第28話 加速/Acceleration

「ワタシたちの寿命はおよそ一年。お前がアルと呼ぶ個体が死亡したのは、今から四竜月前。お前と最初に会話した二十日ほど後だ」


 アルは……私がアルだと思っていた白鼠は、流暢にそう答える。


「じゃあ……それから後に話していた白い鼠は、ずっと君だったって言うことか?」

「否定する。その個体も、先程死亡した。ワタシがお前と会話するのはこれが最初だ」


 そして返ってきた言葉に、私は衝撃を受けた。

 見た目も、声も、喋り方も、何もかも全く見分けがつかない。


 ……いや、正確に言えば、喋り方は違う。最初の白鼠、アルはもっと言葉のイントネーションがおかしかった。けれどそれは習熟によるものだと思っていたのだ。


「お前はワタシたちを殺すつもりか?」

「ああ」


 アルの言葉に、私は頷く。流石の私も、ここまでされてまだ許すほどにはお人好しではない。何より、彼らと分かり合える気が全くしない。


「それは、困る」


 白鼠は、かつてのアルと全く同じ言葉を発した。


「故に取引がある」


 だがその後に続いたのは、アルよりも少しこちらの立場に寄ったものだった。


「ワタシたちには食料の貯蓄がある。それとの交換を提案する」

「貯蓄と言ったって、元々私たちから奪ったものだろう」

「そうだ」


 かと思えば、悪びれもなく頷く鼠に私はため息をつく。

 やはり、見逃すことなんて出来ない。彼らはここで全滅させてしまわなければ。


「これが、貯蓄だ」


 だけれど鼠の群れが運んできたそれに、私は目を見開いた。


「親父!」

「お父さん!」


 アマタとユウキが、悲鳴のような声を上げて駆け寄る。

 体中を噛み千切られ、無残な姿になったそれは……彼らの父親。アマガだった。


「他にもまだだいぶ残っている。提案に応ずるか?」


 白鼠の言葉に、私は歯噛みした。氷室はあまりにも小さい。

 いくら氷の壁を立てて拡張したって、全員が逃げ込めるわけがなかった。


 病人、子供、老人。逃げ遅れてしまった人は幾らでもいたのだろう。

 雲霞の如く襲いかかる鼠たちを前に、これだけの人数を避難させたニーナとアマタを責める訳にはいかない。


「大丈夫。まだ息はある」


 アマガさんを見てくれたニーナが、こそりと私に耳打ちした。


「……わかった。これ以上、村の人たちを一切傷つけるな。お前たちの手にある人々を皆解放しろ」

「こちらからの要求をまだ提示していない」


 苦渋の決断を下す私に、白鼠はそう答える。


「……何だって? 見逃すと言っただろ?」

「肯定する。しかし――交渉材料は、増加した」


 ハッと気づいたときには、もう遅かった。

 鼠は私たちをぐるりと取り囲み、氷室の中にまで入り込んでいる。

 アマガさんの姿に気を取られたその隙に、移動したのか。


「人の姿に、戻れ」


 この状態では、鼠たちを一気に倒すことは出来ない。村人たちも巻き込んでしまう。

 白鼠さえ排除すれば統率が崩れるのなら話は早いが、アルは自分は喋る事ができるだけで鼠たちを統率しているわけではないと言っていた。多分、それは事実だろう。

 だとすれば、白鼠を殺しても単に交渉の余地がなくなり被害が拡大するだけだ。

 私は言われるがままに、人間へと姿を変えた。


「で、要求とは何だ? 以前のとおりに食料を提供することか?」

「それもある。のみならず、我々を駆除する可能性の排除を要求する」

「駆除する可能性?」

「敵となりうる強者の、殺害だ」


 ああ、そういうことか。私は、なぜだか急に笑いたくなってきた。

 つまりこの鼠たちは、人間を家畜にしようとしているのだ。


「私に死ねって事か?」

「否定する」


 ならば私は邪魔だろう。そう思って尋ねると、白鼠は意外にもそう答えた。


「お前は効率的な食料の提供に有用であると認識している。強者ではあるが、排除するわけにはいかない」


 ――まさか。


「剣部と呼ばれる個体の根絶。それが我々の要求だ」

「ふざけるなっ!」


 嫌な予感は的中し、気づけば私は叫んでいた。


「そんな要求、受け入れられる訳がないだろ!」

「ならば、備蓄食料を殺害する」


 それに対し白鼠は慌てることもなく、淡々とそう告げる。


「お兄ちゃん」


 言葉を失う私に、ユウキは労るように、優しく声をかけた。


「剣部は、村を守るためにいる。守りきれなかったのは、悔しいけれど……命を惜しんだりは、しないよ」

「ユウキ、でも」

「……俺も、同感です」


 神妙な面持ちで、アマタがそう続ける。


「三人と村人全員であれば、考えるまでもない。……どうか、後をお願いします」


 大きな体を二つに折って、アマタは深々と私に下げた。

 それを承諾と取ったのか、鼠たちの群れがざわざわと蠢き、彼らを取り囲む。

 まずは小さく弱そうな方から、というつもりなのか、黒い塊はまるで津波のように盛り上がると、ユウキに襲いかかった。


「こんなことなら……変な遠慮なんかせずにもっと甘えておけば良かったかな」


 ユウキの泣き笑いのような表情が、鼠の群れに覆われていく。

 その言葉を聞いた瞬間、私は駆け出していた。


 けれど彼女の姿はあまりに遠く、私の脚はあまりに遅い。

 ほんの数メートルが、絶望的な距離だった。


 口を開き牙をむき出す鼠の一匹一匹、ネバネバとした唾液が糸を引きながら飛び散るその一滴さえも克明に見える。

 世界はまるで時間が止まったようにゆっくりと進むのに……


 間に合わない。

 届かない。


 誰でも良い。


 力を、貸してくれ。


「俺は――」


 そう願ったとき、それはあまりに自然と口を突いて出ていた。

 『私』という一音の暇すら惜しむ切り詰めた呪文。

 そしてそれ以上に、耳に残った頼もしい響きが、私にそれを口走らせる。


「疾い!」


 瞬間。

 私の身体は、音を置き去りにした。

 景色は光り輝く線の奔流となり、叩きつけられる重力と空気の壁に皮膚が捻じれ引き攣れる。猛スピードで過ぎ去っていく景色とは裏腹に、伸ばす腕の指先はまるで水の中のように重く、鈍く、それでも私は必死に力を込める。


 彼女だけは、絶対に、取り逃すものか!


 次の瞬間全ては元に戻り、破裂音が鳴り響いた。

 緩慢に動いていた世界はいつもどおりの早さで流れ、黒い鼠たちはバラバラと吹き飛びながら崩れ落ち、私の身体は無様に地面に転がって――


 そして、小さな女の子は、腕の中で身を小さくしながら私をじっと見つめていた。


「良かった……怪我はない? ユウキ」

「う、うん……」


 戸惑いながらも彼女が頷いた途端に、強烈な痛みが襲い掛かってきた。見れば、私の右足が半ばからへし折れている。


 強化魔法を使って全力で動けば、こうなってしまうのだ。

 私の強化魔法は、おそらく、竜の姿での力を発揮する。それが私のイメージする、一番強い状態だからだ。故に竜の状態で使っても全く意味がない。


 竜の体は少なく見積もっても五、六トンはあるだろう。その力が六十キロ前後の人間の身体にかかるのだ。自転車にロケットエンジンを積むようなもので、そりゃこうなるに決まっていた。


「要求を受け入れない、という意味か?」

「……ごめん」


 私は謝罪した。それは鼠にではない。村人たちへの謝罪だ。


「私は、自分で思っていたよりずっと、この子が大事みたいだ」


 馬鹿なことをした、と思う。脚は折れてロクに抵抗もできない。

 村の人達の大半は、殺されてしまうだろう。いや、相手の数によっては私も無事ではすまないかもしれない。

 けれどそれでも、私はユウキを抱きしめる腕の力を抜く気にはなれなかった。


「先生がそう仰るなら、仕方ありません」


 言いつつ、剣を構えるアマタの表情は、しかし清々しいものだった。


「この身尽きるまで、戦いましょう。……そっちの方が、俺としても好みです」


 彼だけではない。氷室に篭った村人たちも、思い思いに武器になりそうなものを構えて、鼠たちを睨みつける。不満や批難の声は、一つとしてあがらなかった。


「ははははははははは!」


 その時のことだった。

 場違いな笑い声が高らかに響き渡ったのは。


「こーんな小さな生き物に苦戦しているとは、情けないにもほどがあるな、トカゲ!」


 ハスキーな声、傲岸不遜な物言い、やたらと高いテンション。

 私の知り合いにこんな喋り方をする奴は、一人しかいない。


「助けに来てやったぞ、落ち零れ!」

「……もうこの村は終わりね」


 高らかに宣言するエルフ、群青の姿に、ニーナは顔を覆って絶望的な声を上げた。


「群青、どうして……?」

「どうしてだって? フン」


 どうしてこの村にいるのか。どうしてこのタイミングで駆けつけたのか。どうしてそんなに偉そうなのか。様々な疑問を孕んだ私の問いに、群青は相変わらずの口調で答えた。


「……どうしてだっけ?」


 否、答えられなかった。


「何だ……? 一体、どういうことだ?」


 初めて、白鼠が声に感情を滲ませる。

 それは困惑。心の底から理解できないものに対する戸惑いだ。


 合理性の塊である彼らにとって、理も何もなくノリと勢いだけで生きている群青は全く理解しがたい存在なのだろう。

 私にだって、彼女が何をしたいのか全く理解できないのだから。


 助けに来てくれた……のは、わかる。多分だけど。

 でも彼女一人が加わったところで、状況はどうしようもないように思えた。


「ニーナ、群青は強いのかい?」


 念のためニーナに尋ねると、彼女は空を仰いで答える。


「……無能よ」


 うん、そんな気はしてた。


「誰が無能だ! この私が一番乗りだっていうのに!」


 群青は耳聡くそれを聞き取り、怒鳴り声をあげる。

 ……一番乗り?

 彼女の言葉に疑問を抱いたその時、同時に様々な事が起こった。


 氷室の前で村人たちを取り囲んでいた鼠たちが、突如地面から生えだした茨の棘に刺し貫かれる。

 巨大な炎が物凄い勢いで飛んできて、鼠たちを焼き払う。

 アマガを抱きかかえたアマタの周りを、地面から岩が突き出して守るように包み込む。


「なん、で……?」


 目の前の光景に、私は我が目を疑った。


「何とか、間に合ったみたいだね」


 久しぶりに聞く彼の声は、前より少し低くなっていて。


 シグが……それに紫さん、ルカに、リンまで。

 特別教室の生徒たちが、そこに勢揃いしていた。

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