第30話 言の葉の氷/Recording
「ところでシグ、色々聞きたいことがあるんだけど……」
鼠たちの死骸の掃除に壊された柵や家屋の修理、傷を負った人々の治療に氷室の入り口にはられた氷の壁の撤去。鼠たちによってもたらされた膨大な被害の後処理に頭を悩ませつつも、私はリザードマンの少年に尋ねた。
「どうして、助けに来てくれたんだ?」
「どうしてって、え、本気で言ってるのか?」
シグは甚だ心外と言った声色で、私に問うた。
「鼠たちは絶対遅かれ早かれ、村を襲うと思った。それも、絶対勝てるって時に。その時に備えて、戦力を集めに行ってたんだよ。……先生だって、わかってくれてるもんだと」
「えっなんで?」
「だってあの時、僕の目を見つめ返してくれただろ」
彼が言っているのは村を出て行く直前のことだろう。
ごめん。わけも分からず、見つめてきたから見返しただけだったよ。
けれどそう言われてみれば、あの時の彼の表情。不満でも失望でも嫌悪でもなく……信頼のものであったように思えた。
「鼠たちが話を盗み聞きしてるから、わざと喧嘩別れに見せかけたってことか。……けど、よく鼠が村を襲うってわかったね?」
彼個人だけならともかく、リザードマンやリュコスケンタウロス、エルフたちまで巻き込んだのだ。よほどの確信を持っていなければ、そこまでの行動には出られなかっただろう。
「……あいつらは、僕とよく似てるんだよ。弱くて、小さくて……でも、それを我慢できないのさ」
虚空をじっと見つめながら、自嘲するようにシグは言う。
「仲間のことなんてなんとも思ってない。……でもそれは、リザードマンだって同じだ。弱いやつが悪い。だから、強くなるしかない。死んでいく仲間を助けようなんて誰も思わない。僕だってそうだ。……そう、だった」
そして彼は私に視線を移すと、
「馬鹿みたいにお人好しの竜と出会うまではね!」
そう言って、屈託のない笑みを見せた。シグのこんなに無邪気な笑顔を見るのは、初めてかもしれない。
「あいつらが常に僕らの話を聞いてるのはわかった。だから一芝居打って、僕は里に帰ったんだ。都合よく、方法もあったしね」
ばさりと翼を広げ、シグは言う。翼……翼だ。
「僕らのことを六本足仲間って言ったことあったろ?」
そんなこともあったっけ。シグ、リン、ルカ、そして私の話だ。
前世の世界で、脊椎動物は皆四本足だった。人類のように前足を腕に進化させた種類もいれば、鳥のように翼に変えたものもいる。けれどこの世界では、人間やエルフのように四本のものと、竜やリザードマン、リュコスケンタウロスのように六本足の生き物とに別れているようだった。
人魚もわかりにくいけれど、腰ヒレは足が変化したものだと睨んでいる。
「だから僕の腕も、先生みたいに翼にできると思ったんだ」
言って、シグは翼を広げて見せた。
「しかしよく、あのベオルさんが協力してくれたね?」
「ああ、そんなの簡単さ。僕の方が強い。だから従うのは当たり前。それがリザードマンの価値観だからね」
「勝ったの!?」
ユウキが、驚きに目を見開く。シグはだいぶ強くはなったけど、それでもベオルさんに勝てるとは思えなかった。あの巨体から繰り出される四連撃は凄まじい威力と速さを備えていて、まともに戦えばアマタでも厳しいかも知れない。
「負けるわけ無いだろ。あいつら、武器を使わないから投石すらしてこないんだよ。こっちは絶対届かない距離を飛びながら、火を放てばいいだけじゃないか」
あっ。
「それ、アリなの……?」
「卑怯とは散々言われたかな。そんな風に勝っても本当の強さじゃないってね。でも、じゃあ本当の強さってなにさ、って聞いたら皆黙ったよ」
そりゃあそうだろうなあ。彼らの信じる強さの最高峰って赤竜で、シグの使った戦法は赤竜の狩りのやり方そのものだから。
「後は先生の鱗を使って紫と連絡を取り合って、エルフに鼠たちの動向を確認してもらってた。ルカも故郷に帰ったからそろそろだろうと踏んで、戦力を集めてきたってわけ」
「じゃあもしかして、ウタイが死にそうっていうのも?」
わざと隙を作って鼠たちを行動させる為の嘘だったのだろうか。そう思ってリンを見ると、彼女はゆっくり首を横に振った。
「ウタイはね……せんせーが飛んでいった後、すぐに、ね」
眉根をぎゅっと寄せて、リンは涙を堪える。
嘘や冗談でそんな演技が出来る子ではない。
「ウタイ、あたしたちに会うまで、頑張ってたみたい」
「そう、か……」
けれど、冗談なのだと思いたかった。
今まで何度も味わってきた、喪失感。手足の先から冷えていって、何かが身体の中から失われていくような感覚があった。
「多分……お兄ちゃんに最期を見られたくなかったんだと思う」
ポツリと、ユウキが呟く。
「わかってたの?」
「なんとなく、そんな気はしてた」
言われてみればあの時、帰るよう私を急かしたのはユウキだった。
「ウタイさんの気持ちは、あたしも何となく、わかる気がするから」
ユウキはそう言って、ぎゅっと己の拳を握りしめる。
それは何かに祈るような、仕草だった。
* * *
「お兄ちゃん、ちょっと、良いかな」
ユウキが私の家を訪ねてきたのは、その晩のことだった。
何となく、私はその来訪を予想していた。
疲れたのだろう、眠りこけているニーナを起こさないように気をつけながら、私は家を出てユウキの後をついていく。
「あの……あのね」
彼女がそう切り出したのは、氷室の前の広場だった。
山のように積み上がっていた鼠たちの死骸は感染症を恐れて念入りに焼き払ったから、日中の惨劇の名残は殆ど無い。
そこで、月明かりを浴びながら、ユウキは私を見上げた。
「あたし……ずっと、考えてたんだ。あの日、お兄ちゃんから言われたこと」
彼女が言いたいことに、私はすぐに思い当たった。
『君だって、同じことだ。百年も経たずに、私を置いていってしまうんだろう』
あの日ユウキに浴びせてしまった言葉を、未だに私は謝れないでいる。
「ごめん、ユウキ、私は……」
「ううん。あたしこそ、ごめん」
けれど私が謝るよりも先に、ユウキは頭を下げた。
「あたし、お兄ちゃんの気持ちなんか、これっぽっちも考えてなかった。残される側のことなんて、全然」
それは別に、ユウキが悪いわけじゃない。誰だって自分が死んだ後、その遙か先のことなんてそう簡単に考えられるわけがないんだ。
「氷柱の服を纏うもの、秋の木の葉を落とすもの、春の日差しに溶けるもの、雪と氷の精霊ジャックフロスト。お願い、あたしの前に姿を見せて」
氷室に向かってユウキが訴えると、まだ秋だと言うのにチラチラと白いものが降り出した。それは風もないのに渦を巻いてひとところに集まったかと思えば、小さな雪だるまの姿を形作る。
「久しぶり……なの、かな?」
「ホウ、ホウ、ホウ」
私がジャックフロストにそう挨拶すると、彼は三日月型に開いた口からフクロウのような声を漏らす。
「ジャックフロスト。アレを持ってきてくれる?」
ユウキの言葉に、ジャックフロストは彼女をじっと見つめ、次に私に視線を向ける。相変わらず、その穴のように空虚な瞳からはなにを考えているのか全くわからない。
「ホウ」
だが彼の中で何らかの納得がいったのか、一声鳴くとジャックフロストは氷室の中に入っていった。
「中になにが?」
「剣部に伝わる秘密……みたいなものかな」
思わずユウキに問うと、彼女はそんなことを言った。そんなのがあったのか。誰一人、教えてくれなかったんだけど。
しばらく待つと、ジャックフロストは一抱えの氷塊を持って氷室の中から出て来た。
「お兄ちゃん、溶かしてみて」
「……いいの?」
氷の塊はジャックフロストがぎゅっと抱きかかえているから、それを溶かそうとすればどうしても一緒に溶かしてしまう。まあ、溶かしたところで死ぬわけじゃないのはよく知っているけれど。
ジャックフロストがこくりと頷くのを見て、私は言われるがまま炎を放った。
小さなジャックフロストは抱えた氷もろともジュッと音を立てて、一瞬にして蒸発する。
「――お久しぶりです、先生」
途端、聞こえてきた声に、私は全身を硬直させた。
まるで朝の日差しのような、柔らかで優しげな声。
忘れるはずもない。
アイの、声だった。
「アイ!?」
「しっ。静かにして、お兄ちゃん」
叫ぶ私に、ユウキは指を唇に当てて警告を発する。
「この声を聞いている時、わたしはもうあなたの側にはいないのだと思います」
続くアイの声に、私は全てを理解した。
それは、残されたメッセージ。魔法で凍らせた、声の残影だった。
「そうなってから、十年でしょうか。それとも、百年でしょうか。あんまり短かったら、少しだけ、悲しいです」
四百五十四年だよ、アイ。
君がいなくなってから、もう四百五十四年も経ってしまったんだ。
「……嘘をつきました。本当は、何年でも、悲しいです。それだけあなたを一人にしてしまったってことですから」
その口調も、声色も、記憶にあるものとなにも変わらない。
「でも、きっと、今も先生はわたしのわがままを聞いてくれてるんだと思います。あっ、その、全然外れてたら、恥ずかしいからこの後は聞かないでくださいね。大丈夫ですか?」
アイのわがままというのが、なにを指しているのかはわからない。彼女が私にわがままを言ったことなんて、ついぞなかった気がする。けれど聞かないなんて、そんなこと出来るわけがなかった。
「もしかしたら、ウタイちゃんでしょうか。ジルゴちゃんの子供たちでしょうか。それとも、わたしの全然知らない人なんでしょうか。……それとも…………」
そこでアイは迷うように、言葉を一旦切る。
「いえ、誰でもいいんです。今先生の隣にいる子は、きっと、先生のことを愛していると思います。……わたしと、おんなじように」
その言葉に思わず私はユウキの顔を見た。ジャックフロストのいた場所を真剣な瞳で見つめていた彼女は、ふと私の視線に気づいて恥ずかしげにふにゃりと笑う。
「どうか、愛してあげてください。わたしのことは忘れて……本当に忘れられたら、ちょっとだけ、悲しいですけど。わたしのことは気にしないで」
竜の記憶力はいい。あれから五百年近くも経つというのに、アイの表情の一つ一つを、私は克明に思い出すことが出来た。まるで目の前にいるかのように、私は何もない虚空に彼女の幻影を見出す。
控えめに、慎ましやかに。けれども誰よりも幸せそうに笑って。
「しあわせに、なってください、先生。わたしはそれだけを願ってます。あなたの幸せだけを想ってます」
アイは、私を見上げてそう言った。
そこで彼女の声は途切れ、それまで空中に漂っていた彼女の気配のようなものがプツリと消える。
「――あたしには、覚悟が足らなかった」
独白のように、ユウキは言った。
「アイお姉ちゃんは、自分がいなくなった後の先生のことも、ずっとずっと想ってた。あたしはそんなこと、考えもしなかったのに」
そして彼女は向き直り、私を真っ直ぐに見上げた。
「でも、負けない。あたしは、お兄ちゃんのことが大好きだから。あたしはずっとお兄ちゃんの側にいる。アイお姉ちゃんにはできなかったことを、きっとやってみせる。あたしのこと、妹みたいにしか、娘みたいにしか思えないって言うならそれでもいい」
毅然とした、強い眼差しが私を捉える。
「だから……あなたのことを、好きでいて、いい……?」
それがすぐに自信なさげに崩れて、彼女は縋るように私に尋ねた。
「……まいったよ。降参だ」
諸手を挙げて、私はそう答える。
私の心なんて、村人よりも彼女の命を優先してしまった時点で、決まっていたのだ。
その上アイまで連れ出されては、もう言い訳のしようすらない。
「女性として君に惹かれているか、と言われると、まだはっきりと答えることは出来ない」
ニーナ辺りにはこの期に及んで、と言われてしまいそうだけど、それが偽らざる私の気持ちだ。そんな器用に気持ちを切り替えられるような男であれば、四百年以上もグダグダ悩んだりしていない。
「けれど、ユウキ。君のことを愛しているのは間違いないし……そばに居てほしいとも思う」
「お兄ちゃんっ!」
そういった瞬間、ユウキは飛びついてきた。
「ありがとう、大好きっ!」
声を弾ませ頬を擦り付けてくるその様は、幼い頃から全然変わらない。
「そのすぐ抱きつく癖は、なおらないなあ」
久々の感触を嬉しく思う反面、いつまで経っても子供っぽい彼女に苦笑しながら私は言う。
「……子供の頃はともかく、大人になってからはあたしがこんなことするの、お兄ちゃんだけだよ?」
けれどユウキは小首を傾げ、上目遣いに私を見ながらそう答えた。
その眼差しと押し付けられる柔らかな感触に、私の胸がドキリと高鳴る。
「それとも他の人にもしてると思ってたの?」
「いや、そんなことはない、けれど……」
言われてみれば、確かに私以外にユウキがベタベタとくっついているところを見たことはなかった。そしてその様を想像し……私は、思った以上にそれが不快な光景であることに気がつく。
――この分じゃ、思った以上に私の陥落は早いものなのかもしれない。
己の薄弱な意思を嘆くべきか、ユウキの魅力を恐れるべきか。
私は少しだけ、悩むのだった。
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