番外編
竜歴18年 秘密/Secret
最近、何やらアイの様子がおかしい。
私がそれに気がついたのは、晩御飯を一緒に食べているときのことだった。
「……あの、アイ?」
「はいっ、なんでしょうか、先生」
見られてる。めっちゃ見られてる。
「……私の顔に、何かついているかな?」
「え? あ、はい」
思わず問えば、アイは席を立ってテーブルの横を回ると、私の首に腕を伸ばして引き寄せ、頬に唇を寄せる。
「お肉の脂が……ついて、ました」
そういうアイの顔は、私の鱗に負けないくらい赤くなっていた。そんなに恥ずかしいのなら無理しないでいいのに、と思う反面で、私の胸からは愛おしさが溢れ出す。
「えっと、ありがとう」
「いえ」
けれど私たちは互いに照れてしまって、ろくに目も合わせられない。正式に夫婦になってからと言うもの、私たちはずっとこんな感じであった。互いに顔を見るだけでなんとなく面映ゆい。中学生じゃないんだから、と我ながら思う。
……けれど不思議だ。だったらなぜ、アイは私の顔をじっと見ていたんだろうか。
* * *
その日から、私は度々アイの視線に気づくようになった。
ふと気づくと、彼女は私の顔をじっと見つめている。それに気づいて視線を向けると、何事もなかったかのようにすっと顔を逸らすので、気づかないふりで彼女の様子を伺う。
そうするうちに、彼女が見ているのが顔だけではないということに気がついた。ある時は側面から、またある時は背後から、じっと私を見つめている。
好きな相手のことはついつい目で追ってしまうものかも知れないけれど、それにしたって見すぎのような気がする。それに私が目を向けると、視線を逸らすのも不可解だ。最近ではその技術に磨きがかかってきて、私が彼女の姿を視界に捉えようとすると完璧にこちらを見てなどいない風を装うようになっていた。
いったい何が彼女にそこまでさせるのか。鋭敏な竜の五感は視線も捉えるので、実はアイのそんな努力は全て無駄に終わってたりするのだけれど……
「アイ、もしかして、私に何か言いたいことがあるんじゃないのかい?」
ある日とうとう耐え切れず、私は妻にそう尋ねた。
「えっ」
アイは驚いたように大きな瞳をまん丸に見開いた後、しばし逡巡するように視線をさまよわせ、そして意を決したように顔を上げて私を見つめた。
「あの、先生っ」
「なんだい?」
なんだか彼女の心の声が聞こえてきそうな可愛らしい仕草に、私は思わず笑みを漏らす。
「あの、ぎゅっとして……いいでしょうか」
「えっ」
しかし続くアイの台詞に、思わず先ほどの彼女と似たような反応をしてしまった。
「駄目、でしょうか」
「いや、その……もちろん、駄目なんかじゃ、ないけど」
慌てながらも、何とか私はそう答える。
「ありがとうございます!」
途端、アイは表情を輝かせて、私の前脚をぎゅっと抱きしめる。
そのあまりにも柔らかな感触に、私は思わず全身を硬直させた。
押し付けられる豊かな二つの膨らみは言うに及ばず、私の前脚に回されたしなやかな腕も、密着するなだらかなお腹も、かすかに触れる脚の感触も、形容しがたいほどに柔らかい。こんなに柔らかな生き物が存在していていいんだろうか、と心配になってしまうほどの柔らかさだった。
今までの私であったら気まずさと恥ずかしさで死にそうになっていたに違いない。けれど、今は違う。もう彼女は正式に、私の妻。奥さんなのだ。つまりこの柔らかさを存分に堪能していいということである。
そう意気込んで全神経を腕に集中させようとしたその瞬間、アイはパッと私から離れた。
まさか、私の内心を読み取ったのか。この魔法の世界であれば有り得る。
背筋を凍らせたその時、アイは私を上目遣いに見つめていった。
「こっちの腕も、良いですか?」
「え? ああ、勿論、良いけれど」
頷くと、アイは嬉しそうに先ほどとは逆の腕を取って抱きつく。左右でそんなに差があるとも思えないけど、どういうことなんだろうか。
更に彼女は他の部分も抱きつきたがり、両脚、胴、尻尾、尾に生えた棘にまで腕を回す。最初はドキドキしていた私だけど、途中で何となく気づいた。
これ、採寸されてる。
「……アイ、何で私の身体の大きさを測ってたんだい?」
やがて幸福だけれど不可解な時間は終わり、私はアイにそう尋ねた。竜の体では、服を着れるわけでもないのに。
「えっと……秘密、です」
アイは唇に指を当てて、そう答えた。そんな可愛らしく言われちゃ、それ以上追求するわけにも行かない。
「そのうち、教えてくれるんだよね?」
「はい! 来週くらいには、完成すると思います!」
完成って言っちゃったよ。やはり何かを作っているらしい。
「わかった。それじゃあ、楽しみに待ってるよ」
「あっ」
私の返答に、口を滑らせたことに気づいたアイが小さく声をあげる。
そんな彼女に私は思わず笑みを漏らした。
* * *
「こちらです、先生」
アイが見せたいものがある、といって私を連れ出したのは、それから三日後のことだった。
彼女が向かう先は村の北側、氷室になっている洞窟の方だ。それで何となく、私はピンと来てしまった。
服のような身につけるものであれば、別にわざわざそんなところまで行かなくても渡すだけで済むだろう。他に私のサイズを測る必要があるもの。
それは多分、絵だ。壁画を描いてくれたのだ。サイズを確認するくらいに、しっかりしたものを。今思えば、ずっと私の姿を見ていたのも、その為に観察していたんだろう。
「あの、先生と私の、絵を描いてみたんです」
案の定彼女はそう言うと、氷室の裏手に回って恥ずかしそうにそこを指差す。
そこにあったのは……なんとも形容し難い、とても、前衛的な絵だった。
「どうでしょうか?」
期待を込めた瞳で見上げてくるアイ。
「ええーと……すごいね! この、何ていうか、大変だっただろう」
少なくともこの大きな、赤い、陸に打ち上げられたエビみたいなのは私だろう。
「はい! 頑張りました!」
サイズは殆ど実物と同じで、出来はともかくそれを描きあげるのが大変だったのは想像に難くない。
「ニナさんも、この、ピンって跳ねた髪の毛が上手く描けたなって思うんです」
「うん、確かに」
あっそれニナだったのか。何の虫だろうって思った……
触覚じゃなくて、髪の毛か、あれは。
「じゃあこっちのは」
私を間に挟んで逆側に立つ姿を指し示す。
あっちがニナということは、十中八九こっちのはアイだろう。
「はい、ケンです!」
危なっ!! アイとケンを間違うところだったよ!?
「そうか、ケン……うまく」
「あっ違う、ごめんなさい、それはダルガさんでした」
本人も見間違うの!? 今上手く描けてるねって言いかけたよ!?
「アイはどこにいるんだい?」
「えっと、ここです」
思い切って尋ねると、アイは私の口(と思しき部分)を指差した。
食べられてる!? アイ、私に食べられてるよ!? いいの!?
思わず彼女の顔を見ると、アイは恥ずかしげに頬を染めて視線を地面に落とす。
えっ、何、そのリアクション。まさかアイには私に食べて欲しいなんていう願望が……!?
「自分で描いておいてなんですが、恥ずかしくなってきました。キスしてるところなんて」
だよね! そりゃそうだよね!
いや思いっきり私の牙刺さってるように見えるけど大丈夫かなこれ。
後世の人間が見て、竜に生贄に捧げられる娘みたいな解釈しないかな?
実際アイは生贄で来た子だったけどさ。
まあ、壁画と言っても、氷室の中に入れない私に配慮したのだろう。
洞窟の中ではなく外側の岩壁に描かれているから、いつか風雨にさらされて消えてしまうだろうけども。
……そう考えると、途端にその絵が惜しく、愛おしいもののように思えてきた。
「ありがとう、アイ。すごくいい絵だ」
「はいっ」
心の底から私が言うと、アイは嬉しそうに表情を綻ばせる。
「じゃあ、ニナさんたちにも見てもら」
「それはやめた方が良いんじゃないかな」
そして私は心の底からそう言った。ニナは手心とかお世辞とか、そういう概念を知らないからな。
「なんでですか?」
キョトンとしてアイは尋ねる。
「……二人だけの秘密にしたいし」
木々と岩壁に囲まれた、何もない場所だ。ニナもわざわざ立ち寄ったりしないだろう。
「二人だけの……」
呟いて、アイはくすりと笑う。
「はい。秘密ですね、先生」
真相は、アイ自身にも秘密だ。私はそう心に誓いながら、頷いた。
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