竜歴640年
第5話 予期せぬ一撃/Unexpectedly Strike
「炎よ」
以前までの私であれば、こんな短い呪文でも家を丸ごと包み込むような大火が発生していただろう。それを手のひら大にまで縮めるには、二節は呪文が必要だった。
しかし、私がかざした本のページから溢れ出た炎は、ちょうどいい大きさで湿った土の塊を包み込み、瞬く間に煉瓦へと変えた。
「……うん。やっぱり、思った以上に便利だな、これは」
本に描かれているのは綺麗な真円と、七芒星の魔法陣。威力を本の大きさ程度に限定しつつ、その持続時間をほぼ一瞬で終わらせる、リミッターのようなものだ。
本のページには様々な魔法陣が描かれていて、用途によって使い分けができる。いちいち魔法陣を描かなくていいというのは、予想以上に快適だった。
「よし、出来たぞ!」
私は本のページをめくり、五芒星の魔法陣を取り出した。
「ゆっくり落ちろ」
飛行の魔法は得意だからわざわざ魔法陣を使うまでもないんだけど、その効果を試したくてあえて私はそうした。魔法陣が光り輝き、全身を浮遊感が包み込むのを確認して私は屋根から飛び降りる。
「……うわっ!?」
途端、普段とさほど変わらない速度で落ち始めた身体に、私は悲鳴をあげた。
硬い地面に叩きつけられるその寸前、私の身体は柔らかな枝葉を備えた梢に受け止められる。
「……何やってんのよ」
バサバサと葉っぱを掻き分け出てくると、ニーナが冷たい視線で私を見下ろしていた。
「いや、ごめん、思ったより減速しなかった。助かったよ」
多分、魔法陣の円が小さすぎたんだろう。私の身体を支えるには、私の身体全体が入るくらいの大きさが必要だったのかもしれない。
魔法陣を使うと効果が安定するのは良いんだけど、どのくらいの効果があるかは実際に使ってみるまでわからないというのが欠点だな。
「せんせー、出来たの!?」
私の落下音を聞きつけたのか、リンを始めとする生徒たちがやってきて、そこに出来上がったものに目を見開く。
私が作り上げたのは、白い煉瓦で出来た全三階からなる学び舎兼住居だった。
一階には食堂とキッチンを備え、学生たちの部屋が並んでいる。
二階には教室や実験室など、授業に使う部屋を。
そして三階には教員の部屋と、図書室を揃えた。……といっても、納めるべき本はまだほとんどないのだけど。
「大きいですね、兄貴!」
それを見上げ、感嘆の息をつく赤毛の少年は、剣部の一人。剣部ユタカだ。
アタカの息子で、アサカの孫。……ユウキから見ると、甥の曾孫という関係になる。
年齢は今年で十五。まだ背は低いがガッチリとした体格で、いかにもやんちゃそうな顔つきの割には落ち着きがある。
「っていうかー、センセ、これちょっと大きすぎませんー?」
その隣、どこか間延びした口調で感想を述べるのはエルフの水色。
彼女は紫さんの後輩に当たるらしい。まだ年若い、森の守護だ。
その名の通り、髪にさした水色の花がとても良く似合う目の覚めるような美少女だが、顔に似合わずその言動はどこか軽薄だった。
彼女の指摘通り、校舎は三階建てであることを考慮してもなお、普通の建物よりもかなり大きめに作られている。
「せ、せん、せんせぇ、こ、これっ、もしかしてっ」
ルフルが、つっかえながら震える声を口にする。
見た目だけで言うのなら、彼女は十歳くらいの愛らしい女の子だ。
ただし、その身長は五メートルはある。数年前から留学生としてやってきた、巨人族の子供だった。
「あんたの為に決まってんでしょ! そんなことでいちいち泣かないの!」
その傍らで必死に声を張り上げているのはティアだ。
ルフルとは正反対に、彼女は見た目だけなら二十歳くらいの女性に見える。
けれど背中に昆虫のような翼の生えた小妖精のその身体は、人の手のひらに乗ってしまうほど小さかった。
その体格に反して気が強く、よくルフルを怒鳴りつけては泣かせている。
リンを入れてこの五人が、これから大学でやっていく仲間たちだ。
「うん。まあ、ルフルの為だけってわけじゃないけどね。私だって本当の姿は相当大きいんだから」
今までルフルだけは教室の外から窓を覗き込んでの参加を余儀なくされていたが、この建物であれば一緒に勉強することが出来る。
「これ、強度は大丈夫なんでしょうね」
いつの間にか隣にきていたニーナが、ぽつりと尋ねた。
「勿論だよ。私が乗ったってビクともしないように作ってある」
平屋だった小学校と違って、大学の校舎は階層構造だ。万一床を踏み抜いてしまったら大変だと、しっかり計算して作ったのだ。
「試していい?」
言いながら、ニーナはピンと指を立てる。途端、彼女の周囲から木々が生えだした。
「まあ、良いけど……」
大丈夫な、はずだ。
そう思いつつも不安を抱える私の目の前で、木製の矢弾が校舎の壁に激突した。
「……意外と丈夫じゃない」
ニーナは舌打ちせんばかりの口調で呟く。
果たして、壁は無事だった。
強固な煉瓦は傷一つなくて、私はほっと胸を撫で下ろす。
「今回のはちゃんとテストもしてあるし、大丈夫だよ。やっぱり材料から拘るのがよかったんだな。泥の時から魔法をかけておくと耐久力が全然違う」
ぽんぽんと校舎を撫でて、私は上機嫌で言った。
ベヘモスの皮で紙を作ったときと似たような話だ。
泥の時点で固くしておいて、それを熱して焼成すると、魔法で作った強度が煉瓦に内包されるのだ。煉瓦での建築に何度も失敗した末に行き着いたのが、この方法だった。
「楽しそう! あたしもやってみる!」
リンが言うが早いか、大量の水が弾丸のように降ってきた。
「ちょっ……」
いくらなんでも強すぎる!
煉瓦の屋根をマシンガンのように打つ水音に私は思わず身を竦ませる。
ほんの数秒のことが、まるで何分にも感じられ――
「おお……やった!」
崩れることなくその姿を保っていた校舎に、私は思わず歓声を上げた。
「ねえね、センセ。アタシもやっていい?」
「……まあ、お手柔らかにね」
くいと私の服の袖を引く水色に、そう言って私は頷く。
四人の生徒たちの力量は、既によく知っている。
彼女たちの魔法には、ニーナとリン程の出力はないはずだ。
「わかってるって~」
軽い調子で水色は笑い、校舎に向かって突き出す。
「それじゃあ……見えざるもの、形なきもの、葉を揺らすもの、自由なる風の乙女よ。我が示す先へ駆け、巨人の腕となりて彼の者を撃て!」
水色の呪文とともに、凄まじい暴風が吹き荒れた。
「全力じゃないのよー!」
悲鳴をあげて飛ばされそうになるティアを、ルフルが咄嗟に大きな手で覆う。
まるで大砲が発射されたかのような轟音とともに、校舎の壁がビリビリと揺れた。
ティアのみならず、私すら身体を持って行かれそうになるほどの強さだ。
しかし、校舎はそれにも耐えきった。
「ちょっと、潰す気!?」
「ご、ごめん……ティアが、飛んでいっちゃうと思って」
「うーん、やっぱり駄目かぁー」
ティアがルフルを怒鳴りつけるのを気にした様子もなく、水色は悔しげに唇を尖らせる。
「じゃあ次は俺が試しますね、兄貴」
ユタカはそう言いながら、両手いっぱいに集めた小石をじゃらりと鳴らした。
「いいよ」
流石に剣部に剣で斬りつけられたら壊れるだろうけど、その辺り彼はわきまえている。
自己強化をするような気配もなく、ユタカはただ小石を掲げ、叫んだ。
「飛んで、砕け!」
砕くの!?
小石は流星のように飛んでいって、校舎の壁に突き刺さる。
リンの放った水とは比べ物にならないほど硬く重い石の礫だ。
鳴り響く破砕音に、私は思わず身を竦めてしまった。
「流石は、兄貴です!」
砕け散った残骸を見やり、ユタカは爽やかに笑う。
「俺の魔法じゃ傷一つ付きません」
残骸は全て、ユタカが飛ばした小石のものだった。
「水、風、土と来たんだから、次は火ね」
その残骸を一つ拾い上げ、ティアが校舎の壁に突き立てる。
「……ティア、何やってるの?」
「何って、決まってるじゃない」
石は削れて壁の表面に白い跡を残し、小妖精はそれで綺麗な円を描いた。
そしてそこから魔導線を引いて伸ばし、私の足元まで持ってくる。
「炎の舌を伸ばすもの、赤き衣を纏うもの、鋭き角を持ちしもの、賢き知恵を持ちしもの、誰よりも誇り高く強き火竜よ」
「いや、それは卑怯だろ!?」
ぺたりと私の足に手を触れさせて詠唱するティアに、私は叫んだ。
その呪文は、私の力を使う呪文だ。
「その吐息を持て、其を焼き滅ぼせ!」
特大の火球が魔法円の中に生まれ、そのまま校舎の壁に着弾する。
「やったか!?」
「やるなよ!」
爆煙を見据え、ティア。
抵抗したから流石に殆ど私の力は使われちゃいないが、それでも凄まじい煙だ。流石にこれほどの威力では、この校舎も無事では……
「凄いわね」
ニーナが、感嘆の声を漏らす。それは彼女にしては珍しい、純粋な称賛の言葉だった。
「無傷よ」
爆煙が晴れ、現れたのは彼女の言う通り。何一つ欠けることのない、校舎の姿だった。
「チッ……まあいいわ。さ、次はあんたの番よ」
「わ、わたしはいいよぅ。せんせぇは、わたしの為に壊れない大きなおうちを作ってくれたんだもん」
ティアに促され、ルフルは首を横に振る。
「ああ。頑丈さは見ての通り、折り紙付きだ。安心して使ってくれ」
「うんっ!」
私がそう言うと、巨人の少女は嬉しげに笑った。
「さて、じゃあまず部屋割りを決めようか」
「私いっちばーん!」
「あ、ま、まってよう、ティア」
翼を羽ばたかせ、真っ先に校舎に入っていくティアを、ルフルが大きな身体でのしのしと追う。
その体躯が、コケた。なにもないところで。
彼女の頭は思い切り校舎の壁に打ち付けられ……そして、幾度の魔法にも耐えきったそれを、粉々に打ち崩した。凄まじい破壊音とともに部屋の中身が露出して、パラパラと煉瓦の欠片が落ちてくる様を、私は呆然と見つめる。
「……やるじゃない」
ティアの言葉だけが、空虚に響いた。
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