第23話 不吉の前兆/Ominous Omen

「あら先生、おはようございます。顔色がよくありませんが、大丈夫ですか?」

「おはようございます……いえ、大丈夫です」


 心配そうに私の顔を覗き込む紫さんに、私はぎくりとしてそう答えた。

 まさか二日酔いとは言いにくい。


「ええと、ユウキは?」


 一面に広がる麦畑。そこに元気な赤毛の姿を認められずに、私は尋ねた。

 特別教室を始めて十年以上が経ち、彼らに教えられることは殆ど教えた。牧畜も農耕も何とか軌道に乗ったこともあって、毎日の授業はひとまず卒業。今、彼らは学校の教師や農耕、牧畜の指導者として働いてくれている。


「多分、今日はまだ眠ってるんじゃないでしょうか」

「そうなんですか?」


 いつも朝早い彼女が、珍しいこともあるものだ、と思って聞くと、


「先生に振られたと言って、昨日は遅くまで泣きながら飲んでいましたから」


 紫さんはなんでもない事のように言った。


「そ……それ、聞いてたんですか」

「ええ。私とリンちゃんとルカちゃんで慰めてました」


 彼女の表情はいつも通りにこやかで、口調にも含むところなど全くない。

 けれどそれがかえって怖かった。


「……すみません……」

「謝るのは私にではないでしょう?」


 思わず謝罪の言葉を口にすれば、あくまで柔らかな口調で窘められる。


「そう、ですね……」


 項垂れる私に、紫さんは「でも」と続ける。


「先生の気持ちは、私にもわかります」


 彼女は青々とした麦の葉を撫で、呟くように言った。


「人の中で暮らしてみて、わかりました。彼らはあまりに急いで生きすぎる。木どころか、すぐに散ってしまう花のよう」

「そう……ですね」


 今にして思えば、群青がきっぱり断ったのはそれをわかっていたからかも知れない。


「ですから、私にしておきませんか?」


 空気がしんみりしたところで急に、紫さんはおどけたようにそんな事を言い出した。


「ええっと、あの、すみません……」

「あら。私も振られてしまいましたね」


 コロコロと笑う紫さんは、一体どこまで本気なのか全くわからない。


「この麦の収穫が終わったら、私は森に帰ろうと思います」

「……わかりました」


 薄情だとは、思わなかった。

 彼女の気持ちこそ、私は痛いほどわかったからだ。


「ただ、無事に終わるかどうかはまた別の話ですけど」

「鼠、ですか」


 真剣な眼差しで、紫さんは頷く。


 ヒヒイロカネ製の鼠返しは、上手くいった。流石に金属までは食い破れないらしく、高床式倉庫であれば鼠の害を防ぐことに成功したのだ。


 だが、鼠たちは諦めなかった。備蓄を食べられないなら、成育中の作物を食べればいいとばかりに畑を襲い始めた。


 罠を作ったり毒の餌を撒いたりと色々対策を講じてはいるが、その害は留まるばかりか年々酷くなってきているようだった。


「また何か、対策を考えておきます」


 そう言い置いて、私は他の生徒たちの様子を見に行くことにした。


 牧場に向かう途中で、校舎に立ち寄る。教室の中ではルカが石板に蝋石で字を書きながら、生徒たちに授業をしているところだった。引っ込み思案でおとなしかった少女は、こうしてみればなかなかどうして立派な先生ぶりだ。私なんかよりよほど教師に向いているかもしれない。


 彼女の働きぶりをじっと眺めていると、授業の終わりを告げる鐘の音が鳴り響いた。一時間保つ浮遊魔法の魔法陣でロープに吊るした木の棒を浮かせておいて、時間が来れば魔法が解けて自動的に鐘を打つ仕組みだ。


 鐘の音にふっとルカは教室の外へ視線を向け、その目が私とバチリと合う。


「な、なんで見てるんですか先生ーっ!」


 途端、彼女は顔を真っ赤にして窓へと駆け寄ってきた。その背後から、生徒たちの笑い声が響く。


「授業は終わり、終わりです! 解散ーっ!」


 ルカが叫べば生徒たちは蜘蛛の子を散らすように教室を出ていった。


「生徒にも慕われてるようで何よりだよ」

「もう、恥ずかしいですよ、先生。いつから見てらっしゃったんですか?」

「いや、ほんの少しだよ。ルカの先生っぷりを堪能するには十分だったけど」

「からかわないでくださいよぅ……」


 消え入りそうな声で恐縮するルカ。


「でも、教師は楽しいです。自分でも、向いてるのかなって、ちょっと思っちゃったりして」


 かと思えば珍しく、彼女は屈託のない笑顔を見せた。


「人間の子どもたちと接して……その、困ったりすることはない?」


 流石に寿命がどうこうと言うのははばかられて、私はそんな風に尋ねる。するとルカは少し小首を傾げて考えた後、言った。


「そうですね。人間の子って、すごく成長が早いじゃないですか。ユウキもそうでしたけど」

「……うん」


 突然出てきた名前にドキリとしながら、私は頷く。


「だから教えててとっても楽しいです。どんどん変わっていくので」


 だが続いた彼女の言葉に、ハッとした。


「昨日出来なかったことが、今日できるようになる。今日できなくても、明日は出来るかもしれない。だから毎日ワクワクするし、すごいなあって思うんです」


 そんな考え方もあるんだな、と教えられた気分だった。

 やっぱり彼女は私よりもよほど教師に向いている。


「あ、でも……今度、草原に帰ってもいいですか?」

「なんで!?」


 だからその申し出に、私は驚き思わず叫んでしまった。

 紫さんに続いてルカまでも、と思ってしまったのだ。


「え、あの、だって、もう十年以上帰ってませんし……たまには、弟たちの顔も見たいなって」


 ルカは驚いたようにピンと耳を立てながら、戸惑いつつそう答えた。


「あ、ああ……そうか」

「心配しないでも、ちゃんと帰ってきますよ」

「本当? いや、良かった。ルカがいなくなっちゃうのかと思ってびっくりしたよ」


 思わず彼女の手を取りながら、私はほっと安堵の息をつく。


「あ、あの、先生……そんなに?」

「そりゃあそうだよ。ルカほど優秀な子にいなくなられたら、すごく困る」

「あ、ですよね……えっ、ゆ、優秀!? 私がですか!?」


 ルカはなぜか一瞬気落ちしたかと思えば、突然慌て始める。

 ずっと学級委員長を務め、低年齢組の問題児たちを取りまとめ、魔法陣という概念のきっかけを作ってくれた彼女を優秀と呼ばずして誰を優秀と呼べと言うのか。


「勿論だよ。ありがとう、これからもよろしくね」

「はい……」


 すっかり照れてしまったルカと別れ、私は牧場の方へと向かう。


「だから何でお前はいつもそうなんだよ!」

「えー、だってそっちの方が楽しいじゃない?」


 すると姿が見える前から、怒鳴り声とマイペースな声の喧嘩が聞こえてきた。


「相変わらずだなあ、君たちは……」

「あっ、せんせーだ!」

「何だよ、わざわざ。暇なの?」


 流石に呆れ半分で柵の上に顔を出すと、リンはぴょんと飛んできて、シグが憎まれ口を叩く。けれどその声は弾み、表情には隠しきれない喜びが浮かんでいて、これはこれで可愛いというか、一周回って素直なような気がしてきた。

 同じ口が悪いのでも、ニーナとか表情一つ変えないもんな。


「今日は何で言い争いしてたの?」

「聞いてくれよ。こいつが全然段取りを守らないんだ。餌をやる前に掃除を始めやがって」

「ああー……」


 結局のところ、私のベヘモス飼育計画は頓挫してしまった。ベヘモスを柵で囲う事自体には成功したのだけど、ベヘモスの柵まで行くのがあまりに大変なのと……その、糞の処理が事実上不可能だったからだ。


 ベヘモスはその巨体に相応しい量の餌を食べ、当然の帰結として、凄まじい量の糞を落とす。ルカが言うには、やがてその糞を肥料としてまた森が出来るのだそうなのだが、柵で囲ってしまうとこれが狭い範囲に集中し、堆積してしまう。


 とんでもない量の、凄まじい悪臭がする糞尿を毎日何往復もして草原中にバラ撒く。誰もそんな仕事をしたがらないし、純粋に作業量としても現実的ではなかった。


 だけれど、牧畜自体の進展はあった。ヒヒイロカネで補強した柵は鹿の突進にも耐え、魔法陣で持続させた魔法はその逃走を防ぐのに役立った。相変わらず人には慣れないが、取り敢えず無理なく飼育することには成功したのだ。


「リンは何でそんな事をしたの?」

「楽しいと思って……」


 人に慣れないから、牧場は鹿が餌を食べている隙に掃除するのが基本だ。ヒイロ芋をエサ箱に盛って、そこで食事している間にエサ箱を囲む柵を閉め、掃除をしたら開放する。そうでないと、牧場を棲家と認識した鹿が排除に出るのだ。


 けど、今のリンにはそれを楽しいと言えるくらいの実力があるのも確かなことだった。彼女の魔法は安定しないが出力で言うならピカイチだ。無詠唱の魔法でも、襲いかかる鹿をあしらうことなんて容易いだろう。


「でももしかしたら、リンが怪我をしてしまうかもしれないだろう? リンは大丈夫かもしれないけど、鹿は怪我をするかもしれない。シグが決めたやり方には、ちゃんと意味があるんだ」

「うん……」


 視線を合わせてリンを諭すと、彼女はこくりと頷いた。


「よし。じゃあちゃんとシグの言うことを聞いて出来るね?」

「はーい!」

「僕の言うことは聞かないくせに……!」


 素直に手を挙げるリンに、それはそれで腹立たしいのかシグが拳を握りしめる。


「ところで、畑の方で鼠が出て困ってるんだけど、何か良い案ないかな?」


 私は困った時、だいたいこの二人に意見を聞くようにしていた。


「うーん……畑を、水の中に作る」

「出来るかっ!」


 少し考え、出てきたリンの案にシグがすぐさま突っ込む。


「あー、でも、鼠が泳げないんなら、周りに川でも作るっていうのは良いんじゃない?」

「それは良いかもしれないな」


 何と言ったっけ。確か……灌漑か。用水路を引けばわざわざ川まで水を汲みに行く必要はなくなるし、鼠の侵入もある程度防げるかもしれない。鼠だって泳ぐくらいは出来るだろうけど、用水路を中から這い上がれないような形に作ればいいのか。


「ありがとう、試してみるよ」


 やっぱりこの二人は頼りになるし、いいコンビだ。


「どういたしまして!」

「お前の案はどう考えても使えないだろ!? 今のは僕に言ったんだよ!」


 なのに何でこんなに仲が悪いんだろうなあ……



 * * *



 果たして、シグの考案した用水路作戦は非常に上手くいった。鼠たちはあまり泳ぎが得意ではないらしく、用水路を渡ることが出来ない。人間なら容易く跨げる程度の用水路でも十分防ぐことが出来た。


 教師の人手不足も解消され、農耕と牧畜も上手くいって、このままなら百年後の破滅も回避できるだろうというところまでこぎつけた。全ては順調な方向に進んでいるように思えた。


 そう。


 私がユウキから口をきいてもらえなくなった事以外は。


 いや、正確には口をきいてもらえないわけじゃない。必要なことならちゃんと会話できるし、挨拶なんかもキチンと返してくれる。けれどこの前の事を謝ろうとしっかり話す機会を作ろうとすると、なんだかんだ理由をつけて逃げ出してしまうし、向こうからこちらに近づいてくることもなくなった。

 今まで、あれだけベタベタしてきていたのに。


 自分で拒絶しておいて勝手なことだと自分でも思うが、それは酷く寂しいことのように感じられた。


 日にちが経てばマシになるだろうかと待ってみたがユウキの態度は変わらず、かえって間があいて謝りにくくなってしまうだけであった。


「橋?」


 私がその話を聞いたのは、そんなある日のことだった。


「ええ。そうとしか思えないものがかかっていたのです」


 紫さんに呼ばれ、畑を訪れる。用水路を横切るようにかけられていたのは、一本の木の棒だった。


「ここを伝って行ったようで……」


 紫さんの示す先、青々とした麦。その根本に、噛みちぎられた後があった。鼠だ。


「……偶然木の枝が落ちた、なんてことはないだろうし……」


 ヒイロ村のその大半は、森を切り開いて作った土地を利用している。外縁部に位置する畑は森のすぐそばに面してはいるものの、木の枝が落ちてくるほど間近にあるわけでもない。誰かが意図的に木の枝を移動させたと見るべきだろう。


「子供のいたずらとか、深く考えずに木の枝を置いちゃったとか、そういう可能性は?」


 流石に、鼠が自分で木の枝を運んで橋渡ししたとは考えにくい。


「一応聞いてはみたのですが、誰も心当たりがないそうです」

「うーん。まあ、橋を作っちゃうとこうして鼠が入る可能性があるから気をつけるように言っておけば大丈夫かな」


 流石にそう言われて食べ物を害するような人は、この村にはいないと思いたい。余裕があるとは言っても、現代日本のように飽食の時代というわけではないし。


「分かりました、周知しておきますね」

「すみませんが、よろしくお願いします」


 だけど、その時の私はまだまったく甘く見ていたのだった。

 ――この世界の、生き物のことを。

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