竜歴641年
第8話 意志持つ魔法/Spirit
「せんせぇー!」
大地を揺るがす振動に、私は反射的に振り返り、竜の姿を取った。
それとほぼ同時に、私の腕にルフルが飛び込んでくる。
「ルフル、危ない」
「えへへ、ごめんなさい。けど、痛くないでしょ?」
咎めると、悪びれた様子もなくルフルはそう答えた。
そんな風に可愛らしく甘えられては、厳しく叱ることも出来ない。
あんなにおどおどしてた子が、変われば変わるもんだ。
巨人の力を制御する方法を身に着けたルフルは、あっという間にそれをマスターした。
恐るべきは子供の吸収力だ。
呪文を唱えなければ出来なかったそれを無詠唱でできるようになり、そしてほぼ意識せずとも使えるようになった。
のみならず、必要であれば必要な分だけの破壊の力を振るうことすら可能になったのだ。
最近彼女は研究の傍ら、その力を揮って次々と家を建て、畑を耕し、道を整備している。
何せその体躯に見合う以上の怪力だ。文字通りの百人力で大活躍しているらしい。
自信をつけ、他人との接触を恐れなくなったルフルは、とても甘えん坊な子だった。
今までずっと他人に甘えることなんて出来ず、交流に飢えていたのだろう。
力のコントロールができるようになったと言っても、その二トンの身体を支えられるのは私だけだ。だからか、最近はよくこうしてくっついてくる。
「せんせぇ、何してたの?」
「ああ、ちょっと、無駄な努力をしてた」
私は相変わらずロクに動かない水車を、ガチャガチャと組み立てていた。
結局今のところ、水車はどうやっても自動で動いてくれることはなかった。
どんなに形に工夫をこらし、水路の幅を水車に合わせ、流れる水が水車を回さなければ進めないような構造にしても、水車は回らないのだ。ほんの僅かな隙間を、水はすり抜けていってしまう。
ならばと滝のように水を落とし、上から水車を押して回すようにしても無駄だった。水に意思があるとするなら、どうあっても水車を回したくないらしい。
「なあに、それ?」
「これは水車だよ。正確には、水車を作ろうとしたもの」
私の説明に、ルフルは身体ごと傾けて首を傾げた。
「水の力で回って、その力を石臼に伝えて、自動で臼を挽くようにしたかったんだけどね」
私はかいつまんで水車の原理を説明する。
「それ、ちゃんと動いたら、村の人達はとっても助かるね!」
すると彼女はすぐにその有用性を悟って、そう言った。
見た目や言動は幼いものの、ルフルの理解力はけして低くない。
彼女は大学に在籍するだけの知性を立派に備えていた。
「動いてくれればね。どうしても、動かなくって」
「んーと……つまり、お水の力が、上手くはたらいてないのね?」
可愛らしく眉根を寄せて考え込み、ルフルはそう尋ねる。
「そういうことになるね」
「じゃあ、わたしの巨人の力と同じで、お願いしたらいいんじゃない?」
「お願い……」
ルフルの言葉に、私ははっと気づいた。
そうか。なんでこんな簡単な事に気づかなかったんだ。
水で回ってくれないなら、魔法で回せばいいだけのことだ。
勿論、魔法の効果というのは基本的に長持ちしない。
魔法陣を用いたってせいぜい数時間が限界だ。
まあそれでも手で臼を回すよりはだいぶ楽にはなると思うけど、それよりももっといい方法があった。
リンは、この世界の全てに意志が宿っていると言った。
それはつまり、この世の全ては魔法だということを意味している。
そして――最も単純で、原始的な魔法の形。
「水よ。流れ去るもの、形なきもの、冷たきものよ。汝に名を与えよう」
それは、名付けだ。
世界は名によって認識され、定義され、魔法となり――
「ウンディーネ。水の乙女ウンディーネよ。我が前に姿を現せ!」
意志を持った《魔法そのもの》。
それが、精霊だ。
私の呼びかけに答え、水路を流れる水が一塊になって飛び出すと、ふるふると震える。
それはぐねぐねと形を整えると、色のない透明な女性の姿を取った。
私のイメージした通りの姿。
何故なら名付け、形を与えたのが私だからだ。
水という、この世の大きな概念から、切り絵のように切り取ってきたようなもの。
「ウンディーネ、悪いんだけど、この水車を回してくれないか?」
私がそう頼むと、ウンディーネはにこりと微笑んで。
そして、べっと舌を突き出し、瞬く間に川の中に飛び込んでしまった。
「……駄目だって」
「みたいだね」
そういう、ことか。
火竜である私は、水の魔法が苦手だ。未だに水の一滴も出すことが出来ない。
適性がないから嫌われるのか。それとも、嫌われているから適性がないのか。
卵が先か鶏が先か、みたいな話だが、ただ一つだけわかったことがある。
水車が全く動かなかったのは、どうやら私のせいだ。
* * *
「あっ、せんせぇ、動いたよ!」
家の屋根越しに水車を眺めるルフルが、はしゃいだ声を上げた。
水車を回すようウンディーネに頼んでくれているのはリンだ。私は念のため離れたところに退避して、その様子をルフルに確認してもらっていた。
「やっぱりリンなら大丈夫だったか」
恐らくこの村にいるものの中で、彼女ほど水に愛されている存在もいないだろう。
リンに無理なら誰にも無理だ。
「あれ? 止まっちゃったよ?」
そう思った矢先のこと、ルフルは不思議そうにそう言った。
「せんせー、動かし続けるのはちょっと無理かも」
リンがこちらへと飛んできて、そんなことを言う。
「無理ってどうして?」
「流れていっちゃうもの」
当たり前といえば、至極当たり前の話であった。
なんとなく漠然と、水さえあれば精霊はずっとその場に留まるような気がしていたけれど、そういうわけでもないらしい。呼びかければ少しくらいは留まってくれるけれど、流れ去っていくのは同じことのようだ。
「……来る水の精霊全てに頼むには、どうしたら良いと思う?」
「うーん……看板でも立てておくとか?」
看板。リンの発想に、私は虚を突かれる。
「あ、でも、水が字なんか読めないか」
「……どうだろうな」
それを言ったら、別に言葉だって教えたわけじゃない。
けれど精霊は、恐らく私たちの言葉を理解している。
「看板……看板か」
リンらしい、柔軟な発想だ。
けれど私には、それに相当するものに一つ心当たりがあった。
言葉による呪文の詠唱ではなく、石や木に彫った文字による魔法の行使。
――ルーン魔術だ。
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