第21話 魔法陣/Magic Circle

 それは、ヒヒイロカネを発見してから一週間ほどが経ったある日のことだった。


「ねえねえ、せんせー! みてみてみてーっ!」


 ばたばたというけたたましい音と楽しげなリンの声に振り向くと、彼女が文字通り飛びついてくる。


「リン!? どうしたの?」


 反射的に彼女の身体を抱きとめながら、私は驚きに目を見開いた。


 車椅子の彼女が、跳躍なんて出来るわけがないのだ。


「えへへ。これ、これ!」


 ぴょんと離れる彼女の指先を見る。するとそこにあったのは、まるでスカートのように広がる大きな腰ヒレだった。出会った頃から十年が経ち、だいぶ大きくなってはいた。最近では多少は歩けるようになってはいたが、目の前のそれは昨日までよりも明らかに大きい。


「急成長……!?」

「あのね、このまえ、シグが剣を作ったでしょ?」


 唐突に飛んだ話題に、私は頷く。


「形を変えるの、出来るんだなーって思って、やったら、できた」


 簡潔なリンの説明に、私は言葉を失った。


 言われてよくよく腰ヒレを見れば、大きくはなっているけれど年輪の数は同じままだ。


「……リン。お願いだから、自分の身体に魔法をかける時は、私と一緒にいるときにしてくれ」

「わかったー!」


 元気よくリンは手を挙げる。素直は素直なんだけどなあ。

 いきなり自分で人体実験とは、思い切りが良いというか恐れを知らないというか……


「せんせーは何してるの? それなあに?」


 身体を横に傾け、リンは私の背後にあるものを覗き見るようにして聞いた。

 そこにあるのは、不格好な土でできたかまくらのようなものだった。

 半球状に盛り立てられた土の塊にはポッカリと穴が空いていて、その中でめらめらと炎が燃えている。


「これは、窯だよ」


 先日の件で、金属は身近に大量に存在することがわかった。けれども、問題がなかったわけじゃない。集まった大半は穴山で見つけたような結晶の状態ではなく、岩と入り混じった鉱石の状態だったのだ。


「これでヒヒイロカネだけを溶かして出そうとしてるんだけど……」


 そこから純粋な金属だけを取り出すには、溶かせばいい……のだと思う。岩よりも金属の方が溶ける温度が低いから、熱すれば金属部分だけが溶け出してくる、というような理屈だろう。多分。


 そんなあやふやな知識で作り出したのが、この不格好な窯だった。

 最初は直接炎を当てて溶かそうとしたのだが、久方ぶりに竜の姿で吐き出した全力の炎は、いともたやすくヒヒイロカネの鉱石をまるごと蒸発させてしまった。


 ならば、と人の姿で加減して火を出せば、いくら熱しても溶け出す様子がない。

 その中間の温度を出すのに、私は四苦八苦していた。


 魔法というのはとにかく、安定した力を出すのがものすごく難しいのだ。ある程度の調節は効くけれども、一定の温度を保つとか、一定の強さを出し続けるとか、そういうのはなかなか出来ないし、出来たとしてもひどく疲れる。極端に集中力と体力を要求されるのだ。


 例えるなら、綿毛を息で浮かせるようなものである。息を強く吹いたり弱く吹いたりすることは出来る。けれどずっと一定の強さで吹いて、綿毛を空中のある一点に留め続けるのは至難の業だ。


 そこで私は、魔法以外の技術に頼ることにした。魔法で直接熱するのではなく、窯で温度を上げて金属を溶かす。この方法なら、温度を上げすぎずに上げることができるはず……


「わぁっ!」


 そんな私の浅はかな考えは、爆発する窯と一緒に四散した。


「すごーい! 今の、もう一回やって!」

「今のは失敗だよ」


 はしゃぐリンに、私はぐったりと肩を落としてため息をついた。

 構造がいけないのか、材質がいけないのか。どうしてもある程度温度を上げると、ヒヒイロカネが融解するよりも先に窯が爆発してしまう。どんなに慎重に、ゆっくり温度を上げても同じことだった。


 一応窯自体の材質もただの土ではなく、土器と同様に粘土をしっかり乾燥させた上に、魔法で強度の補強もしてるんだけどなあ。少なくとも私のおぼろげな知識では、金属を融解させるに耐える窯を作ることは出来ないようだった。


「ルカにやり方聞いてみたら?」

「……ルカに?」


 オウム返しに問い返せば、リンはうん、と頷く。


「ルカ、そういうの得意だよ」


 確かに彼女の魔法は、非常に安定している。出力そのもので言えば下から二番目、シグの次に四大属性の測定値は低い。けれどそれがほとんどブレないのだ。


 性格か種族的な、生まれ持っての才能だと思っていたけれど、何かコツがあるのかもしれない。


「よし、聞いてみよう」


 リンとともに校舎の中へと向かう。彼女はちょうど、他の生徒達と談笑しているところだった。


「あ、先生、どうし……あれっ!? リン、自分で歩いてる!」

「ホントだー!」


 ルカはいち早くこちらに気づくと、私の隣でペタペタと歩くリンに目を丸くした。


「お前、それ、どうやったんだ!?」

「凄いでしょー!」


 驚きの声を上げるシグに、エヘンとリンは誇らしげに胸を張る。どうやらリンは、私に一番に見せに来てくれたらしい。単純なことだけど少し……いや、結構嬉しい。


「ルカ、ちょっと教えてほしいんだけど、魔法を安定させるのに何かコツってあるかな?」


 ひとしきりリンの魔法の成果を皆に披露し終わった後、私はルカにそう切り出した。


「コツ……ですか?」

「そう。ルカって魔法を安定させるのすごく上手だろ? 私は……こうだし」


 光よ、我が指先に小さく灯れ。そう短く唱えて炎を出すと、私の手からまばゆい光が溢れ出し、一瞬にして周囲を包み込んだ。


「指先って言ってるだろ!」


 そう叫びつつ手を握りしめると、光は揉み消される火のように収まる。


「ううー、目がぁー」

「相変わらず、先生の魔法は凄まじいですね」

「コントロールは全然だけどね」


 光を直視してしまったのかリンが両手で己の目を押さえ、紫さんが感嘆の声を上げる。そしてシグが、皮肉っぽくそういった。


「うるさいなあ。シグだってそこまで得意でもないだろ」

「先生よりはマシだよ」

「じゃあ、やってみてよ」


 憎まれ口を叩き合いつつ、シグに促す。彼はさして気にした風もなく、「いいよ」と請け負った。こうして軽口を言えるようになったのも、進歩といえるだろう。


「白きもの、眩きもの、輝く光よ。我が手のひらにあれ」


 呪文とともに、彼の手の中に光が生まれる。それはまるで脈動するように大きくなったり小さくなったりを繰り返し、やがて立ち消えた。


「お兄ちゃんと大差ないんじゃない?」

「うっ……」


 言いにくいことをズバリというユウキに、私とシグは同時に呻いた。


「ではルカちゃん、どうぞ」

「ええっと……光よ」


 紫さんに促され、両手でお椀を作るようにして、ルカが呪文を一節唱える。するとそれだけで、彼女の手のひらに光の玉が浮かび上がった。私のように眩しすぎることもなければ、シグのように光量が不規則に変わることもない。何よりその形の美しさだ。


 ルカの作り出す光球は、ほとんど完璧な球状をしている。まるで夜空の満月のようだ。それに比べて、シグの作った光は炎のようにゆらめき、その輪郭はあやふやだった。恐らく私のも遠くから見ればそうだろう。


 紫さんやユウキは私たちよりだいぶマシだけれども、それでもここまで安定はしない。


「わかった!」


 不意に、リンが声を上げた。


「この手の形をしたら、上手にできるんだ!」


 そして、ルカのきっちり揃えた手を指差した。


「そんな単純なことなわけ……」

「光よ!」


 シグの言葉を遮るように、リンがルカの真似をして、両手を揃えて叫ぶ。


「嘘だろ……!?」

「まあ」

「すごーい!」


 シグが目を剥き、紫さんが口に手を当て、ユウキが声を上げる。

 そこに現れたのは、歪な球状の光だった。


 歪だけれど、球だとわかるのだ。


 魔法の安定性という話をすると、リンのそれは生徒たちの中でぶっちぎりで低い。その代わり出力は高いという、私によく似た特性を持っていた。


 そのリンが、曲がりなりにも魔法を安定させてみせたのだ。


「ひ、光よ! ……おおっ!」


 シグはすぐさまそれを真似て、手を揃える。そして手のひらの上に生まれた小さな球状の光に、感嘆の声をあげた。紫さん、ユウキがそれに続いて、やはり魔法が安定することを確認する。まさか、まさかそんな簡単なことだったなんて。


「光よ!」


 私は喜び勇んで、両手を揃え叫ぶ。



 ――一瞬の後、教室は光に包まれて何も見えなくなった。



  * * *



「まだ目がチカチカするよ……」

「いや、本当、ごめん」


 顔を顰めながらしきりに瞬きをするユウキたちに、私は何度も頭を下げた。

 どうやら私の魔法は、相当散漫なものだったらしい。

 それを安定させ、集中させた結果生まれた光量は見たものの目を潰すに余りあるもので、すぐさま消したにも関わらずしばらく経っても生徒たちは目の不調を訴えていた。

 リンに至っては光に弱いのか、普段元気な彼女が目を閉じたままぐったりとしている。一応、失明なんかの心配はなさそうでホッとしたけれど……


「でもまさか、手の形で魔法の安定性に違いが出るなんて」


 確かに、魔法はだいたい手から出る。正確には手から少し離れた場所からだ。けど手の形に関しては今までちっとも気にしたことなどなかった。皆、思い思いの形で好きなように魔法を使って、それで全く不便がなかったからだ。


「なんとなく……この手に収まる感じで出るのをイメージして、魔法を使ってたんです」


 目が回復したのか、ルカは手で椀を作りながらそういった。

 確かに彼女の作り出した光球は、その手のひらとちょうど同じくらいのサイズだ。


「ああ。そういうことなのですね。確かに大きさの基準になるものがあると、やりやすい気はします」


 紫さんがもう一度椀を作り、光を生み出す。

 原理がわかったせいか、それは先程よりも更に安定していた。


「なるほど」

「もうやるなよ!?」


 思わず真似をして椀を作る私に、シグが慌てて釘を刺す。

 流石に私も、二度も同じ愚は犯さない。


「大きさの基準かあ……ルカの手は、何センチ?」

「ああっ!」


 ユウキの何気ない問いに、私は思わず叫び声を上げてしまった。


「な、なに? お兄ちゃん」

「それだ! それだよ、ユウキ!」


 私は興奮のあまり彼女の手を握り、ぶんぶんと上下に振る。


「紫さん、蔦を出してもらえませんか? 長さは適当でいいです」

「はあ……どうぞ」


 私は紫さんの出してくれた蔦の一端を木の棒に結び、もう一端を炭に結びつける。そして机の上に炭で点を書くと、そこに木の棒を立ててピンと蔦を張り、くるりと回した。これは要するに、即席のコンパスだ。


 机の上に、綺麗な円が描かれる。このくらいはフリーハンドでかけるけども、多分、中心がちゃんとわかる方がいい。


「ルカ……いや」


 ルカだともともと綺麗すぎて差がわからない可能性がある。


「ユウキ。この円に収まるイメージで、光を出してみてくれないか?」

「うん! ――光よ」


 ユウキに頼むと勘のいい彼女はすぐに私の意図を察したのだろう。円にあえて片手を向け、短く呪文を唱える。すると光は彼女の手のひらからではなく、円の上に浮かび上がった。闇夜に浮かぶ満月のような、美しい光球だ。


 円。それは、最も単純な魔法陣だ。

 そしてこの世界において、魔法陣がどのような意味を持つか、私は直感的に悟った。


 これは魔法にとっての定規だ。

 長さを測るためではなく、真っ直ぐ線を引くための。

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