竜歴559年
第32話 継承/A Story
アタシは、先生が嫌いだ。
優柔不断で臆病で、押しに弱くて情けない。
そんな、先生のことが大嫌いだ。
『そんな風に言わなくったっていいのに』
心の中に響くそんな声を無視して、アタシは今日も剣を振るう。
そうしていると、何もかも忘れる事ができるからだ。
「やあ、精が出るね、アサカ」
だってのに、憎たらしい声が聞こえた途端に、胸がざわつく。
「別に。剣部なんだから、当然のこと」
その顔を見もせずに、アタシはそっけなくそう答えた。
「剣部だからって別に、気負う必要はないんだよ」
優しげな言葉に、しかしアタシは答えない。
「ねえ、アサカ」
アタシが無視してもまるで気にした様子もなく、先生は穏やかな口調で話しかけてくる。
「今から妻に会いに行こうと思うんだ。付き合ってくれるかい?」
嫌だ。
「わかった」
そう思ったのに、アタシの口は勝手にそう答えていた。
「ありがとう」
まるでアタシがそう答えるのがわかっていたかのような、先生の笑顔が実に憎らしい。
そうしてやってきた先には、仲良く並んだ二つの石があった。
その間に立って、先生は手を合わせる。
アタシは黙ってそれを見ていた。
だって、それは、ただの石だ。そこには誰もいやしない。
手を合わせたって、磨いたって、誰も喜んだりしない。
『え、あたしは嬉しいけど』
そう思うけど、心の中に響くその声に、アタシは布を手に取った。
「どうしたの?」
「なんでもない」
首を傾げる先生を無視して、アタシは墓石を磨く。
といっても、アタシが磨くまでもなくそれはピカピカだ。
雨の日も風の日も、隣の暇な竜が磨いてるんだから当たり前のことだった。
「ありがとう、アサカ」
「……別に」
なんだか無性に腹立たしくなって、アタシは念入りに墓石を擦る。
そんなアタシを見て先生は柔らかに苦笑すると、隣に並んでアイお姉ちゃんの墓石を磨き始めた。
「……先生は」
「うん?」
また、口に出すつもりなんかなかったのに、声が勝手に漏れたみたいだった。
大した声量なんか出してないはずなのに、耳聡い竜はきっちりと聞きつけて相槌を打ってくる。
「……よかったの。結局、死んじゃって」
「うーん。まあ、よくはないかな」
仕方なくそんなことを聞くと、先生は困ったような、笑ったような、複雑な表情を浮かべた。
「確かに悲しいけれどね……でも、後悔は、してないよ」
「……そう」
興味なさげに答えながら、アタシはため息をつく。
それが呆れなのか、怒りなのか、……それとも、他の何かなのか。
自分でもよくわからない。
「それに、なんとなく……今も彼女がそばにいるような、そんな気がするんだ」
「あんな約束、信じてるの?」
思わず言うと、先生は少し驚いたような表情を見せた。
「知ってるの?」
「……聞いた、から」
「そっか。アサカはユウキと仲良かったもんな」
アタシは、頷く。
ユウキおばさんは、アタシから見て大叔母に当たる。祖父アマタの、妹だ。
彼女はアタシが小さい頃からよく遊んでくれた。
アタシは、ユウキおばさんの話してくれる物語が大好きだった。
お母さんみたいな、頼りになるおっとりとしたエルフ。
お姉ちゃんみたいな、優しいけど怒ると怖い半人半狼。
弟みたいなやんちゃな蜥蜴人と、妹みたいな元気な人魚。
そして大好きな竜のお兄ちゃんたちと過ごした、恋と青春の物語。
おばさんの巧みな話は、まるでアタシ自身が過ごしたかのような臨場感で。
それに色や音、匂いや味まで感じられるようになったのは、いつからだっただろうか。
「全部、聞いてる。先生の情けなくて格好悪いところも、全部」
「はは、それは怖いな」
アタシの言葉を比喩だと思ったのか、先生は笑った。
けどそれは冗談でも何でもない。
アタシの頭の中には、ユウキおばさんの記憶が丸々入ってる。
語られた覚えのないものまで、全部だ。
きっとそれが、彼女が残した最後の魔法なんだろう。
――だから。
先生の笑顔を見るたびに締め付けられるような胸の痛みも、話しかけられるたびにどうしようもなく高鳴る胸も、きっとユウキおばさんのものなのだ。
アタシは、先生が大嫌いなんだから。そう、自分に言い聞かせる。
「……おばさんは、本当に先生のことが好きだったから」
「うん。知ってる」
当たり前のように頷く先生に、アタシの胸はまたズキリと痛んだ。アタシはきっと耐えられない。彼女みたいな覚悟はできない。
けれどアタシは勿論知ってる。彼女も最初はそうだったってこと。
遠ざけようと、避けようとして――――
それでも、好きにならずにはいられなかったこと。
アタシにもきっと、アタシだけの物語があるのだろう。
それは彼女の道と交わるかもしれないし、全然別の道を辿るかもしれないけど。
今は、先生のことが大嫌いなアタシでいたい。
それは多分、無駄な抵抗なんだって知りながら。
『ごめんね』
微かな声が、頭の中に響く。それはアタシが作り出した幻影にすぎない。
おばさんは五年も前に死んでしまったんだから。
『ありがとう』
彼女ならきっとそう言うだろうっていう、ただの想像。
……けれどきっと、アタシは話をするだろう。
自分の子に、孫に。甥姪に。きっと話をするだろう。
彼らも伝えていくだろう。
だって、それは、とても大切な約束。
ずっとそばにいるって、約束したんだから。
それは、短い一生を懸命に生きた少女の物語。
私の胸の中に有る記憶。
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