竜歴523年 生涯最大の戦い/Biggest Fight

「……帰ってきたか、『腕なし』」


 久々に聞く族長の声は、以前よりも低く重く、恐ろしいもののように聞こえた。


「……ああ」


 僕はそれを見上げ、頷く。里を出て、十三年。それは短い期間とは言えないが、かといってリザードマンにとってそれほど長い時間でもない。ユウキにとっくに抜かれた僕の背丈は、族長の四分の一にも満たなかった。


「族長。僕はあんたに、挑戦する」


 そう口にした途端、周囲にどよめきが走る。ついで広がったのは嘲りの笑いだ。

 里にいた頃には毎日のように浴びせかけられ、そしてその度に突っかかっていって、叩きのめされた笑い声。


 けれど不思議と今は、全然気にならなかった。


 族長に挑戦する権利は、誰にでもある。そして族長はそれを必ず受けなければならない。

 戦いに勝てば新たな族長として認められる。


 ――つまり、先生たちを助けられるってことだ。


「……良いだろう。かかってこい」


 リザードマンたちの中で唯一、族長だけがピクリとも笑うことなく、僕を見据えた。ピリリ、と張りつめた空気のようなものが鱗を刺し貫くような感覚。ユウキや紫、アマタと対峙した時に感じる、独特の気配だった。


 油断しててくれれば、ちょっとはやりやすいってのに。


「取引しよう」


 僕は内心そう思いながら、手を伸ばしてそう言った。


「……トリヒキ、だと?」


 族長は訝しみ、そう問い返す。

 武器も魔法も使わないリザードマンたちが、唯一先生から習い取り入れたもの。


 それは言葉だ。


 意思の疎通を容易にするそれはあまりに便利で、リザードマンたちですらそれを取り入れた。取り入れてしまった。


「槍持つ王は右目を差し出し、知恵を得た。人魚の姫は声を差し出し、脚を得た」


 北欧神話の主神オーディン。アンデルセン童話の人魚姫。

 この世界で知ってるのは、僕と先生だけの、異なる世界の物語。


 意味を持っているけど、誰にもその意味がわからない言葉の羅列に、族長は戸惑う。


「我が差し出すは二本の腕。指も無ければ肘もない、けれど誇りある我がこの腕と引き換えに」


 リザードマンたちが言葉なんて覚えず、ただの獣のままであれば、僕はとっくの昔に地面に這いつくばっていただろうに。


「空を自在に駆ける力を与えよ!」


 彼はみすみす、こんなに長い呪文を完成させてくれた。

 僕の上側の腕が広がって、伸びた骨の間に皮膜が張り、翼となって羽ばたく。

 それと同時、突っ込んできた族長の指先が、僕の脚をかすめた。

 いくらなんでも判断が早すぎるだろ、もっと驚いて呆然としろよ!?


 内心で文句を叫びながら宙へと舞い上がる僕に向かって、族長がぐっと脚に力を貯める。跳ぶ気だ。


「お前は弱い!」


 反射的に叫んだ魔法はすぐさま効果をなして、族長の全身は大きく力を失う。失った上で、彼は十メートル以上の高さに飛び上がっていた僕のすぐ側にまで跳躍した。どういう身体能力してるんだよ!


 振るわれる四本の腕は、僕の胴まわりよりも更に太い。魔法で弱体化してなお、当たれば一撃で叩き落されるだろう。


 けれど、アマタの剣ほどの鋭さはない。技もだ。


 力任せにただ振り抜かれる腕を、僕は手のひらを添えるようにして反らし、力に逆らわず自分の体を空に逃がした。驚異的な四連撃だけれど、所詮はただの四連撃だ。ユウキと紫のコンビネーションの方がよほど怖い。


 落下していった族長は、再び僕に向かって跳躍する。けれどその飛距離は先程よりもやや低い。先生の話では、身体を動かす筋肉というのは強いけれど持続力が短いものと、弱いけれどずっと動かしていられるものに分かれるらしい。


「赤きもの、熱きもの、木々を伝うもの」


 リザードマンの身体に多いのは、強いけれど持続力が短いものだ。要するに、スタミナがなくてすぐに疲れる。族長のように身体が大きければなおさらだ。大きくなればなるほど、力は強くなるけれど、それ以上に重くなる。スタミナで言えば小さな僕の方が何倍も有利ってことだ。


「燃えるもの、揺らぐもの、強きもの」


 そしてルカのように狡猾に相手のスタミナ切れを待つような知恵は、リザードマンにはない。どんな動物も、正面から挑んで殺せるくらいの強さがあるからだ。徐々に族長は高度を落としていって、やがて荒く息を吐きながら地上から僕を睨め上げた。


「優しく温めるもの、空から見守るもの、輝くもの」


 リンだったら、これは罠だろう。アイツは結構そういうところがある。演技して、油断したところを騙し討ちして来るのだ。一番厄介なのは、何をしてくるかわからない相手だ。族長にそういう怖さはない。そして何より――


「闇を照らし、迷えるものを導くもの、汝、何よりも気高き炎よ!」


 一メートルほどの大きさの炎が、僕の手のひらの上に生まれる。

 これだけ言葉を重ね、呪文を唱えて、ようやくこれだ。己の才能のなさが全く持って嫌になる。……けれど。


「矢となりて、かのものを撃て!」


 先生よりも遥かに弱い相手に負けるほど、この十数年、僕の積んできた研鑽は甘くない!


「コシャクな!」


 ぶおん、と空を切る音とともに、族長の太い脚が僕の放った炎を両断する。リザードマンの鱗は、火山に生きているだけあって熱にも強い。僕が作った程度の炎なんて簡単に散らしてしまうだろう。……だが。


「炎よ! 檻となりて、かのものを包め!」


 その端を掴みながら、僕は叫ぶ。

 炎を放つと同時に急降下して、すぐそばに僕が迫っていることに、族長は気づいていなかった。炎を目くらましにしたのもあるし、遠くを飛ぶ僕がわざわざ近づいてくるなんて思いもしなかったんだろう。


 炎は僕の言葉に答えて瞬く間にそのあり方を変え、まるで石のようにその場に留まる。族長の脚を巻き込んだまま、だ。


「ぬ、ぅっ……!」


 重さと形を持っても、炎は炎。その発する熱は変わらない。蹴りで吹き散らしてしまえば一瞬で済むけれど、全身を覆われては流石の族長もうめき声をあげた。

 何とかへばりつく炎を身体から拭い落とそうと族長は暴れまわるが、炎の檻は形はあれども硬さは持たない。力尽くでは外せるはずもなかった。


 そのうち彼の動きは緩慢になり、ついにどうと地面に倒れ伏す。全身を炎に包まれた状態で暴れまわれば、当然そうなる。その鱗が熱には耐えても、顔まで炎に覆われては酸素を取り込むことが出来ないからだ。


「……僕の、勝ちだ!」


 腕を高々と振り上げ、そう宣言する。

 周囲から歓声とも怒号ともつかない声が響き渡るのを確認して、僕は族長から炎を剥ぎ取った。頑丈なリザードマンのことだから、このくらいじゃ死んじゃいないだろう。


「ヒキョウだ! こんなものはワレワレの戦い方ではない!」

「ムコウだ! ムコウだ! こんなものが本当の強さであるものか!」

「『腕なし』など、族長に相応しくない!」


 案の定、リザードマンたちはそう文句を叫ぶ。まあ、予想していたことではあった。


「文句があるんならかかってきなよ」


 僕はぐるりと周りを見回し、そう挑発した。


「族長は誰の挑戦も断らない。そして族長を倒せばそいつが族長になる。つまり今の僕を倒せば、そいつが族長だ」


 彼らは互いに顔を見合わせると、次の瞬間、僕の方へと殺到する。けれどそう来ることはとっくにわかってるんだ。いちいちまともに相手をしてやる義理もない。空中に飛び上がれば、間抜けが何人か互いに頭をぶつけ合って倒れた。


 そしてさっき族長から剥ぎ取っておいた炎を剣状に成形して、鞭のように振るう。ぎゃっと悲鳴が上がって、残った連中は慌てて逃げ出した。族長は全身を炎に包まれても怯まなかったのに、情けない。


 とは言え僕の魔力もそろそろ限界だ。さっさと逃げ出してくれたのは有り難いことだった。……しかし族長、さっきからピクリとも動かないな。まさか死んじゃいないよな?


 そう思って地面に降り、彼の安否を確認しようとしたその途端、その巨体の陰から一体のリザードマンが飛び出してきた。まさか奇襲なんて受けるとは思っていなかった僕は、思い切り殴り飛ばされる。


「この……っ!」


 もしアマタに見られていたらみっちりシゴキが追加される程の失態だった。けれど幸いにして、相手も子供。僕より少し大きい程度の背丈しかなかった。


「僕は強い! 僕は重い! 僕は硬い!」


 矢継ぎ早に強化魔法を発動して、掴みかかってきたそいつを揉み合いながらも地面に押し倒す。


「きゃっ!」


 そのまま拳を叩き込もうとしたところで悲鳴が上がり、僕は気づいた。


「……女?」


 ほっそりとした骨格と、出っ張りのないすらりとした二の腕。子供だからわかりにくいけれど、それは雌のリザードマン特有の特徴だ。そして、僕の手は、揉み合ったせいで思い切りその二の腕を掴んでいた。


 雌のそこは愛し合う夫婦でもなければ触れることを許されないような、デリケートな部分だ。


「ど……どこ触ってるのーーーっ!」

「ま、待って、わざとじゃ、ふぐっ!」


 力任せにぶん殴られて、意識が飛びかける。自己強化してなかったらそれで勝負がついていたことだろう。雌が族長になったなんて聞いたこともないけれど、かといって掟で禁止されているわけでもない。


 何より雄としても先生の弟子としても、負けるわけにはいかない勝負だ。壮絶な殴り合いの末、僕はなんとかその雌に勝利した。


 はっきり言って、族長よりも何倍も苦戦した。こんな小さな雌に一番苦戦して泥仕合を繰り広げたなんて、先生にも言えない恥ずかしい話だ。


 そしてその二日後、彼女が族長の一人娘であることを知るなんて。


 ――ましてや、二年後に生涯の伴侶になるなんてことは、その時の僕には知る由もないことであった。

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