竜歴522年
第22話 追憶/Reminiscence
「自由なるもの、透明なるもの、はためく風の乙女よ。輝きとともに輪に集い、三角に沿うて炎を閉じ込めよ」
円の中に、三角形を二つ重ねた形の六芒星の描かれた魔法陣。
その頂点に触れながら呪文を唱えると、風がつむじを巻いてその中に集まりながら、私が触れている方の四角形が光り輝く。
「火よ。輝いて輪に収まり、逆三角に沿うて熱せよ」
指を離し、もう片方の三角形に触れて別の呪文を唱える。すると魔法陣の中に炎がうずまき、拳大のわだかまりとなって魔法陣の上に置かれた土器を包み込んだ。
――どうやら、上手くいった。安定して燃え続ける炎を見て、私は胸を撫で下ろした。
あれから色々と実験を繰り返し、わかったことがある。
一つは、円の中で使った魔法は安定するだけでなく、術者の力に関係なく円の大きさで出力が決まる、ということだ。そして安定性は、円がどれほど完璧な円であるかに比例する。
リンが手で描いた円はぐにゃぐにゃでほとんど魔法円の意味をなさなかったが、コンパスで描けば私が描いたものと同様の効果を発揮した。ちなみに一番安定するのは、私がフリーハンドで描いた円だ。
ただしこれには例外が二つある。魔力が足りない場合と、多すぎる場合だ。円を大きくすればするほど魔法の出力も大きくなるが、魔法円無しで魔法を使った場合よりも大きくなることはない。そして大きすぎる魔法円は、安定性にも寄与しなかった。そして魔力が多すぎてもやはり、魔法円の意味がなくなる。
要はコップのようなものなのだろう。
魔法円なしで使う魔法は、水を手で掬うようなものだ。手の形や使い方、手の大きさによって、掬える水の量は異なるし、水の形も安定しない。
けれどコップを使えば誰でも同じ量、同じ形に水を掬うことができる。
これがコップでなく巨大な桶だと底に水が張り切らないこともあるし、水が多すぎれば当然あふれる。そういうことだ。
そしてもう一つは、魔法円の中に図形を描き、魔法陣にすることの効能だ。
円は魔法を安定させるが、多角形には魔法を留める効果があるのだとわかった。
今まで魔法の効果時間というのは、これもやはり安定しなかった。
威力と同様、大体の時間を加減することはできるけれど、いつ切れるかと言うのは使った本人にすら正確にはわからない。
炎を出したり風を吹かせたりと言った魔法に至っては、集中していなければほとんど一瞬しか持たない。
これが、多角形を用いることで集中せずとも長く持ち、その時間もほぼ多角形の大きさと角の数で一定に定まるようになった。大きいほど長く、角が多いほど短い。八角形を超えると殆ど効果がなくなることもわかった。
円と多角形を組み合わせた魔法陣は、いわば蝋燭のロウのようなものだ。円によって安定させた魔法を、内部の多角形が長く保たせる。そしてその最大の利点が、今目の前にあるこの六芒星魔法陣だ。
三角形を二つ組み合わせたこの図形は、二つの全く異なる魔法を同時に保つことができる。これによって作り出せたのが、風の魔法で熱を封じ込め、炎の魔法で金属を溶かす魔法じかけの窯。
魔法的な原理は先に述べたとおりだが、その中心に置かれた壷の上には砂が入れられていて、抜かれた底には私の鱗で蓋がしてある。
砂の上で溶けたヒヒイロカネが砂に染み通って滴り落ち、鱗の上に溜まるという仕組みだ。
私はこれをルカの種族にちなんで、リュコスの窯と呼ぶことにした。本当はストレートにルカの窯と呼ぼうとしたんだけど、他ならぬ本人に固辞されてしまった。
この窯の素晴らしい点は、私でなくてもヒヒイロカネを製錬できるというところだ。
熱量を安定させ風で閉じ込めるから効率がいいという事もあって、ニーナやリンでも十分ヒヒイロカネを溶かすだけの熱量を発生させることができた。
カラン、カランと鐘の音が鳴り、私はふっと顔を上げた。
目の前には無数に棚引く煙と、同じ数だけのリュコスの窯。一つ一つで取れるヒヒイロカネはごく僅かだが、いくつも作れば十分な量を取ることができる。午前中で、百個程度は作れただろうか。
リュコスの窯がもたらしたものの一つに、時間の単位がある。
度量衡を定めた時、私は時間の単位も決めたかったのだけど、極めて難しくて断念したのだ。水時計も砂時計も、今の技術ではとても安定したものを作ることが出来ない。
日時計はある程度の参考にはなるけれど、季節によって全然表示が変わってしまうのであまり使えなかった。季節による太陽の高さの変化を補正する方法もあるんだろうけど、私にその知識がなかったし、そこまで厳密な時間の管理が原始時代に不要である事もあって全く研究していなかった。
リュコスの窯は、魔法陣の大きさが一定で込める魔力が十分なら、必ず同じ時間で火が落ちる。それがちょうど一日の十二分の一。二時間で、一リュコスだ。
まあそこまでの時間管理が不要なのは今も変わらないんだけれど、とりあえず金属器の活用法の一つとして、鐘を作って正午を知らせることにした。農業が始まって、日々の人々の仕事は狩猟採取よりもむしろ増した。朝と日暮れは分かり易いが、昼食と昼休みも人には必要だ。それを知らせるための鐘だった。
「おにーいちゃん!」
不意に言葉とともに、背中に柔らかな感触が伝わってきた。
「やめなさいって」
「えー、せっかくお昼ごはん持ってきたのに」
それが誰か、振り返って顔を見るまでもない。その声も、身体の重みも暖かさも、ふわりと香る花のような甘い香りも、彼女が生まれた時からよく知っている。ずっと変わらず、変わり続けたそれは、ユウキのものだった。
「まあ、それは有り難いけども」
綺麗な布に包まれていたのはベヘモス肉の素揚げと蒸したヒイロ芋、それにパンだった。ご丁寧にデザートとして水林檎までついている。
パンと言っても、まだ酵母が見つかってないので無発酵のパンだ。正直イースト菌なんてどこからどうやって見つけたらいいのか、見当もつかない。けれどこれはこれで意外と美味しい。食感はもっちりとしていて、少し硬いがよく噛んでいるとだんだん甘みが出てくる。これで肉の素揚げを巻いて食べると、実によく合うのだ。
肉の脂がじわりと染み込んで柔らかくなると、もともとの硬さも気にならない。むしろその淡白な味わいが濃厚な肉の旨みを受け止めて、互いの美味しさを二倍三倍と引き出すかのようだ。
蒸したヒイロ芋も塩だけの単純な味付けながら侮れない。ホクホクとした暖かい芋に塩を振って、皮ごとかぶりつく。これが不味い訳がないではないか。
行儀が多少悪いけれども、両手にベヘモスサンドと蒸し芋を手にして、蒸し芋を一口ほふほふと頬張り、すかさずベヘモスサンドの濃厚な脂の旨み。そして再び芋。この原始時代で、まるでファストフードのようなジャンク感があった。素晴らしい。
「美味しかった」
あっという間に食べ尽し、満足気に息を吐きながらデザートの水林檎に手を伸ばす。
「いいお嫁さんになるでしょ?」
「ゲホッ、ゴホッ!」
ニッコリ笑って不意打ちを仕掛けてきたユウキに、私は水林檎を飲み込み損ねて咳き込んだ。
「だから、何度も言ってるけど、私は――」
「ん? お兄ちゃんの、なんて一言も言ってないよ?」
もう結婚している。そう告げようとする先手を打って、ユウキは小憎らしいほど可愛く首を傾げた。
「まあ、うん。アマタも子供が生まれたことだしね。ユウキもそろそろそういう事を考えてもいい頃だと思うよ」
先代、アマガさんから剣部を継いで三年程になるだろうか。良縁に恵まれ、長男が生まれたのが去年のことだ。この世界では遅いくらいである。
「うん。だから早く、もらってよお兄ちゃん」
あまりにもストレートな言葉に、私は再び咳き込んだ。
「さっき、私のなんて言ってないって」
「だけどそうじゃないとも言ってないでしょ?」
言ってユウキは私の腕を取ってぎゅっと抱きしめる。
「悪いけれどユウキ、私は君の想いに答えられない」
その腕をそっと外し……外……外そうとして、私は失敗した。
ユウキ、力が強すぎる。これを外すには死に物狂いで振りほどくか、竜の姿に戻るかだ。
流石にそこまでする気概はなくて、私は外すのを諦めた。
「私には、愛する妻がいるんだ」
「アイお姉ちゃんでしょ? 知ってるよ。お父さんからも、ニーナお姉ちゃんからも何度も話を聞いたもん」
唇を尖らせ、拗ねたようにユウキは言う。
「わかっているなら、なんで……」
「だって、いないじゃない」
簡素なユウキの言葉は、まるで矢のように鋭く私の胸に突き刺さった。
「……今は確かに、私のそばにはいないかもしれない。けど、彼女はいつか必ず戻ってきてくれる」
「でも、今はいない! そのせいで、お兄ちゃんは何百年も寂しい思いをしてるんでしょ?」
ユウキの赤い瞳が、私の顔を真っ直ぐに映し出す。
それはあまりに眩く、直視できなくて。
「君だって、同じことだ。百年も経たずに、私を置いていってしまうんだろう」
そんなことを言うつもりなんてなかったのに、私の口からそんな声が零れ出る。
ユウキの表情が、さっと傷ついて。
私は吐いてしまった言葉を、心から悔やんだ。
* * *
「私は、馬鹿だ……」
「やーいバーカバーカ」
その夜。
項垂れ、ため息とともに慚悔の念を吐き出す私の傷口を、ニーナは容赦なくえぐった。
「……慰めろとは言わないけど、もう少し手心を加えてくれたって良くないか?」
「五百も下の女の子を虐めて泣かせてる男を、他になんて呼べばいいっていうのよ」
そっけなく言うニーナに、返す言葉もない。
「大体、そういう下りは五百年前にも一回やったじゃないの」
「……じゃあ、私にどうしろっていうんだ」
「好きなようにしたらいいじゃない」
突き放すような、ニーナの言葉。
「……そうできたら、苦労なんかしないよ」
「じゃあ、あんたの好きなようって何?」
しかしその質問に、私は言葉を失った。
「出来るできないは置いといて、言ってみなさいよ」
「……ユウキには、私なんかじゃなくて、もっと別の相手と幸せになって欲しい」
それは、アイの時とは全く違う、本心からの言葉だ。
確かにユウキのことは可愛く思っているし、愛している。
けれどその愛は異性ではなく、娘や孫に対するもの。子に抱く親のような愛だ。
「それはユウキにして欲しいことであって、あんたがしたいことじゃないでしょ」
だけれどニーナの言葉は手厳しかった。
「私は……アイへの想いを、貫き通したいんだ。彼女と過ごした時間を忘れたくない」
もしも……もしも、私がアイと同じか、それ以上に愛する相手を見つけてしまったら。あの日の記憶は色あせ、消えてしまうんじゃないか。
それが、恐ろしかった。
「……ばーか」
私の額を、ニーナが指で弾いた。
「あんた、ダルゴの事は覚えてる?」
「勿論だよ」
ダルゴは、ダルガの最初の息子だ。二代目の剣部で、初めて『剣部』という苗字に、家名以外の意味を見出した人間でもある。
「あいつあんなナリして、すっごい臆病だったものね」
「ああ。見た目はダルガにそっくりなのに、中身は全然違うんだもんな。ジルゴが生まれた時の狼狽っぷりったらなかったよ」
私とニーナは揃って忍び笑いを漏らす。
「ジルゴと言えば五歳のときのアレは、本当に肝を冷やしたわ」
「いや、四歳じゃなかったっけ? 鎧熊に戦いを挑んだ時の話だろ? リウが生まれた年だったはずだから」
「ああ、そっか。そうね、確かに四歳だった」
ジルゴは四代目の剣部、初の女性の剣部だ。そしてダルガの最後の直弟子であり、紫さんの剣技を元にした片手剣の剣術の祖でもある。
「あの子は本当にすごい子だったな……ダルガの形見の岩剣を粉々に砕いた時は、どうしようかと思ったよ」
「ちょっとユウキに似てるかも」
「えー、そうかな? どっちかって言うとユウキはジラゴの方が似てないか?」
「見た目はね。でも性格はどう考えたってジルゴの筋よ」
私とニーナは昔を懐かしみながら、思い出を語り合う。誇りを持って村を守る子がいた。剣部の名を継いで剣を振るうことを嫌がる子もいた。及ばない力に涙する子もいた。けれど皆この村を愛し、私たちのそばにいてくれることは変わらなかった。
「忘れないわよ、あんたは」
不意に、ニーナがそんなことを言った。
「何があったって、誰一人忘れたりしない。いつまで経ってもグジグジ湿っぽく想い続けるに決まってるわ」
辛辣な……けれど、優しい言葉。
「だから、そろそろ前を向きなさい」
ああ。
それは何気ない言葉だったけれど。
彼女がずっと言いたい言葉だったのだろう、と私は悟る。
「今日は、飲もうか」
「……少しだけよ。あんた、酒癖悪いんだから」
酒の入った壺を取り出すと、釘を差しつつもニーナはコップを用意してくれる。
ヒヒイロカネで作ったコップが彼女の手の上で凍りつき、そこに琥珀色の酒を注いで入れればキンと冷たい冷酒が味わえた。
「じゃあ……乾杯」
「ん。乾杯」
チン、と小気味良い金属音を立てて私たちは杯を打ち鳴らし。
その晩は、遅くまで思い出話に花を咲かせたのだった。
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