」

「こういう、金属のにしたのは最近ですけどね。最初は木簡だったんですが、すぐ壊れちゃうんで」


 私の言葉に、ユタカは頷きそう答えた。


 ……うん。完璧に、貨幣経済が始まってきちゃっている。


「私たち全然知らなかったんだけど、なんでだろう」

「そりゃそうですよ。先生やニーナ姉さんが欲しいって言うなら、麦でも肉でも布でも皮でも、モンなんかいりません。幾らでも持ってって下さいって、皆そう言いますよ」


 そういうことか……確かに今まで、要求されたことなんかなかった。

 というかそもそも、ここ二百年くらいは物々交換すらしてない。

 村の人達は皆私たちが通りがかると、率先して向こうから肉やら皮やら色々とくれるのだ。

 思いっきり甘えてしまっていたことに今更ながら気づいて、私は頭を抱えた。


 しかし……お金、か。

 いつかはこの時が来るとは思ってはいた。

 けれどまさか、村人たちが自分で考え作り出すなんてなあ。


 私の胸には嬉しいような、寂しいような、複雑な想いが去来する。

 発展のためには、貨幣という概念はきっと絶対に必要なものだろう。

 けれど同時に、それが人類に必ずしも幸福をもたらすかというと、イエスとはいえない。


 ユタカの言葉を聞く限り、今はただそれは、単に交換の手間を省き効率化する為の道具に過ぎない。

 けれどいつかそれには偏りが生まれ……貧富の差が出来ることだろう。

 それはこの牧歌的な優しい村を、全く別のものに変えてしまうんじゃないか。

 そんな恐れを、抱いていた。


 私には前世でも今世でも子供はいないが、この村の人々はみな我が子のように思っている。

 顔と名前を知らない人はただの一人もいないし、ずっとその生と死を見つめてきた。

 我が子の不幸を願う親などいない。


 ――けれど。子供が自らの意志で歩き出すというのなら、それを見守るのもきっと親の務めだろう。

 私は経済のことなんか何も知らない、ただのオカルトマニアでしかない。

 中途半端な知識で下手に口を出すよりも、彼らの自主性に任せた方がきっとうまくいくだろう。


「ねえこれ、何でモンっていうの?」


 私が感慨にふけっていると、ニーナが横から私の手にした硬貨を指差してそう問うた。


「それが、何故か昔からそいつを指す言葉だけはあったんですよね」


 ユタカは首をひねりながら、不思議そうに答える。


「早起きは三文の得って。その、モンですよ」


 ああ、うん。

 種というものは、例え蒔いたことを忘れてしまっていても勝手に育っていくものなのだと、私は悟ったのだった。



 * * *



「じゃあ、私たちはそろそろ戻るわ。邪魔したわね」


 ひとしきり話し込んだ後、ニーナがそう言って私の話を強引に打ち切った。

 うん? なんだろう。彼女はマイペースだけれど、他人を自分のペースに合わせるようなことは滅多にしない。


「いえ! 何でも聞いて下さい!」


 ユタカは人好きのする笑みを浮かべ、そう答えた。

 身長はあまり伸びなかったけれど、良い青年に育ったなあ。


「ああ、それと、水色」


 ふっとニーナが水色を振り返り、空を見上げる。


「来週、満月よ」


 その言葉に、水色はきゅっと表情を強張らせた。


「満月に何かあるの? エルフの風習かなにか?」

「さあ?」


 帰る道すがらニーナに尋ねるが、彼女は肩を竦めるばかり。

 これは、教えてくれないやつだ。


「あ、せんせー、おかえりなさい!」

「ただいま……皆揃ってどうしたの?」


 家に帰ると、留守を頼んだルカとリン、そしてルフルとティアまでが揃っていた。

 ユタカに貨幣の話を聞きに行く間ルカを一人にするのも忍びなく、リンを呼んだから彼女がいるのは不思議じゃないけど。


「あのね、道をね、つくるお話をしてたのよ」

「道?」


 ルフルの言葉に彼女たちの手元を見ると、広げられた紙に見覚えのある絵が描かれていた。

 中央に丸く座しているのは、多分この村。ヒイロ村だろう。


 そこからほど近く、東にある木のマークはニーナや水色たちの故郷、紫さんや群青の住むエルフの森。

 そこから山を隔てて、シグがいる蜥蜴人リザードマンたちの集落。

 南へと向かえばそこにはルカたちの暮らす広大な草原が広がっていて、更に南の湾にはリンの故郷、人魚たちが生きる海。


 縮尺や距離はめちゃくちゃだけれど、大体の位置関係は間違っていない。

 それはつまり、地図だった。


「ヒイロ村までうちで取れた麦や毛皮なんかを持ってくるのに、以前作ってもらった荷車が便利だと思うんですが、この森を通るのが中々大変で」


 ルカが指差したのは、草原とヒイロ村との間に横たわる小さな森。最近では『初めの森』と呼ばれている場所だった。

 小学校で魔法を習った学生たちが、初めて校外学習をするために訪れることからその名がついた。以前、ルカやリンたちがヒイロ村に来たばかりの頃、紫さんと鬼ごっこしたあの森だ。


「あー……確かに、あそこを車を引くのは大変そうだね」


 一応草原に抜ける道はあるものの、さして整備されているわけじゃない。下生えの草が刈られ多少踏み固められてるくらいで、デコボコとした木の根の隆起を越えて進まなければいけないし、荷車を通すことが出来るほど広いわけでもない。


「でねでね、一緒に水路も作りたいなって」


 リンがぴっと地図に線を伸ばす。


「それは流石に……大変過ぎるんじゃないか?」


 彼女の意図はわかる。それは要するに人魚がこの村まで来るための道だ。

 しかしヒイロ村から海まで伸ばされたその線は、おそらく実際の距離だと百キロ近くはあるだろう。ただの道を作るのでも相当な大事業になるだろうに、人魚が通ることのできる水路を作るとなるとその労力は計り知れない。


「わたし、がんばるよ!」

「この子が妙にやる気なのよ。なんとかしてよ」


 力こぶを作るように両腕をぐっと曲げてみせるルフルを指差し、ティアがうんざりとした口調で言う。確かにルフルが手伝ってくれるなら文字通り百人力だろうけど、逆に言えば百人分の力しかないと言うことだ。


「大変なのは、穴を掘る事じゃない?」

「まあ……一番大変なのはそれかなあ」


 リンの言葉に、私は頷く。掘った穴が崩れないよう舗装したり、川から水を引き入れたりするのも大変そうではあるけれど、一番の重労働はそれだろう。


「だったら、あたしいい方法知ってるよ」


 悪戯っぽくにんまりと笑い。リンは空の彼方に視線を向けて、そう言った。

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