第9話 誤射/Friendly Fire

「なぁんで私がこんなことやらなきゃいけないわけ?」

「まあまあ、そう言わないで」


 折角だから皆で色々試してみよう。

 そう思って学生たち皆を集め、木切れなんかを配ったときに、真っ先に不平を漏らしたのはティアだった。


「私の研究テーマに関係ないし、こんなのルフルと先生二人でやってりゃいいじゃないの」

「そんなこと……ないよ。文字をたくさん書いておいて、もしそれで魔法が使えたら、戦うのにも便利じゃない?」


 あからさまに嫌そうな表情を浮かべるティアを、ルフルが一生懸命なだめる。


「あんたはそんなことしなくったって、ご自慢の巨人の力で一撃でしょ!」

「あぅ……」


 皮肉っぽく言うティアに、ルフルは押し黙ってしまう。

 何だかんだ言いつつ仲のいい二人だが、最近少しその関係性が変わってきているような気がする。

 いつも泣かされていた、どこか頼りないルフルが自信をつけたからだろうか。ティアはルフルを突き放すような言動を取ることが多くなり、一緒に行動する頻度も減ってきた気がする。


「放っておきなさいよ」


 何か言うべきか、と悩む私に、そう言葉を投げかけたのはニーナだった。


「あんたが口を出しても余計に拗れるだけだから」


 彼女は周りを見てないようで、よく見ている。私は口も上手くないし、ニーナの言う通りなのかもしれないが……


「それよりあんたが気をつけなきゃいけないのはあっち」


 小声で言って、ニーナがちらりと視線を向けたのは、ユタカと水色だった。


 ユタカは真っ直ぐで生真面目な優等生だし、水色はちょっと何を考えてるかわからないところもあるけど、研究自体は真面目にしている。二人とも、他の生徒たちと衝突するようなこともない。一体何が問題なんだろうか?


 強いて言えば、未だに水色が研究テーマを具体的にしてないことだろうか。

 けれど、エルフというのが概してマイペースで気長なのはよく知っている。あまり急かすものでもない気がするけど……


「水色、調子はどう?」


 とはいえ折角のニーナからの忠告だ。私は木簡を小刀で彫る水色に話しかけてみた。


「まぁまぁでーす」


 相変わらず、彼女は捉えどころのない返事を返す。


「先生、普通魔法を使うときってぇ、呪文を唱え終わったときに出るじゃないですか? じゃあ、これっていつ出るんでしょう? 彫り終わった瞬間?」


 けれどその見識は確かなものだった。言われてみれば確かに、それは気になるところだ。


「……いや、多分、それを使おうとした瞬間だ。魔法というのは、意思で使うものだからね。それは口で呪文を唱える時も同じはずだ」


 呪文だって、何か決まった文句があって、それを口にした途端勝手に発動するなんてことはない。呪文の唱え終わりで発動するのは、魔法を使うものがその瞬間に使おうと思っているからだ。


 ……ん? 逆に言えば、呪文を唱え終わった魔法を発動せずにとっておくことが出来るのか?


「できた!」


 考え込んでいるうちに、切り屑を辺りに散らばらせながら、ユタカが木簡を掲げた。


「早いな」


 まだ彫り始めて何分も経っていないはずだけど。と、彼の手元を見て、私は納得する。彼が木簡に彫ったのはごくシンプルな言葉。「うごけ」とだけ書かれていた。


「じゃあ……そうだな。試しに、これでも動かしてみてくれ」


 私はこの前ニーナからもらった、竜の刺繍をユタカに手渡す。これなら軽くて柔らかいし、どんな風に動いたってそう滅多なことにはならないだろう。


「はいっ。それじゃあ……動け!」


 ユタカがまるで杖のように木簡を振りかぶり、刺繍を指し示す。すると、まるで刺繍が生きているかのように布が起き上がり、そのまま床の上を数歩歩きだした。


「……声に出しちゃ駄目なんじゃないですかぁ?」


 心なしか冷たい声で、水色が突っ込む。


「あっ、そうか」


 今のは声に出してしまったせいで、恐らくただの魔法になってしまった。


「しかし何も言わないといまいちこう、やりづらいというか……」

「剣を振るときみたいに掛け声をかけたら?」

「なるほど! 流石は兄貴です!」


 ユタカは大きく頷いて、木簡を構える。その瞬間、彼の空気が変わった。

 文字を彫る作業に集中していたルフルとティアまでもが振り返り、水色が大きく目を見開いてユタカの姿を見つめる。


 それは、剣を手にした剣部の気配。大型の肉食動物に出会った時の雰囲気を、何倍にも凝縮したような、鈍い私でもピリピリと感じられるほどの覇気だった。


「ふっ」


 殆ど呼吸音と変わらないような、何の気負いもない小さな吐息。

 それとともに、瞬きするより短い時間で、木簡は振り上げられ、そして振り下ろされていた。瞬間、彼の手からは木簡が弾け飛んで、食い入るようにして見つめていた水色の額に思いっきりヒットした。


「うわ! ごめん! 大丈夫か!?」


 途端に先ほどまでの雰囲気を霧散させて、ユタカはあわあわと水色の額を見つめる。


「油断し過ぎよ、守りの司」


 水色の額から跳ねとんだ木簡をぱしりと受け止め、ニーナが冷たい声で言った。

 いつもと変わらない淡々とした口調だけれど、いつものただ呆れた声色とは違って、どこか含む棘のようなものがある気がする。同郷の相手だから、厳しいんだろうか?


「大丈夫。触らないで」


 撫でさすろうと伸ばされるユタカの手を、水色は跳ねのける。いつもの間延びした口調とは打って変わった、鋭い声だった。


「あ、うん……まさか、木簡の方が飛んでくなんて」


 ニーナから木簡を受け取り、ユタカはそれをしげしげと見つめる。


「文言が良くなかったのかもしれないな。動け、って書くと、木簡自体が動くイメージがあるし」

「なるほど……変えてみます!」


 ユタカは木簡の文字を小刀で削り取って、新しい文字を彫りにかかる。


「できましたぁ」


 その一方で、水色が素早く木簡を仕上げてそれを竜の刺繍へと向けた。

 何の前触れも予兆もなく、彼女の手の中から木簡が消える。

 かと思えば、次の瞬間には槍のように鋭く尖って飛んで行ったその木簡を、自分の木簡に目を向けたままユタカが片手で掴んでいた。


「水色も木の方を飛ばしちゃったな」


 当たれば怪我じゃ済みそうにないその一撃を受けて、しかしユタカは全く気にすることなく笑いながら、水色に木簡を返す。


 今のは……わざとか?


「できたよぉ!」

「私もできたわ」


 注意すべきか悩んでいる間に、木簡を振りかざしてルフルとティアが賑やかな声をあげる。


「えーいっ」


 ルフルが木簡を刺繍に向けて振ると、その手の中から木簡がぽんと飛び出て、地面の上でくるくると回りだす。


「なんて書いたの?」

「おどってください、って」


 なるほど。けれど、刺繍の竜は踊ることなく、踊っているのは木簡の方だ。


「じゃあ次は私ね」


 言って、ティアは彼女の身体と同じくらいの大きさの木簡を抱きしめるようにして空中に浮くと、それをぱっと手放した。


「あうっ」


 落下する木簡は途中で不自然な軌道を描き、まるで手裏剣のようにルフルの額に直撃した。


「もー、ティア、びっくりするよう」

「戦いに使う魔法を作れって言ったのはあんたじゃないの。それにこんなの痛くもかゆくもないでしょ」

「そうだけどー」


 とはいえティアの全身は、岩をも砕く巨人の力で常に守られている。木簡どころか、鉄の槍でもそう簡単には傷つかないだろう。二人のやり取りも至極和気藹々としたものだった。


 そう考えてみれば、ユタカだって剣部なんだからこのくらいで怪我をするわけないし、水色のも冗談の範疇ということかな。


「うーん……」

「リン、どうしたの?」


 そういえばやけに静かだと思っていたら、リンは一人教室の片隅で、難しい顔をして木簡を見つめていた。


「これ、見て」


 彼女が差し出した木簡には、大きくただ「竜」とだけ彫られていた。


「竜にならないの」

「いやそれは無理があるだろ」


 流石にこんな小さな木簡が竜になったら、私は相当驚く。


「そうじゃなくてね。動きもしないの」


 彼女はじっと木簡を見つめ、振ってみたり、机の上で動かしたりして見せるが、確かにひとりでに動き出すという事はなかった。


「でね……竜になりなさい」


 リンがそう命じると、途端に木簡はぴょこんと彼女の手から飛び出して、ぎこちなく動き出す。どこが竜かは全くわからないが、とにかく生き物のように振舞っているのは確かだ。


「呪文だと、動くの」


 流石はリンだ。目の付け所が違う。これはなかなか興味深い結果だった。

 単に口に出した呪文の代替となるわけではなく、文字に記した魔法には出来ることとできないことがあるという事だ。


「よし、今度こそ……あっ」


 私が目を離している隙に、ユタカの手から木簡が飛ぶ。

 それは再び水色の後頭部に突き刺さり――


「……いい加減にしなさいよこの猿! わざとやってんの!?」


 とうとう、水色がキレた。

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