竜歴527年

第31話 永世の誓い/Oath of Yu-ki

「……というわけで、魔法陣の図形は事実上、星型にしろ組み合わせ型にしろ八芒星までしか使うことが出来ない。けれど使えない理由はそれぞれ全く別のもので――」


 石板に蝋石で図形を描きながらそこまで説明した時、カランカランと鐘の音が鳴り響く。


「おっと、もうこんな時間か。じゃあ九芒星以上の魔法陣が実用範囲にない理由を、各自次の授業までに考えておくこと。それじゃあ、今日の授業はこれでおしまいだ」


 私の宣言とともに、子どもたちはわっと声をあげながら席を立った。彼らは皆学ぶことが大好きだけど、それはそれとして放課の喜びというのは格別のものであるらしい。


「おにーいちゃんっ!」


 濡れた布で石板を拭っていると、後ろから小さな女の子が抱きついてきた。


 二つ結びにした赤い髪に、輝かんばかりの笑顔。大きな赤い瞳がきらきらと輝くその顔は将来は美人になるだろうという予感を抱かせるが、本人はまだ殆ど男の子と同じような格好で、腰から剣を下げている。


 ……なんというか、すごく既視感があるなあ。


「もうちょっと待ってくれるかい、ユウカ」

「ぼくもてつだう!」

「じゃあ、お願いしようかな」


 ぴょんぴょんと飛び跳ねるユウカに布を渡して、一緒に拭く。


「せんせー、なにしてるの!? もう時間だよ!」


 そうしていると、いつになくあわてた様子でリンが飛び込んできた。


「なんだって? いやいや、待ってくれよ。さっき鐘がなったところだからまだ十時だろ? 十二時からって話じゃ」

「着替えたり、いろいろ準備があるでしょ! まさかその格好のまま出るつもりだったの?」


 格好。そう言われて、私ははたと自分の姿に気がついた。

 私は万年同じ、赤いローブ姿だ。それは竜の鱗が変化したものだから、着替えたり洗ったりする必要がない。私が風呂に入れば自動的に綺麗になるし、暑い寒いを感じたこともない。


 ……けれど確かに、今日という日に相応しい服装とは言いがたかった。


 しかしまさかリンにそんなことを指摘されるとは。彼女も随分、常識を弁えてきたようだ。

 伊達に教師をしていない、ということだろうか。彼女が教鞭をとってから、なんだかんだでもう三年になるんだものな。


「ほらほら、早く!」


 感慨に耽っていると、リンはぴょんぴょんと腰ヒレで跳ねながら私の背を押した。


「遅いわよ」


 会場に辿り着くと、案の定ニーナがお冠だった。


「ごめん。着替えが必要だってことを、すっかり忘れててさ」

「……まあいいわ。そのせいで、驚くことになるんだろうし」


 しかしすぐに、彼女はニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる。


「驚くこと?」


 問いには答えず、ニーナは私に服を投げつけた。まあ聞いても教えてくれないんだろうなあ。


「ユウカ、知ってるかい?」

「さっさと着替えてきなさいよ!」


 往生際悪くユウカに尋ねるが彼女は首をかしげ、ニーナが怒鳴る。やっぱり駄目か。

 仕方なく私は服を持って個室に入り、服を着替える。そういえばやったことないけど、このローブを脱いだ状態で変身を解いたらどうなるんだろう。今度実験してみよう。


「似合わないわね」


 などと益体もないことを考えながら着替えて出ると、ニーナの辛辣な評価が待っていた。


「うるさいなあ、普段こんな服着慣れないんだから仕方ないだろ」

「とっても格好いいですよ、先生。この度は、おめでとうございます!」


 反射的に言い返していると、ぽふぽふと音の出ない拍手をしながら半人半狼の少女が祝いの言葉をくれる。


「ありがとう。久しぶりだね、ルカ。そっちの学校はどう?」

「はいっ。まだ生徒はちょっとしかいないんですけど、なんとかやっていけそうです。妹はちゃんとやってますか?」

「ああ、リコは君と同じでとっても優秀だよ。もう三年もすれば、こっちでも教師としてやっていけそうだ」


 本当はルカにも残って欲しかったけれど、草原にリュコスケンタウロスたちの学校を作りたい、と彼女が言い出した時、私は断ることができなかった。

 そんな仲間を大事にする彼女だからこそ、あのクラスを纏めてくれたのだから。


「落ち零れ、私が来たぞー!」


 そんな感傷に浸っていると、騒がしい声とともに扉が開け放たれた。顔を見るまでもなく、ニーナを落ち零れと呼ぶような奴は一人しかいない。


「なんでこいつ連れてきたのよ……」

「すみません、どうしてもついてくると聞かなくて」


 心底嫌そうな表情を浮かべるニーナに、紫さんが真剣な表情で頭を下げる。


「大体、何しに来たのよ」

「美味い飯を食いに来た!」


 群青はきっぱりと宣言した。祝う気とかゼロである。いっそ清々しい。


「先生、この度はおめでとうございます。相手が私でないのが残念ですが」

「ははは、ご冗談を」


 にこやかに恐ろしい挨拶をしてくる紫さんを、私は笑ってかわした。本当にこの人はどこまで本気で言ってるのか全くわからない。


「ところで、こちらは……もしかして、お子さんですか?」


 紫さんはユウカに視線を向けて、そう尋ねた。まあ、そう思うのも無理はない。


「いえ、この子はアサタの妹……アマタの二番目の子ですよ。ほら、挨拶して」

「つるぎべゆうか、よんさいです!」


 ユウカはピっと手を上げて、元気よく名乗る。

 本当に見れば見るほど、彼女は幼いころのユウキにそっくりだ。

 まあ小さな頃はアマタもユウキとそっくりだったから、正確にはそっちに似たんだろうけど。今の巌のようなアマタの姿を想像するとちょっと彼女の将来が心配になるから、できれば叔母さんに似て欲しいところだ。


 と、その時、外から何かが衝突するような音が聞こえてきた。


「ごめん、遅くなった!」

「まだ大丈夫だよ、シグ」


 息せき切って入ってきたのは、シグだ。


「ここまで飛んで来るのに、思ったより時間がかかってさ」


 魔法で作り出した翼を折りたたみながら、彼はそう弁明する。


「それは、私が重いって言ってるの?」

「あ、いや、その、そういうわけじゃなくて」


 かと思えば、にっこりと笑うリザードマンの女性に彼はあたふたと狼狽えた。

 ううむ、かつてはあんなに反抗的な生徒だったシグが、すっかり尻に敷かれて……


「お久しぶりです、ホノオさん。そちらの結婚式以来ですね」

「主人がお世話になってますの」


 リザードマンらしからぬ優雅な動作で、ホノオさんはぺこりと頭を下げる。

 彼女はベオルさんの娘で、シグの奥さんだ。族長に勝利したものには、その娘が妻として与えられる。政略結婚みたいなものだったけど、このやり取りを見る限り夫婦仲は悪くないのだろう。


「それにしても、四年か……結構かかったね。それとも、先生にしては早い方と思うべきなのかな」

「いやその……実は私としてはもっと早くしたかったんだけどね」


 あの夜。アイの残した言葉を聞いた後のユウキの攻勢は凄まじいものだった。それまでの無邪気な触れ合いが可愛らしく思えるほど、彼女は私に猛アタックをしかけ……


 情けない限りではあるけど、私は思った以上にあっさりと陥落した。割りと瞬殺だった。


「……アマタが許してくれなくてさ」

「勝たなきゃ結婚を許してくれない、みたいな話ですか?」


 驚きに開いた口を手で押さえながら問うルカに、私は頷く。


「そうなんだ。無茶苦茶だろ?」

「えっ、アマタに勝ったの!?」


 一方で、別の部分にシグが驚いた。学生時代、散々地面に転がされた思い出もあるのだろうし、彼はベオルさんとアマタの試合も目にしている。あれは凄まじいものだった。


「ああ、勝ったよ。――ユウキがね」

「え、そっち?」

「そもそもその条件を突きつけられたのは私じゃなくてユウキなんだよ。剣部を継ぐ実力がなければ先生との結婚は許さない、なんてさ。普通逆だろ?」


 まあ私が言われてたら勝てなかっただろうけど。竜の姿で戦ったってアマタには勝てない。シグがベオルさんにやったみたいに、射程範囲外から全力ブレスを吐けば別だろうけど、そんなことしたらアマタは確実に死んじゃうしなあ。


 そんな話をしていると、鐘が鳴った。十二時だ。


「時間ね。皆、用意して。ほら、あんたはこっち」

「あれ? 飯は?」


 ニーナに促され、まるで痴呆老人のようなことを口にする群青を無視して、私たちは配置についた。


 会場は小さな教会。まあ、教会といっても何かの神を信じてるわけじゃないから、そこにある機能は実質冠婚葬祭会場と言っていい。

 一度目のときと同じく、神父役はニーナだ。


「新婦、入場」


 緊張しているのかやや硬い声色で、ルカがそう宣言する。

 彼女の弟妹たちが喜びの歌を歌う中で両開きの扉が開き、アマガさんとともに、ユウキが入ってきた。

 その美しさに、私は思わず息を飲む。


 大人になって、かつて少年のようだった少女は本当に女性らしくなった。けれど、それは身体的な成長であって、中身はそれほど変わらない。


 今まで、そう思っていた。


 けれど純白の衣装に身を包み、花と宝玉に彩られてゆっくりと歩く彼女の姿は本当に美しくて。一瞬、どこの姫君がやってきたのだろうか、と本気で考えてしまった。

 多分私の背の後ろで、そんな私をニーナはニヤニヤしながら見ていることだろう。


 ヴァージンロードの半ばまで来たところで私はアマガさんと握手を交わし、ユウキの手を取って、ニーナの前へと並ぶ。


「新郎よ。健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」

「誓います」


 厳かな……それでいてどこか投げやりという器用な口調で告げるニーナに、私は答える。

 私たちに限らず、世界最初の結婚式からずっと、婚姻はニーナが取り仕切ることになっていた。ともすれば、この教会で信仰されているのは彼女ということになるのかもしれない。


「新婦よ。健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」

「いいえ」


 ええっ!?

 首を横に振るユウキに、私は思わず叫んでしまうところだった。その表情は、ヴェールに覆われて伺えない。一体どういうことなんだ、この土壇場で嫌になったのか?

 まさかさっき言ってた驚くことってこの事か? とニーナを見れば、彼女も驚いた表情を浮かべていた。なんでだよ。


「あたしは、たとえこの命がなくなっても。ずっと、ずっと、彼のそばにいると、誓います」


 まるで何時間も過ぎたかのような沈黙。けれど実際はほんの一瞬の間のあと、ユウキはそう宣言した。

 アイにはできなかったことをする。確かに彼女はそう言った。

 正直に言えば、今更不老長寿の研究が完成するとも思っていない。長い長い研究の果て、いつかは完成するのかもしれないけれど、それは百年二百年の話ではないだろう。


 今の私はそれでもいい、と思えるようになっていた。例えいつかは分かたれる運命だとしても、彼女との人生はきっとそれ以上に価値のあるものを残してくれる。本気でそう思っている。


 けれど――たとえ果たせない約束でも、彼女のその宣言は、酷く嬉しいものだった。


「では、指輪の交換を」


 それは新しく出来た習慣だ。ユウキは手にしたブーケを紫さんに渡し、シグがニーナにヒヒイロカネの指輪を渡して、私は彼女からそれを受け取る。そして、妻となった人の手を取り、その指に嵌めた。ユウキもまた、同じ手順で私の左手薬指に指輪を嵌めてくれる。


「……誓いの口付けを」


 ユウキのヴェールをめくると、真っ赤な瞳が私を真っ直ぐに見つめていた。

 子供の頃からずっと変わらない、その瞳。彼女が生まれたその時から、私はずっと彼女のことを見守ってきていた。


 いいや、ユウキだけじゃない。彼女の父も、その母も、そのまた父も。赤い瞳は常に私のそばにあり、この五百年、ずっと共にいてくれた。

 そしてきっとこれからも、それは続いていくんだろう。彼女が誓ってくれた、その通りに。


 不意にぐいと首が引っ張られ、唇に柔らかな感触が押し付けられて、私は我に返る。


「見惚れてた?」


 ユウキは悪戯っぽい顔で笑った。


「ここに、新たな夫婦が生まれたことを宣言する」


 ニーナが宣言すると共に、万雷の拍手が鳴り響き、一面に花びらが降り注いだ。これは、紫さんの魔法か。上を見上げれば、花を咲かせた茨が天井を埋め尽くすように彩っていた。


「あなた」


 一瞬花に奪われた私の目を取り返すかのように、ユウキが私に声をかける。私は頷いて、いわゆるお姫様だっこの形で彼女を抱きかかえ、祝福をいくつも浴びながら外への道をゆっくりと歩く。


 教会の外には、中に収まりきらなかった村の人々が何百人と詰めかけてきていた。

 大人も、子供も、若者も、老人も。見知らぬ顔なんて誰一人いない。皆、この村で生まれ育ち、私が魔法を教えてきた生徒たちだ。


 彼らに向かって、ユウキは手にしたブーケを投げる。それは集まった客の頭上を超え、更に教会の屋根より高く舞い上がり、空の彼方へ飛んでいく。

 ……いや、全力で投げすぎでしょ!?

 抱きかかえられた状態で、腕の力でブーケなんて飛びにくいものをよくもまああんなに飛ばせるものだ。だけどこれじゃあ、誰も取れそうも……


 と思った瞬間、それをキャッチする影があった。

 大きな腰ヒレをまるで翼のようにはためかせ、水中を泳ぐかのように空を走る人魚の姿。


「次は、リンの番だね」

「……どうだろうなぁ」


 ニコニコと笑うユウキに、私は首を傾げた。まだ人魚としては幼いというのもあるけれど、それ以上にリンが誰かと結婚するようなイメージができない。案外シグ辺りとくっつくのかとも思ったけど、シグの方がさっさと結婚しちゃったしなあ。


「先生、あなた……お兄ちゃん。うん。やっぱり、お兄ちゃんがしっくり来るかな」


 感触を確かめるかのように、ユウキが私を呼ぶ。夫婦になったのにその呼び名はどうかとも思うけれど、正直な話、私も結局それが一番しっくり来るのは否めなかった。


「お兄ちゃん、あたし、いっぱいいっぱい、お兄ちゃんの事しあわせにするからね」


 ユウキはバラ色に頬を染め、乙女の笑顔で、男前な事を言う。


 ――そんなもの。


「とっくに、されてるよ」


 情けない私は、そう答えるのが精一杯だった。

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