第6話 研究テーマ/Each Wish
「うあ゛あ゛あ゛あああぁぁぁん! う゛あ゛あ゛あ゛あぁぁぁああああん!」
天地を揺るがすような泣き声が響き渡っていた。
「う、うるさーい! 泣き止みなさいよー!」
ティアが必死に声を張るが、ルフルの声の前には蚊が泣いているようなものだ。
そんな小妖精の身体よりも大きいのではないかと思うほどに大粒の涙がぼたぼたと流れ落ち、地面に小さな池を作っていく。
「お、俺が小石なんかバラまいたから」
自分の放った小石に足を取られたのではないかと言いたいのだろう。ユタカが崩れた壁とルフルの顔を交互に見比べながら、オロオロと所在なく手を伸ばす。しかし背の低い彼の両腕は、ぺたんと座り込んだルフルの顔にすら届かない。
水色は興味が無いのか、泣きわめくルフルに視線すら向けずに自分の髪を弄っていた。
見たところルフルに怪我はないようだから、単に驚きと痛みに泣いてしまっているだけだろう。とにかく、落ち着かせないと。
私が竜の姿になれば、とりあえず身体と声の大きさくらいは釣り合うだろうか。
「待って」
そう思って一歩踏み出すと、ニーナが腕を伸ばして私を制止する。
彼女がちらりと視線で示すその先では、リンがまるで水中にでもいるかのようなゆっくりとした動きで、空中に浮かび上がっていた。
百枚以上の年輪を持つ大きな腰ヒレが広がって、ふわりとルフルの頬を包み込む。
「泣かないの」
こつん、とルフルのおでこに額を当てて言うリンの優しい声は、不思議と轟く泣き声にかき消されることなく私の耳へと届いてきた。
「せんせーは、怒ってないよ」
彼女の言葉に、泣き声はほんの僅かトーンダウンする。
「でっ……で、も、ぉ……っ!」
しゃくりあげながら、ルフルは必死に拙い言葉を綴った。
「わ、わた……わたし、せ、せんせぇ……のっ……だ、だいじ、な……おうち、こわしちゃ、……った……!」
痛くて、泣いてたわけじゃないのか。
私はルフルの泣いていた理由と、それをすんなり見抜いたリンの両方に瞠目する。
「あんなの、すぐに直るよ。せんせーは凄いんだもん。それより、怪我はない? おでこ痛くない?」
リンの問いかけに、ルフルはぼろぼろと涙を流しつつも、こくりこくりと頷いた。
「そう。ルフルは、とっても強いね」
にこりと微笑むリンの表情に、ルフルは慟哭の余韻を残しながらも、どうにか落ち着きをみせる。
「……あのリンが、大人になったもんだなあ」
いつもマイペースで皆に可愛がられた、末っ子みたいな小さな女の子。
大きくなっても中身は変わらないと思っていたが、彼女はいつの間にか立派に成長していたんだな。
「本当ね……」
思わず呟けば、同じことを思ったのだろう。隣でニーナがしみじみと頷いた。
* * *
その数時間後。
ルフルを宥めた後、家具や教材なんかを新校舎に運び込み、壊れた壁を修復して、私たちはひとまずの体制を整え講堂に集まっていた。
「さて、落ち着いたところで、君たちに決めてほしいものがある。それは、研究テーマだ」
「研究テーマ?」
オウム返しに聞くユタカに頷き、私は続ける。
「この大学は、希望者を募った時に説明した通り、私が君たちに何かを教える学校じゃない。君たち自身が考え、試し、新しい魔法を作り出していくための場所だ。勿論何を研究しても良いんだけれど……闇雲に新しいことを目指すよりは、何か目標を決めた方がやりやすいだろう」
私の言葉に生徒たちは互いに顔を見合わせた。
「やりたいこと、興味のある分野、何でもいい。具体的な話でもいいし、ある程度漠然としててもいい。例えば、『強くなりたい』とか、『農耕に関する魔法の研究』、『火を使う魔法について』とかね」
「はいっ!」
今この場で決めなくてもいい。じっくり考えてくれ。
そう言う前に、真っ先にユタカが手を挙げた。
「俺、その、やりたいこと、あります」
「どんなこと?」
「えーと、記憶を……んん、どうしたらいいんだろ。なんつーか……移す? いや、それじゃ駄目か……えーと」
迷いなく手を挙げた割に、ユタカは眉根を寄せて考え込む。
多分、彼の中に何らかのイメージはあるが、それを具体的にどうしたら良いのかわからないのだろう。
「まあ何にせよ、記憶に関する魔法を研究したいの?」
それはなんだか意外な話だった。てっきり剣部の彼なら、何にせよ戦いが関係してくると思ったんだけど。
「いや……違いますね。変えます。……身体のない人に、身体を作ってあげるようなのって、できるでしょうか」
「身体を?」
剣部はこの村を守り続けてきた一族だ。その中には、戦いで腕や目を失くしたような人も多い。勿論それ以外にも、先天的、あるいは後天的に障害を持った人はいる。その研究が実を結べば、きっと多くの人が助かるだろう。
「そうだね、できるかどうかはわからない。けれど、目指すのは素晴らしいことだと思う」
こういうのは、例え目的に達しなかったとしても、その過程で成果を残していくものだ。前世における錬金術だって、結局卑金属を金に変えることは叶わなかった。けれど、研究そのものは無駄ではなく、科学を大いに発展させたのだ。
「私はね! とにかく凄くて、強い魔法を使えるようになることよ!」
次に声を上げたティアの研究テーマは、とてもわかり易いものだった。
「そういうのが使えるようになれば、誰も私たちを馬鹿にすることはなくなるでしょ?」
小妖精はその見た目の通り、力はあまり強くない。
かと言って、エルフたちのように強力な魔法が使えるというわけでもなく、外敵からはその小さな身体を活かして逃げ隠れし、花の蜜やより小さな虫を捕らえて食べるという生態をしていた。
私にしてみればそれは立派な生存戦略なのだが、この気の強い小妖精にとってそれは我慢のならないことらしい。
「そうだね。そういった研究も、必要だと思う」
私の脳裏に浮かぶのは、百年近く前の光景。村を覆い尽くす黒い鼠の群れだ。
今のところ彼らの襲撃は来てはいないが、あの鼠たちが滅んだとも、この村の食料を諦めたとも思えない。いつかまた、彼らと戦う日が来る。そんな予感がする。
そうでなくても、今後この村が発展していく過程で争いと無縁とは限らない。戦い方の研究自体は、必要なものだった。
「ティアの研究テーマには、二つのやり方があると思う。一つは、少ない魔力でも効果的な魔法の使い方を考えるやり方。もう一つは、魔力そのものを大きくするやり方だ」
魔力。便宜上そう呼んではいるが、魔法の威力が何によって決まっているのか、はっきりしたところは未だにわかっていない。わかっているのは、個人差、種族差があり、訓練や成長に伴って増えるということだ。
「アタシは……魔法そのもの。魔法とは何なのか、なぜ使えるのか、何が出来て何が出来ないのか。それを調べたいかな」
さらりと言ってのける水色に、私は驚いた。
それはとても根源的な疑問で……そして、私が知りたいと思っていることと全く同じだったからだ。
「それはとても難しく、果てのない問いかもしれない……この世界の真理そのものとも言えるだろう。けれど、だからこそ素晴らしいテーマだ」
あるいは、無限のような寿命を持つエルフになら、いつかは辿り着けるのかもしれない。
私は目先の問題解決で忙しくて、根源的な研究をしている暇などないだろうから。
「ただ、短期的にはもう少し具体的な目標を定めた方が良いかもしれないね。例えば、魔法陣についてとか、呪文についてとか」
「うーん……考えときまーす」
軽い調子で、水色はそう答えた。
テーマの壮大さに対してどこか気のないその返事に、私は拍子抜けした気分になる。どうも彼女はいまいち掴みどころがないというか、何を考えているのかよくわからないところがあった。
「あんたは?」
「わ、わたし、は……」
ティアに小突かれて、ルフルは戸惑うように視線を彷徨わせる。。
「大丈夫、すぐに思いつかないならゆっくり考えて良いんだよ」
私が言うと、しかしルフルは首を横に振った。
「わたし、は……人の、役に立つ魔法が……いいです」
己に注目する周りの面々を気にするように順に見回し、彼女はおずおずとそう口にする。
「おうちを、つくったり……なおしたり、わたしも、したい」
「うん。素晴らしいテーマだ」
自信なさげな態度とは裏腹に、ルフルの掲げたテーマはもっとも具体的なものだった。
土木建築は文字通り、社会を支える基盤のようなもの。
極めて重要かつ有用な研究と言える。
「で、リン。君はどうするんだ?」
「え? あたし?」
まるで話を振られるとは思ってもみなかった、という表情で、リンは私を見つめ返す。
「そうだなあ……あっ」
何か良いことを思いついた、とでも言いたげに、リンは笑う。
「あたしね」
勿体ぶるように私を見上げ、
「竜になりたい!」
彼女はそんなことを言った。
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